scene01
夜の街に、砂煙がゆっくりと漂う。
大きな亀裂の入った道路、赤と青に点滅を繰り返すばかりの信号機。道路へ架かる歩道橋の下にはオレンジの巨体をした恐竜がいて、相対する緑の巨鳥が大きくその翼を広げた。
ピ―――――――――
空を刺すような、真っ直ぐと力強い笛の音がして、数瞬後、それと比べものにならぬほどの轟音が大地を揺らした。



冷夏の青



2004年の夏は、近年では珍しい冷夏であった。
中学へ進学した本宮大輔は、その日、相棒のチビモンと共に、ぼんやりと横断歩道で信号待ちをしていた。夏休みだからとダラダラしていた大輔は、姉のジュンに家から追い出されたのだ。暇なら図書館で勉強して来い、ついでにコンビニで牛乳を買ってこい、と完全に狙いは後者だろうと怒鳴りつけたくなる言葉を最後に、本宮家の扉は閉じられた。
今思い出しても、イライラと腹の底が煮える。あー、と淀んだ声を出して頭を掻いた。そんなときだ。対岸を歩く、よく見知った二つの背中を見つけたのは。
「あ、ヒカリちゃん、太一先輩!」
途端にトーンを変えた大輔の大きな声は、随分先を歩く兄妹にしっかり届いたらしい。二人は揃って足を止めて大輔の方へ視線をやると、顔を見合わせてクスリと笑った。
大輔は信号が青になるのを見届けてから、二人の元へと全速力で駆け寄った。
「よぉ、お早う」
「お早うございます!」
「大輔くん、元気ね」
夏休みでも二人で出かけるとは、本当に仲が良い。ヒカリの言葉にデレデレとだらしない顔をして頭を掻きながら、大輔は自分の姉とは大違いだとこっそり吐息を溢した。
「二人は買い物に?」
「ううん。ちょっとお迎えに」
お迎え?と大輔が首を傾げると、何が可笑しいのか太一とヒカリはニヤニヤとした笑みを浮かべる。
「大輔くんも知ってる人よ」
「え?」
きょとん、と大輔が目を瞬かせたそのとき、背中に軽い衝撃が起こった。
「Hey! How you doing, Daisuke?」
流暢な英語と、聞き覚えのあるこの声は。
大輔は驚きで目を見開き、慌てて振り返った。そこに立っていた人物に、大輔だけでなくチビモンも息を飲む。
「ウォレス?!」
「グミモンも!」
「Hi! Good to see you again!」
「久しぶり〜チビモン」
長く柔らかそうな耳をユラユラ揺らす、ウサギに似たデジモンと、それを抱えた金髪碧眼の少年。嘗てアメリカで出会ったときのように、リュックサックを背負ったウォレスとグミモンが、そこに立っていた。
ぱくぱくと口を開閉するしかない大輔を見て、ウォレスは悪戯っぽく笑った。クスクスとした笑い声は大輔の隣からもして、そこでやっと彼は、太一とヒカリもウォレスと同じように笑っていると気が付いた。
「ど、どういうことだよ」
「前に、ボクが日本人の女の子と文通してたって言っただろ」
コクン、と大輔は頷いた。京が何処で日本語を習ったのかと訊ねたとき、彼はそう答えていた。首を傾げるように髪を揺らし、ヒカリは大輔を見上げた。
「その女の子って、私なの」
最も、2002年の時点では、ヒカリはウォレスがペンフレンド相手とは知らなかった。何となく再開した文通の中で、お互いが、あのとき出会ったデジモンを連れた子どもだと知ったのは、つい最近のことだ。
「ちょっと待てよ!お前、あのときガールフレンドに教えてもらったって……!」
「ウン、ヒカリは女の友だち(ガールフレンド)だからね」
大輔は思わず歯噛みした。一杯食わされた気分である。顰めた大輔の顔を見て、ウォレスはニヤニヤと笑った。
「ここまで迷わなかったか?」
パーカーの腹ポケットに片手を突っ込んで、太一はヒラリともう片方を振る。ウォレスは小さく肩を竦めて No, problem. と呟いた。
「アメリカより道は狭いし、そこまでごちゃごちゃした建物もなかったからね」
「嫌味かよ」
「そうとっちゃうところが、ダイスケだよね」
「何!」
噛みつくように食って掛かる大輔を軽くあしらい、ウォレスは太一へ視線を戻した。大輔の様子にクスクスと笑いを溢していた太一は、そう言えば、とウォレスを見やる。
「まだ、光子郎には会ってないよな」
「ウン、駅から真っ直ぐ来たからね」
「光子郎さん?」
大輔は、はて、と首を傾いだ。何故そこで、彼の名前がでてくるのだろう。その問いに答えたのはヒカリだった。何でも、ウォレスと光子郎はネット上の知り合いで、度々光子郎の口から登場する『ロスのチャット仲間』とは、ウォレスのことであったらしい。
「大輔くんも行く?」
世界は狭いものだと感心していた大輔は、ヒカリが顔を覗きこんでいたことに気づき、大仰に身を引いた。かかか、と頬に熱を溜める大輔に、ウォレスはやれやれと肩を竦める。その余裕そうな態度に頬を引き攣らせながら、大輔は大きく頷いた。
彼の返答に、ヒカリは嬉しそうに微笑み、大輔はまたへらりと破顔する。
「ダイスケ」
ふわり、と聞き覚えのある声が鼓膜を撫でた。大輔がハッとして息を飲むと、頭に乗るチビモンも驚いたように目を見開いていた。ウォレスは柔らかく笑んで、大輔の背後を示すように顎を動かした。大輔は慌てて振り向き、ぎゅっと眉間に皺を寄せる。その、何かを堪えるような顔に、クスリと小さく笑う声が一つ。
「なっちゃん……!」
いつあの夏に出会った少女は、そんな大輔にニコリと笑って小首を少し傾いだ。

「本当に久しぶりだね、なっちゃん」
「マタアエテ嬉しいよ」
「そうね、私もよグミモン、チビモン……今はブイモンって呼んだ方が良い?」
どちらでも良いと言って、ブイモンは実に嬉しそうに目を細める。現在のパートナーに貰ったものだという白いワンピースの裾を揺らし、なっちゃんはグミモンの柔らかい頭に抱きついた。
そんな三匹のやりとりを、ガブモンたちは、警戒半分興味半分な様子で遠巻きに見ていた。ふと顔をあげたなっちゃんと目が合うと、ガブモンたちはビクリと肩を飛び上がらせる。それから恐る恐る、距離を縮めていく。相も変わらず実は臆病なパートナーの様子に、ヤマトはついつい苦笑を溢した。
あの後、折角だからとヒカリは、他の選ばれし子どもたちへも連絡を入れたらしい。大輔が彼女たちと光子郎の家を訪れ、彼のパソコンからデジタルワールドへ足を踏み入れると、既にそこにはタケルたちがいたのだ。
少々頬を膨らめる大輔を見て、タケルは相変わらずだなぁと苦笑を溢した。そんな大輔の背中を、ミミが強く叩く。
「もう、辛気臭い顔しないでよね!折角このミミさまが可愛い制服姿を見せてあげてるのに!」
ねぇ!と強い口調で同意を求められた丈は、すっかり草臥れた様子でぎこちなく頷いた。彼の肩にしな垂れかかるゴマモンは、パートナーの様子に呆れてペチペチと鰭で叩く。そんな彼を賢は気の毒そうに見やって、空はクスクスと笑った。彼らのパートナーは、すっかりなっちゃんやグミモンと打ち解けて、仲良くじゃれあっている。
前につんのめった大輔がミミの方を振り返ると、仁王立ちした彼女は、大輔たちの見知った緑の制服に身を包んでいた。隣に並んだ京が、嬉しそうに笑って頬に手を当てる。
「まさかミミお姉さまと同じ中学に通えるなんて」
「一年だけだけどね〜」
膝上でヒラヒラ揺れるスカートを摘まんで、ミミは満足そうに笑った。
現在アメリカ在住の彼女は、秋から日本のお台場中学校へ転入する予定なのだ。
「ミミ、すっごく可愛いよ。よく似合ってる」
「ありがとう、ウォレス。相変わらずうまいわね」
「本心だよ」
恥ずかし気もなくサラリと言葉を吐くウォレスの横で、大輔はべぇと舌を出した。
「相変わらずだなぁ、ミミちゃんもウォレスも」
「そうですね……」
大輔たちの様子を少し離れた木陰から眺めていた太一は、カラカラと笑って膝に乗るアグモンの頭を撫でた。彼の左肩にはヒカリが頭を寄せて座り、テイルモンと共に心地良い風に目を細めている。太一の右方に座る光子郎は、膝に閉じたままのパソコンを乗せて、テントモンと共に同意を返した。太一と光子郎の間には、ちょこんと伊織が座っていて、彼はアルマジモンと手遊びを繰り返している。
うとうとしかけるアグモンにクスリと笑って、太一は空を見上げた。
データの配列とは思えないほど、そこには美しい青が広がっていた。
「……」
「タイチ〜?」
呂律の回らないまま、アグモンは太一をぼんやりと見上げる。太一は少し視線を落として、そっとオレンジの頭を撫でた。
「平和だなぁ……」
肌を撫でる心地良い風に、太一はそっと目を閉じた。

「タイチ」
パチリ、と太一は目を開いた。今し方聞こえてきたのは己の名であるが、その声は聞き覚えないものであった。
目の前にいたのは、ガブモンに似たデジモン。しかし色が薄暗く、別種であると思われる。
まどろんでいたヒカリも目が冴えたようで、興味深そうにそのデジモンを見つめていた。
「タイチ、と、ヒカリ」
デジモンは視線を動かし、ゆっくり確かめるように口を動かす。
何故、こちらの名前を知っているのだろう。太一は眉を寄せ、そっとヒカリを庇うように腕を伸ばした。伊織と光子郎も、僅かに警戒を滲ませてデジモンを見つめている。
目を覚ましたアグモンが、目を擦りながらムクリと身体を起した。
「タイチ?」
アグモンのその言葉とほぼ同時に、太一とヒカリの背後に黒い穴が空いた。
「―――!」
ゾクリ、と太一たちの肌が泡立つ。ぐん、と背後に引かれる感覚がして、太一は咄嗟にアグモンとヒカリの腕を掴んだ。
「ヒカリちゃん!太一さん!」
異変に気付いたタケルが、鋭い声を上げて駆けだす。大輔も太一たちの方を見やると血相を変え、タケルの後を追った。
太一はグッと歯を食いしばり、両手に掴んだアグモンとヒカリを、タケルに向かって思い切り投げ飛ばした。
勢い良く飛ばされたヒカリは、しかしタケルにしっかりと抱き留められたので、衝撃は幾分軽く済んだ。アグモンは頭から大輔の腹に飛び込み、それを予想していなかった彼と絡まったまま、地面に転がる。
「お兄ちゃん!」
「太一さん!」
身体を起さぬまま、ヒカリが引き攣った声を上げる。
光子郎はパソコンを乱暴に捨てて立ち上がると、何処からか吹く向かい風に邪魔されながらも、懸命に腕を伸ばした。黒い穴に溶けていく太一も、それに気づき腕を伸ばし返す。
あと数ミリで指が触れる―――しかし虚しく、互いの指は掴まらぬまま、太一は穴へ落ちていった。
「……っ!」
光子郎は顔を歪め、伸ばした手を握って地面を殴りつける。
「お兄ちゃん―――――!」
太一を吸い込むと同時に穴も消え、ヒカリの悲痛な叫びだけが青々とした空に響いた。



(20150703)
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -