きみと歩く未来
(降黒♀妊娠)



17の夏、俺は、一生償い切れないかもしれない程の、罪を犯した。

「…は?」

喉が乾いて、そんな情けない声しか出せない。呆然とするしかない俺の前で、しかし黒子はいつもの無表情のまま、

「…すみません」

目を伏せ、そっと自身の腹を撫で上げた。

***

それは、何の集まりだったのか。同級生数人で菓子やら飲物やらを持ち寄って、近くの土手に星を見に行ったことがある。

誰かの悪戯だったのだろう、ジュースの缶の中に混じっていた酒を、その時の俺は知らずに、手にとってしまったのだ。ジュースだと思って一気に煽れば喉を焼くような熱。俺は思わず口の中の物を吐き出した。甘い桃の香りがするそれは、丁度俺に声をかけようと近づいた黒子にかかり。

自分でもこんなにアルコールに弱いなんて、思わなかった。何度か噎せて、ぼんやりとした顔を上げれば、そこにいたのは酒をかぶった黒子で。濡れた所為で胸に張り付いた白いブラウスに、俺は無意識に喉を鳴らしていた。

仲間達から少し離れていて、しかも黒子が抵抗しないから。そんな言い訳を並べ、俺達は眩しいくらいの星空の下、地面に寝転がった。

それは確か、三ヶ月くらい前のこと。けれど未だに信じられなくて。

「…本当に、俺の…?」

黒子は小さく、本当に小さく瞳を揺らしたのだが、この時の俺はあまりの状況にテンパって、その反応に気づくことができなかった。黒子はきゅ、と唇を引き結んでベビーブルーの髪を揺らした。

「―――はい」

安心して下さい。責任とか、とって貰わなくて大丈夫です。ただ―――

(『産ませて下さい』か…)

黒子の声と顔を頭の中で再生しながら、俺はほぅと息を吐く。そんなこと、俺に聞かなくていいのに、とあの時と同じ言葉を心の中で呟いて。

暫くして黒子はバスケ部を止め、高校も退学した。そしてその三日後、俺は何故か部室で部員に囲まれ正座していた。

頭から降り注ぐ無言の威圧感に、冷や汗が止まらない。顔を上げることすら出来なくて、俺は床を見つめて膝の上で拳を握り締めていた。

「…降旗」

ドスの効いた日向キャプテンの声。びくりと肩が飛び上がる。何で正座させられてるか解るか?―――はい!存じております!全力で首を振る。全て話せと笑顔で脅すカントクに促され、俺は大分躊躇った後、あの夏のことから話した。

部室は嫌なくらい静かで、俺の声が煩わしい程。話が黒子との最後のやり取りに差し掛かると、それまで大人しく聞いていた火神がダン、と足を踏み鳴らした。

「なんでそんなこと言った…!」
「火神…」

落ち着けと制する日向先輩を押し退け、火神は俺の胸ぐらを掴み上げた。

「黒子が…あいつが、お前以外とそんなことするわけないだろ!」
「…ぁ…」

―――本当に、俺の…?

(あの時の、あれは…)

―――…はい

腹が熱い。怒りか悲しみか、そんなことすら解らなくなって。情けない俺は、彼女でさえ我慢していた涙を、人前でみっともなく流してしまった。

(本当、最低だ…)

あれから二年。高校を無事卒業した俺は、都外の大学に進んだ。あの日から一度も、独り暮しをしてからは余計に、黒子のことを考えなかった日はない。

もし、もう一度あのやりとりを交わすことが出来たとしても、俺は多分何も出来なかった。17歳では、結婚はおろか経済面の扶養だって不可能だ。それに、俺達は若すぎた。色々と。

だからってこれが良かったなんて思ってない。もし、こんな俺の願いを叶えてくれる神様がいるなら、どうか―――

「こうきくん!」

そんな声が耳に飛び込んできたのは、とある公園の前だった。平日の昼間ではあったが、楽しげに遊ぶ親子の姿が見受けられた。その声に聞き覚えがあったから。もう、姿は見失わなかった。

「おかーさん」
「もう、危ないですよ」

砂場で転んでしまったのだろう、寝転がる子供の脇に手を入れ、立ち上がらせる。青い服についた砂を、白い指先が丁寧に払い落とした。立ち上がった時、ふわりとベビーブルーの髪が揺れた。じっと見つめていたからか、水溜まりの瞳がこちらを向いて、溢れ落ちてしまいそうな程大きく開かれる。

「…くろ、こ…」
「降旗、くん…」

離れた位置で見つめ合う俺達を、『こうき』という名らしい子供が不思議そうに見上げていた。

「おーい、テツー、こうきー…って、」

何でこいつがいるんだ。呆然としながらも、そんなことを考えた。突然現れたそいつに、こうきは嬉しそうな笑顔を浮かべて駆けよっていく。

「…なんで、そいつが居るんだ」

青峰はそう言って、俺を睨み付けていた。

***

高校を中退した黒子は、父親から勘当を食らったらしい。母親の擁護を断り、黒子は出産し退院するとすぐ家を出たのだと。そうして今まで、母からの少ない仕送りと、青峰の援助で生活していたらしい。

黒子の話に耳を傾けながら、ブランコで遊ぶ青峰達を見つめる。青峰と同棲してたのかとか、畜生父親っぽいじゃねぇかとか、検討違いな嫉妬を抱くが、それすら今の俺には烏滸がましい。けど、それよりも気になったのは、

「…名前、ってさ」
「…すみません、勝手に」

でも、と続けて黒子は水仕事の為か少々荒れた指を絡めた。

「もう会わないつもりでも…―――失いたく、なかったんです」

俺は思わず、彼女の僅に綻んだ横顔を見つめた。途端に胸にせり上がる、これを愛しさと呼ぶのだろうか。

子供だった俺達は、けれどあの時確かに愛し合っていたのだ。そして、自惚れでなければ、今も。

愛しい。ずっと変わらず抱き続けたこの想い。あの頃より大人になった今なら、この言葉を言っても良いだろうか。

「俺、さ」

真っ赤な顔で手をとった俺が、きょとんとした水溜まりの瞳に映る。息を吸って、吐いて。そしたら、

―――ずっと言いたかったことがあるんだ

***

白いタキシードを、襟を張りながら羽織れば、それを後ろで見ていた福田が、馬子にも衣装だ、とからかうように笑った。それに、うるせーという軽口と小突きを返せば、遊ぶなと河原からのチョップが下される。

釈然としないから唇を尖らせていたら、仲良いなぁと土田先輩が呑気に笑った。彼の傍には、男の子が二人、物珍しそうに辺りを見回している。土田先輩のお子さんだ。更に隣には小金井先輩と水戸部先輩が居て、こうきをあやしている。

「パパの支度が終わったぞー」

ニシシと笑う小金井先輩からこうきを受け取る。俺を認めてくれたのか、こうきは最近よく甘えるようになった。

「こうき、式の間はどうするんだ?」
「青峰に見て貰おうかと。アイツによく懐いてるんで」

二年も一緒に暮らしていたから当たり前だが、実父としては少々寂しさを禁じ得ない所だ。

そんなこんなで談笑していると扉がノックされた。顔を覗かせたのは、新婦の父親代理を務める日向先輩と、新婦の着付を手伝っていたリコ先輩だった。

「こっちも準備出来たぞ」

くい、と親指を向ける仕草は中々に男前だ。こうきを抱え直して部屋を出ると、すぐ横の壁に寄りかかっていた青峰と鉢合わせした。

「よお」
「…ん」

表情を崩さない彼に、俺は少し眉根を下げた笑顔で返す。

「だいきー」
「よー、こうき」

短い手を伸ばすこうきを青峰に渡せば、二人は仲良さげに、ともすれば本当の親子のようにじゃれあった。

「今度はテツを泣かせんなよ」

それを羨ましく見つめていたら、そんなぶっきら棒な言葉と共に、背中をぐいと押された。え、と思う間もなく前に進まされた俺は、ハッと息を飲む。

純白のウエディングドレスに身を包んだ黒子が、そこに居た。

「降旗くん」
「…黒子」

思わず癖で互いにそう呼んだら、同じ苗字になるんだろう、と火神に呆れられた。名前で呼ばないとな、と木吉先輩にも笑われる。名前…でも、いざってなると、恥ずかしい。

「…行こっか…テツナ」
「…はい…光樹くん」

黒子ーーーテツナのその言葉に、青峰の腕の中にいたこうきが、はい!と返事をした。

***

式は親しい友人達だけを招いて、小さな教会で、ひっそりと執り行われた。小さいながらも、美しい光を放つステンドグラスの下で、俺はその眩しさに思わず目を細めた。

赦してくれなんて言わない。責任だなんて大義名分も使わない。これは俺のエゴだ。君の側に居たいんだ。あの時手放してしまった手をもう一度掴んだ時、俺はもう二度離したくなかった。こんな身勝手な俺の手を、それでも取ってくれた彼女を、俺は全力で愛すると、もう一度誓うよ。

赤いバージンロードを、日向先輩と歩いて来る。ベール越しに目が合うと、彼女は柔らかく微笑んだ。それに微笑み返し、隣に並んだ彼女の手を取る。

誓いのキスを。神父の言葉で向かい合ってベールを外す。

「光樹くん」

こっそりと、テツナが耳打ちした。ステンドグラスの天使にも負けない、愛らしい笑顔で。

「今、とても幸せです」

つられて、俺もきゅっと目を細めた。

「俺も」

死んじゃいそうなくらい、幸せだ。




fin.
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