茜色の午後
ポン、という軽い音と共に、火薬によって飛び出した色紙がシンタローに飛びかかる。
「昇進おめでとー!」
「……ありがとよ」
悪気なんてこれっぽちもない、純粋に好意として祝う彼女に苦笑を漏らしつつ、シンタローは頭についた色紙を払い落した。空になったクラッカーを机に置き、アヤノはニコニコとしたまま手を合わせた。
「すごいね、シンタロー。少将なんて」
「少年兵で構成される軍の、だからな。実質そんな偉くもねぇよ」
「それでもすごいよ!流石はシンタローだね」
はい、と差し出される冷えた飲料水を受け取り、シンタローは彼女の眩しい笑顔から目を逸らした。
照れ臭い、なんて、恰好悪い。安上がりの昇進祝いを喉に流し込むシンタローの横で、自分用の缶を頬に当てながらアヤノはその場にしゃがみこんだ。
「それにしても暑いねー」
薄ら浮かぶ汗を拭い、アヤノは襟元をパタパタと仰ぐ。彼女の首に巻かれた赤を見て、シンタローは溜息を洩らした。
「だったらとれよ、そのマフラー」
今は夏だ。見てるこちらも暑苦しい。着ている服は夏物だというのに、何故だかそれだけは頑なに外そうとしないのだ、彼女は。
アヤノはシンタローの言葉にやっぱり首を振って、至極大切そうにマフラーに触れた。
「だーめ。これは、ヒーローの証なんだもん」
「ヒーロー?」
「シンタローにも、秘密なの」
ニシシ、と口の前に人差し指を立てて、悪戯っ子のように笑う。どうせくだらないことだろうと呟くと、失礼だという声と共に拳が膝を叩いた。
―――それはまだ、平和だった頃のこと。ヒーローがまだ、茜色だった頃の一幕だ。



「へぇ、やるじゃない、流石はIQ168」
シンタローの脇腹に、肘がもろに入る。思わず蹲る彼を見下ろし、榎本貴音は呆れの吐息を溢した。そんな彼らのやり取りを見ていた九ノ瀬遥は、ベッドで上半身を起した状態のまま、クスクスと笑う。
シンタローがアヤノの次に昇格を伝えたのは、一つ年上の友人たちだった。榎本貴音、九ノ瀬遥という名の両名は、幼い頃からの持病が元で、この病院に長期入院している。
シンタローが彼らと知り合ったのは、妹のモモが骨折で入院した際、付き添いでこの病院を訪れたことがきっかけだった。以来、アヤノも交えて四人でお喋りしたりゲームをしたり、それなりに楽しい日々を過ごしている。
「……この馬鹿力」
「何だって?」
腹を摩りながら起き上ったシンタローはそうぼやくが、それを耳聡く聞いていた貴音の一睨みで肩を竦める。この二人の力関係は変わらないなぁ、とのんびり思いながら遥は手にしていた鉛筆をケースに戻した。
「あら、もういいの?」
「うん」
椅子に座り直した二人に見えるよう、遥は丁度開いていたページを立てる。そこに描かれていたのは、彼が少し前から考えていたキャラクターのデザインだ。
「『コノハ』と『エネ』だよ」
着色はまだされていない、男女二人分のキャラクター。それは、遥と貴音、二人をモデルにしている。
遥からスケッチブックを受け取り、シンタローは素直に感嘆の声を上げる。
「確かに二人らしいな」
「でしょ?」
「ちょっと、私こんなに目つき悪いの?」
そっくりだと思う。そう素直に言えばまた殴られることは目に見えていたので、シンタローは口を閉ざした。
目つきの悪さをコンプレックスに持つ貴音は、もっと女の子らしく書き直せ、とシンタローから引っ手繰ったスケッチブックを遥につき返した。
「えー、可愛いと思うんだけど……」
しょぼん、と項垂れる遥と彼の言葉に、貴音の顔を一瞬で沸騰する。綺麗に赤くなったな、とシンタローがのんびり思っていると、貴音は遥の頬を引っ張って「馬鹿じゃないの!」と叫んだ。
「と、兎に角、今度こそ勝ってやるんだから!」
赤面を誤魔化すように、ふんっと腕を組み、貴音は顔を背ける。
貴音はシンタローと出会い頭、携帯端末のシューティングゲームで惨敗している。彼女はシンタローに教えてもらったオンラインのシューティングゲームで、そのリベンジをしようと思っているのだ。因みに遥もそのゲームに誘われており、先ほどのキャラクターたちはそれに使用するアバターだ。
