かつて天使だった兄弟たち
・ランギルスともう一人、エルフ化した中に「天使」とつく名前の魔法を使う者がいた、つまりエルフ化を逃れたためにフィンラルの魔法は「堕天使」……? ワンチャンエルフ化あったのでは……?? という頭悪い思考回路のもと生まれた妄想。


夜明けはまだ遠い。眼前に聳える王宮は荘厳だが、憎らしき人間の手で作られたものだと思うと悪趣味だという感想が浮かぶ。
「これはこれは、みんなお揃いで」
同じローブを纏った人間たちが、立ち並ぶ。ニヤニヤと笑みを浮かべながら同胞を見回したラトリは、ふと眉を寄せた。
「……これだけか?」
「他にも、既に行動を起こしている者はいるようだけど」
そこまで言って、ギヴンもふと気づいたように周囲を見やった。
「そう言えば、彼が見当たらないわね」
「……そうだろうさ。あんな甘い奴、憎悪が足りないだろう」
低く吐き捨てて、ラトリは顔を歪めた。思わずギヴンは彼の名を呼んだが、それを振り払うようにマントを払い、ラトリは一人先に夜の闇へと飛び込んでいった。



――……さん。兄さん。
――ラ……リ……。
誰かに耳元で囁かれた気がして、フィンラルの意識が揺れた。水面に漂う糸のように頼りないそれを掴もうと、フィンラルは腕を伸ばす。そのとき、グイと手首を掴まれた。
「――っ!」
息を吐いてハッと目を開いた瞬間、フィンラルはベッドごと横から蹴り飛ばされた。ベッドから転がり落ちたフィンラルは、慌てて起き上がる。
「何だ何だー! ていうか、ここはどこ?! 私はフィンラル?!」
「いつまで寝てんだ、テメーコノヤロー」
不機嫌そうに煙草をふかしたヤミは、フィンラルとベッドを蹴り飛ばした足を下ろした。目覚めたばかりで全く状況が理解できないフィンラルは、目を瞬かせる。ヤミは面倒だと悪態をつきながら、かいつまんで状況を説明した。だんだん途切れる直前の記憶を思い出したフィンラルは、顔を青ざめさせた。
試験で対峙した弟の不可解さが、やっと繋がった。今度こそ助けるのだと意気込んで、フィンラルは頭に巻き付いた包帯を剥ぎ取る。
ふと、フィンラルは自分の手に目を落とした。その様子にヤミは眉間の皺を深める。
「どうした?」
「いえ……」
煮え切らない返事をするフィンラルへ、ヤミはさっさと身支度を整えろとため息を吐いた。
自分の中に残る微かな違和感を掴むように、フィンラルはグッと手を握った。



