意志なき贖罪
朝比奈日和が彼と出会ったのは、全てが回りだす少し前―――まだ楯山彩花が存命中の、とある日であった。
片や家柄も才能も満足にある神童、片やIQ168の天才と名高い少年兵、出会わない方が可笑しかった。
「朝比奈家の出か……少女だてらに男顔負けの戦法をとると聞いている」
よろしく、と言ったシンタローは、何処かつまらなさそうに表情を固めていた。
この時はまだ、どうせ彼も朝比奈の名前を持つこの女のことが、面白くないのだろうと思っていた。
朝比奈の名は強大で、男より下に見られがちの女が高位をとるのは、それが関係しているからだろう。そう考えるのは、殆ど自然な流れであった。
ヒヨリとしては、家柄をどうこう言われるのは酷く心外だった。
確かに、名家でなければ受けられない教育を、幾つも受けてきた。しかし実力を得てここまで上り詰めたのは、他でもない、ヒヨリ自身の努力の賜物だ。
人は皆、ヒヨリの背後にある朝比奈しか見ていない。それが堪らなく嫌で、だからこそ朝比奈日和を見てくれたあのスラム出身の少年に、爆発物に関するヒヨリの知識を分け与えたのだ。
シンタローは、元は平民の出だと聞いた。だから殊更、名家出身であるヒヨリに良い気持ちは持っていないのかもしれない。
しかし、平民と言えどIQ168の頭脳によって、出世街道を進む青年。ヒヨリのプライドが、彼にまでそう思われるのを良しとしなかった。
いつもなら冷静に流していたそれを、その時は目敏く拾い上げてしまった。
「例え朝比奈の名がなくても、私は戦えます」
するとシンタローは一瞬目を丸くし、小さく噴き出した。くくく、と肩を震わせる彼は、今思い出しても気持ち悪かった。
「気持ち悪い」
「失礼な奴だな」
笑みを引っ込め、シンタローは大きく息を吐く。
まあ、とにかくよろしく。
そう言われて手を差し伸べられたのは、初めてのことだった。



さて、一方その頃、闇に飲み込まれたシンタローたちは、
「このド阿保!ちったぁ後先を考えろ!」
「全くです!アンタもこの世界に取り込まれたらどうするつもりだったんですか!」
「この単細胞!」
正座したコノハを揃って叱っている最中であった。
無表情に僅かに不服さを滲ませて、コノハは頬を膨らめる。
シンタローやエネは良いとして、何故『蛇』にまで怒鳴られなければならないのか。それをコノハの他に疑問に思う者は、残念ながら今この場にはいないらしい。
言いたいことを一通り言い終えたのか、シンタローたちは大きく息を吐いて肩を上下させた。
『蛇』は頭を掻きつつ、先ほどと変わらない闇色の周囲を見回す。
「それで、俺を取り込むんじゃなかったのか、あの蛇共は」
「俺たちっていう余分がついて来たから、また別の場所に吐き出されたのかもな」
何はあれ、キドたちと逸れてしまったことには変わりない。シンタローの手に移っていた携帯端末から、エネが苛立たしげな声を上げた。
「あー、面倒臭いです!ていうか、向こうの方が何倍も有利ですよね!」
「そりゃ、アイツらの世界だからな」
相手は空間そのもの。言うなればここはウワバミの腹の中で、シンタローたちは腹の内からウワバミを相手に戦っているのだ。
「で、コノハくんは何をするつもりだったんですかぁー」
「エネ、何か言葉が痛い……」
胸を抑えるコノハに、エネはべえと舌を出す。
これは、相当ご立腹のようだ。
コノハは小さく吐息を漏らして、頭を掻いた。
「別に……特にこれと言った考えがあったわけじゃない……ただ何となく、ソイツがこの世界に溶けてしまうことを……贖罪と認めては、いけないような気がしたんだ」
コノハの視線を受け、『蛇』は一笑する。
「俺がそんなお綺麗な人間―――いや、蛇に見えるか?」
「綺麗ではないけど、そうしようとしていると思った」
茶化すような『蛇』の言葉に、コノハは何処までも真っ直ぐな視線と言葉を返した。『蛇』は笑みを引っ込め、苛立たしげに舌打ちする。
セトといいコノハといい、何故こうも真っ直ぐに向かってくる輩が多いのか。それが何故か、とても居心地悪い。
