聖者は言った「私は今後葡萄の実から作ったものを飲むことは決してあるまい」
「きみと歩く未来」の続き
お酒はあまり進んで飲む方じゃない。それは彼も同じで、こうきが寝てから二人で一つの缶を開ける程度だ。しかも一ヶ月に二三度の割合で。
だから彼はお酒が苦手なんだと、思っていた。
***
「これはまぁ…」
どういう状況でしょうか。溜息に溶けた後の言葉を察してか、高尾くんは苦笑する。
場所は築十数年のマンション五階、僕の家の玄関である。その小さな段差に凭れかかるようにして光樹くんが、高尾くんの肩には桜井くんが、共に目を回していて、どうやら意識はないようだ。笑う高尾くんからは、お酒の匂いがした。
「いやさ、居酒屋で飲んでたら良ちゃんが酔い潰れちゃって」
「まぁ予想はしてました」
噎せるような酒臭。どれだけ飲んだんだろう。幸いにも明日が休日だ。
全く、と呟いてフローリングに突っ伏す光樹くんの肩を揺する。しかしこちらも予想通りと言うべきか、小さな唸り声しか返ってこない。
「もう、飲み過ぎですよ」
水を持って来ましょうかと独り呟くと、高尾くんは間抜けな声を上げ、目を瞬かせた。
「みっちゃんは飲んでねーよ?」
今度は僕まで目をぱちくりさせてしまう。みっちゃんとは高尾くんしか呼ばない光樹くんの愛称だ。なんでも、名前の読み間違いから発生したとか。
「良ちゃんの愚痴に付き合うついでに、って俺は飲んだけどな。みっちゃんはずっと烏龍茶だぜ」
驚く僕が面白かったのか、高尾くんは口で弧を描いて説明してくれた。
「え、じゃあこれは…」
「酔った良ちゃんが暴れて。それを落ち着かせようとしたら」
二人して床にどーん。そん時に頭打っちゃったらしくてなー。たん瘤出来ちゃったけど、異常はねぇぜ。気絶はしちゃったけど―――――
高尾くんの説明に、しかしそれでも驚きと疑問は残る。だって光樹くん、免許は持っているがペーパーで車も持っていない。お酒を断る理由はない筈なのだ。
僕の反応は高尾くんにとっても驚きだったようで、彼は少し困ったように頭を掻いた。
「まぁ、みっちゃんに前聞いたことあんだけど…」
何故酒を飲まないのか。弱いわけではないのだろう、と若干酔った高尾くんが問い詰めると、光樹くんは少し困ったように笑って、肩を竦めて見せたそうだ。
―――前に失敗しちゃったから
「『もう懲りた』んだってさ」
じゃあ俺良ちゃん送るから―――すっかり力の抜けた桜井くんを引きずり、高尾くんは去って行った。
それを見送り扉を閉めた僕は、まだ玄関で苦悶の表情のまま気絶する彼を見下ろす。時折溢れる寝言を聞くに、余程の悪夢でも見ているのだろう。
「…全く」
膝を折ってしゃがみ、ぶつけたのだろう、僅かに赤い額をぺちりと叩く。
「真面目な旦那様ですことで」
僕の指は冷たく、彼の額は暖かい。その温度差が心地好かったのか、彼の頬が少し弛んだようだった。
fin.