「それは無理だろ」
「何よ!」
呆れたようなシンタローの笑みに神経を逆なでされたか、貴音はヒクリと頬を引き攣らせて立ち上がる。
「アンタは毎度毎度、年上に対する礼儀ってもんが!」
「だったら俺に一度でも勝ってみるんだな!勝てたら敬語でも何でも使ってやるよ!」
「言ったわね!」
「ちょ、ちょっと二人とも……」
ご主人さまと呼ばせてやるわ!上等だ、お前も呼べよ!―――等と売り言葉に買い言葉の押収。病院でそのような騒ぎはまずい。というか、シンタローは軍で射撃練習もしているから、初めからフェアな勝負ではないのでは……とは遥も流石に口には出さない。
二人揃ってフン、とそっぽを向き、椅子に座り直す。遥は八の字に下げた眉で笑って、貴音の頬に触れる髪を摘まんだ。
「折角の可愛い顔が台無しだよ、貴音」
ね、と遥が小首を傾げると、さらりと髪が指から零れる。ひくり、と頬を引き攣らせ、シンタローは横目で、硬直する貴音を見やった。ぼ、ぼ、ぼ、とゆっくり沸騰していった貴音はその顔を隠すように腕を突き出すと、一目散に駆けだした。
部屋を走り去る貴音の後ろ姿を呆然と見送り、遥は彼女の行動の理由が解らないらしくコテンと首を傾げる。
(ああ、これは)
「ご愁傷さま……」
「ん、何か言った?」
「何も」
この二人は、まだまだ前途多難なようである。
遥はクスリと笑い、スケッチブックを閉じた。窓の外へ視線を向ける彼の横顔を、シンタローは思わず目で追う。
「……シンタローはすごいね、僕はまだ当分、走ることもできそうにないよ」
「……また、何処か悪くなったのか」
「ちょっとだけ、ね」
遥は生まれつき病弱だ。免疫機能が、人より弱いのだと聞いた。風邪等の人にとってはちょっとした病気が、彼にとっては重病になる。シンタローも、彼の見舞いをする時は何回にも渡って滅菌消毒をされた。
「……大丈夫だって。そんな簡単に人は死んだりしねぇよ」
余命三年だとか、急に植物人間になるとか。そんなのは全て物語の中でのこと。現実では、中々起こり得ることではない。
「そうだね」
遥は笑って、頬を掻いた。だからシンタローも笑って、「そうだって」と返したのだ。
そう、その時は信じていたから。しかし、世界は等しく残酷だ。そうシンタローが思い知るのは、それから間もなくのことであった。

「たっだいまー!」
 アヤノが元気よく扉を開くと、部屋の真ん中で丸くなっていた子どもたちが、突き合わせていた頭を一斉に上げた。三人いた彼らはアヤノ姿を見ると嬉しそうに顔を綻ばせ、彼女へ駆け寄る。
「お姉ちゃん!」
「お帰りなさい」
「つぼみ、修哉、幸助!」
 きゃー、と効果音がつくような雰囲気の中、三人はアヤノに抱き着き、アヤノも彼らを抱きしめ返した。そのまま絨毯の敷かれた床に寝転がり、四人は転がるようにじゃれ合う。
 つぼみ、修哉、幸助の三人は、アヤノの母アヤカが院長を勤める楯山孤児院で暮らしていた子どもたちだ。暮らしていた、と言うのは、最近になって入軍し孤児院を卒業したから。けれど諸事情で一時的に帰宅を許され、現在は孤児院に戻ってきている。血は繋がっていないが、三人とも大切なアヤノの弟と妹だ。
 何度か転がるうちに一番小柄な幸助がいつの間にかアヤノの腹に跨り、つぼみと修哉は彼女の脇で丸くなった。四人の口から、はあ、と満足げな吐息が漏れる。
「お姉ちゃん、今日は何するの?」
「どうしよっかねぇー……遊びに行く?」
 つぼみの問いに答えつつ、アヤノは幸助を支えながら身体を起した。修哉とつぼみも、膝を折って座るように起き上がる。アヤノの言葉に、初めに反応したのは修哉だ。彼は大きく腕を上げ、元気よく声を出した。
「行く!」
「よーし、今日のメカクシ団の任務は川遊びだ!」
「りょーかいです、団長!」
 拳を振り上げてアヤノが言うと、幸助たち三人は揃って敬礼のポーズをとった。そうとなればすぐさま準備だ、と三人はクローゼットに駆け寄ると、各々が愛用するパーカーを取り出した。
このパーカーと赤いマフラーが目印の『メカクシ団』は、アヤノが団長を務めるチームの名前だ。チームと言っても、メンバー総勢四人の子どものごっこ遊びの延長線だが。
「さー、出発!」
 おー、と声と拳を合わせてあげて玄関を出ようとしたとき、その小さな声は聞こえた。
「あ……!」
「幸助……?」
 慌ててアヤノたちも足を止め、一人玄関で立ち止まった幸助を見やった。幸助は震える身体を抑えるように、かぶったパーカーをぎゅっと握っている。修哉とつぼみが彼を労わるように左右を立ち、肩を摩った。アヤノは幸助のその様子から彼の事情を思い出し、頬を掻いた。それから暫し思案し、よし、と手を打つ。
「今日は、中でお絵かきでもしよっか」
 修哉とつぼみはすぐに頷いた。幸助は益々顔を俯かせ、消え入るような声で謝罪を呟く。彼の頭を撫でて気にしないよう言い、アヤノはその手を引きながら部屋へと戻った。ちら、と幸助の真っ赤になった瞳を一瞥して。
 軍が三人を連れて行ったのは突然で、一時的に帰したのもまた、突然だった。父の話では、何かの実験の被検体に使われていたのだろう、と。その証拠とでも言いたげに、帰って来た三人の目は爛々と赤くなっていた。
 アヤノは詳しくは知らないが、どうやらそういった不思議な力を無理矢理人間に移植して、兵器として扱えるようにする実験であるらしい。それによって、つぼみは『隠す』力、修哉は『欺く』力、そして幸助は『盗む』力を手に入れた。
 だがまだ幼い彼らにその力を使いこなすことは出来ず、それどころか化物になってしまった己を厭い、暴走してしまうことの方が多かったのだと。だから精神が安定するまで、と孤児院に一時帰宅の身となったのだ。
 つぼみと修哉はまだ良い。力の対象が自分であるからだ。幸輔の場合、『盗む』対象は他人。彼は他人の心を見境なく覗いてしまう力を得た。そのため、元々人見知りであった幸助は益々人間不信に陥り、人の多い場所へ外出することを嫌がるようになった。幸助曰く、蝉の大合唱に投げ込まれたような感覚なのだそうだ。先ほども、孤児院の近くを通った他者の心を見てしまったのだろう。
 アヤノはお姉ちゃんだから―――母からそう頼まれたのだ。何とか、彼らの心を救ってみせる―――改めて決意し、アヤノは小さく拳を握りしめた。
「最近知り合った遥さんて人ね、絵がすっごく上手なんだよ」
 そう言いながらクレヨンや色鉛筆、それとスケッチブックを並べる。いつか少しでも心が癒えたら、遥や貴音にも紹介したいなと思いながら。そして、シンタローにも。
「何を描こう……お姉ちゃんは、何描くの?」
「私はねー」
 修哉と幸助は、もう自分の好きにクレヨンを走らせている。つぼみと一緒に首を傾げたアヤノの目に入ったのは、彼女が好きな色のクレヨンだった。
「……やっぱり、ヒーロー、かな」
 真っ赤な茜色の、正義のヒーロー。恰好良くポーズを決めて参上し、弱者を助けるヒーローに、アヤノはなりたいと思うのだ。
「ん?幸助、これ何?」
 お気に入りのヒーローの決めポーズを描き上げて満足していたアヤノは、ふと向いで寝そべったまま一心不乱にクレヨンを動かす幸助の絵に目を落とした。彼のスケッチブックに描かれているのは、灰色の物体。それが犬だと、アヤノが察するのは早かった。
「はなこだよ」
「はなこ?」
「近くの川辺で会ったんです」
 友達なのだと言って笑う幸助は、本当に嬉しそうで。アヤノはつられて頬を緩めながら、今度紹介してほしいと約束した。幸助がそれに大きく頷くと、つぼみと修哉も挙って詰め寄る。わたわたと慌てる幸助と、彼をからかうようにじゃれる二人の様子に、アヤノは小さく笑みを溢した。
 ああ、幸せだ。アヤノはそっとマフラーを掴む。こんな幸せな日々をいつまでも、と願おう。

「何だよ……これ……!」
 渡された書類を持つ手が震え、紙に皺が寄る。とうとう持っていられなくなって、シンタローはそれらを強く机に叩きつけた。ばさ、と辺りに散らばったのは、とあるプロジェクトの計画書。そのタイトルは、
「【カゲロウプロジェクト】……―――こんなことが……!」
 ぎり、と歯を噛みしめ、シンタローはこれを渡してきた男の背中を睨みつける。
「アンタ、こんなことに手を貸してるのか!」
