RAVEN〜《陽王》到来編
※月黒高、木日、小笠←森、福降、若桜、岩水、氷火、大宮
※とか言いつつ、基本黒子総受け
黒子…姫巫女《影姫》の生まれ変わりにして一族最後の純血統者。妖怪を惹き付ける力を持つ為、笠松の神社に居候中
伊月…代々の《影姫》と契約している吸血タイプの妖怪。鳥科らしい。高尾とはある種同族嫌悪
高尾…自称《影姫》の友人《鷹》の生まれ変わり。鳥科の吸血鬼と人間のハーフ
日向…退魔師《陽王》の生まれ変わり。《影姫》の婚約者でもあり、何らかの理由で破棄されたその約束を現世で果たそうとしている。本人は黒子個人にベタ惚れ
木吉…《陽王》の護衛、侍《鉄心》の生まれ変わり。日向がなにより大事
黄瀬…黒子の幼い頃からの世話役。狛犬で門番も担当
緑間…高尾御用達の情報屋。最低限の退魔術は使える
笠松…黒子の住む神社の跡取り息子。幼馴染みでお兄さん的存在。本人は黒子が大事なのでそれに甘んじている
早川…笠松の式神。主に諜報担当
小堀…笠松の同級生。剣道部。笠松が好き
森山…笠松の同級生。小堀が好き
火神…黒子の同級生。行方不明の幼馴染みがいるらしい
福田…黒子の同級生。強運の持ち主
降旗…黒子の隣のクラスの転入生。実は福田家に憑いた疫病神
若松…黒子幼馴染み。破邪の気を持つ為武者修行中。アパート在住
桜井…苛められっ子。若松と同居中。実は八百比丘尼
水戸部…雑貨屋《雫石》製作担当。声を亡くした人魚
小金井…雑貨屋《雫石》販売接客担当。水戸部の友人の猫又
岩村…清浄な気の持ち主
春日…笠松の知り合いの寺の跡取り息子。岩村の親友
大坪…陰陽師
宮地…大坪の式神。大坪至上
木村…大坪の友人。一般人
氷室…氷の神様
霞がかった景色だ。春霞のかかる景色の向こうに、誰かが立っている。
(…誰…?)
思いは言葉となって口から溢れ落ちたらしい。その誰かは振り向いて、柔らかく微笑んだ。霞の所為で、顔が見えない。
―――オレは、お前を―――
囁かれた言葉さえ、聞こえない。
◆
その妖に出逢ったのは、まだ十にも満たない頃だったと記憶している。
両親を事故で亡くした傷も癒え、引き取られた先の幼馴染みの家での生活にも慣れてきた頃。満開の桜の樹の下、真っ黒な髪で太陽の光を反射させた様は美しくて、まるで桜の精のようだと、思わず見惚れた。実際は桜の精なんて綺麗なものじゃなくて、闇世を生きる妖だったのだけれど。
「黒子」
幼馴染みの制止も聞かず、自分の名を呼ぶ彼に駆け寄った。
膝を曲げて目線を合わせてくれた彼の、近づいた顔はやっぱり端正なもので。
思わず胸を高鳴らせてしまった程だ。
彼の唇が自分の首筋に寄ってくる。
その時は体を強張らせることしか出来なかったが、全力で抵抗していれば良かったと。後に黒子は後悔することになるのである。
◆
「おはよう」
「…」
目を覚ますと間近にあった、にこやかな笑顔。溜息を吐いて、掌で押し返した。
「退いて下さい、高尾くん」
素直に黒子の上から退く高尾を見て、また溜息を一つ。毎度毎度どうやって侵入してくるのだろう。二つ上の幼馴染み特製の結界は完璧な筈なのだが。前にその事を訊ねたら、
「オレに侵入出来ないものはない!」
と、晴れやかな笑顔と共に答が返ってきた。幼馴染みにもっと強力な結界を頼もうか。こう毎度毎度、他人の顔を間近に見て覚醒するのは気分が悪い。そんなことを考えていると、掛け布団に絡まった腰に腕が回された。
「…高尾くん」
「んー」
眉をひそめて間近にある能天気な顔を睨むが、全く効果はない。
「離して下さい」
「いーじゃん、別に」
イーコトしようぜ。なんて耳に吐息と共に吹き込まれると、擽ったくて体が震える。力の抜けた黒子を満足気に見つめて、高尾はその真っ白な首筋に唇を寄せた。
「黒子っちーおはようッス!」
スパンッ、と気持ちいいくらい勢い良く襖が開く。灰色の甚平姿の青年―――黄瀬は、二人の体勢を見て、直ぐに悲鳴に近い叫び声を上げた。