「それが、俺の望みだったとしてもか」
「望みだったら尚更。そう簡単に叶えさせはしないよ」
ああ言えばこう言う。コノハはこれほどまでに口が達者な男であっただろうか。
『蛇』は小さく呻いて頭を掻き毟った。彼らの会話を聞いていたシンタローは、眉間に皺を寄せる。
「お前の望み?この世界に取り込まれることがか?」
「この世界の支配権を得ることが、だ」
取り込まれることはこちらも望んでいない、と吐き捨てて『蛇』は腰に手を当てた。
ずっと考えていた。己に何故これほどまでに力が宿っているのか。主すら凌駕するほどの力。ならば、することは一つだ。
「主の代わりに、世界を支配する」
す、と横に伸ばされた手が、闇を掻き抱くように指を曲げる。
『蛇』はニヤリと笑った。
月より鮮やかな黄色が、シンタローたちを映していた。
「俺は俺の存在意義を果たすために、ここに来た」

「お兄ちゃんたち、大丈夫かな……」
不安気に呟いて胸元を握りしめるモモは、僅かに肩を揺らした。そんな彼女を励ますように、マリーは彼女の手に自分のそれを重ねる。キドも二人から視線を向け、どうしたものかと小さく吐息を溢した。
この空間の果ては掴めない。脱出する術も、この空間の何処かへ消えたシンタローたちと合流する方法も、とんと検討がつかなかった。IQ値の高い彼が、何かしら手を打ってくれることを祈るしかない。
「俺に、考えがあるっす」
漸くキドやマリーからの抱擁から解放されたセトが、す、と手を挙げた。彼の傍らにいたカノが、何かを察したのか、若干咎めるようにセトの名前を呼ぶ。
「君、まさか……」
嫌そうに顔を歪めるカノを見つめ返し、セトは一つ頷く。
「けど、これしか方法はないっす」
「まだ解らないでしょ。もっと良く考えれば」
「そんな悠長なこと、言ってられないっすよ」
「セト!」
カノは鋭い声を上げて、セトの肩を掴んだ。しかし言い返さないまま真っ直ぐな見返す琥珀に顔を顰め、目を逸らす。
「……何をする気だ」
キドが訊ねる。
セトは肩に置かれたカノの手を優しく握って、キドへ顔を向けた。
「俺が、シンタローさんたちの思考を探し当てる」

―――主の代わりに、世界を支配する
『蛇』の言葉に、シンタローたちは口を閉ざし、ただ薄ら笑う彼を見つめた。コノハも立ち上がり、黄色を桃色に映し入れる。
「……それがお前の望みか」
「望み……というか、俺の存在意義はそれだからな」
それを果たすだけだと、事も無げに言い放って『蛇』は腰に手を当てた。
次の瞬間、彼の視界に空を裂く何かが過った。次いで訪れる、熱い痛み。
「!」
思い切り、シンタローが拳を振り上げて『蛇』の頬を殴ったのだ。
唐突なことに受け身が取れず『蛇』はドタリと尻もちをつく。彼の目の前に立ち、シンタローはじんじんと痛む拳に小さく笑った。やっぱり、鍛え直す必要があるようだ。
まあ、決めていた通り擦り傷の借りは返したから、一先ずは良しとしよう。
コノハとエネは何も言わず、少し顔を見合わせただけ。シンタローの行動を好きにさせてくれている。それも有り難い。
「……何を言い出すかと思えば、」
ぐ、と『蛇』の襟首を掴み上げ、シンタローは額をぶつけるほどに顔を勢いよく近づける。彼が引き上げたので、『蛇』の腰が僅かに浮いた。
「散々人のことおちょくって利用して、自分だけ願いが叶えられると思うなよ」
ケンジロウを、シンタローを、エネを、コノハを、セトを。利用して嘲り笑って、その果てに求めていたのが、こんなちっぽけな世界の支配者の座とは、随分と安く見られたものだ―――いや違う、そんなことで苛立っているのではない。この、フツフツと込み上げる熱は。
「人間の世界ではな、犯した罪に相応の痛みを与えることが報復になるんだ。手前にはそれを受けてもらわないと困る」
先ほどコノハが指摘したように、この世界に溶け込むことを『蛇』が本人も知り得ぬ深層心理で贖罪と感じているならば、尚更。
そんなもの、贖罪とは呼ばせない。ああそうだ、彼はあの男と似ている。そして、嘗ての自分にも。
「……は、ならどうする?」
