念の為と、あの後真田自身も松平竹千代と名乗る男と言葉を交わした。
彼は頻りに義元さまは何処かと聞き、真田の名とここは何処かと問うた。真実を話すにしても、彼の推定精神年齢では全てを理解できるか怪しい。真田は、嘘を吐いた。
義元さまはお忙しい。何時ご帰還召されるかとんと検討がつかぬ故、知人である真田幸村に世話を頼んだと。上田城は今川領より遠く離れておる。故郷に返せぬことも心苦しいが、事情もある。どうか理解して、ここで共に生活してほしいと―――竹千代は素直に頷いた。大人の意見に従うようと、教育されているのだろう。でなければ人質に行った先で揉め事を犯しかねない。真、手のかからない子どもであった。
本来は元服済なのだからそれも当たり前なのだ。すっかり事態に適応して徳川を竹千代と扱っている己に、真田は軽い眩暈に似た感覚に陥った。縁側に座り、庭で真田の赤槍を振り廻す竹千代を眺める彼に、背後から猿飛が声をかけた。
「……旦那、これからどうするつもりだい」
その声色には、僅かな戸惑いが感じ取れる。しかし真田はそれを無視してじっと竹千代を見つめた。
「無論―――」










待ち人、既に此処に在らず










長曾我部は苛々と胡坐をかいた膝を揺らし、望んだ報告を今か今かと待ちかねていた。大阪城のとある一室である。長曾我部がこの城を訪れるのは、先の大戦終了直後、石田を見舞って以来である。梟雄の奇襲にあったという石田は、火傷と切り傷を体のあちこちに作っていたため強制的に布団に押し込まれていた。本人は障りないと言っていたが、血の滲む包帯を見てそれを間に受ける者はいなかった。結局、二十四時間体勢で監視をつけ、無理矢理療養させている現状である。
さて、それはさておき、今回長曾我部が登城したのは、とある理由を訊ねるためであった。と言っても石田本人ではない。相手は三河武士―――今回敗北した東軍で中心になっていた国である。
先の大戦の最中、長曾我部元親が国主を務める四国が、襲撃にあい壊滅した。現場に旗が落ちていたことと、隣国である安芸も同じような状態にあったことで首謀は容易に判明した。三河は徳川の仕業である。
徳川の当主・徳川家康と長曾我部は旧知の仲であった。出会いは本多欲しさに長曾我部が徳川を誘拐したことがきっかかけであり、どちらかと言えば悪い印象であった。しかしその後、共闘して武田信玄に勝利したことで友情が芽生え、約束も交わした―――長曾我部は西、徳川は左から天下統一を目指し、最後は正々堂々決着をつけよう、と。
すっかり疎遠になってしまっても、徳川の噂は絶えず長曾我部の耳に入って来た。曰く織田から離れた後豊臣傘下になっただの、槍を捨て拳で戦うようになっただの。果ては、豊臣秀吉を討ち彼の左腕であった石田三成に恨まれているということまで。
西と東に分かれての大戦、長曾我部は当初、徳川率いる東軍に味方しようと考えていた。しかし四国襲撃をされてはそれをするわけにも気にならず、毛利の助言を得て西軍についたのである。
戦を終え、西軍指揮下のもと政が始まり、四国もようやっと戦前の活気を取り戻しつつあった。その平和の中、冷静になった頭で考えると湧きあがる疑問がある。徳川は何故、四国襲撃など行ったのであろうかと。毛利は天下統一に目が眩み、道を踏み外したと言っていた。長曾我部の知る徳川家康とは、決してそのように己が私欲で民を蹂躙するような、ましてや大切な友との約束を破るような男ではない。だからこそ変わってしまったことが悲しかったわけなのだが。
長曾我部は国主であるにも関わらず、頭を使う政策や知略に疎い。周囲の人間も海の男と声高に宣言する通りの脳筋たちばかりで、四国は他国のような有能な軍師に乏しかった。そのため長曾我部の疑問に答えられる者はおらず、ならばと彼は本人に直接問うことを決断したのだ。とは言え、徳川は梟雄襲撃後から行方知れずである。そこで長曾我部は未だ牢に捕えられ刑を待つだけの徳川軍に会おうとしたのだ。今はその許可を貰いにいった使いを待機中だ。
長曾我部の頭を、徳川と過ごした日々の残像が駆け巡り、彼は益々膝を揺らした。その思い出が嘘偽りでないと信ずるがこそ、此度の所業が許せない。
