ice drop
(月黒)
それは単なる御伽話、の筈だった。親友の弟は仕えるべき主人でありそんな彼に寝物語として幾度となく聞かせてやったことがある。神話の時代、神と人の間で交わされた約束の証。光の加減によって七色に輝く四対の薄い羽根を持つ人間は、神の力を宿す存在として語り継がれていた。けどあくまでも御伽話。伊月自身も本気で信じてはいなかった―――その光景を目にするまでは。
「黒、子…」
親友の腹違いだけど弟で、仕えるべき主人で、王位第二継承者である彼は初恋の相手と同時に失恋の相手でもあった。彼の澄んだアイスブルーの目が好きだったのに、今は淀んだ水面のように虚で何も映していない。目の前にいる、自分すら。
仄かな微笑みを湛える彼の顔が脳裏に浮かんで、目尻から雫が流れ落ちた。
ice drop
夢を見たような気がした。内容を覚えてはいなかったがとても心が暖かくなったのだけは覚えている。そう同行者に話したら少し眉を下げて、そうかと笑った。それがどこか悲しそうでそんな顔をする意味が解らなくて首を傾げたら、いつもみたいに笑って頭を撫でてくれる。
僕は黒子テツヤという名である王国の第二王子らしい。らしいと言うのは僕には記憶というものがさっぱりないからだ。僕の記憶は綺麗な羽根になってこの世界の色々な所へ散らばったらしい。何枚か羽根を取り戻して幼い頃の記憶も大分戻った。それもこの伊月という騎士のお陰だ。王である順平兄さんの親友だという彼は、旅の始めからずっと僕を助けてくれている恩人なのだ。
暖かい手が好きで僕が思わず目を細めたら、急に手は離れていった。また首を傾げる僕に彼は先に行ってくれ、と足を止めて手をひらりと振る。少し気になったけど随分先を歩く最近仲間になった黄瀬くんが呼んだので仕方なく駆け出した。
大分戻ってきた記憶にはどれも欠けたところがある。と言うのも、誰もいない空間に向かって僕は笑いかけているのだ。その時はとても暖かく、幸せでいられるのだ。
***
「いーんすか?」
駆けて行く背中を見つめていたら隣に立った高尾を一瞥し、伊月は何がだとあくまでも軽く訊ねた。その愛想笑いに内心唾を吐いて高尾も同じような愛想笑いを浮かべる。
「黒子に言わなくて」
「言っても忘れるからなぁ」
しょうがないだろ、と言う彼の横顔を盗み見れば、その笑顔はくしゃりと歪んでいて全くしょうがなさそうではない。
黒子には不思議な力がある。神世と常世を繋ぐその力が目覚めた時、黒子の躯は神世へ消えかけた。それを伊月が無理矢理引き戻したのだ。その衝撃で黒子の記憶は羽根となって世界中へと散らばり、伊月は罰として大切な人との関係性を神に奪われた。黒子の記憶が全て戻った時は再び神世への道が開かれるし、伊月との思い出を黒子が取り戻すことは決してない。
(まぁ、思い出の上塗りは可能みたいだけど)
また新たに関係性を築けばよいのだが、伊月がそれに気がついた様子はない。高尾に言わせれば彼は昔のことに拘りすぎなのだ。昔と違う想い人の姿に悲観し無意識に拒絶する。黒子本人の気持ちすら見ようとせず。
(教えてやる義理は…ないか)
自分に害がないことは放っておく。高尾はそんな人間だ。今は気に食わない騎士をからかう為にあの王子サマで遊んでおこうか。そうと決まったら鼻唄を歌って、あの二人の間に割り込もう。
ファンタジーを書きたかったが翼パロに成り損ねたもの
2012.04.04