スノードロップ〜ため息まで白い〜
スノードロップ、雪の雫石。楽園を追放され、吹雪の中に放り出された二人を哀れに思い、妖精は雪を真っ白な花に変えてやった。
暦は春に向かっているというのに、気候は寧ろ厳しくなっていく一方だ。白い吐息は、湯気みたいに口から漏れて、冷たい大気に溶けて行く。
朝早く薄暗い道を、歩いて行く。三年はすでに自由登校で、別にこんなに早く出掛けなくてもいい。だが三年間バスケ一筋で過ごしてきた生活習慣は、簡単に直るものでもない。何と無く学校近くのストバスに、朝集合するのが岩村たち三年の約束になっていた。どこから嗅ぎ付けたのか、津川や二年生も参加しているが。
商店街の名前が入ったタオルをマフラー代わりに首に巻いて、冷たい風の中を歩く。自分のマフラーは貸してしまったから仕方ないのだが、それにしても寒い。ごわごわのタオルに顎を埋めて、息を吐く。タオルを通して、白い息が漏れた。
冷たい外気に晒されて感覚の無い手を、ポケットに突っ込む。カサ…と指先に触れたものを想像して、自然と笑みが溢れた。
横断歩道の青信号が点滅する。この時間帯に車は少ない。岩村は小走りで横断歩道を渡り始めた。
キキッ、と甲高い音が聞こえた。
思わず道路の途中で足を止めた岩村に向かって、軽自動車が走るのが見えた。
「――」
ドンッ、と。
重々しい音が、白み始めた空に響いた。
冬の朝練は寒い。暖房器具の無い部室で寒気と戦いながら着替える部員たちの耳に、綺麗なオルゴールの音が届いた。
「携帯?水戸部の?」
日向の問いに首肯して、水戸部はダークブルーの携帯を開いた。差出人は、放課後も会う約束をした想い人。何の用だろうと開いたメールの本文は、彼からではなかった。
「……!」
「水戸部?」
日向たちの声を背に、上着と鞄を手に取ると、水戸部は部室を飛び出していた。
白い無機質な廊下を、水戸部の足音を反響させる。部屋番号の記されたメールを、開いたまま閉じた携帯を握り締め、目的の場所を目指す。
『岩村努』
その名前に反応して、春日に教えてもらった部屋番号か、確認しないままそこに飛び込んだ。
「あ、来たー」
手を振って、春日が立ち上がる。六つのベッドを二列に並べた病室。今使用されているのはその中の一つだけで、春日と話していたのか、岩村が座っていた。頭に包帯を巻き、腕や頬には大きなガーゼ。
「――っ」
水戸部は小さく息を飲んだ。
朝、ストバスに向かう途中、事故にあった。春日からのメールは、そんな内容だった。命に別状は無く、寧ろ運転手の方が重症らしい。春日は笑いを堪えながら説明した。
水戸部は大きく息を吐いた。大事に至らなくて良かったと、心から思う。
「ただ、なぁ…」
言葉を濁して、春日は頭をかく。その意味を読み取ることが出来ず、水戸部は首を傾いだ。
「春日」
そんな彼に、やっと春日が口を開いた時、ベッドに座る岩村が先に声を発した。二人の視線が向かう中、水戸部を指差して、彼は言う。
「誰だ?」
足下が、崩れたみたいだった。
――頭の打ち所が悪かったらしくてな。高校入ってからの記憶が無いんだと。
医者はそのうち戻るだろうと言ったこと。取敢ず二三日したら退院できること。春日がそんなことを言っていたような気がするが、よく覚えていない。ただ、無感動に自分を映す彼の瞳を、見つめ返していた。
スノードロップ、雪の雫石。妖精は雪と一緒に彼のこころまで、溶かして花に変えてしまった。
(確かに恋だった。様より)