俺たちの戦いはこれからだ
2012年の2月29日明朝。一つの戦いを終え、これからの未来について考えなければならないことは数あれど、取敢えずは皆無事だったことに笑い合っていた大輔たち。ついついはしゃいで年甲斐もなく雪合戦に興じていた彼らは今、とある建物の一室で揃って正座をして並んでいた。
ヒクリ、とこめかみを引きつらせて彼らの前に立つのは、くたびれたスーツ姿の八神太一。傍らの椅子に座った泉光子郎もよれたワイシャツの袖をまくり、ペンだこのできた手を額に当てている。机に置かれたパソコンの画面には、ヒクヒクと口元を引きつらせた、現在基礎訓練中のため東京を離れている石田ヤマトの顔が写し出されていた。
自分も床に正座すべきだろうか、と肩を揺らしているルイは、会議室のクッション付椅子に座らされて、暖かいお茶まで貰っている。その隣に椅子を引っ張ってきて並んで座る丈とミミは、彼へ気にしないよう言って自分らの分のお茶を急須から湯呑へと注いでいた。
大輔以下、六人の元選ばれし子供たちとそのパートナーデジモンは、そろそろ痺れて感覚がなくなりつつある足に顔を歪めた。
彼らの前に立って腕を組んでいた太一は、深く深く、息を吐く。ピクリと肩を飛び上がらせたのは、クラブチームでの記憶が染み付いていた大輔だ。
「俺らも悪かったよ、こっちがごたごたしていて、ヒカリたちの連絡をとってやれなかった」
それは認める、という太一の言葉に、光子郎とヤマトも首を縦に振る。ほ、と胸を撫で下ろしかけた京は『だがな!』という鋭い声に慌てて背筋を正した。
『もっとやりようはあっただろ! メール送るとか、俺らの職場にかけて取り次いでもらうとか、伝言残すとか!』
「何のために、京くんへ選ばれし子供たちコミュニティの統括権限を渡したと思っているんですか。それを使って全世界の選ばれし子供たちに連絡して、ある程度の協力を仰ぐこともできた筈です」
声を荒げるヤマトと違って、光子郎は淡々とため息交じりに話す。それが余計に、こちらの心をチクチクと刺してきた。
「挙句の果てには、全て終わったことを報告もせずに雪合戦? ――お前ら、もうガキじゃねぇだろうが」
ピクピクと痙攣する口端を持ち上げ、太一は大輔たちを見下ろす。その目の下に黒々とした隈を見て、大輔とブイモンは咄嗟に頭を深く下げた。
「まこっとに、申し訳ありませんでした!!」
小学生時代は、まあ仕方ない部分もたくさんあった。しかし現在彼らは殆どが大学生。さらにはあの頃と違い、デジモンの存在は人間社会において大きなものとなっている。太一たちの職業が、そんな人間社会とデジモンの橋渡しに関わっているとなれば尚更、大輔たちは今回の件について彼らに連絡するべきであった。それは社会の混乱を少なくすることもそうだが、大輔たち自身の安全を保障するためでもある。
「いっそ、初めの東京タワーの一件で警察に確保されてくれた方が楽でしたね……。こっちの伝手を使って早めに情報共有ができた筈です」
それでなくても、大輔たちが何かしら掴んで動き始めていることを、光子郎たちも把握できた筈だ。それに関しては、逃げるべしと決めた京とタケルが、渋い顔をして目を逸らした。
そんな彼らの背中を見下ろしながら立っていた空は、乾いた笑いを溢す。
「空もだ。連絡受け取ったなら、そこで一言注意しろよ」
「う、それについてはごめんなさい……てっきり、太一たちと連絡はついたものとばかり……」
自分の思うままに進みなさい、と背中を押したのは間違いないので、空はもじもじと手を合わせて目を伏せた。
「太一さん、結構過保護……」
思わず唇を尖らせた京は、ホークモンに口を塞がれた。そちらを見やった太一は、肩の力を抜くように息を吐いて、引っ張った椅子に腰を下ろした。
「この年になって社会ってもんを知って、あの頃の母さんたちの気持ちが分かるようになったんだよ」
「お兄ちゃん……」
「お前らの気持ちも、勿論分かるつもりだ。同じ道を進んできたからな。その上で言うぞ」
ピシリ、と太一は人差し指を持ち上げる。自然、大輔たちの背筋が伸びた。
「何かあれば連絡する、報連相は社会人の基本だ。そんで、俺らのことを考える頭にいれとけ」
大輔は意味が分からないというように眉を寄せたが、賢や伊織はハッとしたように目を開いた。
「お前らの先輩は、未熟かもしれないが少しくらい社会をどうこうできる力を持っている。それを利用しろって言ってんだ」