「……せめて先生をつけろ」
 男―――楯山研次郎は素気なく返して、電子板の螺子を回している。シンタローは書類の一つをぐしゃりと掴んで、自分の研究を続けるケンジロウの背中につかつかと歩み寄った。
「この実験の被検体……孤児って、アンタの奥さんが院長をやってる……!」
「ああそうだ―――楯山孤児院の子どもたちだよ」
 ダン、と大きな音がして、螺旋回しが床に突き刺さる。ケンジロウが投げたのだと悟ったシンタローは急に己の頭が冴えるのを感じ、握りしめていた手を緩めた。
 暫しの間、二人の間には沈黙とケンジロウが転がした螺子の音だけが落ちていた。
【陽炎計画(カゲロウプロジェクト)】―――千年以上生きるメデューサの力を、兵器利用するための研究開発を進める極秘プロジェクト。
その内容は、メデューサの『眼』を人間に埋め込み、人間兵器を造るというもの。そして、その『眼』を埋め込まれる人間―――被検体に使われているのが、楯山孤児院の子どもたち。ケンジロウの子どもたちであり、アヤノの弟妹たちだ。
「……俺を呼んだってことは、このまま利用されてる気はねぇってことだよな」
「無論だ」
「何をすれば良い」
 迷いなく言葉を吐くシンタローに、ケンジロウは一瞥だけやって、転がった螺子を拾い上げた。
「今は兎に角、ありったけの情報が欲しい。全ては、それからだ」
「解った」
 散らかした書類を纏め、シンタローはそれらを折って軍服の内ポケットにしまった。
少将という彼の今の地位なら多少軍のデータベースを覗くことが出来るし、ネット関係はシンタローの十八番だ。ケンジロウがこのタイミングでシンタローにプロジェクトのことを相談したのも、それを待っていたためだろう。
身支度を整えたシンタローがもう一度視線をやったとき、ケンジロウは未だ体勢を変えぬまま、何かの部品を組み立てていた。
「俺はアンタを信じるからな、先生」
 そうその背中に投げかけ、シンタローは彼の研究室を後にする。眼鏡越しに見つめる、ケンジロウの視線を背中に感じながら。

 むう、と頬を膨らませ、貴音は遥の描く『エネ』を睨みつけていた。彼女の不機嫌そうな様子に、遥は少し笑って頬を掻く。どうやら彼女は未だに『エネ』の目つきが鋭いことが気に入らないらしい。
「……貴音は気に入らない?とても貴音らしく出来たと思うんだけど……」
「べ、別に気に入らないわけじゃないわよ!だけど、もうちょっと……」
「もうちょっと……?」
「だから、もっと目を大きくして……こう、可愛く……」
 スケッチブックと鉛筆を取り上げ、貴音は余白に何やら描き始める。それを覗きこんでいた遥は、小さく噴き出した。
「ふふ、確かに可愛いね、この『エネ』」
 目は丸く大きく、口元にははっきりとした笑みを浮かべる、ツインテールの少女。遥の絵と比べると少々歪ではあるが、何とも可愛らしい。
貴音は急に恥ずかしくなって、スケッチブックを遥の腹に叩きつけた。
「うぇ!」
「ああもう!」
「おーおー、元気良いなぁ、お前ら」
 呻く遥を余所にわーと叫んで頭を掻き毟っていた貴音は、間延びしたその声に、げ、と顔を顰めた。咄嗟に取り繕ったつもりだが、相手は目敏く見逃さなかったらしい。ケンジロウはじろりと彼女を睨み、明後日の方を向く首を追いかける。
「おい貴音、なんだその顔は。折角見舞いに来てやったってのに」
分けてやらねぇぞ、と勿体ぶって手に下げていた袋を振り、ケンジロウはそれを遥に渡した。受け取った遥は礼を言って袋の中を覗きこむ。中身は焼き菓子の詰め合わせだったようで、遥は顔を輝かせた。
あのケチな男が珍しい。貴音が思わずぼやくと、娘からだとケンジロウは付け加えた。成程、と納得したものの呆れ、貴音は乾いた笑みを溢す。彼女の隣に椅子を引っ張ってきて腰を下ろしたケンジロウは、遥の膝に乗るスケッチブックを指さした。
「それは?」
「ああ、僕と貴音をモデルにしたアバターのデザイン案ですよ」
早速開封したクッキーを咥えたまま、ほら、とスケッチブックを両手で持ち、遥はケンジロウが見やすいように上げた。
