尾を喰らう蛇
奇襲に訪れた敵軍は第一○七大隊によって壊滅。上官も知らされていなかった事実に、敵国はてんやわんやだ。
あまり責任を追及しても、戦争になり兼ねん。やっとこさ結んだ休戦協定を破棄することは、こちらの上層部の殆ども望んでいなかった。拮抗している軍事力で予想される被害と、勝利してから得る利益が割に合わないのである。
―――では、今回は手打ちということで
 そう言いだしたのは古くから軍上層部の半数を占める、とある一族の家長―――朝比奈大将であった。



手打ち。その言葉で、会議は解散になった。
欠伸や談笑の零れる人の群れから外れ、その男は落ち着きなさげに歯噛みした。
全く、予定と違う結果になってしまった。
苛立ち紛れに舌を打ち、人気がないのを良いことに、壁を思い切り叩く。
折角、機密情報と研究材料を提供してやったというのに、無能な男だ。
そう心中悪態ついて、歯噛みする。
「随分、ご機嫌ななめのようね、叔父さま」
可愛らしい少女の声に、男は肩を飛び上がらせた。
この声は男も良く知る少女のもので、しかしその少女はとっくにこの世を去っている筈だったからだ。
バッと振り向くと、廊下の曲がり角で少女が可愛らしく手を振っている。予想していた通りの姿に、男はゾッと背筋を凍らせた。
「安心して、叔父さま。幽霊じゃないわ」
ニコニコと笑って少女―――ヒヨリはゆっくりと歩み寄る。男は思わず後退しかけて、しかし背後に現れたもう一つの気配にその足を止めた。
「朝比奈少佐―――朝比奈大将の奥方の妹の旦那か……婿入りだから、大層いびられたようだな」
この声を、男はよく知っている。出来れば聞きたくなかった声だ。
「【レコードチルドレン】他、軍の機密情報をネタに隣国での優遇を手に入れようとしたわけか……失敗したけど。仮にも、嫁を裏切る罪悪感はなかったのか?」
季節外れの赤いマフラーを巻き、帯刀したシンタローがじろりと視線をやる。首筋にそれを受け、男はひ、と声を上ずらせた。
互いに互いを利用していた軍部とケンジロウ、彼の狂気を利用していた『蛇』、そしてそれらのお零れを利用しようとした男―――朝比奈少佐。研究所からでもくすねたのだろう『蛇の眼』を提供し、廉価版【レコードチルドレン】まで造らせて。
しかし所詮は素人の造った廉価版だ、結果はご存知の通り。恐らく敵国に渡った蛇は一匹かそこらだったのだろう、それを大人数に切り分けたのだ。能力を発現できなくて当然である。
そして恐らく、あの事件の責任をシンタローへ押し付けたのも、彼。シンタローとケンジロウが手を組んで嗅ぎまわっていたことを、知ったのだろう。その罪も全てまとめ、情報流出の変わり身にすることが、本当の狙いか。
叔父である彼に、ヒヨリはそれほど面識ない。小物であるとは、父から聞いていた。しかし野心と根気は人一倍だったようだ。父の慧眼も、中々甘くなったものである。そう独り言ちてヒヨリは肩を竦める。
それはさておき、今は責任の話をしよう。
「さて、叔父さま。向こうの指揮官―――彼は少尉だったかしら―――はしっかりその首を以て責任をとったそうですよ」
ヒヨリは、冷や汗まみれの男を見つめ、ニッコリと笑う。
会議で出された手打ちの意味―――向こうが一軍人の首を差し出したのだから、こちらからも同等のものを。
「ご安心を。叔母さまからはしっかり責務を果たすようにとのお言葉をもらっています」
腐っても軍人一家。けじめには厳しいのだ。
考えればあの一族の中でも温厚でお気楽だったのは、アヤカとアヤノぐらいのものであろう。
つくづく末恐ろしい一族だと、シンタローはこっそり嘆息した。
そんな末恐ろしい一族で将来有望と囁かれる少女は、それはそれは綺麗な笑みを浮かべて、目の前で震える男を見つめた。
「さあ、どうします、叔父さま?」

