BLOOD memorial
(グリレ)

久し振りの戦闘任務だった。単に人手が足りなくて駆り出された任務で、イノセンスは発見出来ず、しかしアクマには遭遇した。相手は五体で、こちらはゴールドとグリーンの二人のみ。雑魚相手ではお釣りがくるくらいだったというのに、暫くデスクワーク漬けで鈍った身体はすぐに息を上げてしまった。大きく息を吐いて額に手をやると、浮かんだ汗が触れて気持ちが悪い。帰ったらまた鍛え直しだと呟いて、グリーンは武器の発動を解いた。
「……危ない!」
切羽詰まった声が聞こえる。ふ、と頭上に影ができた。見上げた先には、最期の足掻きとばかり、壊れかけの腕を振り上げるアクマの姿。
「……っ」
こんな気配に気がつかないなど、やはり鈍ったか。頭の片隅でそんなことを考えながら、飛び散るアカを目で追った。



父は、エクソシストだった。早くに病死した母の顔も、アクマとの交戦で命を落とした父の顔も、当時幼かったグリーンは覚えていない。支部長だった祖父とその助手を務めていた姉は忙しく、扶養者のいないグリーンを教団は当然のように引き取った。それだけ聞けば慈善事業のようにとれるが、教団の本当の目的は適合者の血縁者を使って新たに適合者を生む人体実験の被検体を手に入れることにあった。
「うあああ!」
「立て、もう一度だ」
毎日得体の知れない薬を飲まされ、身を引き裂かれるような苦痛を抱えたまま、戦闘訓練。相手は同じ実験体の子供だ。耐えきれずに死んでいく者を、何人も見た。皆、最期には人外の容をとって、狂い叫びながらその命を終えていく。化物のようなそれらを、研究者達は冷めた目で見下ろしていた。
「また、咎堕ちだ」
そう低く呟いて。
運が良いのか悪いのか、長く教団にいるというのに、グリーンが咎堕ちすることはなかった。それも後に適合者と判明した際に納得出来たのだが、研究者たちはそれを成功の兆しととっていたらしい。日を追うごとに、実験の厳しさは増していった。

あの日は朝から、気分が悪かった。前日に飲んだ薬のせいだろうと、検討はついた。いつもと違い、鉄のような風味が強かったのだ。
(ムカムカする……)
いつもなら実験でクタクタの身体は睡眠を貪る夜半時、寝付けないグリーンは静かな廊下を、灯の頼りもなく歩き回っていた。
だから全ては偶然だった。あの部屋を見つけたのも、そこで彼に出会ったのも。
(……声……? 誰かいるのか……?)
全ては偶然という名の、必然。
「……」
隙間から覗くと、暗闇の中に浮かび上がる白い肢体。部屋の中で椅子に腰かけた少年の姿に、グリーンは目を惹かれた。同い年くらいだろうに、グリーンと比べると少年は幾らか華奢だった。実験のせいで痩せ細った者は何人かいたが、少年は彼らのようでもない。うっすら開いた赤い瞳がグリーンを捉えて、柔らかな笑みを湛える。見つかったことによる焦りもあったが、別の理由からグリーンの心臓は早鐘を打った。彼は特別なのだと、久方振りに見た曇り無き笑顔に思わされた。
「来い、レッド」
その時、部屋から低い男の声がして、グリーンは咄嗟に身体を強張らせた。その少年は了承の返事をするとグリーンに背を向け、肩越しに視線だけやって小さく手を振った。
『バイバイ』
彼の唇が確かにそう動いた。

「レッド? 知ってるわよ」
寧ろ知らないことの方が驚きだとおどけて、ブルーは手の中でスプーンを回した。そうなのかと首を捻り、グリーンは食事である固いパンを頬張る。
「あんた、私よりも長くいるくせに。本当他人に興味ないのね」
溜息を吐いて、ブルーは薄味のスープを飲み干した。まるで監獄のようなここで、彼女のような性格の人間は珍しい。開き直らなきゃやっていけない、というのが彼女の持論らしい。実験のせいで鬱ぎ混む者の多い中でまともに話せるのはお互いだけなので、グリーンとブルーはこうして暇がある度に話している。いつもはブルーが一方的に話すだけであり、今日のように、グリーンから話題を提供することは珍しかった。
「で、誰だ」
「エクソシストよ。寄生型の」
胡散臭さに、グリーンの眉が潜められる。エクソシストが、どうして被検体ばかりの階にいるというのだ。さらに彼の服装は、被検体である自分たちと同じものだった。
「なんか特別らしくてね、血がイノセンスだって。だからそれを使って実験を……ほら、私たちがいつも飲んでるあの薬。あれ、その子の血が混ざってるんだって」
「……」

グリーンの顔が苦々しげに歪められる。通りで鉄の味がするわけだ。向かいで涼しい顔をしているブルーを一瞥して、グリーンは口元を手で覆う。意識し始めたからなのか、どくり、と心臓が疼いたような気がした。
「ま、私はもう飲まないけどね」
「……? なんで」
「昨日保護されたイノセンスと、適合したのよ」
だからもうこんな所とはおさらばだと、笑うブルーの顔が、霞む。
「? グリーン」
口と胸を掴んで、グリーンは身体を折り曲げる。心配して肩を揺するブルーの手の感触も、呼びかける声すら、遠くなっていった。

