剣道少年と名探偵
夏休み某日。都内の市民体育館には、若き高校剣士たちの熱こもった声が響いていた。本日は高校剣道の全国大会である。関西代表の一枠をもぎ取った服部平次に誘われ、江戸川コナンは夏休みの一日をその大会観戦に費やしていた。
「成程、お前はその謎の青年に心奪われとるわけや」
「変な言い回しをするんじゃねぇよ」
一回戦を勝ち抜き、今は二回戦の相手が決まるまで小休止の平次。彼から冷たいお茶のペットボトルを首筋に当てられ、コナンは肩を飛び上がらせた。
「貝のマークか……心当たりはあらへんな」
「マークだけじゃ、中々ネット検索にも引っかからねぇし」
すっかりお手上げだ、とコナンは立てた膝に頬杖をつく。自分の分のスポドリを煽り、平次は「せやな」と同意を示した。
「挑発するような仕草をした『ツナ』っちゅう青年に、同じ『ランボ(名前)』で年の違う二人の人間……お前やちっこいねぇちゃんみたいに、薬を飲んだ人間の可能性があるっちゅうことやな」
「だと思う……のが半分」
「半分?」
不思議な言い方をする、と平次は眉を顰めた。平次から貰ったペットボトルの蓋を開け、コナンは彼を見上げた。
「平次、お前、灰原のことなんて呼んでる?」
「はあ? いきなりなんや」
「良いから答えろよ」
グビグビ乾いた喉を潤すコナンへ胡乱げな視線をやりながら、平次はポリと頬を掻いた。
「何て、って『ちっこいねぇちゃん』や」
「理由は?」
「そんなん、あの女子は……」
そこで平次はハッと言葉を止めた。「成程」と呟く彼へ頷き、コナンは蓋を閉める。
「ああ。お前は『灰原哀』という少女の正体が、『宮野志保』という妙齢の女性であると知っている。だから仮の姿である『灰原哀』への呼称に『小さい』と『姉ちゃん』という単語を使った」
「……お前こそ回りくどいで、工藤」
ニヤリと笑って、平次は指を立てた。
「つまり、『ツナ』にとって、『ランボ』という人間の正体は少年の方……そう言いたいんやろ」
「仮定は三つ」
平次の方を見ず、コナンは顔面で指を三本立てた。
「一つは、『ランボ』と『大人ランボ』が全くの別人である場合。ただ似ているだけで、呼称も単なる綽名であること」
苦しい仮定である。それでは大人ランボが姿を消した理由が説明できない。
「二つ、『ランボ』と『ツナ』のファーストコンタクトが少年の時だったせいで、『ツナ』の呼称がそちらに引っ張られている場合」
大人ランボが姿を消したのは、コナンたちがそうであったように、解毒薬の作用が切れて子どもの姿に戻ってしまったためと考えられる。この仮定が、コナンとしては一番自然である。不自然は否めないが。
「三つ……子どものランボが本来の姿で、大人がイレギュラーな姿である」
「若返りの薬だけでなく、老化する薬まで作っとったっちゅうわけか?」
信じられない、と平次は首を振る。コナンも指を下ろし、一番可能性が低い――いや、考えたくない仮定だと呟いた。
「ちっこいねぇちゃんはなんて?」
「『有り得ない』――その一言だ」
最も、その後何かを思い出したように目を見開いた様子はあった。しかしコナンには何も言わず、黙したまま部屋へ引きこもってしまったので、詳しい話を聞いていない。
すっかり黙り込むコナンの背中を、バシンと平次が叩いた。
「ま、今日は小難しいことは忘れて、俺の雄姿をバッチリ目に焼き付けとけや!」
「ぐ……まだ一回戦勝ち抜いただけだろ」
どこから来る自信だ、とコナンが毒づけば、平次はフフンと胸を張った。
「ま、このワイに太刀打ちできる高校剣士は沖田くらいや。次は順当に行けば去年圧勝した――」
平次の自慢話は、ワッと沸いた歓声にかき消された。
それに興味を惹かれ、コナンはコートの方を見やる。一番観客が熱心に見入っているのは、コナンたちの前にあった第2コートだ。現在は団体戦が繰り広げられている。
東は確かにコナンも聞いたことのある剣道強豪校。どうやら、大将が出ているようだ。三年生が務めているらしく、がっしりとした体格から強者の威圧を感じられる。対する西は、東に比べて細めだ。剣士、というより野球をやってそうな体格である。
「聞いたことない高校だな……ていうか、次鋒じゃねぇか?」
「有り得へん、あの学校はそこそこ強いことで有名な強豪校やで?」
それが、次鋒相手に大将まで引きずり出されているとは。平次は途端に余裕をなくし、立ち上がった。コナンはチラリと見えた名札の文字を読む。
「……並、盛?」
次の瞬間始まった試合は、
「一本!」
次鋒の素早い面打ちで早くも終了した。

◇◆◇