翌日、朝比奈少佐が自決したと軍部全体に報じられた。

「えへへ……」
「全く……」
医務室のベッドに座り、モモは包帯を巻いた頭を掻いて笑った。
傍らでは呆れて吐息を漏らすヒビヤと、涙目で安心したと呟くマリーが座っている。彼らの背後に立って、キドは腕を組んだまま嘆息した。
「それにしても、無事で良かった、キサラギ」
「御心配をおかけしました……」
「本当にね」
棘のあるヒビヤの言葉に、モモはうっと言葉を詰まらせる。
銃弾が掠ったのは額で、その衝撃で気絶してしまったのだ。
全く、本当に兄妹だな、とキドはこっそり苦笑したものだ。
それにしてもモモは先ほどから気持ち悪いくらいににやけており、それが些か気になる。マリーが訊ねると、モモは自分の頬を抓りながらヒビヤを見やった。
「初めてモモって呼んでくれたよね、ヒビヤくん」
モモが倒れた瞬間、それだけは聞こえていた。それが嬉しくて、にやけてしまう。やっと仲間として認められた。そんな気がして。
ヒビヤはきっと彼女を睨みつけた。
照れ隠しではないそれに、モモは笑みを引っ込める。
「ふざけないで!……もう、誰か知り合いが死ぬところなんて、見たくないよ……!」
モモが倒れる瞬間、ヒヨリとカノの姿がそれに重なった。結果的に誰も死んでいないけれど、あの瞬間は心臓が縮むような寒気を覚えたものだ。あれは何度経験しても慣れるものではないし、慣れたいとも思わない。
「……ごめんね」
下唇を噛みしめて俯くヒビヤに、モモは小さく呟いた。掛布団を掴むように置かれた手に自分のそれを重ねると、小さく震えているのが解った。
「……大丈夫だよ、私は死なない。丈夫だし」
体術を得意とするだけあって、身体は丈夫な方だ。
そう言ってモモが笑うと、ヒビヤはそっぽを向いた。
「……馬鹿じゃないの」
小さく呟かれたそれは、僅かに濡れていた。

「で、何をしているんですか、あなたは」
机上の充電器に立てかけられた携帯端末の中で、エネは少々退屈そうに足を揺らす。
ケンジロウは一度手元の部品から顔を上げ、つけていたゴーグルを外した。
結局彼の頭脳を惜しがった上層部によって、厳重監視付の研究所に収容されている身の上だ。人造人間のレシピも何もかも、元孤児院の研究所に残してきたが、それはシンタローの手によってデリート済みである。加えて今回のゴタゴタで、暫くは兵器造りをすることもないだろう。
だから今ケンジロウが造っているのは、趣味の産物の筈だ。
「お前の器を造ってやっているんだ」
「私の?」
「コノハたってのリクエストだぞ」
なあ?とケンジロウが背後を振り返ると、丁度良いタイミングで認証システム付の自動ドアが開いた。
そこを潜って入室してきたのは、真新しい軍服に身を包んだコノハで、首からは入場許可証である電子カードを下げている。
急に話を振られ、コノハは身体ごと首を傾いだ。
「おー、似合ってるぞ」
彼の困惑を余所に、ケンジロウは自分のペースで話を進める。ああ、と頷いて、コノハは服の裾を引っ張った。
コノハの入軍が認められ、一○七大隊への所属も決まったのだ。
「一応、二等兵……」
「まあそうだろうな」
コノハは携帯端末を覗きこみ、エネに似合うだろうかと訊ねた。エネは肩を竦め、まあまあだと答える。
元々が真っ白いくせに、服は真っ黒。何処となく、あのいけ好かない男を彷彿とさせる。
「それでコノハ、私の器を頼んだってどういうことです?」
「ああ……」
コノハはそのことか、と頷いた。それから、だって、と少し頬を掻く。
「エネに触れられないのは……寂しいな、って」
ぼ、と。一瞬の間を置いて、エネの顔が真っ赤になった。その様子にカラカラと笑うケンジロウに気づき、彼女は大慌てで腕を振った。何をどう誤魔化せば良いのか、解らないまま。
「ああもう!」
コノハは姿が変わっても、いつまでも恥ずかしい男である。
「あーもう解りました!その代わり、このスーパープリティガールエネちゃんが入るに相応しい物造ってくださいよ!」
「ぶは!す、すーぱーぷりてぃ……がーる、って……お前、がそんなこと言う日が、来るとは……!」
咥えていた煙草を吐き出し、呼吸困難になるほどケンジロウは笑い転げる。しまった、と思ったときにはもう遅く。エネは頭を抱えて羞恥に叫ぶのだった。
「ああああああもう!!」
そんなエネも可愛いなあ、なんてコノハは一人呑気なことを考えていたのだが、それを咎める者はいない。
暫くの間その部屋から笑い声と叫び声が途絶えなかったので、監視として扉の前に立っていた憲兵は、それはそれは不気味な思いをしたのだとか。
まあ、余談である。

「で、なんで私がこんなこと……」
真新しい軍服に身を包み、ヒヨリは不貞腐れて頬杖をついた。そんな彼女の傍らに立ち、しょうがないよとヒビヤは肩を竦める。
「ヒヨリは良家の出だから」
「そんなんだから軍は腐るのよ」
にべもないヒヨリの言葉に、ヒビヤは苦笑する。
今回空いた空席は、シンタローの進言もあってヒヨリが埋めることになったのだ。
実は生存していたヒヨリに、軍上層部は驚きを隠せないようだったが、朝比奈大将だけは全てを悟っていたらしく、湛えた笑みを崩すことがなかった。ヒヨリ的にはそのことが一番気に食わないのではなかろうかと、ヒビヤは推測している。
「まあいいわ!」
カラリと言って、ヒヨリは立ち上がった。
分厚い軍服を肩にかけ、彼女はステップを踏むようにヒビヤを振り返る。
「ヒビヤ、これから一生をかけて、私を守りなさい」
いいわね、そう念を押し、ヒヨリはさっさと踵を返した。彼女の背中が遠のく中、ヒビヤは衝撃からハッと我に返った。慌ててヒヨリを追い、その肩に手を伸ばす。
「え、ヒヨリ、それって……!」
まさか、それは―――
「あ、コノハさん!」
「ですよねー!」
通りすがりのコノハへ向かって一目散に駆け寄っていくヒヨリの姿に、ヒビヤは拳を握りしめた叫んだ。
悔しいような、しかし心の何処かでほんの少しだけ安心したような、そんな複雑な気持ちで。

「結局、お兄ちゃんはセトさんが好きなの?」
見舞いに来てやった兄に対する最初の言葉が、それか。
そう文句を言おうかとも思ったが、代わりにシンタローは顔を顰めて溜息を吐いた。
「何だよ、唐突に」
「だって気になるんだもん」
見舞い品であるお汁粉オレンジを啜りながら、モモはどうなのよ、と重ねて訊ねる。頭を掻き毟り、シンタローは言葉を詰まらせた。そんな彼の顔を覗きこみ、モモは小首を傾げる。
「アヤノさんの代わり?」
「そんなことあるか」
それには即答できた。
既に彼女と一緒に埋葬したマフラーの名残を辿るように、つい手が首元へと伸びる。
彼女のことは好きだった。抱きしめたいと思っていたし、笑顔が愛おしとも思っていた。セトの笑顔を、彼女のそれと重ねていたのは事実だ。目の前にあるそれを見て、何処か救われた気でいた。けれどあの笑顔そのものが愛しいと感じるのも、また事実で。
そうか、と漸くパズルのピースがハマった気分に、シンタローの口元には自然笑みが浮かぶ。
「お兄ちゃん、気持ち悪い」
辛辣な妹の言葉に頬を引き攣らせ、シンタローは髪をかきあげた。
「ま、向こうもまだ決着ついていないみたいだし……横槍入れられても仕方ないよな」
「セトさん可哀そー」
「お前も俺を自覚させたんだから同罪だぞ」
「えー、何それ!」
不満を呟けども、シンタローはニコリと笑ってモモの額を弾く。
お大事に、そう呟いて彼は席を立った。吹っ切れたように真っ直ぐ伸びる兄の背筋を見つめながら、モモは弾かれた額を摩る。
それほど強くない凸ピンは、いつぶりだろう。何だか懐かしくて、とてもこそばゆい。
「……ま、いっか」
何だかんだ言いつつ、モモは兄贔屓なのだ。

