No.1
シャッターのシャワーを浴びるように身体を捻り、腰をくねらせ、ニコリと微笑む。大分この仕事にも慣れたものだ。ようやっと本日の撮影が終り、ウワバミは上着を肩にかけて「お疲れさまです」と頭を下げた。楽屋でマネージャー兼サイドキックから明日のスケジュールを聴きながら、帰り支度を始める。ふと、携帯が着信を受けて点滅していることに気が付いた。不在着信の相手は今も連絡を取り合う昔馴染み。何用だったのだろうと少し頬が弛んだが、同じ相手から送られていたメールを読んだ途端、表情が凍り付いた。
「ウワバミさん?」
「……ごめんなさい。明日の予定はオールキャンセルで」
「え!?」
「暫くお休みもらうから」
有給休暇はまだ残っている。ドタキャンは世間からの印象を悪くしてしまうだろうが、今はそれよりも大切なものがある。
「ウワバミさん!」
サイドキックの引き止める声を背中で受けながら、ウワバミは荷物を掻き集めるように抱いて楽屋を飛び出した。
「どういうことよ、大上……!」
夜道を走りながらそう吐き捨て、ウワバミは通話ボタンを押した。



『ヒーロー・ウワバミ、突然の活動休止を発表』
そんなニュースが新聞の芸能コーナーを占領していた。ヒーローとしての活躍よりも、雑誌の表紙やCM、テレビ出演の多さからの理由だ。彼女のもとへ職場体験をしていた八百万はショックで落ち込んだ顔をしていたし、峰田の衝撃は言わずもがな。A組の教室は朝からその話題で持ち切りだった。
「今日の生放送にも出演予定だったのに……急にどうしたんだろうな」
「重要なおっぱい成分が……成分がぁぁあ!!」
「峰田の奇声と涎が共有ルームに溢れないだけ良かったと思おう」
切島の言葉に苦笑いで同意を返しながら、尾白はそっと喉を抑えた。こほ、と咳を溢すと目敏く切島が「風邪か?」と心配気に訊ねてくる。
「いや、ちょっと朝からだるくて……」
「季節の変わり目だものな。気を付けろよ」
ヒーローは身体が資本だ。切島に頷いていると、聞きつけた葉隠がのど飴を差し入れてくれた。有り難く受け取ったが、喉が痛いわけではなかったので、そっと胸ポケットへと入れた。
「梅雨ちゃんも体調が優れないんだって」
風邪が流行り始めているのかな、と葉隠は頬へ手を当てた――ような仕草をした――。切島と共に視線を向ければ、廊下に近い席に座る蛙吹はいつもと同じ表情で麗日と談笑している。しかし確かにどことなく不調な様子で、口から伸びた舌がだらんと垂れていた。
「……こほ」
心なしか、身体がポカポカするような。熱が上がってきたのだろうかと思案する尾白の尻尾を手に取って、後ろの席の上鳴は毛並をモフモフと触る。
「確かにちょっと毛並が悪いかもな」
「毛並が体調に影響するとか、犬なのか猿なのか」
触って判断できるほど体調が悪くなっているのか、いつも触っている上鳴がおかしいのか。切島の言葉にも突っ込む気力も起こらないあたり、前者なのかもしれないと、尾白は思い始めるのだった。

駅から二時間の山奥に、その動物園はひっそりと佇んでいる。小さな荷物を片手に、ウワバミは閉門を告げる看板を通り過ぎて中へと飛び込んだ。
「大上! 園長!」
「ウワバミ!」
コートを着た狼男が、焦燥した彼女を見て目を丸くした。
「お前、よく帰って来られたな。仕事は……」
「そんなことより、こっちの方が大事」
鞄を地面に落とし、ウワバミはガシリと大上の腕を掴む。
「華ちゃんたちの行方が分かったって、本当?」
大上は僅かに言葉を詰まらせ、少し視線を外してから頷いた。張りつめていたウワバミの身体から力が抜け、ぽろりと涙が零れ落ちる。しかしすぐ唇を噛みしめて堪え、手で乱暴に頬を擦った。
「ああ、泣くのはまだ早い」
問題はまだ山積みだ。大上の先導についてウワバミは、動物園の奥に新築した『長部屋』へ足を踏み入れた。扉を勢い良く開き、寝室へ進む。当人の希望であつらえたベッドの周りには懐かしい顔ぶれが並び、出稼ぎに出たヒーロー・ウワバミの帰還に沈んでいた顔の色を変えた。
「連絡をくれれば、迎えに行ったのに」
「ありがとう、タカヒロ。事務所と交渉して休暇をもらうのが先だったものだから」
こちらへ帰ると報せるのが遅くなってしまった。昔より筋肉をつけた運転手は、そうかと頷いてウワバミをベッドの方へ手招いた。ウワバミはそっとベッドへ手をつき、そこで横になる男を見下ろす。
「……園長」
ただいま戻りました。ウワバミの声に兎頭の男は片目を少し開き、無骨な人間の手を持ち上げて彼女の頬を撫でる。
「久しぶりだな、ウワバミ」
傷だらけで皮膚は分厚く、関節も少し曲がった手。頬を滑るそれに自身の手を重ね、ウワバミはそっと目を細めた。
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