そこで漸く合点がいった大輔は、コクコクと首を動かした。他のメンバーの顔も見回し、太一は漸く表情を崩した。「よし」と短く言って膝を叩き、ルイの方へ身体を向ける。
「それで、ウッコモンだっけ。あのデジモンが、選ばれし子供たちを創り出していたって?」
「え、あ……はい」
突然話を振られて驚いたルイは、ゆっくりと頷いた。
途端に真剣な顔で腕を組んだ太一は、光子郎の方へ向き直り「どう思う」と静かに訊ねた。
「俄かには信じがたいですね……。それが本当だとしたら、嘗て聞いたホメオスタシスの言葉と矛盾します」
選ばれし子供とは、簡単にパートナーデジモンを持つ子供たちと言い換えることができる。それは、長いデジタルワールドの歴史の中で生まれた、<特殊な繋がり>を得ることでパートナーとなったデジモンを急速に進化、成長させることができる子供たちのことだ。そんなパートナーデジモンは、闇の勢力に対して優位に戦うことができるため、しばしばデジタルワールドの救世主として扱われる。デジヴァイスやD3といったデヴァイスは、子供たちの心の動きを効率よくデジモンへ伝える伝達装置であり、全てホメオスタシスが造ったり定義づけしたりしたものだ。
少なくとも、光子郎たちはそう聞かされていたし、その時点で大きな矛盾点はなかったので信じていた。
「ウッコモンの言い分を信じるなら、デジモンと人間の<特殊な繋がり>も、伝達装置も、ウッコモンの力で造り出されたことになる」
「じゃあ、ホメオスタシスやゲンナイさんが嘘をついていた……もしくは、勘違いしていたってこと?」
ミミは大仰に柳眉を顰めた。
「そこで気になるのが、ウッコモン曰く『繋がっている大いなる存在』です」
「それがホメオスタシス、なの?」
空の言葉に、光子郎はゆるく首を横に振った。
何とも言えない、と言うのが光子郎や太一たちの見解だ。ゲンナイへ連絡をとろうと試みているが、デヴァイス大量消失の影響か、返信はない。
「俺たちはウッコモンと関わっていないから、これは完全にこちらに都合の良い仮定だ」
ウッコモンが人間と<特殊な繋がり>を持つデジモンを創造――というより、デジモンと子供たちの心を繋ぐデヴァイスを生み出していたのだと、太一は仮定する。それはつまり、ホメオスタシスの端末の一つが、ウッコモンだったということだ。
「ウッコモンが、ホメオスタシスの一部……」
「『大いなる存在と繋がっている』っていう言葉とも、矛盾しない」
「ウッコモンの力で伝達装置が造られていたのだとしたら、ウッコモンが消滅したことでデジヴァイスが消滅したのも頷ける」
ポンポンと交わされる言葉を聞いていた空は、キュッと手を握りしめた。
「……デジモンじゃなく、デジヴァイスの方を造り出していたって思うのは?」
「……二年前、」
太一は目を伏せた。
「二年前のパートナーシップ解消のことは、単純にウッコモンの目的と相反するからかな」
多くの友達を作るために選ばれし子供たちを創っていたのに、大人になったからと言ってそれを取り上げる。確かに、ウッコモンの目的と矛盾が生じる。
「ホメオスタシスは、<特殊な繋がり>を持つデジモンは、長い歴史の中で自然発生的に生まれたと言っていましたが……」
『その『自然発生的』の部分に、ウッコモンが関わっているってことはないのか?』
「その可能性もあるだろうけど、『ウッコモンがホメオスタシスの端末』って仮定にはあまり関係ないだろ」
それもそうか、とヤマトは口を噤む。
「ルイくんの前に現れたのは?」
「……これも俺たち目線の都合が良い仮定なんだが」
太一が一つあげたのは、大輔たちも良く知る海外の選ばれし子供の名だった。
「偶発的にというか、そういうイレギュラーはどうしても出てくると思うんだ。彼しかり、ルイしかり、俺はそういう存在なんだと思っている」
「……あのときのコロモンも、そうやって偶然私たちのところに来たって、ホメオスタシスは言っていたものね……」
記憶を辿るように瞳を動かし、ヒカリは何となく胸元へ手をやった。
偶然。その単語を口の中で転がし、ルイは両手で包んだ湯呑に目を落とす。その通りだと思う。あのとき、ウッコモンがわざわざルイを選んだ理由は思いつかない。八神ヒカリのような特異性も、本宮大輔たちのような芯の通った精神もない。ただ、『気の毒な少年』だっただけだ。
「もう、太一さんまで小難しいこと言うのね」
光子郎くんの影響かしら、とぼやきながら、ルイの隣に座っていたミミが立ち上がった。ルイが驚いて顔を上げると、ニコリと笑ったミミは彼の肩を掴んで自分の方へ引き寄せる。
