赤い焔が見える。嘲笑うように焔が舐めるは、金色の鳥籠だ。
「―――!何をしている、立て!」
鳥籠に入っているのは、何だ。鳥籠なのだから、鳥だろうか。成程、喧しい鳴声だ。
「何のためにワシが此処にいると思っている!立て!戦え!」
嫌だ。もう、立てない。戦いたくない。もう、疲れたよ。
「……なら、ワシは此処から出ても良いんだな」
好きにすれば良い。もう、眠りたいんだ。
「……ああ。お前は此処でゆっくり休むと良い」
―――あとは、ワシが……
何か囁かれた気がするが、心地良い睡魔に抗うことは出来ず、すう……と瞼を閉じた。どろりとした感覚がして、嗚呼眠りに落ちていくのだと、他人事のように思った。










そうして彼は、眠りに落ちた










真田幸村は大いに悩んでいた。満身創痍のところを辛くも逃げ遂せたため、怪我に触らぬよう、着ているものは常の戦闘服ではなく紅の着流しだ。緩く開けた胸元から首にかけては包帯に包まれているし、手足も頬にも軟膏を塗ったお蔭で自身でさえ鼻を摘まみたくなる体臭と成り果てている。それはさておき、先の大戦から数か月経った先日、真田は奇妙な拾い物をした。拾い物、というか預かり物である。
先の大戦は、それは酷いものだった。天下統一をかけ東と西に分かれての戦、それが決する日であった。梟雄の乱入があったのは。各云う真田もその奇襲を受けた。折しも、好敵手・伊達政宗との一騎打ちの最中であった。梟雄によって六の爪と楯無の鎧は奪われ、伊達と真田は命さえも危うくなった。そこを救ったのは、それ以前に梟雄によって亡き者となっていたと思われていた、武田の副将・猿飛佐助であった。忍の彼にとって、変わり身など容易かったのだろう、共にいた片倉小十郎も重傷ではあったが、一命は取りとめていた。しかし後から猿飛の話を聞けば、あの梟雄が一忍の変わり身に気づかぬものか怪しいと。よもや態と逃がしたのかと真田は戦慄したものである。そしてそれが本当なのだと、彼はそう間もなく知ったのだ。
梟雄は、西軍の頭脳・大谷吉継と戦国最強・本多忠勝を下し、何と両軍大将の一騎打ちの場にまで乱入したのだと。その決戦の地で何があったか、当事者である石田三成は固く口を閉ざすため、それはようとして知れない。石田は勿論、大谷・本多の両者も辛うじて息をしていた。あれだけの蹂躙をしたにも関わらず、主要武将は殺していない。それだけであの梟雄が気まぐれのまま戦場を荒らし回ったのだと窺い知れる。
無論、真田は激しく憤った。元々、戦のない平定した世では生きられぬと公言する男である。その根本は武士そのもの。戦にかける矜持は高い。そんな真田にとって彼の梟雄は、神聖な戦場を荒らして回った無礼者であった。次に会い見えた時には、その喉笛を噛み千切らん覚悟を虎の魂の奥底に秘め、真田は現在療養中である。
世の状態を説明しておけば、現在は西軍の天下統一ということでひとまずは落ち着いている。東軍副将各の伊達政宗が療養中であるということ、そして東軍大将・徳川家康が行方不明であることがその理由である。石田の話では、二人揃って梟雄に倒されたと。彼にそれ以後の記憶はなく、石田軍の兵士が気絶する彼を見つけた時も付近に徳川の姿はなかったと聞く。
さて、真田の元に珍客が訪れたのは、漸う天下の政が西軍指揮のもと動き出さんとする頃合いのことである。彼の客人の名は前田慶次と云い、雑賀衆に引っ付いて東軍の手伝いめいたことをしていた男である。元々中立の立場に近かった彼と雑賀衆は、比較的利用価値も高いとして、他の東軍武将より幾分かは自由な行動を黙認されている。この風来坊の神出鬼没さは真田も聞き及んでおり、その時もそんなものかと軽く受け流して客間に通したのだ。
前田は頭まですっぽりと布をかぶった、尼のような出で立ちの供を連れていた。猿飛手製の茶菓子で持成したものの、それに一切手は付けず、彼はこの尼のような供を暫く預かってほしいと言い出した。そこでやっと真田は、笑顔が売りである筈のこの男が、誰かのように苦しそうな笑みを湛えていることに気が付いた。
「前田殿……少し御痩せになられたか」
よくよく見ると目の下には隈が張り付き、頬も痩せこけているようだ。前田は一瞬ギクリとしたように体を強張らせたが、すぐに大声をたてて笑った。
