序奏(1)
魔法を使う技量も、魔力の片鱗すら見せなかった少年が、突然魔導書を開き、古びた大剣を取り出した。そしてそれを振るい、鉄壁に思えた防御魔法を叩き斬る。それだけでも驚くべきことなのに、彼が大剣を振り下ろしたときに感じた『匂い』に、フィンラルは目を見張った。
「フィンラル」
フィンラルの傍らで椅子に座り、煙草を咥えながら同じように少年の戦いぶりを見下ろしていたヤミも、何か感じるところがあったらしい。フィンラルは生唾を飲み込み、コクリと頷いた。
「彼も『そう』ですね」
あんなに魔力の気配が薄い個体も珍しい。
フィンラルの言葉を聞き、ヤミはニヤリと口元を歪めた。
「面白い」
普段から凶悪な顔がさらに歪み、それを斜め後ろから見ていたフィンラルはゾッと背筋を震わせた。何か悪いことを考えている――そんなフィンラルの考えは概ね間違っていなかった。

一目見たとき、すごい人だと素直に思った。
飾り気のないタンクトップから伸びる、筋骨隆々な腕。咥え煙草を摘まんで紫煙を吐く姿は堂々としており、漏れ出る威圧感が只者ではないとアスタに教えてくる。ただ、首から革紐に繋いで垂れさがっている紫水晶だけが、少々不釣り合いに見えた。
「えー、このチンチクリンがもう一人の新入団員だ。死なねぇ程度にしごいてやれ」
試験終了後、トイレが長引いたことで頭を潰されかけたアスタは、夢にまで見た魔法騎士団本部にやってきた――のだが。空間魔法を抜けてすぐ目の前に聳えていた大きな館に目を奪われていたところ、突然その一部が爆発した。かと思えば、そこから覗き込んだ内部はさらに酷い有様であった。
団長のヤミの鶴の一声で、一列に正座する六人の男女。彼らが黒の暴牛の団員――つまりアスタにとっての先輩たちである。ヤミの紹介といい、少々引っかかる点はあるが、アスタは大きく息を吸った。
「ハージ村から来ました、アスタです! よろしくお願いします!!」
「お前、背の高さと声のデカさが反比例してるな……」
「あら、あなた……」
黒い下着姿の女性が、何かに気づいたように腰を上げる。女性がアスタの顔を覗き込むので、放漫な胸元が良く見えてアスタは硬直した。
アルコール臭のする口元をユルリと持ち上げ、女性はアスタの頬を指で撫でる。
「あなた、ニュンペーなのね。最果ての小さな町で苦労したでしょうに……魔法騎士団にまで入るだなんて、頑張ったのね」
「にゅんぺー?」
女性の胸から視線を逸らしていたアスタは、聞きなれないことばに首を傾げた。
「ちょっとバネッサさん、あんまり後輩に意地悪しないでください」
助け船を出してくれたのは、ここまで空間魔法で運んでくれた青年だ。
「あらフィンラル。アンタ、坊やが羨ましいんでしょ?」
「そりゃそうですけど」
フィンラルの口元がヒクリと引きつる。バネッサはつまらなさそうに唇を尖らせていたが、すぐに顔を青くして蹲った。床へ嘔吐するバネッサの背中を擦ってやるフィンラルへ、ヤミは吸いかけの煙草を向けた。
「詳しいことはアイツらに聞け。同族だから気安いだろ」
「へ、同族?」
アスタは親のいない孤児で下民だ。比べて、フィンラルやバネッサは所作がどことなく優雅で――性格に難ありとしても――そこそこの地位の出身者のように見える。
目を瞬かせながらアスタが、「フィンラル先輩たちも、恵外界出身なんですか?」と訊ねると、ヤミは不機嫌そうな顔をさらに歪めた。
「あー……お前まさか、チャーミータイプか」
「へ?」
「面倒くせー。おい、フィンラル、バネッサ、チャーミー、ラック。こっち来い」
ヤミに呼ばれたのは四人の男女。残りは、少し離れたところで何事だとこちらを見ている。
「フィンラル、説明してやれ」
「え、このアジトについて……じゃないっすよね、このメンバー集めたってことは」
まさか、と口元を引きつらせつつ、フィンラルは頬を掻いた。
「アスタくん、俺たちもニュンペーだから、何かあったら遠慮なく頼ってね」
「ニュンペーってなんすか?」
「あら」とバネッサは赤い頬のまま目を丸くし、面白がるように目を細めた。
「チャーミーと同じで、無自覚タイプ?」
