第6話 chapter3
滑りそうになる手へグッと力をこめ、芽心は翼の根本に爪を立てた。オファニモンがつけた傷の反対側――貫いた穴の出口は、既に塞がっている。しかしここから感じるのだ、大切なパートナーの気配を。
「メイちゃん!」
フッと脳裏に浮かぶのは、ラジエルモンとなった瞬間のこと。パートナーが、芽心を突き放したときの光景だった。
――メイとメイコは、いっしょにおったらあかん。
グ、と芽心は唇を噛みしめた。鉄の味がして、皮膚を食い破ってしまったと頭の片隅で理解する。
パートナーの言葉の真意を、芽心は分かっていた。分かっていながら、額面通りの可能性ばかり気にして、足を止めてしまった。そんな自分が、一番腹立たしい。
「分かっとるよ、知っとるよ……メイちゃんは優しい、デジモンだもん」
つぅ、と頬が濡れる。パートナーへ伸ばすことが先決で、流れた雫など払う暇はない。
「私をこれ以上、傷つけたくなかったんだよね?」
これ以上メイクーモンを追いかけて芽心が傷つくことがないよう、わざと突き放した。あのときの言葉の真意はそうだと、芽心は確信している。
ずぶ、とオルディネモンの皮膚に芽心の腕が沈んだ。ギリリと手足を捻るように締め付けて、芽心を拒絶してくる。その痛みに顔を顰めながら、しかし芽心は腕を更に奥へ伸ばした。
「私なら大丈夫……強くなるって、決めたから……」
カリ、と爪先が固い何かに当たる。芽心は思い切りそれを掴んだ。
――メ……コ?
迷子のように頼りない、怯えたような声が聞こえる。ああ、そこにいたのだ、と。そう思うと、自然と口元が緩んだ。
「メイちゃんは、メイちゃんだけん。どんな暗闇だって、私があなたを見つけるから」
掌に収まるサイズだったそれが、柔らかい質感のある腕に変わる。芽心は構わず、握ったままのそれを思い切り引いた。

暗闇の中、枯れた向日葵を抱きしめたまま、メイクーモンは座り込んでいた。何も聞きたくない、見たくないと、頭を抱え込むように丸くなっていた。
ト、と誰かが光を伴って、正面に立ったのが気配で分かった。この暖かさを、メイクーモンは知っている。
ゆっくり顔を上げると、そこに立っていたのは一人の少女だ。
焦げ茶色のショートヘアの少女は、ニッコリ笑って手を持ち上げる。
「行こ、メイちゃん」
メイクーモンの前に差し出された小麦色の手。
差し出しているのは、黒い長髪を揺らした、眼鏡の少女だった。
悲しかった。悔しかった。傍にいるのに、気づいてくれないことが寂しくて、嫌ったふりをしていた。それでも『自分の中に残る記憶(データ)』が惹かれていたから。
でも本当は、今メイクーモンへ差し伸べてくれる彼女のような、暖かい手が欲しかった。
「……っメイコ――!」

泥のように皮膚が波打ち、芽心の手が引き抜かれる。その先には、メイクーモンがしっかりとつかまれていた。
「メイ、ちゃ……」
メイクーモンの姿を見て安堵したのか、フッと芽心の身体から力が抜ける。オルディネモンにしがみついていた手も離れ、彼女の身体は宙に投げ出された。
「芽心さん!」
落下していく芽心の身体を受け止めたのは、オファニモンとヒカリだ。ヒカリが脱力する芽心の身体を引き上げると、オファニモンはその場から離れた。
「お願いします!」
ドロドロと、雪が解けるようにオルディネモンの肌が崩れていく。分身体も泥に戻り、ボタボタと地上に落ちて行った。
辛うじて地面に突き刺さった足代わりの翼。その双翼に、それぞれ鎖と荊が巻き付く。それを握るのは、ヴァイクモンとロゼモン。それぞれ、ヘラクルカブテリモンとセラフィモン、ホウオウモンが手助けしている。
ヒカリの声を合図に、丈は腕を振りかぶった。
「いっせーの!」
せ! と鎖と荊が思い切り引っ張られる。大きさは違うが、不意を突かれたこともあり、オルディネモンの身体はぐらりとバランスを崩す。そのまま、仰向けになる形で天を仰いだ。
光子郎が指摘した、データの修復が間に合っていない、腹部を曝して。
「お兄ちゃん!」
「今だよ!」
弟妹の声は、天高くに飛び上がっていたオメガモンの双肩に立つ太一たちの耳にも届く。グッと力をこめ、太一たちは向かい合ったオルディネモンを睨んだ。
オメガソードを構え、オメガモンは降下する。
「いっけー!!」
その声は、誰のものだったか。
オメガソードが、オルディネモンの腹部に突き刺さる。
鼓膜をつんざくような悲鳴を上げ、完全に倒れたオルディネモンは、痛みを取り去ろうと剣を掴む。しかし崩壊の始まった身体は、剣を抜くまでに至らない。
「うおおおおおお!!」
降り落とされないようしがみつきながら、太一とヤマトは咆哮する。それは、オメガモンの声と重なった。
バサ、とはためいていたマントが、二つに分かれた。引き裂かれたように見えたそれは、しかしそうではない。二つの翼に変化したのだ。
太一とヤマトのデジヴァイスに流れ込んでいた、ここにはいない仲間たちの力が、更なる『形態変化』を後押しする。
白い身体に青い線模様。新たなオメガモンは、突き刺した刃を両手で握るように押しやる。
「これで!」
「とどめだ!」
オメガモンの刃が、暗黒デジモンを貫いた。

パリン、と。泥のようだったそれは、硝子が割れるような音と共にフッと消えた。
オファニモンに抱えられた芽心は、腕の中のメイクーモンが動いたことでハッと意識をそちらへ向けた。
「メイちゃん!」
「メイコ……」
ゆっくりと目を開いたメイクーモンは、芽心の姿を認めると、ふわりと微笑む。
「だんだん……」
弱弱しい声を聞いた途端、ツンと芽心の鼻が痛んだ。抱きしめようとした芽心は、握りこんだままの右手の中に固い感触があると気づいた。
ゆっくり手を開くと、ボロボロに砕けたデジヴァイスがそこに乗っている。デジヴァイスは砂のようにほどけて、オルディネモンのデータと共に風へ流れて行った。
仮初でも、メイクーモンと芽心を繋いでいたデヴァイス。それが消えてしまう事実に、また芽心の目頭が熱くなった。
「泣かんでええよ、メイコ」
ぽて、と砂に汚れた芽心の頬へ、メイクーモンが手を添える。
メイクーモンは、ヘラリと笑った。
「あ」
声を漏らしたのは、ヒカリだった。
その声の意味は、芽心に分からない。芽心はただひたすらメイクーモンを抱きしめたまま、メイクーモンだけを見つめていたのだ。
「メイコ、メイは、メイコの、」
「友だちだがん!」
メイクーモンの言葉を遮り、芽心は叫んだ。メイクーモンは驚いたように目を丸くしたが、すぐに嬉しそうに頬を綻ばせ、スリスリと芽心の腕に頭を擦りつけた。
「だんだん、メイコ――」
メイクーモンの声が、姿が、光に溶けていく。
光は重力に逆らって浮かび上がる二人を見上げ、息を飲んだ。二人の頭上に小さな光を、足元に不思議な模様を見つけたのだ。
「ひまわりの、花?」
小さな光は一瞬止まり、茜色のデヴァイスの姿を垣間見せた。しかし誰かがそれに気づく前にスッと姿を消し、メイクーモンの方へ飛んでいく。
パッと弾けた光から飛び出したのは、一体のデジモンだ。ラグエルモンのようで、しかしもっと神聖な存在だと感じさせる。オファニモンやセラフィモンに似た気配を持ったデジモンは、芽心を優しく抱き上げたまま、たおやかにマントを翻した。
「セファーラジエール」
静かに、穏やかに。花弁のように舞った光が、暗黒世界に侵されて疲弊したデジタルワールドを癒していく。

「優しい光……」
ほぅと息を吐き、空は降り注ぐ光へ向けて手の平を広げた。身体中にできていた擦り傷や切り傷が、その光に触れた途端、痛みを癒されていくようだ。
「これは一体……」
「分かりませんが、あのデジモンの技みたいですね」
アナライザーによれば、暗黒世界のデータによって侵されたデジタルワールドが、元のデータに修復されているようだ。あの光の粒こそが、イグドラシルらの中で蓄えらえた、デジタルワールドのコピーデータ。
オルディネモンの母体となったデジモンを終発のラッパ吹きと呼ぶならば、あれはそのもう一つの側面と呼ばれる全能の使徒。

「ラジエル、モン……?」
ポツリと呟く芽心へニコリと微笑んで、ラジエルモンはまた光を纏う。力を使い果たしたのか、パッとメイクーモンへと戻った。しかし、先ほど違って気配が薄い。身体自体、陽炎のように透けている。
何故と問うことも、嫌だと叫ぶこともできなかった。芽心も、この最後を予感していたのかもしれない。
ポロポロと涙を流しながら、まだ暖かさの残る手を、芽心はギュッと握りしめた。
「メイコ、お別れだがん」
穏やかな声で、メイクーモンが言う。
芽心はフルリと首を振った。それからそっと、壊れやすい硝子を抱えるように腕を回す。
「会いに行くよ、何度だって。見つけ出してみせるから」
ぽろ、と芽心の胸に抱きこまれたメイクーモンの瞳から、涙がこぼれた。そっと目蓋を閉じ、メイクーモンも芽心の背中へ腕を回す。
「メイコ、メイ、メイコに会えて良かった。一人じゃなかった。だんだん、だんだん」
「うん。私こそ、だんだん。メイちゃん」
ゆっくりと、落ちて行く浮遊感が芽心の身体を包む。しかしメイクーモンを抱きしめた体勢のまま、芽心はもがくことをしなかった。
「私も、あなたのおかげで、一人じゃなくなったよ」
ポツリと呟いて、芽心は目を開く。
人体は落下する際、重い頭を下へ向ける形になる。
真っ逆さまに落ちる芽心の視界に、彼女の身を案じて集まる太一たちの姿が見えた。
「望月!」
芽心を受け止めようと腕を広げる太一たちとデジモンたち。
(みんなはいつだって、私とメイちゃんを引き上げてくれる)
芽心は落下して、太一たちはそれを受け止めようとしているのに、彼女には何故だか暗闇へ落ちる自分たちを引き上げてくれる彼らの姿ばかり浮かんでいた。
力を使い果たしたメイクーモンの身体が、向日葵の花弁のように風へ溶けていく。
フッと腕の力が抜けた芽心の身体は、ホウオウモンやオファニモンの翼やロゼモンの荊を始めとしたクッションによって、無事地上へ降り立ったのだった。

◇◆◇

眩しい光が、網膜を焼く。チクチクと肌を刺す枝葉に腕を投げ出して、西島はハアと息を吐いた。
「生きてる……」
「無茶をし過ぎだ」
彼と共に樹の上に着地することになったハックモンが、呆れて苦言を呈する。ふと、西島の死角に並ぶデジモンたちの幻へ視線を止め、ハックモンは目を細める。帽子とゴーグルを身に着けたデジモンはニヤッと笑うと、他のデジモンたちと共にその姿を消した。
「わた、しは、あきらめない」
彼らを見送ったハックモンの前に、黒い影が立つ。
ボロボロの姫川は――『姫川マキだった存在』は、忌々し気に西島とハックモンを睨んだ。身体を起こした西島は、憐れむように彼女を見つめる。その視線に、姫川は苛立ったようだ。
「自惚れないで! ただの同級生のあなたに、私を理解されたとも、救われたとも思わない!」
「そうだな、俺は、お前のことを何も分かってやれなかった」
淡い恋慕を抱いていた相手に、ハッキリと言われてしまうのは、やはり堪える。それを薄い笑みの裏に隠し、西島は真っ直ぐ姫川を見つめた。
「お前が何度でも罪を犯そうとするなら、俺が全力で止めてやる。現実世界でも、デジタルワールドであってもだ」
「熱血刑事の真似事かしら」
「何とでも言え。お前だって、俺のことを全て理解できるわけがないだろ、マキ」
姫川は唇を引き結んだ。
ボロボロと身体が崩れていく。どちらにしろ、精神データでデジタルワールドに存在していた彼女は、ここで限界だったのだ。今この状態で崩れていく精神データが、現実世界でどうなるのか。その代償を、知らぬ筈がない。
「残念ね、私を捕まえることはできないわ」
「探すさ」
どの世界でも。先ほどの言葉を繰り返し、西島は手を握りしめる。
姫川は興ざめだと表情を失くし、彼から顔を背けた。
「……期待しないでおくわ」
微かな呟きを最後に、姫川の身体は塵となって消えた。
「……」
「データの塵となったか。元の精神データへ治すことはできないほどに」
ハックモンは西島の顔を見上げ、すぐに視線を逸らした。グッと目元へ手をやって、西島は口角を持ち上げる。
「……やってやるさ。アイツには、罪を償わせなきゃ」
声は、微かに濡れていた。

◇◆◇

デジタルワールドは、メイクーモンが保有していたコピーデータを元に復元され、オルディネモン侵攻の傷跡は残らなかった。現実世界でも、一時期空模様は荒れたが、酷い天変地異には至らなかった。
暗黒エネルギーがデジタルワールドへ流出するのを食い止めていた大輔たちも無事現実世界へと戻ることができ、子どもたちの間には安堵の雰囲気が広がっていた。
――が、一か月近く休学するはめになってしまった大輔たち三名は、補修に追われ太一たちより随分遅れて夏休みを迎えることになってしまったのは、余談である。
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