作戦、開始
この国は大まかな線を取れば、大体菱形をしている。
大陸の中に属しているので、国境線は電気の通った鉄柵で区切られていた。今、そこを破って進むのは、平均年齢十五六歳といった少年少女で構成される軍隊だった。
無表情に武器を携えて足を進める彼らを双眼鏡で覗き見、シンタローは吐息を溢した。
国境線が臨める小高い丘の上、彼らはそこを作戦本部と位置づけていた。
「俺たちとそう年の変わらない少年兵だな」
キドに双眼鏡を手渡し、シンタローはまた溜息。
全く、気がのらない戦場である。
キドも双眼鏡を覗き、しかし直ぐに顔を顰めてそれをカノへと放り投げた。
「それで、作戦は?」
この辺りの地図を簡単に描いた方眼紙の広がる木箱に手をついていたシンタローの隣に並び、キドは同じように地図を覗きこむ。シンタローは一度瞬きをして、ト、と指を地図上に置いた。
敵軍は、真っ直ぐ都市へ向かっている。見た限りでは、旅団か師団あたりか。今はまだ民家も遠い森の中だから良いが、ここで食い止めなければ被害は甚大だ。
「基本的にマンツーマンは維持しろ」
キドとシンタロー、カノとセト、ヒヨリとコノハ、そしてヒビヤとマリーとモモだ。敵もいつまでも大人数で移動するわけはない。小隊に分かれたところを、一つずつ潰していく。
「セト」
じっと地図を見つめていたセトは、そう名前を呼ばれて顔を上げた。真剣なシンタローの瞳が真っ直ぐセトを見つめていた。
「お前が要だ……大丈夫か」
「任せてくださいっす」
ぐ、と拳を握りセトは頷く。彼に頷き返し、シンタローはまた地図に目を落とした。
「……シンタローくん」
ふと、双眼鏡を覗いていたカノが、ヒヤリと汗を流しながらシンタローを呼んだ。何事だと、シンタローだけでなくキドやマリーも彼を見やる。
いつものように笑いながら、しかし若干頬を引き攣らせてカノは振り返った。
「……敵軍の兵士の目が―――赤いんだけど」



ドガ、と手近にいた一人を殴り飛ばし、コノハは足元に重なって転がる兵士の背に足を乗せる。
彼の背後から軍刀を振りかぶった兵士がいたが、前方から飛んできた銃弾を額に受けて、仰向けに倒れていった。片膝をついてライフルを構えていたヒヨリは、空薬莢を弾き出す。
作戦が開始されてから、こちらのチームは順調に小隊を潰していた。コノハが暴れて、取りこぼしをヒヨリが仕留める。シンタローはそれを狙っていたのだろう。
カチ、とまた空薬莢が転がり落ちた。
「くそ!」
苦々しい悪態の声が聞こえて、ついでパチンと何かを弾く音がコノハの耳をついた。何処かで聞いたことのある音だ。
コツン、と地面の小石を叩く手榴弾が目に映り、コノハは咄嗟にヒヨリを抱えて飛び退いた。
「きゃ!」
「!」
数瞬後、爆風が土埃を巻き上げ、緑色の地面を茶色へ塗り替える。
木の影に飛び込んだコノハは爆風の隙間に倒れる人影を見つけ、目を眇めた。相討ち覚悟で爆弾を投げたらしい。
少しの間コノハは目を閉じ、それからそっと腕の中のヒヨリを見やった。
「……大丈夫?」
返事をしようと顔をあげたヒヨリは、思いのほか近くにあるコノハの顔に驚き、息を飲んだ。コテ、と首を傾げる端整な彼の顔に、ぼぼぼ、とヒヨリの顔が赤くなる。
「……は、はい……!」
キラキラと、そうそれはまるで―――いや確実に―――恋をした少女の瞳で、ヒヨリはコノハを見上げた。