「シンタローくんが教えてくれたネットゲーム、自分で好きにアバターをデザインできるらしくて考えていたんです」
「ほー……この女の子が貴音か?ちっと可愛すぎねぇか?」
「ああ、それは貴音が自分で……」
「没です没!それ、没案なんです!」
余計なことを言いかける遥の頭を押しのけ、貴音は口早に言う。しかしケンジロウはもう察してしまったようで、ニヤニヤとした笑みを浮かべて貴音を見やる。いたたまれなくなって、貴音は思わず顔を逸らした。
「貴音も案外、女の子らしいとこあるじゃないか」
貴音の頭をガシガシと撫でながらケンジロウは豪快に笑う。そう言う彼の娘は戦隊物が好きで、両親の影響もあって剣道を始めるなど、中々に活発だと聞いた。確かに戦隊物のヒーローが好きな女子というのは珍しい。
「遥も駄目だな、女子を目つき悪く描くなんて、モテねぇぞ」
スケッチブックを返しながら、ケンジロウは意地の悪い笑みを浮かべる。遥は少し困ったように笑って頬を掻いた。
「そんなにですか?僕はこの『エネ』可愛いと思うんですけど。貴音に似て」
「な!」
「……まあ、貴音とは、そっちの方が似てるけど、な」
平然と言う遥と、彼の言葉で赤面する貴音に、ケンジロウは思わず脱力した。全く、事恋愛に関してはからかいがいのない男である、九ノ瀬遥は。
ケンジロウの言葉を額面通りに受け取って、遥は嬉しそうに『エネ』を撫でた。
「……!」
貴音がさっと顔を背ける。恐らく自分が撫でられているようにでも錯覚したか、さりげなく頭を押さえて。
「……お前らさぁ……」
無償に煙草を吸いたい。この甘ったるい空気を吸ってしまった口内を苦みで中和させたい。しかしここは病院、全館禁煙の区域である。ケンジロウはがっくりと項垂れた。
それは、素直になれなかった昨日の話。

成程、少将の身分とは便利なものである。
書庫の立入禁止区域に並ぶファイルを眺めながら、シンタローはそう独り言ちた。将官ともなればある程度の立入禁止区域は出入りできる。調べ物をするには好都合というわけだ。その分足はつきやすいが、その辺りの細工は彼にとっては造作もない。
パタン、とファイルを閉じ、シンタローは大きく息を吐いた。極秘プロジェクトだけあって記録も殊更慎重に行っているようだ、中々それらしき情報は見つからない。だが伝承を綴った文献で、メデューサに関する知識は得ることができた。
『蛇の女王(メデューサ)』―――彼女は元々、人類が誕生する遥か以前から生物の進化と衰退、誕生と絶滅を観察し続けるだけの存在であった。正に超常的な存在。それがどういった因果か、蛇の頭を持つ少女の姿をとり、持つ蛇の数だけ、『眼』の能力を得ていったとされる。とある御伽噺では人間の男と恋におち、孫まで手に入れたともあるが。
どういう経緯かは知らぬが、不愉快な連中の集まりで計画が進んでいるのは間違いない。
「所詮は御伽噺、だろうな……」
現にメデューサは、軍に永く囚われているようだし。その子どもや孫もいるという話は聞かなかった。それとも、まだシンタローたちが掴めていないだけなのだろうか。
そう考え込んでいたシンタローは何やら外が騒がしいことに気づき、思考を中断した。少し書庫から首を伸ばして見れば、慌てた様に駆け回る兵士たちの姿がある。
「おい、何かあったのか?」
「あ、如月少将!」
書庫から顔を出したシンタローの姿に驚き、そこの前を駆け抜けようとしていた尉官らしい兵は、慌てて足を止めた。彼が律儀に敬礼するので、シンタローは思わず苦笑いを溢した。
「はい、実はテロ鎮圧で一部の兵が出動していたのですが……」
「ああ、それは聞いている」
確か、都市の隅にある商店を乗っ取った、立て籠もりと言ったか。人数も前科もない小物なので、てっきりもう鎮圧し終えているかと思っていたが。
「そこで兵の一人の発砲した銃弾が、民間人に当たったらしく……」
シンタローは目を見開いた。ざわり、と嫌な予感が胸を撫で、思わず口元を押さえる。
そして彼のその予感は、見事的中してしまうのだった。
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