その男は、とある国の領主の次男坊として生まれた。他氏の勢力争いに巻き込まれた父は早々に隠居を決め、男の兄が家督を継いだ。母が死に、父も死んだ。男は家臣に所領を奪われ、城を追い出された。そんな不遇の時代を支えてくれたのが養母であり、彼女に影響されて、男は日輪を信仰するようになった。兄も死に、彼の息子も死に、男は国主となった。それに納得がいかぬ者たちとの戦、謀反を繰り返すうち、男が信ずるは嘗ての養母と、日輪だけになったのである。
国を守ることが男の存在意義。それを以て他に認めさせ、生きねば。生きなければ、あの時救ってくれた養母に申し訳が立たぬ―――それは時を経るうちに何時しか捻じ曲がり、国を守ることこそ男の今を生きる意味となった。
養母の顔を、男はもう、とんと覚えていないと言う。










鬼と日輪










長曾我部が毛利の城の戸を叩いたのは、その翌日のことであった。常の兜を外し、鼻から下を薄布で覆った毛利は、彼の崇める日輪が良く浴びることの出来る中庭に一人で立っていた。いや、恐らくはそこかしこに捨て駒が隠れているのだろう。纏わりつく彼の部下を振り切って碇槍を持ったまま訪れた長曾我部は、右目を焼く光に、それと良く似た男を連想され、思わず顔を顰めた。
「長曾我部か……何用だ」
未だ長曾我部の背後で武器を取り上げようとする部下に目配せし、毛利は彼らを下がらせる。碇槍を地面に突き刺し、長曾我部はこちらを向いた毛利にズカズカと歩み寄った。
ず、と二人の視線が交わる。毛利の瞳は何処までも冷たく、長曾我部は軽く下唇を噛んだ。
「……アンタに、聞きたいことがある」
「なんぞ」
「四国襲撃は……本当に家康の仕業なのか?」
毛利の瞳がす、と細まる。動揺ではなく、何処か感心したように。
「……それを我に聞きに来たということは、自身でも薄々感づいておるのだろう」
「はぐらかすな!」
ぐ、と武将にしては細い肩を掴む。毛利は動じない。
「本多も酒井も……徳川四天王が知らないと言った!あんな襲撃を知らねえなんて、そんなことあるわきゃねえだろ!」
「嘘偽りかも知れぬ、という可能性を考えぬのか」
「考えたさ!」
しかし考えるより先に、彼らの言葉を真実と捉えた方が、長曾我部の中で得心がいったのだ。一度それを得てしまえば、逆のことは中々見えないもので。
顔を俯かせて黙り込む長曾我部に、毛利はそっと息を吐いて肩に乗る手を払った。
「……ならば貴様の望む答えをやろう―――四国襲撃は我の策であると、な」
ぴくり、と長曾我部の肩が跳ねた。毛利はそれを無視して続ける。
「実行犯は黒田官兵衛。我と大谷が策を練り、奴を唆して襲わせたのよ」
獣の呻きのような声が目の前の大男から聞こえる。これで満足かと言わんばかりに溜息を溢し、毛利は彼を見つめた。
「それでどうする。その槍で我を貫くか」
長曾我部はハッと息を詰めた。大きく開かれた右目が、地面に突き刺さったままの武器を映して、ゆっくりと毛利を見る。日輪を頭上に逆光を背負う毛利は、何処までも平静だった。
「今、天下は西軍のもの。そして我と大谷は将軍・石田三成を補佐する重要な地位に就いている。貴様が我を殺すということは、即ち天下に仇成す逆賊と声高に叫ぶことよ」
長曾我部から視線を外し、毛利はゆっくりと足を進める。長曾我部は返す言葉を見つけられず、ただその背中を見つめた。やがて彼は足を止め、肩越しに長曾我部を見やる。
「一時の怒りに任せて、また己の民を殺すか。我と大谷を糾弾して、また石田の心を殺すか」
その覚悟があるかと、言外に問うてくる。長曾我部は今度こそ息を飲んだ。
ここで碇槍を手に取り毛利を貫けば、長曾我部は国賊となり四国はまたも壊滅の危機に晒される。毛利と大谷が四国壊滅を企んだと叫び、長曾我部に仇討の大義名分を得ても、大谷を友と信じ裏切りを厭うている石田は、恐らくまたも狂うのであろう。そうさせてはならぬと、長曾我部の心が叫んでいた。
あの男は真っ直ぐな故に折れにくく、壊れやすい。だからこそ長曾我部は、あの男の友になりたいと望んだのだ。徳川の死が噂される今、あの男が辛うじて生きながらえているのも、友である大谷の―――それと自惚れでなければ、長曾我部の―――存在がある。長曾我部が大谷を糾弾し仇と討つ―――これも石田に対する裏切りに他ならぬ。あの男は、今度こそ本当に死んでしまうであろう。
押し黙った長曾我部の思考を察してか、毛利はフンと吐息を溢した。
「貴様が“友”のためにすべきは仇討ではなく、天下泰平を永く続けるために尽力することぞ―――例え、本当の仇と行動を共にするとしても」
友―――それは徳川のことか。それとも、石田のことか。いや、両方であろう。
長曾我部はく、と顔を歪め両の爪を掌に突き立てた。その表情に浮かぶは悔しさのみにあらず、哀しさもありなん。それを聡く読み取った毛利は、意味の解らぬ彼の悲哀の色に眉をひそめた。常の鬼であれば、己の不甲斐無さに口惜しさを浮かべぞ、ついぞそんな同情を見せることはなかった。同情、しているのか。他でもない、目の前のこの仇に。
「……アンタは、どうして西軍についたんだ。俺が家康に味方して東軍につくことは、想定済だったんだろ?」
徳川と長曾我部の間には、昔交わした友情がある。あの襲撃が起こる前、長曾我部は確かに徳川に味方しようと考えていたのだ。長曾我部に対抗するという理由なら、何も策を練ってまで引き込む必要はない。長曾我部の問いに毛利は些末な事と言わんばかりにまた吐息を溢して、踵を返した。
「我が望むは安芸の安寧のみ。天下泰平は、それを実現させる一手に過ぎん。西軍についたのも、大谷との盟約があったからというだけのこと……石田が将軍になった方が御しやすいということもあるかもな。あの狸は煮ても焼いても食えぬ故」
現に石田は政の殆どを毛利と大谷に一任している。お蔭で安芸を守るための策を、特に労せず行えていた。徳川天下の世であれば、こうはいかなかっただろう。
その言葉に、長曾我部は嫌そうに顔を顰めた。
「安芸安芸って、アンタはいつもそれだな」
「国主として、国を守るために心血注ぐは、当然のことであろう」
正論ではあるが、長曾我部にはそれが行きすぎであるような気がしてならない。そう、この男の自国に対する執着は、石田の豊臣に対する忠義と何処か似ている。そして徳川とも、この男はよく似ている。
少し歩を進め、もう一度長曾我部に向き直った毛利は、先ほどよりも強い逆光を背負っており、表情は何となくしか窺い知れなかった。しかし、笑っていると、長曾我部には解る。
「―――安芸の安寧のためなら、この命惜しくはない」
―――お前はお前のために生きろよ
嘗て石田が徳川から言われたという言葉が、ふと長曾我部の頭に浮かんだ。そして同時に納得する。何てことはない、この男もまた、日輪であったのだ。





20131021
×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -