灰色鼠のナンバー
「クローム姉さんは、気にならないんですかー?」
目をパチリと動かすと、言葉の意味が分からないと思ったのかフランは「千種にーさんのことです」と言いながら、ボウルに積まれたオレンジに手を伸ばした。それを軽く叩いて払い、クロームは利き手に持っていた包丁少し持ち上げる。次のオレンジを切ろうと思っただけだったが、フランは少し肩を揺らして身を小さくした。
「ああ」とも「うん」とも言葉を返さず、クロームは皮をむいたオレンジを一つ手に取って、包丁の刃を入れる。トンタン、とぎこちない包丁の音を聞きながら、台の奥に引っ込みかけていたフランは大きな林檎の頭を持ち上げた。
「気にならないんですか?」
「……何を?」
果汁塗れの手を拭き、一度包丁の手を止める。フランは台に腕を置いて枕を作り、そこに顎を乗せた。
「ししょーは六道輪廻の瞳、犬にーさんは動物チャンネル。じゃあ、千種にーさんは何の人体改造を施されたのか、ちょっと気になりません?」
見た目も技も、そこらの一般マフィアに比べたら特筆すべきものではない。
「別に……」
「えー、興味ないんですかー?」
「ない」
「ミーはあります」
クロームの言葉にかぶさる速さだった。そこで彼女は、「喋りたい男は好きに喋らせとけば勝手に気持ちよくなって、勝手に好感持ってくれるから楽なのよ」とMMが言っていたことを思い出した。別に好感度を上げるつもりはないが、こちらが黙っていても構わないのなら、無理に口を開く意味もないだろう。
そんなことを考えながら彼女が包丁を動かしていることなど知らないフランは、台に頬杖をついてぷらりと身体を揺らした。
「ミーが考えるに、きっとあのバーコードが関係していると思うんです」
クロームはすっかり相槌を打つこともせず、京子たちから貰った手書きのレシピノートを確認する。
「爆弾を食らっても動き回れるタフさ……毒使い……どれもパッとしません」
一つ行程を飛ばすところだったと、クロームは慌てて計量カップを取り出した。
「バーコード管理されてるクローン人間なんですよ!」
そういえば彼は最近、ボスの家の幼子と一緒に戦隊物を見るようになっていたことも思い出す。
「きっとししょーが破壊したアジトには、千種にーさんのクローン体がいっぱいあったんですよ……全部にバーコードが印字されていて、それで科学者たちに管理されていたんです」
ハルに、人数に合わせた数量にはしてもらった。メモリに集中し、クロームは生クリームを計る。
「そう考えると、あのバーコードがある千種にーさんは、本当にオリジナルの……」
「何勝手に人を偽物扱いしてんの」
低い声と共に、フランの林檎の頭が歪に凹む。ふが、と奇声を発した彼は、ステンと台から滑って尻餅をついた。転がるまま仰向けになったフランは、顔を覗き込んできた相手を見て「あ」と口を丸くした。
「千種にーさん、ご機嫌いかがですかー」
「……すこぶるめんどい」
ため息と共に眼鏡を押し上げ、千種はさっさとフランから視線を外す。それからクロームの立つ台へ、パンパンに膨らんだ紙袋を置いた。
「頼まれていたもの」
「あ、ありがとう……」
千種には、切れていた卵の購入をお願いしていた。クロームは自分で出かけようと思っていたのだが、別件で街へ行くからと千種が進言したのだ。
一パックだけ頼んだ筈だが、紙袋には他にも何か詰まっている。クロームが触れる前に、千種はごそごそと中を探って、卵のパックだけ台に置いた。
「あとは、おやつ」
「……犬の?」
「それと骸さまの好きなチョコレートと、麦チョコ」
「え」
「?」
思わず、クロームは小さく声を上げて千種を見上げた。クロームの反応に、彼は怪訝そうに眉を顰める。慌ててクロームは首を振り、「ありがとう」と呟いた。
「それで、ケーキなんてできるの?」
「フルーツと生クリームを混ぜて焼くだけだから……」
「そう」
既にフランは姿を決していて、千種は上着を脱ぐと適当な場所にかけて袖をまくった。手伝うと言葉にしないものの、千種はクロームの持つレシピをとって、目を通した。
「……聞かないの」
「何を?」
「フランみたいに」
「うん……」
今度は、クロームの方が、変なことを言うなと首を傾げる番だった。
「千種は、千種だから」
「……」
千種は眼鏡に触れながら、深く息を吐く。それからレシピを台へ置いて、クロームに次の行程について訊ねた。二人がゆっくりと手を動かし、部屋に甘い香りが漂うようになった頃。さも今昼寝から目覚めましたといった様子の犬が、欠伸を零しながらやってきたのだった。
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