夢を見る。首を絞められる夢だ。
相手は嘗て神と崇めし主君を奪った男に似ている。そう、顔が同じなだけだ、決してあの男ではない。そうと断言できるほど、悔しいかな、己はあの男に近しかった。
「……お前のせいだ。あの子は誰よりも清く、光であった。それを穢し、曇らせたのはお前だ」
だから殺すのか。あの子とは誰か、己はとんと知らぬ。心当たりはない。
白い地べたに横たわる己の腹に跨り、そやつはあの男と同じように分厚い手を喉にかけてくる。馬鹿力なのは同じであるようで、呼吸は簡単に詰まった。己の身体は決して動かない。夢だからなのか、相手の力故かは知らぬ。
「お前が……!」
憎悪に染まった瞳が、己を貫く。
その眼だ。あの男は決してそのような眼は持たない。目の前の己をただ只管に憎み、しかし一方で寄る辺を失ったかのような、駄々っ子のような金の瞳を、あの男がする筈がないのだ。










花と猿、月と太陽










その男が石田のもとに現れたのは、彼を示す代名詞にあるように、風の如く突然であった。
梟雄に焼かれた肩の痛みが冷めやらず、中々寝付けないでいた夜のことである。せめて夜風にでもあたろうと、石田は寝所から出てすぐの縁側に腰を下ろしていた。緩い襟元を開いて、包帯だらけの肢体を夜風に晒す。特にあの梟雄に踏み躙られ爆破の熱も浴びた右肩から肩甲骨にかけての部位は、痛みが酷い。腕を動かすだけでもそれは走り、石田は顔を顰めた。これでは刀も満足に震えぬ。既に戦は決してはいるが、石田自身が斬らねばと見定めた者はまだ残っていた。あの梟雄だけは赦し得ぬ。関ヶ原の地で起きた、自分しか知り得ぬであろうあの情景を思い出し、石田はギリリと歯噛みした。
そんな時である。庭先から砂利を踏む音がし、石田はハッと腰を浮かせた。静かに舞う葉を払いながら現れたのは前田の風来坊。石田も大谷からその存在を聞き覚えていた。何より彼は、石田の主君・豊臣秀吉の友である。このような男が何故豊臣公の友を名乗るか、と憤らぬわけではない。以前であれば問答無用で切り捨てただろう。しかし今の石田に、何故かそこまでの気力はなかった。今は取敢えず外敵ではないと見定めて、石田は浮かせかけた腰を下ろす。
「良い風だ……これで月が出ていたら、格好の月見日和だったのにねぇ」
灰色の雲がかかる空を見上げ、石田に視線を下ろした前田は少し眉根を下げて笑った。その笑みが、石田がこの世で最も気に入らぬ男のそれと重なり、小さな苛立ちの波が立った。
「前田か……何の用だ」
元々傾奇者とも呼ばれる男だ。その神出鬼没さは誰にも読めない。
「ちょっと……アンタと話がしたかったんだ……秀吉の部下だった、アンタと」
ヒクリ、と石田の頬が引きつった。彼を良く知る者であれば、彼の主を呼び捨てた前田に切りかからぬだけで丸くなったと目を見張ることだろう。
「秀吉さまの……?一体、何を話すと言うんだ」
前田は肩に抱えていた大剣を下げると、断りを入れて石田の隣に腰を下ろした。それから後ろに手をついて、大きく体を反らす。それをちらと横目で見やって、石田は殺風景な庭に目を落とした。
「そうだねぇ……アンタは、何から聞きたい?」
「は?」
「秀吉は俺の友達だ。アンタの知らない秀吉を、俺は知っている」
「……だからどうした。それを誇りにでもきたのか」
「まさか!アンタは己の誇りで友達を選ぶのかい?」
カラカラと笑う前田は、石田の心を酷く揺るがす。のらりくらりとした、本当に風のような、捉えどころのない男である。
「秀吉と俺はさ、所謂悪戯小僧共だったんだ」
膝に頬杖をつき、前田はそっと目を細めた。遠い在りし日を想い、懐かしむ瞳だ。
前田の口から語られる豊臣は、正義を信じる純粋な童だった。当時、まだ中途半端な力しか持たない彼らはそれでもそれによって民を救えると信じ、各地を気ままに走り回っていた。転機はそう、石田も嫌というほど知る、ある男の出現であった。
「梟雄、松永久秀」
その名を聞いた途端、血管の中の血が沸き立つような感覚がした。石田はピクリと指を跳ねさせ、そのまま拳に握りこむ。