ラトリは、カゴを抱えて家路を急いでいた。溢れそうなほど色とりどりの花と、艶々した果物たち。これらを持ち帰ったら、彼はどんな顔で自分を迎えてくれるだろうか。それを想像すると、少し足が浮き上がるようだった。
「ご機嫌だね、ラトリ」
声をかけられ、ラトリは足を止めた。道端へ顔を向けると、柔らかい草の上に腰を下ろす二人の同胞を見つけた。
「ルフルとリラか」
足を投げ出して座っていたルフルは、ひらひらと手を振る。その隣ではリラが、筆を持って膝に乗せた紙を睨みつけている。
「お前たちこそ、何してるんだ」
「僕はシャルラ姉さんのお迎え。狩りに行っているんだ」
ルフルは太陽の光を目いっぱい浴びるように腕を広げる。男顔負けの勇ましい女エルフ――シャルラの弟が、こんなに呑気で良いものか。なんだかんだ、シャルラも弟を甘やかしているのかもしれない。
リラはスランプなのか頭を掻きむしって、草に顔を埋めた。
「だめだ……描けない」
「リラ、リヒトの結婚式に絵を贈りたいんだって。でもうまく描けないみたい」
奇妙な行動をとるリルを見やると、ルフルが説明してくれた。特に興味ないことだったので、ラトリは適当な返事をした。
「ラトリのそれは、テティアのブーケの材料?」
身軽にピョンと立ち上がり、ルフルはラトリの抱えるカゴを覗き込む。彼に溢されないよう、ラトリはサッとカゴを持ち上げた。よくよく観察できなかったルフルは、つまらなさそうに唇を尖らせる。
フンと鼻を鳴らして、ラトリはさっさと家路に戻った。
「ただいま」
「おかえり」
すぐに返ってくる声。引き結んでいたラトリの口元が、少し和らいだ。
「兄さん」
扉を開いてすぐ広がる部屋で椅子に座っていたのは、ラトリの兄だ。風に吹かれる草のように柔らかな髪を揺らして、兄はニコリと笑った。
「起きていて平気なの?」
「うん。最近は調子良いし。それに、早く完成させたいしね」
薄い肩にかけたカーディガンを手繰り寄せ、兄は小さく空咳を溢した。
ラトリの兄は、身体が弱い。肺の空気を取り込む力が弱く、喉も炎症しやすいらしい。さらに長時間日光を浴びていると体力の消費が激しいらしく、滅多に外を歩くこともできない。
二つしか離れていないのに世話の焼ける兄だ、とラトリは吐息を漏らした。
「みんなすっかり浮足立ちやがって。リラも絵を贈るんだって頭捻ってた」
「へぇ、リラは絵が上手だからなぁ」
兄の骨ばった指が弄っているのは、たくさんの種類の花々。近々行われるエルフの長の結婚式で、花嫁へ贈るブーケを作っているのだ。結婚式に参列できない代わりに、と兄自ら手を上げた。
「はい、また摘んできたよ」
「ありがとう、ラトリ」
ラトリがカゴを机に置くと、兄は楽しそうに顔を綻ばせた。
ラトリはカゴの中から果物を取り出すと、皮にナイフを立てた。
「パトリなんか、生まれたての雛みたいにリヒトの後をついて歩いているんだぜ」
「パトリはリヒトに懐いているから、結婚するのが寂しいのかもな」
「構ってもらえなくて拗ねているのさ」
クスクスと笑いながら、兄はカゴの中から赤い花を取り上げる。
コンコン、と扉がノックされた。
「失礼、ラトリ」
入って来たのは、噂の渦中のエルフ――リヒトだ。ぴったりとくっつくようにしてパトリと、柔らかい笑顔のテティアもいる。テティアは真っ先机の上の花に目を止めて、嬉しそうに手を合わせた。
「まあ、それ、結婚式のブーケですか?」
「うん」
立ち上がろうとした兄を制止して、リヒトも手元を覗き込む。
「素敵です。ねぇリヒト?」
「ああ。やはり、君に頼んでよかった。リラも手先は器用だが、彼は……どちらかというと芸術的だから」
リヒトは言葉を濁し、肩を竦めた。
「アクセントは何にしようかな。テティア、好きな花はある?」
「花はどれも好きよ。特にエルフの村に咲くものは、王宮で見るものより生命力に溢れているようだわ」
「そうだな」
ふと、リヒトは徐に花の一つを手に取って、それをテティアの髪へと近づけた。それは赤いバラで、ラトリが先ほど摘んできたばかりのものだ。
「これなど、良く似合うよ」
ぽ、とテティアの頬が赤くなる。思わず兄も照れてしまい、ラトリは呆れて吐息を溢した。

ラトリは平和すぎると呆れるところもあったが、決して嫌な平穏ではなかった。テティアの腹にはリヒトとの子どもがいて、二種族の共存へ向けた新たな世界が始まる予感に、心が浮足だっていたのも事実。
何より、そのおかげで兄の体調が落ち着いている点も、ラトリには喜ばしいことだった。

「うん、症状は落ち着いているね」
診察を終え、以前のカルテと見比べながらエルフ一の医師は頷く。兄は嬉しそうに笑って持ち上げていた裾を正した。
「最近は空咳の回数も減っているんですよ。テティアの紹介してくれた宮廷薬剤師さんから貰った薬草が、効いているみたいで」
「人間の煎じた薬草か……私も一度、その人間と話してみたいね」
医師は眼鏡を弄る。医師の言葉を聞き、兄は途端にデレっと相貌を崩した。
「ぜひぜひ! 黒髪が美しい、可憐な女性ですよ!」
「おやおや、君もかい……」
苦笑した医師の視線を受け、ラトリはため息を吐いて兄の肩を叩いた。
「ご心配なく。兄のこれは単なる新しい病気だから」
「ラトリ酷い」
「すっかり女性に目を奪われるようになって……」
「シャルラさんやファナちゃんたちも勿論素敵だけどさ、まさか人間の女性もあんなに綺麗な人ばかりだなんて思わなかったんだよ」
家に引きこもっていた反動か、最近の兄はすっかりこんな調子だ。
「宮廷薬剤師さんもだけど、テティアのお兄さんの部下の……セクレちゃんだっけ? 彼女も可愛らしいよね。烏色の髪が日光を受けてあんなに輝くなんて、知らなかった!」
その様子を思い出したのか、兄はうっとりと目を細める。
まるでリラのような形容詞を使うことにイラっときて、ラトリはもう一度兄を叩いた。薄ら涙を浮かべて睨む兄から顔を背け、ラトリは腕を組む。
兄弟のやり取りに苦笑して、医師は頬を掻いた。
「ま、取敢えず無理はしないようにね。この状態が続けば、結婚式に参列しても大丈夫だろうさ」
「本当ですか、先生!」
飛び上がらんばかりに喜び、兄はラトリに抱き着いた。
「ちょっと、兄さん!」
「楽しみだな、ラトリ!」
はしゃぐ兄に呆れながら、ラトリもまた暖かくなる胸を心地良いと感じていた。