「黒子っちがぁー!」
「うっさいよ、黄瀬」
興が削がれたようで、高尾はあっさりと黒子から離れる。ほっと息を吐く黒子の横で、黄瀬は高尾の襟を掴み上げた。
「この鳥妖怪!黒子っちに手ぇ出したンスか!?」
「まだ出してないよー」
「まだってなンスか!?」
朝っぱら騒がしい。関係者であるにも関わらず、黒子は他人事のように溜息を吐いた。
高尾は人間ではない。因みに黄瀬も。
何とかという鳥型吸血鬼と人間のハーフだと、高尾は言っていた。本当かどうかは知れない。ごくたまに生き血を摂取しないと、気が滅入る。なんてことも言っていた。
黄瀬は狛犬だ。黒子の住む此処《海常神社》を護る狛犬。幼い頃から、色々と世話を焼いてくれた、黒子にとっては恩人に等しい。
ぎゃんぎゃん口論を続ける二人を尻目に、黒子は制服に着替え始めた。このまま彼らに付き合っていたら、遅刻してしまい兼ねない。
「騒がしいな」
黒子がワイシャツの釦を止めていると、ふと肩に手が置かれる。黒子の通う学校の制服に身を包んだ青年は、然り気無く黒子を胸に抱き寄せた。今も昔も変わらない端正な顔立ちに、黒子の頬が紅潮する。
「伊、月…先輩…」
名を伊月という妖怪は、柔らかく微笑んで、黒子の首筋に噛み付いた。
「…ぁ」
鋭い牙が皮膚を破って、生暖かい血が溢れ出す。それを残らず舐めとって、伊月は口を離した。最後に、黒子の唇にも噛みついて。仄かに感じる鉄臭さが自分のものだと解ると、途端に気恥ずかしくなる。真っ赤になる黒子に、可愛い、と囁いて伊月は彼の額にもキスを落とした。
《鷲》だと。彼は名乗った。古くからその冠名だけ受け継いで、《影姫》という巫女の血を糧にして生きている、と。そして、当代の《鷲》が伊月俊で、《影姫》が黒子テツヤだと。全て彼と契約してから、幼馴染みに説明された。
《影姫》だからこそ、黒子はこの神社に預けられたのだ、とも。両親の死で、14に預けられる予定が早まった、とも聞かされた。どちらにせよ此は運命だ、と。
伊月は柔らかく微笑んで、いつも断定した。この関係を甘んじて受け入れている自分も、どうかしているかもしれない。黒子が軽く自己嫌悪に陥っていると、先程のキスシーンを見ていたのか、今度は二人揃って声を荒げた。
「今!黒子っちに!」
「ああ、キスしたよ」
その行為が彼らの怒りを増長させると解っていて、伊月は黒子を強く抱き締める。高尾が、つり上がった瞳を更に細めた。
「なにしてンスか」
「スキンシップ?」
「は、」
「早く黒子っちを離すッス!」
高尾の言葉を遮り、黄瀬が叫ぶ。その瞬間、
「うるせぇえ!」
スパンッ、と襖を開いて、伊月や黒子と同じ制服姿の青年が一喝した。手にしていた刀を鞘から引き抜き、気圧されて後ずさった黄瀬の顔の真横――黄ばんだ白壁――に突き刺す。キラリ、と鏡のように研かれて切れ味の良さそうなそれを、彼の首筋に添える。
「朝っぱらからうるせぇんだよ、駄犬が。ご近所に迷惑だろーが」
「す、スンマセン…。けどオレだけじゃ…」
「口答えすんな―――滅すぞ?」
「はい、スンマセンっ!」
背筋を伸ばして声高々に謝ると、黄瀬は一目散に部屋から立ち去った。
全く、と溜息を吐きながら、笠松は刀をしまう。右手首で、光沢のある白い数珠が揺れている。彼こそこの《海常神社》跡取り息子にして黄瀬の主人―――黒子の幼馴染みである。
笠松は朝食が出来ていることを黒子に伝え、高尾の存在にやっと気づいたようだ。眉間に皺を寄せつつ、朝食に誘う。約二名の刺々しい雰囲気を気にせず、高尾はそれを受けた。
◆
ぎすぎすした朝食を何とかやり過ごし、黒子は溜息を吐いた。
雰囲気の理由は解っている。自分の血統だ。黒子の家系は元々妖怪の気配に聡い人間が多かった。そんな中、妖怪を惹き付ける者が産まれることもしばしばあった。
それが《影姫》だ。