「で、セト、何なのソイツ」
痛む米神と叫び出しそうになる衝動を抑えつつ、カノはゆっくりと訊ねた。
対するセトはへ?と、黒い蛇―――それこそカノの問いただしたいことなのだが―――を巻き付けた小首を傾げた。
「クロハっす」
「クロハ?」
「黒いコノハさんだから、クロハっす」
「……君のネーミングセンスは今に始まったことじゃないからそれは置いておくとして」
一息に言って、カノは大きく息を吐く。
「何で!ソイツが!当たり前のような顔してここにいるの!」
それである、カノの聞きたいことは。
何でって、と呼んでいた本で鼻から下を覆い、セトは顔を近づけるカノを避ける。
「アザミさんのとこから来たんすよ」
それ以外なにがあるのだと言わんばかりの顔。そうではなくて、と必死に自制しつつカノは冷静に言葉を探す。
「僕の敵討ちはどうなったの!」
「誰もカノの仇討とは言ってないし……そもそもカノ、生きてるし」
ああ、そうでした。納得しかけた自分は、もう諦めかけているのだろうか。
セトの頭に顎を乗せチロチロと舌を出し入れする蛇が、こちらを小馬鹿にしているようで、カノの米神が引き攣った。
「ほら、シンタローさんが罰を与えるとか言ってたでしょ」
あれは雑用をさせるということだったらしく、初めはエネと共に―――彼女は器を造ってもらうために―――ケンジロウの元に預けられていたのだが、それを知ったコノハが猛烈に不服を示したのだと言う。
(コノハくんめ……!)
恐らく彼は『蛇』が―――セトに倣ってクロハと呼ぶべきだろうか―――エネの傍にいることが許せなかったのであろう。だからといって何でそこでセトが選ばれるのか、そこのところだけ、カノは納得できないでいる。
不思議そうにこちらを見てコテンと首を傾げるセトが可愛いなー、などと呑気なことを考えているから、カノはまた出遅れる。
とんとん、とノックがしたので、本を閉じながらセトは、鍵が開いていることを訪問者に告げた。
ひょっこりと顔を覗かせた訪問者は、これまたカノにとっては有り難くない人物―――シンタローである。
カノはあからさまにゲッと顔を顰め、それを目敏いシンタローに見つかってしまった。
「よ、セト」
「シンタローさん」
そんなカノを一瞥して、シンタローはセトににこやかな笑みを見せる。ベッドから立ち上がったセトはシンタローの方へ駆け寄った。
シンタローは僅かに目を丸くして、セトをじっと見つめる。そんな彼の視線に居心地悪げに肩を揺らし、セトは頬を掻いた。
「何かついてるっすか?」
「いやそうじゃなくてさ」
す、とシンタローは手を伸ばし、セトの頬にかかる髪を指で掬う。
ピキ、何かが引き攣るような音が響いた。
「何か久しぶりな気がするわ、そのピンと緑のパーカー」
「……あ、ああ。そういや孤児院に閉じ込められてからずっと白パーカー……」
そこでセトは言葉を止め、じわわ、と滲むように頬を赤らめた。
はて、とこれにはシンタローだけでなくカノも首を傾げる。
慌てて手を振り、何でもないとセトは言った。何処か釈然としないまま、シンタローはそれに頷き首に手をやる。
「それで、さ。セト、」
「はいっす」
「その……俺、お前に言いたいことが―――」
「ストーップ」
物凄く嫌な予感がして、カノはシンタローの襟首を後ろから引っ張ってそれを遮った。ぐえ、と息を詰まらせたシンタローは何用だとカノを睨む。カノはにこやかな、しかし引き攣った頬は隠しもせずシンタローの耳に顔を寄せた。
「ちょっとシンタローくん、何する気なの」
「お前が全く状況打破しようとしないからな。横槍入れても良いんだとばかり」
「状況打破しようとしてもセトには通じないんだよ!」
僕のせいじゃない!と小声で叫ぶカノに、どうでも良いがとシンタローは小声で返す。
「俺が貰っても良いよな」
ニヤリと笑ったその顔は、とてもヘタレな男が見せるようなものではない。
ひくり、とカノの口元が痙攣するように引き攣った。
「二人して何話してんすかね」
一人蚊帳の外なセトは、ポリポリと所在なさげに頬を掻く。彼の首でとぐろ巻いていたクロハは、どうでも良いとばかり大口を開けて欠伸を溢していた。
全く、人間はつくづく呑気で馬鹿な生物である。好きならさっさと手を出せば良いのに―――カノはとっくに手を出しているがそれすらスルーされていることをクロハは知らない―――。
クロハは徐に身体を伸ばして、セトの顔を覗きこんだ。「何すか?」と笑顔で訊ねる彼に顔を近づけて、その唇をペロリと一舐め。
「あ―――!」
すると二人分の揃った声が上がった。何やら小声で言い合っていたカノとシンタローは、バッとセトの肩を掴んだ。
「ちょっとセト、やっぱりこの蛇、父さんのところに返してきてよ!」
「同感だ!」
「ちょ、何なんすか二人とも」
 さっぱり二人の心情なんか知らないセトは、瞬きを繰り返すしかない。
 やっぱり、人間は阿保臭い。そう独り言ちてもう一度欠伸を溢すと、クロハはセトがかぶるフードに頭を乗せて目を閉じたのだった。

 空では灰色の雲が切れ、仄かにオレンジ色の日光が漏れ出ている。
この曇天は、やがて晴れるだろう。案外突飛な世界は、簡単にその姿を変える。それを知っていれば、嘗て少女が願ったあの夢も空想のままでは終わらない……かもしれない。


End
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