「簡単なことだ」
鼻で笑う『蛇』に同じように笑い返して、シンタローは彼の襟首を掴んでいた手を唐突に離した。パタ、と『蛇』は強かに尻もちをつく。
彼に詰め寄っていた身体を起し、シンタローはグッと拳を握った。
「この世界をぶっ壊して―――手前も連れて―――全員で、外の世界に出る」

「成程」
セトの言葉に、キドは苦虫を噛み潰すように顔を歪めた。
セトの能力は『人の思考を読み取る』こと。そこに目をつけたケンジロウは、アザミの思考を探し出し、それによって彼女の現在地を割り出したのだ。セトは、それと同じことをしようとしている―――つまり、シンタローの思考を読み取り、彼の居場所を特定しようと言うのだ。
「だがリスクも高い……大丈夫なのか?」
つい先ほどまで暴走していた能力だ。セト自身の意志で行使するのだって、随分久しいこと。不安要素が多すぎる。
しかしセトは力強く頷いて、カノの手を握った。
「カノが呼んでくれたら、俺はすぐ正気に戻れる」
だから、大丈夫―――そう言って、セトは笑う。カノは驚いたように目を見開いたが、すぐに破顔した。
「任せといて」
セトの手を握り返し、カノは片目を瞑って見せる。そんな二人の様子を見て、キドは吐息を溢した。全く、しょうがない兄弟である。
ヒビヤたちも顔を見合わせ、むず痒そうに口元を歪めていた。
「解った。じゃあ―――」
コツ。
硝子を叩くような足音に、キドは言葉を止めた。
ヒビヤたちも顔を引き締め、それぞれの得物に手をかける。
今の足音は、この場にいる者のではない。
シンタローたちが合流した?いやまさか。
キドが思案する内にも、足音は少しずつ近づいてきていた。
コツ。
初めに闇から現れたのは、目の覚めるような赤だ。
「……騒がしいと思ったら……何だ、お前たちは」
コツ。足を止め、その人物は面倒そうに吐息を漏らす。
キドたちはただ目を見開き、マリーは思わず口元に手をやった。
「まさか、アザミ……?」
それは恐らく、ではなく、確信。
緩やかなウェーブがかった黒髪を真っ赤なリボンで束ねた少女は、ゆっくりと首を回して立ち尽くしたままのキドたちを見回す。そしてふと、セトで目を止めた。
「小僧、貴様『盗む』の子か」
「……へ?」
「随分成長していたので、解らなかった」
呆けるセトを置いて、アザミは一人納得したことに満足したように頷きを繰り返す。そしてキドやカノたちの顔にも視線を向けた。
「『隠す』の子、『欺く』の子……そこのお前たちに見覚えはないな」
アザミの視線を受け、モモはビクリと肩を揺らした。
正体が解っていても、中々に緊張する相手だ。
ヒビヤも掌にじわりと汗が滲むのを感じて、思わずズボンで拭った。
アザミは腰に手を置き、ほう、と吐息を漏らす。
「通りで騒がしい筈だ、『盗む』の子、お前の声だったか」
「へ?」
俺?とセトは自分の顔を指さすが、アザミは既に視線を逸らしていた。
先ほどの暴走の際、元々の持ち主であるアザミだからこそ、思考を盗み見んとする『蛇』の力の影に気づいた。嘗て彼女も使ったことがあるからこそなのだが、セトたちがそれを知る筈もなく、頭上にクエスチョンマークを浮かべ顔を見合わせるしかない。
アザミは昔から、必要以上に言葉を重ねない性分だ。
「あ、あの!」
キドたちにも緊張が走る中、そんな上ずった声が上がる。
ぐっと胸元で二つの拳を作り、緊張で震える身体を抑え込みながらマリーはアザミを見つめた。訝し気に小首を傾げて、アザミも彼女を見つめ返した。
「私、小桜茉莉っていいます!その……私、小桜紫苑の―――娘で」
「シオンの……?」
胡乱気だった目が大きく開かれる。アザミはツカツカとマリーに歩み寄り、彼女の腕を掴んだ。マリーよりも低い背丈の彼女は、ぐっと首を上向けてその桜色の瞳を覗きこむ。
「あの子は……シオンは今どうしている?アイツは、ツキヒコは!」
「……お母さんは、随分前に死にました……戦争の流れ弾から、私を庇って。お爺ちゃんは、病気で死んだと、聞いています」
それはセトと出会うよりずっと前のことだ。