つまりは障気を受けやすいということ。体が弱いともいう。まあそんな訳で、笠松たちは素性の貞かでない妖怪が黒子の傍にいることを好んでいないのだ。
(けど…)
過保護だと思う半面、それが嬉しいと思う気持ちもある。それに、
「なんでお前まで一緒に来るんだ」
「そりゃオレと黒子が同じ学校でクラスメートだからッスよ」
「黄瀬ェ、帰るまでに掃除終らせろよ」
「えー!オレばっか!」
この賑かな雰囲気は、嫌いじゃない。最後尾の黒子に気がついて、伊月は柔らかく微笑んだ。
「行こ、黒子」
そう言って、手が差し出される。その手首で揺れている、黒い羽根の閉じ込められたガラスの腕輪は、契約の証だ。
「…はい」
気恥ずかしくて、頬を紅潮させて、差し出された手を強く握る。繋いだ互いの手首で、同じガラスの腕輪が、光を反射させていた。
◆
「…まずい、ですかね」
走りながら腕時計に目を落とし、黒子はポツリと呟いた。
朝っぱらから何時もの喧騒。普段なら止めてくれる筈の笠松も、今日は日直だとかで、早めに家を出てしまっていた。そんな訳で歯止めの利かない彼らを見限って、黒子は一人通学路を走っていた。
そんな彼を、屋根の上から見下ろす影が2つ。
「…あれが、黒子…」
◆
「ひどいよ、黒子。朝置いてくなんて」
放課後人気の無い道を歩きながら、高尾は口を尖らせた。
「すみません。ボクも遅刻しそうだったので」
「黒子、ほっとけ。自業自得だ」
伊月が呆れたように溢す。ギラリ、と高尾の鋭い視線が彼に向かったが、さらりと無視された。どうでもいいが、自分を挟んで喧嘩しないでほしい。まだ火花を散らす視線を放って、黒子は角を曲がった。
どろ、
黒い、泥のような靄が、顔の直ぐ前を通りすぎた。それは足元に落ちて、コンクリートの地面を、舐めるように広がる。
黒子は足を止め、冷静に目前の《ソレ》を見つめた。
俗に《妖》と呼ばれるその靄は、辛うじて人形をとっていた。ただそれは、頭身なんてものは無く、象程もある体に小さな頭がついているという、何とも滑稽な姿をしていた。
《妖》が、体にしては細い腕を振り上げる。それが黒子を捕らえるより早く、伊月は《妖》の腕を払い上げ、高尾は黒子の肩を引いて背中に庇った。
「低級な雑魚だな」
腕を払われてよろける《妖》を一瞥し、伊月は呟いた。
「オレ一人で充分だ。黒子、先帰ってな」
「え、でも…」
「いーから。先輩に任せて帰ろーぜ」
渋る黒子を姫抱きにして、高尾はにんまりと笑う。その途端、伊月の手刀が飛んだ。それを片腕で受け止め、高尾は口元でだけ、笑ってみせる。
「なんすか」
「なんでお前まで帰る」
「だって伊月サン一人で充分なんでしょ。オレは黒子と帰りますから」
「ふざけるな。認められるか」
「あ…」
思わず黒子は声を漏らした。泥の塊が、腕を振り上げる。その真下にいた伊月は、高尾に視線を向けたまま、片手でそれを受け止めた。
「ってことで、お先」
「あ、おい!」
伊月の声を背に角を曲がった高尾は、
「…マジかよ」
思わずその笑みを引きつらせ、足を止めた。泥の塊―――《妖》がもう一体、二人の前に立ちはだかる。《妖》の拳をひらりとかわし、高尾は電柱の影で黒子を下ろした。
「ここにいろ」
短く言って、《妖》と向き直る。多分、自分一人で充分だろうと当たりをつけて、地を蹴った。
◆
どさり、と《妖》の半分溶けた躯が地に伏す。溜息を吐いて、伊月はソレを見下ろした。
邪気の塊が、手間を掛けさせる。躰が障気まみれだ。早く家へ帰って風呂に入りたい。伊月は消えつつある塊に背を向けた。と、また膨らみ始める障気。先程よりも濃い靄が、頭上を通って目を合わせてきた。にやり、と笑う。だから、笑い返した。
「…雑魚が」
空間ごと、斬り裂く。
「しつこい」
靄は、今度こそ跡形も無く、消え去った。
「で、」
トン、と。地面に着地する足音。
「お前は、何?」
妖しく微笑む伊月とは対照的に、青年は朗らかに微笑んだ。
◆
「…ふいー」