「……ーン……グリーン!」
唐突に、意識が浮上する。医務室のものらしいベッドに寝ていたグリーンの視界に映り込んだのは、久しく見ていないレッドの泣き顔だった。
「レッド……」
名前を呼び返すと、目覚めたことに安堵したのか、彼の嗚咽が酷くなる。グリーンが身体を起こすと、涙でぐちゃぐちゃの顔をシーツに押し付け、レッドは声を上げた。子どものようなその姿に苦笑して、グリーンは彼の黒髪を指で掬う。アクマに攻撃された腹はまだ痛むが、治療されているらしく、動かしにくい程度で然程気にはならなかった。
「……ごめん」
泣声が収まり、代わりに弱々しく涙に濡れた言葉が聴こえた。顔を上げたレッドの目は泣いたせいで真っ赤に腫れている。いつも笑顔の彼とは、大違いだ。
「何が」
「グリーンもこんな気持ちだったんだな」
グリーンがアクマに腹を貫かれ、意識不明のまま帰還したと聞いた時、心臓が止まるかと思った。医務室で眠るグリーンのもとまで走って、目覚めぬ彼の手を握る間、生きた心地がしなかった。そこで思ったのだ。いつも無茶する自分を出迎えてくれていた彼は、今の自分と同じ心境だったのではないかと。
「……分かればいい」
目を閉じ、ポンポンと頭を撫でてくるグリーンに、レッドはいつも励まされてばかりだ。しかし同じことをグリーンも思っているということを、二人は知らない。
あの時、ブルーとの会話の途中で倒れたグリーンは、その日教団に持ち帰られたイノセンスと共鳴していた。全て後から知った話だが、レッドの血を与えられて耐えたのは、適合者であったブルーとグリーンの二人だけだったらしい。残りは皆、息絶えた。
研究員の一人だったマサキ曰く、咎堕ちとは神と無理矢理同調しようとした人間に下される罰であり、グリーンとブルーは神に選ばれた者であったから、その程度で済んだのだとか。イノセンスである血を取り込ませて、レッドのようにとはいかないまでも、量産出来る兵士を造るのが目的であったその研究は、グリーンの祖父が室長に就任すると同時に中止、資料もすべて破棄された。全貌を知るのは、研究に携わりながらその目的に絶望し、反抗的な態度をとったことで幽閉されていたマサキと、直接研究員と関わっていたレッドだけだ。
実験は『第二使徒計画』と呼ばれていた。
「グリーン?」
黙り込んだグリーンを、レッドは不思議そうに見上げる。回想から我に返ったグリーンは気にしないよう言って、レッドの髪を梳く。くすぐったそうに目を細めるレッドの様子に、シンクロ時とは違う動悸が、グリーンの胸で鳴る。す、と頭から頬へ手を滑らせて、グリーンはレッドの顔に影を落とした。ぱちりと瞬きする真紅の瞳が、グリーンの気難しそうな顔を映す。
「……」
レッドと二度目に出会ったのは、それから少ししてからのことだ。奇しくも、グリーンの初任務時だった。一瞬だけとも言える一度目の邂逅を、やはり彼は覚えていなかった。肩を落としつつ遂行した任務で、グリーンは足場を崩し、その隙をアクマに狙われた。そんな彼を庇って、レッドは怪我を負ったのだ。レッドの血がついた手を見てグリーンの中に走ったのは、紛れもない死への恐怖だった。死によって腕の中のレッドを失う、喪失の恐怖だった。
そんな恐怖に震える身体に、小さな温もりが触れた。
『ごめん……ごめん』
何故、謝ったのだろう。泣いていたからか、震えていたからか。それは、レッドだって同じ筈だった。
それが、グリーンの誓いの原点だ。涙と血で濡れる頬へ手を添えて、柄にもなく泣き顔を曝して、誰にでもない目の前の彼へ誓った。
『……お前は、俺が……』
「護る」
自然と、互いの瞼が降りる。どちらからともなく寄せ合った唇は柔らかく、暖かかった。

「今日は赤飯かしら」
「ブルー先輩……良い性格してますね」
医務室の前の壁に張り付いて陽気な笑い声をたてるブルーと違い、隣のゴールドは面白くないと言いたげに顔を顰めている。出来ることなら、扉が全開で廊下から丸見えだということを、部屋でいちゃつく二人に大声で教えてしまいたいくらいだった。
「ま、幼馴染みのよしみね」
ブルーは悪戯っぽく笑う。頬を膨らめ彼女から顔を背けたゴールドは、不意に強く背中を押された。
「ちゃんと後輩も応援するわよ」
真っ赤な顔の想い人がいる部屋へ放り込まれたゴールドは、後ろから聴こえるそんな声の主に、ただ楽しんでいるだけだろう、と叫び返してやりたくなった。
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