いつもは届かない筈の戦火が森にまで達して、散歩に出かけていたマリーたち一家は、流れ弾に晒された。その時にマリーを庇って、二人とも。
「そう、か……」
力なく、マリーの腕を掴む手が落ちる。
アザミは目を伏せ、小さく名を呟いた。ふるりとその身体が揺れたのは、何かを堪えたからだろう。
「……茉莉、と言ったか?」
そんなアザミを、マリーは暫く見守っていた。すると吐息を漏らし、アザミは顔を上げた。
そこに浮かぶのは小さな笑みで、先ほど浮かべたであろう哀愁は形を潜めている。
「茉莉……茉莉花(ジャスミン)か……フフ、良い名だ」
薊に紫苑に、そして茉莉。
女の子にぴったりの、可愛らしい花の名前。
小さな紫の花の名が似合っていると、目を細めて笑った白い男の顔が浮かんで、それと一緒にアザミの口元に笑みが零れた。
それを見て、マリーは肩の力と同時に頬を緩める。
「マリーって呼んでください」
「ではマリー―――シオンに良く似ているな―――お前は今、いくつになる?」
「……百四十の頃から、数えるのをやめました」
「……そうか、私と同じだな」
ただ流れていくだけの時に、しかし変わらぬ己の身体。
そんなどこかちぐはぐなそれに失望し、己の年を数えることは無意味と知った。
孫にあたる彼女が百四十を超しているのなら、ただの人間であるあの男など、とっくにこの世からいなくなっていて当然だ。
アザミは伏せた目を僅かに細めた。それから少しの間目を閉じ、開いたそれでマリーを見上げる。
「会えて嬉しいよ、マリー」
「わ、私も……!」
ぐす、と鼻を鳴らし、マリーは顔を手で覆う。
今日は随分と泣いてばかりの彼女に苦笑し、モモはそっとその細い肩に手を置いた。アザミも、柔らかく微笑む。その母親のような笑みに、ヒビヤは思わず息を飲んだ。
化物と呼ばれても、そんな顔をするのか。
「もう一つ、騒がしい気配があるな」
ピクリと肩を揺らし、アザミは黒々とした空間を見上げた。
そこでセトはシンタローたちのことを思い出し、同時にあることも思い出した。
「そうだ、蛇たちの話じゃ、眠りについた筈じゃ……」
「蛇?……ああ、この空間を我が物顔で闊歩するアイツらか」
フン、と鼻を鳴らしアザミは腰に手を当てる。
この世界に戻ってきてもすることはない。だからアザミは取、敢えず寝床だけを作ってそこに潜り込んだのだ。そうして自分が眠りについた間に、この世界は変化していたらしい。
蛇たちを集めて創ったからか、一つの生物のように現状維持の機能を作り、動いている。
それに気づいたのはもう随分前だが、特に支障はないと思って放っていた。アザミをこの世界の主の座から勝手に下ろしたのは、少々遺憾ではあるが。
「確かに『目を覚ます蛇』を切り離した今、私は不眠不休でも活動できるような身体ではなくなった。だが今はこれだけの『蛇』が揃っている……私の力が、戻りつつあるんだ」
『隠す』に『欺く』に『盗む』、それと『奪う』に『凝らす』に『醒める』、そして『合わせる』と『冴える』ともう一匹―――九匹の『蛇』が、今この世界に戻り、アザミの傍に来た。それは、バラけていた力が一つに戻るに等しい。お蔭で、今日は随分と調子が良かった。
「今なら、あの小物どもの鼻をあかしてやれるほどにな」
そう不敵に笑う彼女は、とてもマリーとは似ていない。
そう思いつつ、しかし見えた希望に目を開き、キドはカノたちと顔を見合わせた。

「―――で、豪語した如月伸太郎中尉は、何か案があるのかよ」
「……今考え中だ」
「ああそうかよ」
腕を組んで唸るように目を閉じるシンタローから視線を外し、『蛇』はケッと唾を吐く。そんな彼は仁王立つシンタローの背後で胡坐をかいていた。隣では膝を抱え、コノハも腰を下ろしている。
「ご主人、肝心なところで役立たずですね」
「……五月蠅い」
エネの言葉に苦く顔を顰め、シンタローは口をへの字に曲げた。
あれから蛇たちの襲撃はない。様子見でもしているのだろうか。
そして、コノハたちにはああ言ったが、シンタローはキドたちと合流するためのある方法を、思いついていた。しかしそれは彼の方から何か出来るものでもなく、だからと言ってそれに気づいたキドたちに軽々と行って欲しい方法でもない。
だからこそ、シンタローたちの方からコンタクトをとらなければ。
「……お腹空いた」
ポツリ、とコノハがそう呟いた。
それにああ、と返してエネも吐息を漏らす。
「この人とあの馬鹿男の襲撃から、殆ど休憩なしでしたからね。お昼も、携帯食料でしたし」
あの、栄養分とカロリーだけは無駄にあるが、味と食感はまるで駄目な粘土を思い出し、エネはブルリと震えた。
自分は電子体で良かった。あんなもの、とても食べられそうにない。病院食の方がまだマシだ。
軍に長く所属するキドたちも好きではないようで、微妙な顔をしながら頬張っていた。笑顔でお代わりまで頼んでいたのは、モモくらいのものだ。
「あれはもう、食べたくない……」
力なく言って、コノハは額を抱えた膝に擦りつけた。
ここ数日生活を共にして解ったが、コノハも大食らいで、大概の物は文句言わずに食す。しかしそんな彼でも、あの携帯食料だけは受け付けなかったようだ。
これは軍の組織云々の前に改善した方が良い議題なのではないかと、エネは思ってしまう。
「つまりはお前らが美味いと感じている味は、実際問題、栄養とは無関係ってことだろ」
ビタミン剤然り、本質的な栄養分とは無味無臭なものだ。
特に食事を必要としない『蛇』からすれば、生きるために摂取する、それ以上の価値はないだろうと、傍目に見て思うのである。
「そんなことない」
それに反論したのは、コノハだった。
顔を上げた彼は、キリッとした目で『蛇』を見返す。
「……食べるってことは、幸せな気持ちに、なれるんだ」
ぐ、と胸元を掴んで、コノハは僅かに視線を横に動かす。彼が、何かを思い出す時の癖だ。
それは、コノハが目覚めた日の夜。ヒビヤに手を引かれるまま連れてこられたキドの部屋には、一○七大隊のメンバーと、食堂支給ではない料理が並んでいた。
コノハが部屋に入った途端、眩むような光が―――実際は、それほど強い灯りではなかったけれど―――目を焼いた。
―――コノハ、歓迎するぞ
聞けば、料理はキドが腕によりをかけたものとかで。マリーもそれを手伝ったのだと、一生懸命伝えてきた。
ぽかんとしたまま立ち尽くすコノハに、苦笑交じりに歩み寄ったシンタローが、ホットミルクの入ったカップを差し出した。
―――こんなので悪いが、お前の歓迎会だとよ
そう言いながら、彼は慈しむように目を眇めて談笑する彼らを見つめていた。
その夜口にしたのは、コノハの記憶に在る限り初めての食事で。けれどとても美味しいものであるとは、心の何処かで理解していた。
「……」
―――誰かと一緒に食べるとね、とても幸せな気持ちになれるんだ
遠い昔、まだ明確な意志を持たぬ頃、そんな言葉を聞いたような気がする。
(……ああ、人間って……)
『蛇』は膝を抱え、腕に頬を乗せた。
そんな彼を横目に、エネがカラカラと声を上げて笑った。
「ああ、その時の写真ならバッチリ隠し撮ってありますよ!」
シンタローの胸ポケットにしまわれていたが、そんなことエネには些細な事だ。はしゃぐ彼らを後々のネタにと、幾つか撮っていた。確かあの時は、シンタローがマリーとカノに振り回されてとんだ醜態を晒していた筈だ。
ぷくく、と笑うエネに耐えかねて、シンタローは真っ赤な顔で振り向いた。
「え、エネ!」
「後で大佐さんたちと一緒に見ますかー?」
「見ねぇよ!さっさと削除しろ!」
「えー」
「騒々しい奴らだな」
ピタ、とシンタローたちは硬直する。
冷水のように淡々としたその声は、唐突にシンタローたちの空間に割って入った。
ト、と軽い音を立てて誰かがすぐ近くに立った。
そちらへ視線をやったシンタローたちは大きく目を開き、息を飲んだ。
一人、『蛇』は嫌悪でか、顔を苦々しく歪める。
「……アザ、ミ……」
す、と肩にかかる柔らかな髪をかき上げ、その少女は据わった瞳をこちらへむけた。
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