「いや、ちょっと腹の調子がね。なんか変な物でも食っちまったかなー」
左様か、と頷きながらも、真田は嘘であろうと想像していた。あの笑みは知っている。この世で最も真田の劣等感を煽る男と、同じ笑みである。
「なら、暫く屋敷に滞在して休まれていくといい。すぐ佐助に部屋の用意を」
「いやいいよ!俺この後行かなきゃいけないところがあるから!」
腰を浮かしかけた真田を押しとどめ、前田は慌てたように手を振った。その必死な様子にこれ以上の強要も出来ず、真田はまた左様かと頷いて腰を下ろした。
前田は何処か安堵したように息を吐き、それよりも、と傍らでずっと黙したままの供の肩を引いた。
「頼む。独眼竜のところは、ダメなんだ。真田以外他に頼れるところを、俺は知らない」
「上杉殿や、雑賀衆は?」
「……出来れば、巻き込みたくない」
苦虫を噛み潰したように、前田は顔を歪める。それから弁明するように彼は一気に捲し立てた。
「別にあんたならいいとは思ってない。西軍天下の今、属将だったあんたなら、ある程度素性の知れぬ人間を匿うことくらい出来るだろう?」
思わず真田は唸った。そこまで言われて、断る論を真田は持っていない。ここで猿飛を呼べば、口のうまい彼は何とかしてくれただろう。しかし真田としては、断らない方が良いと直感していた―――うまく言葉に出来ぬ何らかの違和感を、この前田の供に対して抱いていたからである。
「……相解った。その願い、この真田源次郎幸村、全力でお受け致そう」
そう伝えた時の前田の、心から安堵した顔が、今でも鮮やかに脳裏に焼き付いている。
そんなやり取りが行われたのは、三日ほど前のことだ。真田の了承を得た前田は、夕餉の誘いもそこそこに断り、慌ただしく屋敷を出ていった。残された尼は、のんびりと縁側に座り風景を眺めているようだった。さてどうしたものかと頭をかき、一先ず真田のしたことは、声をかけることであった。
「某、真田源次郎幸村と申す者、この屋敷の主にござる。前田殿のお頼みにより、貴殿を預かることと相成った。御自由に寛がれろ」
尼は今初めて彼の存在に気づいたように、ゆっくりと首を回して真田を見上げた。頭巾の端から覗いた瞳の色に、真田は思わずどきりとする。日輪のような、金色だ。同じ色を持つ人間を、真田はよく知っている。
もしやと思い至った仮説に、しかし真田は首を振った。彼の御仁にしては、目の前の人物あまりにも頼りなさすぎる。太陽と称されるだけあって、あの人間はいつもどっしりとした存在感を持っていた。まるで稚児のように頼りなく、何処かふわふわとした雰囲気をもつ目の前の人物とは重ならなかった。
だがしかし、とまた思う。もし前田が彼の御仁を匿っていたのだとしたら、彼が行方不明であることも、西軍で真田以外頼れる者がいないことも、東軍に頼れないこともすべて説明出来るのであろう。東軍は、特に副将格である伊達政宗は西軍によって厳しい監視下に置かれている。そんなところに総大将を連れていけば、前田共々打首であろう。
「……徳川、殿」
カラカラに乾いた口で、真田は恐る恐る彼の御仁の名前を呼んだ。どうか、間違いであってくれと、心の何処かで願いながら。しかしそれを真田が見極める前に、尼の身体が傾ぐ。慌てて抱き留めるが、くたりと弛緩した重さで、真田はたたらを踏んだ。肩の上下運動は見られるから、眠ってしまったようである。肝を冷やした真田は大きく息を吐いた。
「長旅で疲れたのか……」
肩と膝裏に手を回して見目より幾分か軽い体躯を持ち上げると、真田は猿飛を呼んだ。寝具の準備を頼むためである。彼のことだから何処からか見ていてすべて把握済みであろうことは想像していた。案の定、降り立って猿飛はすぐに客人の用の部屋に準備をしたと告げる。それに頷いて、真田は草履を適当に放って縁側に乗った。その弾みで、尼の頭巾がパサリと床に落ちた。
「な……!」
想像していたこととは言え、いざ目の当たりにすると言葉は失われるものである。猿飛は呑気に「やっぱりねー」と呟いている。
真田の腕の中で眠りこけるのは、先の大戦で消息を絶った、東軍総大将・徳川家康その人であった。




20130920
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