「!今、ヒヨリに何かあったような」
「ヒビヤくんのそのヒヨリちゃんセンサーは何なの……」

セトは森の中を走りながら、頭の中でシンタローの言葉を反芻していた。セトだけに与えられた、特別任務だ。
―――いいか、無理はするな。必要な情報だけ見つけ出せば良い
(だから、)
ふ、と息を吐いて地面を強く蹴る。漸く姿の見えた敵の懐に飛び込み、手にしていた二振りの小太刀で喉を切り裂く。飛び出る血で白いパーカーを赤く染めながら、セトは大きく息を吐いて膝をついた。
彼の背後で、更に血しぶきが舞う。
クルクルと手中でダガーを回しながら、カノは頬についた血を舐めてニッコリと微笑んだ。
「大丈夫、セト?」
「平気っす」
立ち上がって腕を振り、セトは得物の具合を確かめる。
本部に戻る時間がなかったので、得物はヒビヤの予備を借り、パーカーもそのままだ。だが、流石はヒビヤというのか、よく手入れされた小太刀の切れ味は良く、手にも良く馴染む。
「それで、この中にはいた?」
「いないっすねー……指揮官の居場所は解ったっすけど」
もう一つ欲しい情報が、中々見つからない。
セトは瞳の色を琥珀に戻しながら、頬の血を拭った。
それにしても、瞳は赤いが彼らはセトたちのように特に能力を持っているような気配はない。只単に赤いだけなのだろうか。
まあ確かに、普通の少年兵たちよりはタフで運動能力も高いような気はしないでもない。しかしそれは場数を踏んだ彼ら一○七大隊にとっては、さして障害になり得ることではないのだ。
そんな思考の海に沈むセトを見つめていたカノは、唐突に、あ、と声を漏らす。訝し気に見つめるセトの視線を受け流しながらゴソゴソとポケットを探り、彼はセトにズイと近づいた。
ちょっと屈むよう彼が手招きするので、セトは少し膝を折る。
「はい」
パチン。セトの視界が、開ける。
落とし物、と笑ってカノはセトにつけた黄色のピンを指で叩いた。
「……ああ」
「ベンチの下に落ちていたんだ。すっかり渡すのを忘れてたよ」
前髪をかき上げ、久しぶりのようなピンの感覚に指を這わせる。
少々呆然とした様子のセトから離れ、カノはクルリと回したダガーを投げた。蛙の潰れたような声がして、どさりとまだ息のあった兵士が今度こそ倒れる。
「あの時は、ごめんね。セト」
何のことかすぐ察したセトは、ちょっと目を伏せて首を横に振った。もういいっすよ、と小さく呟く。
カノはそれを聞いて顔を隠すフードに手をやる。
「ありがとう、カノ」
背中にかけられたそんな言葉に、カノは小さく肩を竦めた。

森の中を、十人単位のチームで走る。
そんな彼らの横から、バッとモモは飛び出した。
「あなたの視線を―――奪っちゃうよ!」
バチン、と星が飛ぶような可愛らしいウインクをしてポーズを決めた彼女に、兵士たちの視線が集まり、足が止まる。その様子にニンマリと笑い、モモはす、と身を引いた。
彼女の影から現れたのは、スカートの裾を握りしめたマリーだ。
「―――ごめんね」
真っ赤な瞳が、その場にいた兵士たちを映しこんだ。
直後、石の如く固まった兵士たちへ向けて、ナイフの雨が降り注ぐ。ザクザクと肉を裂く音がして、兵士たちの身体は、鮮血を溢しながら地面に沈んだ。
う、とマリーは口を覆う。モモは直ぐに彼女の手を引き、視界から惨状を隠したが、ふるふると首を振ってマリーはその肩を押した。
「……大丈夫だよ」
「マリーちゃん……」
と、と木の上からナイフを投げていたヒビヤが着地する。二人の様子に、彼は小首を傾げた。
マリーは若干青い顔で、心配げなモモに笑みを返す。
「大丈夫だよ……モモちゃんやセトは、ずっとこんな世界を見てきたんだね」
だというのに、自分は彼らの影に隠れてずっと守られてきた。今やっと、横に並べたのだという実感が沸く。
「私も、皆と一緒に戦いたい……!」
マリーの吐き出すような言葉に、モモはきゅ、と下唇を噛みしめ、彼女の震える手を強く握りしめた。その様子を横目に、ヒビヤはそっと視線を滑らせる。
「……行こう。まだ敵はいるよ」
彼の言葉に、モモとマリーは大きく頷いた。その様子に小さく笑んだヒビヤは、しかし次の瞬間目を大きく見開く。
チカ、と日光を反射した煌めきが、木々の隙間から零れていたのだ。
「後ろだ!」
「―――!」
振り向きつつ、モモは咄嗟にマリーを突き飛ばした。
それとほぼ同時に、パン、と乾いた音が響き渡る。
よろけたマリーの身体を支え、ヒビヤはナイフを投げる。それは真っ直ぐ獲物を仕留めたようで、叢に倒れる音を聞いた。それを何処か冷静な頭の片隅で考えながら、ヒビヤは目を見開いた。
赤が視界を横切り、揺れるようにオレンジが落ちていくのが見えた。それと重なったのは、崖から落ちていく少女と、プールで倒れていく少年の姿だ。
「モモ―――!」
枯れそうなほど張り上げた声と一緒に風が巻き上がって、木々の葉が盛大に揺れた。

「どういうことだ、何故こちらが圧されている!」
通信機器を乱暴に叩き、指揮官である男は苛立ちも露わに声を荒げた。傍らで待機していた兵士たちが、その剣幕に僅かに肩を揺らす。戦慣れしていないその様子に舌打ちし、男は温くなった珈琲を啜った。
布を張って区切っただけの簡易な司令室に、大人は男一人。他は少年兵ばかりだ。やはり子どもは駄目だと心中で毒づいて、男はカップを机に叩きつけた。
それにしても話が違う。提供された力は、いくら子ども限定とは言え、絶大な威力を発揮するものではなかったのか。まさか、一杯食わされたか、そんな不安すら過る。しかしあの気弱さから言って、そんなことをやってのけられるタマではない。
今回の奇襲は、上層部に無断で行っているのだ。ここで戦果をあげなければ首が飛んでしまう。
焦りで早くなる貧乏ゆすりに、机が揺れた。と、壁代わりの布が大きく揺れた。思わず足を止める。
風、ではない。ならばなんだ。
そう思考を動かし始める男の背後で、立っていた少年兵たちが次々と地面に沈む。
奇襲か、とそこで漸く男はその言葉に辿りついた。
「動くな」
ピタリ、と冷たい刃が喉に突き付けられ、男は浮かしかけた腰をゆっくりと下ろした。ぎ、と小さめの椅子が軋む。
いつの間に、そんな問いさえ許されない雰囲気だ。それを作りだしているのは、あろうことか男より若い少年少女だった。
「少尉か。セトと同じ階級だな」
男の背後に立つ少女が、襟元の軍章を見て鼻で笑う。その間も刃を突き付ける彼女の手は、少しもぶれない。
少女と向かい合うように立った青年は、据わった瞳で男をただ見下ろした。
「アンタには、聞きたいことがある」
ひ、と男は引き攣った声を漏らした。
黒々としていた青年の右目が、ジワリと赤に滲んだのだ。
まさか彼らが、あの男の言っていた【レコードチルドレン】か。そう思い至った途端、男は死を悟った。得体の知れぬ化物と直面した心地だ。腰に下げた剣も銃も、この化物の前ではただの鉄屑に過ぎない。
青年の問うたことに、死への恐怖に支配された男は殆ど無意識のまま言葉を返していた。夢中になりすぎて、少女が息を飲み、僅かな隙ができたことにさえ気づかなかった。
青年はただ据わった赤と黒の瞳で男を見下ろし、彼の話が終わると、ニヤリと口角をつり上げた。
「見つけたぜ―――喰らうべき頭をな」
青年―――シンタローのその笑みに、キドはゾクリ、と背筋を震わせた。
ああ、彼もまた化物だったと、頭の何処かで呟く自分を感じながら。

アザミがその部屋に辿りついたとき、彼らは互いの胸に刀を突き刺し、しかし互いに互いを他の刃から守るように強く抱きしめあって息絶えていた。
何故だか無償に彼らが気になって、周囲に転がる他の肉塊は目に入らず、疲れ始めた足でゆっくりと彼らへ近づく。
見下ろした少女の死に顔は、安らかという形容が相応しい。
ああ、彼らは互いに互いを愛していたのだと、アザミは唐突に悟った。
「……お前に、この『蛇の眼』を」
アザミはス、と少女へ向けて手を伸ばす。そこを伝って、一匹の黒蛇が舌をチロチロと出しながら、少女の頭に近づいた。くぁ、と小さな口を開き、蛇は少女の瞼に噛みついた。
すぅ、と黒蛇の姿が消え、フルフルと少女の瞼が震える。
「あれ……私……」
ムクリと起き上がった少女は、血塗れの自分の手や身体を、眠りから覚めたばかりというようなぼんやりとした視線で見回した。そうしてアザミを視界に映すと、ああ、と空気と一緒に言葉を溢した。
「あなたは……確か、アザミさん……」
「私を、知っているのか」
思わず驚いて、アザミは彼女に言葉を返す。ふわりと少女は笑んで、父親が軍の関係者であると呟いた。
成程、あの研究員の一人に彼女の父親がいたのか。
アザミはそう得心する間に、少女は傍らに倒れ伏す少年に目を落とし、既に血の気を失った彼の頬を撫でた。
「……シンタロー……」
それは、その少年の名だろうか。
「……お前たちは相討ちしていた」
アザミの言葉に、少女は頭を持ち上げて赤い瞳を向けた。それから少年へ視線を戻し、そう、と小さく呟く。
「あなたの力のお蔭で、私は目を開けられたのね……」
彼女は、アザミについて詳しく知っているようだ。父親と、何かあったのだろうか。
アザミがそんなことを考えていると、遠くから騒がしい足音が聞こえてきた。追手が追いついたらしい。
「!」
「早く逃げた方が良いですよ」
恐ろしく落ち着いた声で少女が言うものだから、アザミは思わず彼女を一瞥した。
しかし少女は、ずっと少年に目を落としたまま。
少し躊躇ったが、アザミは彼女の言う通り逃げるために地面を蹴った。
そしてアザミは、懐かしの我が家へと向かったのだ。
一人残った少女―――アヤノは、ゆっくりとシンタローの頬を撫でる手を止める。
今、自分の両目は赤いのだろう。成程、父の仮定は間違っていなかったわけだ。
そのことが何故だか笑えて、アヤノは乾いた声を溢す。
何よりその事実にアヤノ自身が、嬉しいと感じてしまっている。だってこれで、彼を助けられる。
アヤノは小さく笑んで、シンタローの頬に髪が触れるほど顔を近づけた。
物語とは逆転した立ち位置に、また笑いがこみ上げた。
「私の『眼』を、半分あげる……だからシンタロー」
―――もう一度、目を開けて
目を閉じそっと、アヤノはシンタローの右瞼に唇を落とした―――そうしてシンタローもまた、『蛇の眼』を手に入れていたのだった。

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