「秀吉が捕まっちゃってさ。俺は急いで助けに行った。何とか松永を撤退させたけど、」
その時は、もう遅かった。辺りに転がる男たち。その中央で、豊臣は震える己の拳をただただ見つめていた。
彼は己の非力さを知った。世界を変えるには足りなさすぎるその力。もっと求めなければ、この悲しい世界は変わらぬと。
「秀吉が力を求めたのは、小さいものを守るためだったんだ」
少々歪ではあったが、その時はまだそうだと思っていた。いや、そうだと信じたかった。
石田が豊臣に仕えるようになったのは、恐らくその後のことであろう。平和な世界を作らんと兎に角力を求めた豊臣。以前を知る前田であるから、その違和感に気づいたのだ。恐らくは、竹中も気付いていただろうが。
前田は頬杖を外して石田を見つめた。
「あんたは、秀吉がねねを……愛する人を殺したことを、知ってるのかい?」
ぐ、と僅かに石田は言葉に詰まったようだった。それからすぐ視線をそらす。
「……秀吉さまは、弱さを乗り越え、更なる高みを目指されようとしたのだ」
「あんたも、半兵衛と同じことを言うんだな……」
けれどそれは、酷く虚しい求め方だ。
前田はそっと呟いて、石田と同じように庭に視線を戻した。
「ねねは秀吉の大切な人で……俺の、初恋の人だったんだ」
石田は目を剥き、弾かれたように前田を見やった。前田はしかし先ほどと同じ、眉根を少し下げた笑みを浮かべたまま、庭を眺めている。
「俺もお前と同じだよ。大切な人を、友と信じていたやつに殺された……」
ぐ、と前田の膝に乗る拳が硬くなる。
「酷く悲しかった。秀吉を恨みもした……けど俺は、それ以上に秀吉の変わりようを直視したくなくて……逃げたんだ」
加賀にも帰らず、京や越後を遊び歩いた。あれは悪い夢だったのだと思いたくて、華やかな夢に逃げ込んだ。
その点、石田はその憎しみと悲しみを正面から抱き込んで、現実を受け入れた。現実を無視して逃げた前田と違って。
「逃げた俺と、憎しみを糧としても進んだアンタ……どちらが正しいのか、俺には解らない」
憎しみも悲しみも抱き込んで、彼は酷く哀しい人間になってしまった。石田が過去しか見ぬ男であるならば、前田は夢しか見ぬ男であったのだろう。どちらも正しくなくて、きっと正しかったのだ。
「俺は秀吉に間違いを認めて、謝らせたかった……けど、家康の話を聞いて思ったんだ。きっと秀吉は、何があっても自分の行動について謝ることはなかっただろう、って」
「……どういう意味だ」
「……秀吉は、自分の信念に基づいてねねを殺した。アンタは、仇討のために今までやってきたことを他人から非難されて、素直に謝る気になるかい?」
「何故そんなことをせねばならん。私は、間違ったことはしていない」
「秀吉も家康も、概ねそんな感じだったってことだ」
物事の正否は置いて、彼らは己の信念に基づき最後までそれを貫かんとした。彼ら自身はそれを正しいと信じていたのだから、謝るなどお門違いなのだろう。そして知っている。謝れば己の非を認めることであり、それはそのために死してきた兵の命を無駄と認めることであると。石田にそこまでの考えはないとしても、豊臣と徳川は理解していた筈だ。だからこそ、竹中が死して尚世界を目指さんと、あのような強行に出たのだろう。そう、前田は思っている。
「……秀吉さまは、力に情は要らぬと」
「ああ。秀吉はそれを正しいと信じていた。けれど俺は間違いだと思っている、今もだ。だから俺は、アイツを打ん殴ってやらなきゃいけなかったんだ」
家康にとられちまったけど―――前田の呟きを聞きながら、石田はそう言えば、と嘗て盗み聞いた豊臣と竹中の会話を思い出す。
―――我はねねを切り捨てることで、慶次をも捨てるのだ―――
愛する人のみならず、友まで捨てる覚悟。恐らくその友が、この道は間違っていると言わんと想像出来たからこそ。
豊臣と徳川、そして前田と石田。それぞれの姿が重なってあの地に立つ風景が、ふと石田の脳内を掠めていった。




20131103
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