「ハージってそんなにニュンペーが多いとは聞かないけど……」
フィンラルは吐息を漏らした。
「下級精霊、もしくはその血筋で精霊的性質を発現した人間を、総称してニュンペーっていうんだ。黒の暴牛では、チャーミーとバネッサさんが純粋な下級精霊で、俺とラックは先祖に下級精霊がいた先祖返り」
「はあ……」
アスタは気の抜けた声を漏らすしかない。本当に知らなかったのかと問われたので、アスタは正直に、自分が教会の前に置き去りにされた孤児であることを告げた。成程、だから自覚がなかったのかと、フィンラルたちは納得したようだった。
「そうなんだ、ごめんね」
「いえ、気にしてないので。でも、だから、俺がそのニュンペーである確証はないっすよ」
「そんなことないわ」
バネッサは、チョンと自身の鼻を指で突いた。
「同族同士は『匂い』で分かるのよ」
水のように微かな『匂い』は、ニュンペー同士だから感じ取れるもの。アスタからは確かにその『匂い』がする、とラックも鼻を近づけて断言した。
「チャーミーは谷精しか住んでいない村から出てきたから、そもそも普通の人間とニュンペーの違いが分からなかったみたいけど……」
話の途中から、チャーミーは興味を失くしたのか、カップケーキを頬張り始めている。
「最果ての村だから、ニュンペー自体知られてなかったんじゃない? 珍しい『匂い』がするし……冥精かな」
クンクンと鼻を動かし、ラックは楽しそうだ。
「なぱいあー? らんぱす?」
「あ、ニュンペーの種類みたいなものだよ。チャーミーは谷精(ナパイアー)、バネッサさんは森精(アルセイス)、ラックと俺は山精(オレイアス)……アスタくんみたいな冥精(ランパス)は珍しいかな」
「はあ……」
「そうニュンペーも悪いものじゃないよ。魔法に力をプラスできるんだ」
こんな風に、とラックは袖に隠れていた左腕を見せる。そこには雷を閉じ込めたような宝石のはまった腕輪がついており、ラックが拳を握ると雷に似た魔力が溢れだした。
「おお!」
「ニュンペーは、誰でも心の欠片と言われる宝石を持っていてね、それを核にして魔力を強化できるんだ」
「大切なものだから、坊やも失くしちゃだめよ」
言いながら、バネッサは胸の谷間へ押し込んでいたペンダントヘッドを取り出して見せる。それは、彼女の人差し指と同じ程度の大きさをしたアンティークの鍵で、トップ部分に真っ赤な宝石が嵌めこまれている。
自分のはこれだ、とチャーミーも手の平大の琥珀が嵌めこまれたタリスマンを見せてくれた。
「持ってないっすよ?」
「……え」
「はああ?!」
ポカンとバネッサの顔が固まり、フィンラルは声を上げてアスタの肩を掴んだ。
「失くしたの? 盗られたの?! もしそうならまずいって!!」
「落ち着け、フィンラル」
慌てるフィンラルの後頭部を、ソファに座って静観していたヤミが叩いた。ヤミは短くなった煙草を摘まみ、長く息を吐く。
「……ま、あれだ、実家に置き忘れている可能性もあんだろ」
「それもそれでちょっとまずいですよ、団長……」
「手紙で聞いてみろ」
どうせ、入団報告をするのだろう。ヤミの言葉は最もで、アスタは「そうしてみます」と頷いた。
「ケッ、何がニュンペーだ」
話がひと段落したところで口を挟んだのは、マグナだ。彼はポケットに手を入れて、ギロリとアスタを睨んだ。
「最果て村の出身だかニュンペーだか知らねぇが、簡単に黒の暴牛の団員だと認められるか」
凄みのあるマグナに、アスタは僅かに気圧された。しかしこの程度で怯んでいられないと拳を握り、アスタは彼と向き直った。
「お、俺は魔法帝になる男です!! この団で強くなってみせます!!」
「魔法帝に……?」
少々驚いたように目を丸くしたマグナは、ニヤリと口元を歪めた。
「なら、俺を認めさせてみろ。黒の暴牛入団の洗礼の儀でな……!」
キョトンとアスタは目を瞬かせる。その背後で、「またか……」とフィンラルとバネッサは吐息を漏らした。
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