平和で、平穏だ。しかし、それが心地よい。
ラトリの口元は、皮肉以外で緩むことが多くなった。

「良い顔するようになったじゃないか、捻くれ者のラトリ」
そう揶揄してきたのは、ドロワだ。日向に座る彼の膝には、妹のエクラが顔を埋めて眠っている。
「何だよ、妹馬鹿のドロワ」
「俺が妹馬鹿ならお前は兄馬鹿だ」
くあ、と欠伸が聞こえる。どうやら木陰に隠れたところで、ライアが昼寝をしていたようだ。起き上がった彼は頭を掻きながら「どっちもどっちだねぇ」とぼやいている。
「パトリも相変わらずリヒト馬鹿だが、最近じゃ表情が柔らかくなった。人間との交流も悪くないみたいだな」
エクラの耳にかかる髪を指で掬い、ドロワは口元を緩めた。
「……アンタにとってもね」
ポソリとラトリは呟く。
そんな二人のやり取りを聞いていたライアは、目を閉じて深く息を吐いた。

全て、幸運な方向へ流れていると思っていた。二つの四つ葉が手を取って望んだ未来。
それが壊されることになるとは、ラトリたちは誰一人として想像していなかったのだ。



「お前の、兄だ!」
その言葉を聞いたとき、ツキンと頭が痛んだ。いや、先ほどからずっと痛みが続いている。
カーディガンをかけた細い肩。咳をするたびに震える薄い身体。誰かを彷彿とさせる女が王族であることに、ラトリの腹はフツフツと煮えたぎり続けていた。
そこに現れた、またしてもラトリの神経を逆なでする発言をした男――ギリギリと、ラトリは歯を噛みしめた。
その隙を狙って、左右から空間魔法を使って飛び掛かって来る魔法騎士たち。しかし、ラトリの身体を囲う魔法によって、二人は距離をとった。
「せいぜい、愉しませてくれよ……人間!」
目の前で力量さに怯む人間と彼の面影が重なったことなど、認めない。ラトリはグッと手に力を込めた。



「ラトリ」
果物を片手に速足で歩いていたラトリは、テティアに呼び止められた。傍らには、リヒトと、やっぱりパトリの姿がある。
「お兄さんの具合はどう?」
「最近、また芳しくなくてね。先生も、今の状態じゃ参列できなさそうだってさ」
ハレの日に申し訳ない、とラトリが言うと、そんなことないとテティアは首を振った。
「心配ね。薬剤師の方も忙しいようで、中々こちらに来られないようだし」
「ああ、先日、その部下だって人から薬草はもらったよ」
ラトリが言うと、テティアは少し首を傾げた。どうやら、部下がいるとは知らなかったようだ。
「お大事にって伝えてくださいな。それに、式のことなら気にしないで。何なら、式が終わったらお裾分けに訪ねるから」
人間の結婚式では、花嫁のブーケを参列者へ贈るらしい。ラトリの兄が作ったブーケはテティアが譲り受けたので、テティアが用意したもう一つのブーケを持っていくと言ってくれた。リヒトが微妙な顔をして「それは未婚の女性に限るのでは……」と呟いていたが、テティアが気にした素振りはない。
「ありがとう、テティア」
「ラトリに言われると、少しくすぐったいわね」
出会った当初、警戒心むき出しで睨まれていたことを思い出し、テティアはクスクスと笑った。少し居心地悪くて、ラトリは赤くなりかける頬を背けて隠すと、急ぐからと家路に戻った。
ラトリたち兄弟が使う空間魔法は、人間の中でも希少らしい。エルフ特有の高い魔のこともあって、人間たちから服従を迫られることは度々あった。テティアやその兄であるルミエルも、そう簡単に信用できるものではなかったのだ。今は違うと、ラトリも分かっている。
「兄さん、調子はどう?」
「ゴホ、ゴホ」
帰宅すると、数日前から体調を崩した兄は、いつもより酷い咳をしてベッドに座っていた。カーディガン越しでも骨を感じる薄い背中を撫で、ラトリは顔を歪めた。
「先生を呼んでくるか?」
「良いよ、ラトリ。薬剤師さんから貰った薬草はまだあるから」
咳き込みすぎてこみ上げる唾を飲みこみ、兄はヘラリと笑った。
先日、宮廷薬剤師の部下を名乗る人間が持ってきた薬袋。そこから薬草の包まれた薬包を一つ取り出して、ラトリは兄に手渡した。
「あー、薬剤師さんが恋しい……お仕事忙しいんだなぁ……」
女々しいことをぼやいて、兄は薬包を開くと、煎じた薬草を口へ含んだ。それから水差しから注いだ水で、喉の奥に流し込む。
ホッと息を吐く兄を見届けて、ラトリは新しい水差しを用意しようと席を立った。薬草を飲めば、空咳は和らぐし身体のだるさも軽くなると兄は言っていた。
だから、今回もそうなると思っていたのだ。
「ゴホ、」
ガボリ、と粘性を伴った嫌な音が耳をついた。ラトリは慌てて振り返る。
「兄さん!!」
手の平と胸元を真っ赤に染めた兄が、ベッドに崩れ落ちる瞬間だった。
駆け寄ったラトリの腕の中で、兄はヒューヒューと線を引くような呼吸を繰り返す。
「今、先生を……!」
「ラト、リ」
ラトリの腕を掴んで、兄は顔を上げた。目は虚ろで、瞳は濁っている。
「……ごめん、な……でも、怒ら、ない……で」
「兄さんを怒るわけないだろ!」
「……そ……じゃ、なく、て」
血で真っ赤になる唇を動かして、兄はラトリに何かを伝えたいようだった。しかしヒューヒューという空気の音にかき消され、声は届かない。
「兄、さん……?」
ラトリへフッと微笑みかけて、兄は目を閉じた。ラトリの腕を掴む手が滑り落ち、シーツの上に落ちる。
「……兄さん? そんな――兄さん!!」
ラトリが幾ら叫んでも、肩を揺すっても、兄が再び目を開くことはなかった。



矮小な空間しか作り出せないくせに、圧倒的攻撃魔法の使い手の影に隠れるしかないくせに、対峙する青年は後退するそぶりを見せず魔法を展開し続けている。
――俺が、アイツの兄だからです……!
「……くだらない」
防御も攻撃も、ラトリには敵わないちっぽけな空間魔導士。
それなのに何故、こんなにも腹は熱くなるのだ。
「無に還れ――!!」
ギッと睨む青年へ腕を振り上げる。その瞬間、ラトリの目前に先ほど吹き飛ばした筈の攻撃魔法の使い手二人が現れた。
「仲間と一緒に、お前を救う――!!」



式場は、華やかな装飾に溢れていた。リラが描いたリヒトとテティアの絵も、エクラたちが集めた花も、全てが人間とエルフの婚姻を祝福するためのもの。
テティアは彼女の兄から贈られた髪飾りと、ラトリの兄が作ったブーケで飾られていた。白いドレスも見事なもので、これはエルフの針子の自信作であるらしい。
「ラトリ」
リヒトとテティアが、ラトリに気が付いた。ラトリが「おめでとう」と素直に賛辞の言葉を告げると、二人は眉根を下げた。
「すまないな、本来ならまだ喪に服している時期なのに」
「別に。兄さんのブーケを持ったテティアを見たかったし」
「本当に素敵よ、ありがとう」
テティアはふわりと微笑む。
「また後で、ラトリ」
式場の中心で呼ぶパトリの声に促され、主役の二人はそちらへ向かう。二人を見送り、ラトリは小さく息を吐いた。

妹と親友の結婚式は、既に始まっている。焦る心を落ち着かせながら、ルミエルは呼び出された部屋へ向かった。
「あれ、あなたは」
「!」
ルミエルが呼び出された部屋の扉の前で、一人の女性が佇んでいた。
緩くウェーブがかかった黒髪と服装から、ルミエルはテティアが懇意にしている宮廷薬剤師であることを思い出した。向上心が高く、エルフにも人間にも効果のある薬を作りたいと言って、度々エルフの村に薬を分け与えていると聞いた。
彼女は青い顔をして、ルミエルを見やった。そのただ事ならない様子に、ルミエルは眉を顰めた。
「宮廷薬剤師だよね……どうかしたの?」
「王子……」
唇を震わせ、薬剤師はキュッと手を握る。それから突然、ガバッと頭を下げた。
「も、申し訳ございません!!」
「え、え?」
何事かとルミエルは目を瞬かせる。彼の混乱を余所に謝罪の言葉を繰り返しながら、薬剤師は何かを差し出した。震える両手に乗っていたのは、ルミエルも見たことがある、病弱なエルフへ渡していた薬草の袋だった。
「これは……」
「本物の薬草です……彼の身体に合わせた」
「『本物』?」
ヒヤリ、とルミエルの背筋が冷えた。グルグルと回転する脳内が、そう言えば件のエルフは数日前に急に亡くなったと聞いたことを思い出す。ただ身体が弱いというだけだったのに、突然吐血してそのまま容体が急変したと――まさか、彼が服用していた薬草は。
「……薬草庫から、毒になる草が減っていることに気づきました」
気づくのが遅くなり、言い訳などできない。本当に申し訳ない、と薬剤師は地面に額をつけんばかりに平伏する。
ゾッとルミエルの足元から脳天にかけて冷たい風が吹きあがった。
彼のエルフは確か、珍しい空間魔法の使い手だ。他に、その弟ともう一人同じ空間魔法を使うエルフがいるとは聞いているが――その希少さと魔法の正確さを恐れた王族の誰かが、わざと毒を盛ったとしたら。
「っ!」
そこまで思考して、ルミエルは乱暴に部屋の扉を開いた。
「父上!」
ルミエルの声が、王宮の部屋に響く。直後、ルミエルは黒い鎖で戒められた。

世界全体を燃やすような、『星』が天へ上がった。

茫然と光の雨が降り注ぐ空を見上げる弟。座り込む彼の足元で、姉はか細い息で横たわっている。
「なんで……姉さん、なんで、人間はこんなことするのかな?」
「ルフ、ル……」
「僕たち、仲良くなれるんじゃなかったの?」
堪らず、姉は傷だらけの身体を起こして弟を抱きしめた。
「っすまない、私が弱いばかりに……すまない、ルフルっ……」
姉の温もりに抱かれながら、弟はこちらへ向かって降り注ぐ光の雨から目をそらさずにいた。

「エクラ、大丈夫だ、兄ちゃんがいる」
血の滲む腹を隠しながら、兄は妹が惨状を目にしないよう固く抱きしめる。妹はそれを察して、広い胸板に顔を埋めた。
「うん……私は、お兄ちゃんと一緒……」

「リヒト、さん……」
身体が痛い。魔が奪われて動くこともできない。地面に身体を横たえたまま、パトリは懸命に手を伸ばした。
憧れた彼が、愛する者の亡骸を抱えて絶望に咽ぶ、その背中へ。

「くそ……人間め……」
空間を抉り取ろうにも、魔法が使えない。灼ける背中の痛みに呻きながら、ラトリは地面を這った。
「許さない……嘘つきめ……」
離れた小高い丘に集まる人間の影。ここからでも分かる嘲笑する姿に、ラトリは全てを察した。
兄に、毒を盛ったのだ。救ってみせると甘言を吐いて近づいてきた人間が、最後は裏切ったのだ。
「はは……やっぱり、人間なんて」
指示したのは、リヒトの親友であり、テティアの兄であるあの男だろうか。彼しかこの場所は知らない筈であるし、薬剤師の女は王族に雇われている身だから間違いないだろう。
「許さない……信じていた奴らを、騙しやがって……」
ギリ、と血の味がする口を噛みしめ、ラトリは地面に爪を立てた。幾人ものエルフの血を吸っていた地面は柔らかく、容易に爪痕がついた。
――……ごめん、な……でも、怒ら、ない……で。
「無理だよ……兄さん……」
今になって、最期の兄の言葉の意味が分かった。
兄は察していたのだ、最期に自分が飲んだ薬は毒で、人間側の誰かがわざと盛ったことを。それでも、お人よしの兄は人間を恨まず、ラトリにもそれを望まなかった。
しかし、兄の最期の願いは叶えてやれない。
「……してやる――抉り殺してやる、人間……!!」
魂だけになろうとも、いつか根絶やしにしてやる。最期の瞬間、ラトリの身を焼いたのは魔法攻撃による熱ではなく、憎しみの炎だった。