ぎり、と奥歯を鳴るほど噛みしめた時、障子戸が開いた。そこから顔をだした長曾我部の部下は、部屋に充満する彼の苛立ちに気圧されているようでおずおずとした様子だ。それに罪悪感を抱きつつも、急く心を抑えられぬ長曾我部は部下を半ば押しのけるようにして部屋を出た。
「兄貴!」
慌てて部下も彼の背を追う。目的の部屋は長曾我部も把握しており、部下が許可さえ持ってくればいつでも訪れるつもりであった。大股で歩く長曾我部に追いつくには、部下は小走りするしかなく、それによって息が上がるため途切れ途切れに、許可云々を説明する。しかし部下のその言葉も、長曾我部は殆ど聞いていなかった。兎に角、気が急いていたのである。
彼がようやっと足を止めたのは、大阪城の端っこに位置する座敷牢の前であった。三河軍の有力将らは皆ここに捕えられてある。その一番奥には徳川四天王の収まる、他より広めの牢があった。
戦国最強・本多忠勝は梟雄の手にかかり、ほぼ機械の塊と化している。石田の進言と自身の興味もあり、彼の記憶装置を初期化して西軍のための兵器に改造できぬかと、長曾我部は密かに計画をたてているところであった。しかしその前に。
「……よお、本多忠勝」
長曾我部は牢の格子に手を置き、逸る気持ちと湧きあがる衝動を抑えながら声をかけた。ヴィ……ン……と鈍い音を立て、本多は左右で違う色の瞳を長曾我部に向ける。彼の左右に、手枷をつけて座っていた三人も同じように顔を上げた。
「本多……家康に一番近しかったあんたなら知っているだろう、あいつが考えていたこと」
「……」
また機械音。これを解読できるのは、徳川軍しかおらぬ。長曾我部はしかし了承の意ととって話を続けることにした。
「なあ、教えてくれ。あいつは……家康は、何で四国を襲わせた?」
ぐ、と格子にのせた手を強く握る。ようやっと知れる真実が嬉しくもあり、それ以上に恐ろしかった。友情を反故にしてまで行った理由―――鬼と称される彼でさえ、それが怖い。
また機械音を返されると思ったがしかし、本多はゆっくりと皮一枚で繋がっているように不安定な首を傾げて見せた。長曾我部は思わず眉を顰める。
「知らねえのか。いや、アンタに限ってそれはねえだろ」
幼き日は何事かある度に徳川は本多の名を呼んでいたのだ。徳川第一の絆と称される本多に、彼が隠し立てをする筈などない。
「横から口を挟むようで申し訳ないが、長曾我部殿」
僅かに混乱する長曾我部に断りを入れ、一人が膝をついて前に出た。酒井忠次である。
「我も、他の徳川兵も、殿でさえ、貴殿が西軍に味方したことを疑問に感じておりました。嘗て我軍と友情を結んだ貴殿らが何故と……殿は、石田三成の人柄を放っておけないからだと言っておられた。笑って、おられた」
最後は噛みしめるように彼は言い切った。溜らず息を吸う音が聞こえる。長曾我部はどくりという己が心の臓の脈打ちが、まるで身を切り裂くように感じた。
馬鹿な、と背後の部下が呟く。長曾我部も同じように思う反面、欠いた絵の欠片がぴたりと嵌ったような感覚を味わった。嘘偽りであると切り捨ててしまえば良いだけの話。しかし長曾我部にはそれが出来なかった。
「四国襲撃の話は、我らも知らなんだ。この戦国において情報を掴めぬは我らの失態。されど、我らは四国襲撃も、それが徳川軍の仕業であることも、何一つ知らなんだ。それだけは知って戴きたい」
「……四国襲撃は、徳川の仕業じゃねえのか」
「……」
長曾我部の問いに、酒井はく、と一瞬顔を歪めた。しかしすぐに平静を取り戻し、深く頭を下げる。
「……長曾我部殿、貴殿の仇はもう討たれた。怒りが治まらぬなら、我らを八つ裂きでもすれば良い。代わりに、四国襲撃の恨みは忘れられよ。貴殿が今成すべきは、自国の民のために天下泰平を存続させること―――違いますかな」
はっとして見れば、他の二人も同じように頭を垂れており、長曾我部に更なる追求を許さぬような固い雰囲気を醸し出していた。長曾我部は掠れる声で諾の言葉を呟くしか出来ず、何か言いたそうにきょろきょろと辺りを見回す部下の肩を掴んで座敷牢を後にした。
重苦しい扉の閉まる音に混じって聞こえた言葉に、責められる感覚を味わいながら。
「我らが殿も、それを望んでおられる」
変わってしまったのは、裏切ったのは、どちらだったのか。




20131016
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