準々決勝を勝利で収めた並盛高校剣道部。MVPとも言える働きを見せた次鋒は、チームメイトからバシバシと肩を叩かれていた。彼らに応えながら次鋒は面をとる。顔を見せたのは爽やかな雰囲気の好青年だ。頭のタオルをそのままに水分補給をする彼へ、二つの影が近寄った。
「なぁ、アンタ」
「ん?」
浅黒い肌をした剣道着姿の高校生と眼鏡をかけた小学生。知り合いにはいない顔だと、次鋒は首を傾げる。
「いきなり話しかけてすまん。さっきの試合見とってな、すっごい活躍やったなぁ」
「はは、それはどうも」
剣道着姿の高校生はニッと笑って、服部平次だと名乗った。
「次の試合で戦うチームの大将やねん」
「へーそうなのか」
「……それだけ?」
「ん?」
サッパリとした反応に、平次は苦虫を噛みつぶしたように顔を歪める。慌てたように次鋒のチームメイトが、彼の肩を掴んだ。
「大阪の改方学園の服部平次! 関西の大会の優勝を総なめにする高校生剣士だよ!」
「へー」
その反応を待っていた、と平次は人差し指を彼らに向ける。しかし次鋒は相変わらずどこ吹く風、少し感嘆の声を漏らしてから水筒を一口飲む。
「あんさん、反応うっすいな」
「はは、わりい。俺、今日だけの助っ人でさ、剣道のことは中学の時に親父に型を習ったってくらいで、詳しくなくてさ」
「すけっとぉ?」
間抜けな声を出す平次の隣で、小学生――コナンも目を丸くした。平次は個人でも剣道大会に出場している。例え部活に所属せず個人で剣道を嗜んでいるなら、その平次を知らぬ筈はない。ということは、本当に彼は中学時代に一時期習った程度で、現在は積極的に剣道に触れていないということだ。
そんな彼が、平次曰く強豪校に数えられる高校を、大将まで一人で討ち取ってしまった、と。
「もったいないなぁ。アンタなら関東一の剣士になれそうやのに」
「はは。俺は他にやりたいことがあるからさ」
「それって野球?」
コナンが口を挟むと、次鋒は目を丸くした。
「知ってたのか?」
「お兄さん、他の人たちと違って右肩に荷物をかけないようにしていたでしょ? 水筒を飲む様子からして右手なのに、荷物を短い距離移動させるときも、左手で持ってた。それって、右投げ投手がよくやる、肩をかばうってことなのかぁなって思って。サポーターもしているみたいだし」
道着の袖から覗く黒を指さすと、次鋒はその通りだと笑った。
「すげぇな小僧」
ぐしゃぐしゃとコナンの頭を撫で、次鋒は頭に巻いていたタオルをとった。スポーツマンらしく短く切った黒髪が現れる。次鋒の顔をマジマジと見つめた平次は「あ!」と声を上げた。
「アンタ、並盛高校の山本武か!」
「ん、俺のこと知ってるのか?」
平次の指先を見つめ、山本武と呼ばれた次鋒は首を傾げる。呆れたように、彼のチームメイトがため息を吐いた。
「『野球』って単語とその顔で、大体の高校生は分かるっての」
「そうか、はは」
「知り合い? 平次お兄ちゃん」
「知り合いやないけど、高校球児の間では有名人や。打って良し、投げて良しの両刀使い。並盛高校なんてコイツが入部するまで地方大会すら予選落ちしとったのに、去年は甲子園三位の好成績残しとるんや」
「いや〜あれは読み違えたな。まさかあの土壇場でストレートが来るとは」
相手の決め球を読み切れなかった、と山本は笑って頭を掻く。まるで、球種の山カンが当たっていたら打ち取れていた筈、と言わんばかり。
「え、山本さん、何年生?」
「俺、高校二年だぜ」
一年から甲子園で活躍するほどの名プレイヤーとは。ますます、こんな剣道大会にいるとは想像できない。それで、顔を知っている平次も認識が遅くなったのだろう。
「かーっ! 天は二物を与えずって嘘かいな! アンタなら球団の引く手数多やろうし、あの太刀筋なら剣士としてもやっていけるで」
興奮する平次に、山本は少し困ったような笑みを見せた。
「んー、剣道は独学みたいなもんだから……それに、俺は他にやりたいことがあるから、野球も高校までって決めてんだ」
「え、やりたいことって、野球じゃないの?」
「ああ」
笑顔で頷く山本の背後で、チームメイトたちも「勿体ない」と言いたげな顔で肩を竦めている。彼らは山本の『やりたいこと』を知っているのだろう。知っていて、平次と同じように、捨てられる彼の才能を惜しく思っている。
それでも、山本の道を決めるのは山本自身だ。その道を歩いて行くのも。きっと、その覚悟は野球や剣道に賭けたものと同じ強さであり、得る対価は山本にとってそれ以上になるのだろうとコナンは感じていた。
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