「こっちへ来い、ランギルス!!」

闇の中で膝を抱えて蹲る青年。その背中の、なんと小さいことか。
彼の前には、とあるエルフの半生が映像となって流れ続けている。しかし青年がそれに目をくれた様子はない。
その背中を見下ろす位置で、ラトリは立ち止まった。
「……お前にも、兄がいたのか」
それがまさか、ラトリ自身の兄の転生先になっていたとは思わなかった。
己の半生の映像の片隅に、ちっとも知らない風景が流れている。ラトリの宿主となった青年の記憶だろう。
転生したエルフたちは、皆人間たちに強い憎悪を抱いている。それが、転生する条件であるとラトリは思っていた。兄はリヒトと同じく人間が大好きで、心からのお人よしだった。それに魔法は物や人を移動させるだけの無害なもので、戦うには向いていない。
どうやらラトリの宿主の兄の中で、ラトリの兄の自我ははっきりと目覚めていないようだった。それは人間に対する憎悪が薄いからか、彼に人間と戦う意思がないからか。
「半分当たりかな」
不意に、背後から声が聞こえた。驚いたラトリだったが、驚きすぎて身体が硬直してしまったらしく、動けない。
「俺の宿主の身体には、体内を巡る別の魔力があったんだ。血液に作用して治癒する魔法みたいで……そのせいもあって、俺もすぐには動けなかった」
しかし、声を――願いを――届けることはできたようだ。いや、ただ目的が一致しただけで、向こうはこちらの存在など微塵も気づいていないかもしれない。
「やっと、こうしてお前のところへ来られた」
暴走したラトリを空間魔法で引き寄せ、殴り飛ばした瞬間。魔同士がぶつかったからか、こうしてラトリの精神へ干渉することができた。
そんな説明をしながら、背後に現れた気配は近寄って来る。
「怒るなって言ったのに、捻くれ者め」
脇で固く握られたラトリの手に、そっと白く細い手が重なった。
「でも、ちょっと嬉しかった。泣いてくれてありがとう、ラトリ」
「――兄さん」
「もうその辺にしとけよ、ラトリ。本当は分かっているんだろう」
兄に毒を盛ったのも、リヒトたちを騙して皆殺しにしたのも、確かに人間だ。けれど、今の世界を生きる彼らではない。憎しみが全て消えることは難しいだろうが、既に魂だけの自分たちが今を生きる彼らの身体や世界、関係性を壊す権利はない。
「……兄さん」
ラトリは顔を上げた。泣きそうに、歪んだ顔を。それを見てクスリと笑い、彼は親指で頬を拭った。
「うん。俺はずっと一緒にいるよ、ラトリ――」
ラトリが兄の胸に飛び込んだ瞬間、暗い闇を白い光が覆った。

背後で交わされる会話に、青年は思わず顔を上げる。振り返った先に声の主である二人はおらず、代わりに見覚えのある空間魔法が開いていた。
「手のかかる弟だよ、まったく」
呆れたような、苦笑したような声がして、そこから腕が伸びる。
ランギルスは、スと腕を持ち上げた。



ハッとフィンラルは我に返る。長い兄弟の白昼夢を見ていたようだ。己の中の違和感が弱くなっていることに気づき、フィンラルは思わず胸へ手をやる。しかし、すぐにそんなことをしている場合でないと足を進めた。
「ランギルス……!」
自分が思い切り殴ったことで気を失った弟が、瓦礫の間で転がっている。
「俺が弱いせいで……遅くなって、ごめん……」
その傍まで歩くと、病み上がりのフィンラルも限界が来て、ぐらりと膝をついた。
「やっと……お前の、手……を……」
パタリ、とフィンラルは倒れこんだ。
仰向けに転がったランギルスの手に、自分のそれを重ねて。



簡単な自己設定(というか妄想)
・ラトリ16歳、パトリ15歳。ラトリの兄は+二歳差。
・ラトリの兄の容姿は、新章フィンラルのイメージ。病弱。
・国王付きの薬剤師のイメージ像はフィーネスさん。
・「私はフィンラル?!」は、エルフのフィンラルと混じって混乱してた。
・ラトリ兄はそれほど人間を憎んでいなかったし、フィンラルの身体に魔女の血液治癒魔法の影響が残っていたから、乗っ取られることはなかった。
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