頬に飛び散った飛沫を拭い、高尾は大きく息を吐いた。バラバラ死体と形容しようか。五体バラバラになった《妖》の肢体が転がる、その中心に、高尾は佇んでいた。その光景に、黒子は小さく息を飲む。彼の様子に気がついて、高尾はへらりと笑ってみせた。安堵したように弛んだ黒子の表情は、次の瞬間に強張った。
「―――高尾くんっ!」
フッ、と頭上に影が出来る。振り返った視界の端に見えた、溶けかけの、拳。頭が熱くなって、視界が白一色に、ショートした。
「―――」
ダンッ、
勢いよく、地面に押し付けられて、顔の直ぐ横に刃が添えられる。冷たい感触が頬に当たって、熱くなっていた頭が、急速に冴えていった。
「―――暴走か、未熟者め。…まぁ混血にはよくあることだ」
高尾の顔に添える刃とは別の刀で、背後から忍び寄る《妖》を一閃で斬る。呆ける高尾を捨て置いて彼の上から退くと、青年は黒子に歩み寄った。
怯えたように肩を竦める黒子に手を差し出し、その瞳を見据える。彼の手首で、薄青の硝子の腕輪が、日の光を反射させて小さく揺れた。
◆
「オレは当代《陽王》日向順平。―――《影姫》黒子、お前の婚約者だ」
「……」
気まずい。その一言に尽きる空気が、その部屋には充満していた。
座卓を挟んで右から、伊月黒子高尾の三人と、笠松を含めた三人の青年は向かい合っていた。伊月と高尾は始終日向に鋭い視線を向けているが、当の本人は涼しい顔をしている。彼の隣に座る木吉と名乗る青年は、何故か満面の笑みだ。部屋の隅に控える黄瀬まで、その険悪な雰囲気に気圧され、怯えている。笠松と黒子はお互いに顔を見合せ、どちらかともなく溜息を吐いた。
「《陽王》?」
聞き慣れない単語に、黒子は首を傾ぐ。伊月は益々眉間の皺を深くした。
「ああ」
日向は頷いて、腕を掲げる。その手首で、薄青の硝子の腕輪が光を反射して揺れた。
「古来より続く退魔師の大家。その当主の冠名だ」
「退魔師って言うと幸さんの…?」
「ああ。一応ここの傘下ってことになるな」
《海常神社》の神主、笠松幸男。確かに、退魔師に属するタイプの役職だ。
「で、そのお坊ちゃんがどうして?」
伊月が、かなり好戦的な口調で言う。日向と伊月、二人の視線が鋭い光を帯びて交わった。
「日向」
「解ってる」
諌めるような木吉に素っ気なく言い返して、日向はその視線をそらした。
「そーいえば、そちらさんは?」
「オレ?オレは日向のお付きみたいなもん」
高尾が訊ねれば、にこやかな笑みと共に答が返ってくる。高尾は納得したのかしてないのか、曖昧な相槌を打って木吉を見つめる。彼の表情が読めないのだ。あの《陽王》のお付きなら、かなり腕は立つのだろう。見た目はそうでもないが。
「黒子」
高尾が木吉について考察する間に、日向は身を乗り出して、向かいにいる黒子の手を握った。
「…《約束》を、果たしにきた」
「…約、束…?」
戸惑う黒子の手を恭しく握り、その甲に唇を落とす。二名の目がつり上がり、一名の顔が蒸気した。唇を離し、日向は真面目な瞳で黒子を見据える。
「婚礼を、あげよう」
直ぐに二つの拳が、彼に向かって飛んだのは、言うまでもない。
◆
黄瀬は大変立腹していた。
なんなのだ、あの二人組は。急に現れて、婚約者などと宣って。しかも黄瀬が大切にしているあの黒子の、だ。これ以上余計な虫は増やしたくないというのに。
「婚礼だと?ふざけるなよ」
苛立ちを含んだ声色。黄瀬はぴたりと立ち止まって、声の聞こえる廊下の角に張り付いた。ちらりと影から覗けば、予想通り、そこには日向と向かい合う伊月の姿がある。
「…お前に口出す権利はないぞ、《鷲》」
「あるね。オレの契約者は黒子だ」
伊月が契約の証である腕輪を振って見せると、日向の表情が険しくなった。
「…またウマイこと取り入ったのか」
「人聞き悪いな」
「本当のことだろう」
二人の会話は漏らさず聞いている。のに、全く意味が理解出来ない。
(『また』…?)
それでは以前にも伊月が同じことをしたみたいな言い方だ。しかし《鷲》は代々《影姫》としか契約しない筈。
―――……―――
「―――っ」
黄瀬は突然の耳鳴りと頭痛に、思わず壁に爪を立てた。爪が壁に負けて軋むが、その痛みを上回る頭痛が黄瀬を襲う。
いま、なにかが、頭に浮かんで、消えた。忘れてはいけない。なにかが。
「―――…《影姫》っ…」
黄瀬の視界が揺らいで直後、背中に冷たい感触が起こった。
◆
誰かに、呼ばれた気がした。
「テツ?」
「あ、何でもないです」
気のせいか、と勝手に納得して、黒子は目の前の笠松に視線を戻した。
「…で、《陽王》との婚礼のことなんだが、」
「…それ、断るって選択は…」
「ない」
予想通りはっきりとした返答に、黒子の肩ががっくりと落ちる。落胆する彼を見て、笠松は小さく溜息を吐いた。
「そりゃオレだって、テツが望まないなら破談にしたい。けど、これはそう単純な話じゃないんだ」
「え…」
思わず聞き返す黒子に、笠松は顔をしかめて、言い難そうに口を開いた。
「《影姫》は、妖の長だ」
妖を惹き付ける力を持つ《影姫》。それはつまり、妖を操ることに繋がる。
「ボクは人間ですっ」
「それは解ってる。言うなれば、妖を操る人間だ。妖を統べることと、大差ないだろう」
それもこれも、力の制御が出来ての話だが。笠松は小さくそう付け加えた。
《陽王》―――妖を滅する退魔師の頭。それに対なす《影姫》―――妖を統べる長。永らく争ってきた妖と人は、その二人の婚礼を停戦の証とした。それが決まったのが、―――凡そ965年前。
「え、そんなに?」
「10代前の《陽王》と《影姫》が停戦を条件に婚約したんだ。婚礼の儀を執り行う前に破棄されたけど」
原因は未だ不明。突然結ばれた婚約は、また突然破棄された。この一件が原因で、両者のいさかいは更に酷くなったと聞いている。
「それがなんで今になって…」
「生まれ変わりだからだ」
黒子は目を大きく開いた。その瞳を見つめ、笠松はゆっくりと繰り返す。
「生まれ変わりだからだ。―――お前と日向が、《影姫》と《陽王》の」
生まれ変わりが揃った今、あの婚約は成立し、停戦も望める。彼らは安易にも、そう考えているのだ。
◆
「まさか《鷲》まで生まれ変ってるのは、予想外か?」
伊月はそう言って、悪戯っぽく微笑んだ。その様子に、日向は諦めたような溜息を漏らす。
「…まぁ、何処かで予感はしていた」
「…さいで」
「だからこそ、」
日向は伊月を睨みつけた。その瞳に浮かぶのは、憎悪と軽蔑。
「二度と、邪魔させはしない」
「?なんの話だ」
「!ふざけるなよっ」
日向は伊月の胸ぐらを掴んで壁に押し付けた。伊月の背が壁に当り大きな音を立てる。その音に、壁に背をつけて座り込んでいた黄瀬は、うっすらと我に返った。
「婚約を破棄させたのも、あの時《影姫》を殺したのも、お前だろう!《鷲》!」
「―――…!」
黄瀬と、それから伊月の目が大きく見開かれる。
(《鷲》…が…?)
《鷲》―――初代《影姫》の右腕とまで云われた、上級妖怪の名だ。それ以来、代々《影姫》に仕える妖はそれを冠名としている。《鷲》は《影姫》に忠誠を誓い、何があっても裏切らない―――筈だ。歴史上では。
「…なんのことか解らないな」
「惚けるな!」
伊月に払われた手を強く握り締め、日向は噛みつくように続ける。
「権力欲しさに《影姫》を殺したくせに!今代の《影姫》も殺すつもりか!」
「―――!」
パンッ
乾いた音が、廊下に響く。
「……っ」
平手打ちされた日向は驚きに目を見開き、直ぐに怒りと嫌悪で顔を歪めた。
「…それ以上、侮辱してみろ。只じゃ済まさない」
「…妖怪が」
日向が吐き捨てる。瞬間、伊月の手刀と日向の刃が線を描いた。
「はい、ストーップ」
ぴたり、と。
各々の首に相手の得物が添えられる。そうなるように二人の腕を掴んだ木吉は、噛みつくような彼らの視線を受けて、へらりと笑って見せた。
「落ち着け二人とも」
木吉が手を離す。伊月は腕をおろし、日向は刀を鞘に収めた。
「日向、言い過ぎだぞ」
「…悪い」
小さくそう呟いて、日向は踵を返した。
「すまないな」
日向の遠ざかる背を見つめ、木吉は苦笑した。
「《陽王》と《影姫》依然に日向が黒子くん個人に惚れてるらしくてさ」
「…一目惚れか」
「んー、まぁな」
頭をかいて木吉は言葉を濁す。その様子に眉をひそめる伊月の真正面に立って、相変わらずの読めない笑みを浮かべる。
「改めて。初代《陽王》の右腕《鉄心》の生まれ変わり、木吉鉄平だ」
宜しく、差し出される手を一瞥して、
「…宜しく」
伊月は小さく笑みを浮かべて、その手を握り返した。木吉の、人の良さそうな笑みが深くなる。
◆
「でさー…って、真ちゃん聞いてる?」
「お前の愚直を聞いてやる義理はない」
すげなく言い捨てられ、高尾は口を尖らせながらクッションに顎を埋めた。
薄暗く、それでいてさして広くもない部屋である。黒い皮のソファーと、その前に置かれたローテブル。壁を向くように設置された、パソコンと机。あとその隣に本棚があるだけ。高尾はソファーに寝そべり、こちらに背を向ける緑の髪を持つ青年に話しかけていた。青年はパソコンに向かい、忙しなくキーを叩いている。名を緑間という彼は、高尾の顔馴染みの情報屋だった。
「《陽王》日向、か…。ここ最近妖騒ぎが後を絶たないからな。一番被害の少ない解決策なのだよ」
「だからってー!」
だからと言って、目をつけていた獲物を横からかっさられるのは納得出来ない。
「獲物…」
呆れる緑間に、だって!と高尾は口を尖らせた。
「前世から目をつけてたんだぜ?」
「…ああ、そうだな。お前は―――《鷹》の生まれ変わりだったのだよ」
妖しく微笑み、高尾はペロリと下唇を舐めあげる。
「本当、黒子って可愛いんだもんなー。…喰べちゃいたいくらい」
「…カニバリズムは勘弁して欲しいのだよ」
溜息を吐いて、緑間はギ、と背凭れを軋ませた。回転式の椅子を回して、高尾を見やる。
「で、低級妖怪ごときで暴走しかけた無能が何をほざいているのだよ」
「あ、酷い!」
違うんだよー、と言う言い訳を無視して、カップに手を伸ばした。コーヒーを飲む緑間を、焦点の合わない瞳でぼんやりと見つめ、クッションに頬杖をつく。
「…なんでだろーねー…」
「…?」
あの、頭上から降ってくるモノに。慌てる彼の表情に。何故か頭に血が昇った。
「きっとさ、」
高尾は思わず苦笑する。
「嫌なことでも思い出しちゃったんだよ」
◆
太陽の光を集めたような髪を散らして、黄瀬は床に寝転んでいた。目を閉じて、けれど息はしていて。どうやら眠っているようである。と、そんな彼の顔に影が出来る。
「……」
影は暫く黄瀬を見下ろしていた。
「……」
「…ん」
ピクリ、と黄瀬は身動く。影もそれに反応して、小さく動いた。黄瀬は苦しそうに眉をひそめた。
「…か…げひ…を…」
「……」
「護…ら…きゃ」
「…そうか」
スッ、と影の黒い手が黄瀬の額を覆う。途端に黄瀬は大人しくなり、手が離れていく時には、眉間の皺も消えていた。
「…お前の覚醒には、まだ早すぎるからな―――《海常》」
誰にともなく呟いて、影は消えていった。後には、安らかに寝息を立てる黄瀬が残される。