「そういうのは偶然っていうんじゃなくて、運命って呼ぶのよ!」
パチ、とルイは自由に動く左の目蓋を動かした。胸を張るミミに、丈は苦笑を漏らしつつルイがお茶を溢さないよう彼の手から湯呑を持っていく。太一と光子郎は顔を見合わせ、ヤマトは口元を引きつらせ、空は頬へ手をやって苦笑を漏らした。キョトンとしたように顔を見合わせていたタケルとヒカリの前で、勢いよく立ち上がる影が一つ。
「そう! そうっすよね、ミミさん!」
パートナーたる人間とデジモンの出会いは、誰に決められたものか。言うなればそれは、運命という天の采配である。
狭い会議室の中高らかに言い放つミミへキラキラとした視線を向け、大輔とブイモンはサッと顔を見合わせた。ガシリ、と固く手を結び合う特攻隊長たちを見て、伊織とアルマジモンは苦笑する。
「勉強している身としては、根拠のない推論はあまりしない方がいいと思っていますが……僕個人としては、その考え、とても良いと思います」
「お、伊織もロマンチストになってきたわね」
ニヤニヤと笑う京に、伊織は少々唇を尖らせる。クスクス笑っていた賢は、キラキラとした視線を向けるワームモンの頭をそっと撫でた。
パートナーたちの出会いは運命で、そこに関わる伝達装置(デジヴァイス)や増幅装置(紋章)は、ホメオスタシスとその端末たるウッコモンが生み出した物。全て選ばれて与えられるばかりの関係性は、けれど出会ったときから自分自身で選び続けながら結んできた<絆>だ。
呑気な後輩たちを眺めながら、太一は疲れたように吐息を溢した。
「全く、呑気だな」
「ええ。でも、今回のことで分かったことがあります」
光子郎の言葉に、近くにいたヤマトと太一の視線が動く。光子郎は自身の手元にあるタブレットを弄りながら、言葉を続けた。
「デジヴァイスがなくても、パートナーデジモンは消えない、ということです。デジモンが消えることで、デジヴァイスは機能停止するにも関わらず」
太一は咄嗟に胸ポケットへ手をやって、そこに何の膨らみがないことを思い出して苦く顔を歪めた。
『データを移動させたスマホ端末の方は?』
「僕が造ったものだからでしょうかね、ちゃんとあります」
光子郎はポケットからそれを取り出して振って見せる。さすがにデジヴァイスとしての機能は停止していたが、普通にスマホとしての機能は生きている。
つまりデジヴァイスはあくまでも補助装置であり、パートナーシップ関係に依存するのは『デジモン』と『人間』であるということだ。
「で、ヤマトの方はどうなんだ」
『そう簡単にいくわけないだろ』
呆れた風に唇を尖らせてみせながらも、ヤマトはニヤリと笑った。
『手応えとしては良い感じだな。光子郎たちの推薦も効果あるみたいだ』
「まぁ、宇宙におけるデジタルワールド関係の調査に、選ばれし子供が一人でもいた方がいいですからね」
「後は、今後の大輔たちのパートナーシップが、どうなるか、だな」
デジヴァイスが消えた今、新たなモデルケースの検証が必要となった。伝達装置のない今の状態で、太一たちと同じような離別の局面に立ったとき、何か違いが起こるのか。
「……アイツらの番になる前に、何とかできねぇかな」
「太一さん……」
光子郎はタブレットへ一度視線を戻し、ギュッと手を握りしめた。
「焦っても仕方ありません。僕らは、僕らのできることをやりましょう」
思考と足を止めてしまえば、それこそパートナーたちに顔向けできない。太一はフッと口元を和らげて「そうだな」とぼやいた。
「大輔」
太一が少し声を張り上げると、何やらルイの頭を掻きまわしていた大輔が間抜けな声と共に振り返った。座った体勢のまま、太一はヒラリと手を振る。
「よろしくな、期待しているぞ」
一度パチクリと動かした目を、ニンマリと緩め大輔は大きく腕を振った。
「任せといてください!」
調子よいこと言っちゃって、と京が肘で突く。賢と伊織も顔を見合わせてクスクスと笑う。タケルとヒカリが、ホッとしたような顔で息を吐く。そんな彼らに囲まれて、大輔はどういう意味だと唇を尖らせた。
いつだって変わらない彼らのやり取りに、口元を緩めながら光子郎は太一を見やる。だらしなく背もたれに腕を乗せた彼は、クツクツと喉を鳴らして笑っていた。
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