ぼくらの前哨戦
薄暗い室内で、爛々とモニターのブルーライトが輝いている。
「光子郎はん、光子郎はん」
二度目のテントモンの呼びかけで、光子郎はハッと我に返った。時計を見た彼は、自分がどれほどの時間モニターに集中していたかを悟り、深く息を吐いた。
「根を詰めすぎでっせ」
眉間を揉む光子郎へ、テントモンはお茶を渡す。光子郎がそれを受け取ったとき、机に置かれていた彼の携帯がメッセージを受けて震えた。画面を見た光子郎は、微かに顔を強張らせる。
「誰からなん?」
「……太一さんです。ヤマトさんと、三人で飲まないかと」
「お誘いでっか。ええでんな、行ってきなはれ」
光子郎は言葉を濁す。彼の言いたいことをくみ取ったテントモンは、ポンと肩を叩く。
「ついでに、相談してくればええ」
「それはできません」
きっぱりと、光子郎は断言する。
「そんなこと……」
「光子郎はん」
俯いて拳を握る光子郎へ、テントモンは言葉を重ねる。
「一人で何でもできるわけあらへんで」
テントモンにじっと見つめられ、光子郎は思わず目を伏せた。つ、と湯呑に指を滑らせ、光子郎は「そうですね」とぽつりと呟いた。

「かんぱーい」
賑やかな店内、黄金色の液体を揺らして太一はグラスを掲げた。
「お前、テンション高すぎ」
「良いだろ、俺の卒論が上がった祝いだ」
「俺や光子郎に随分泣きついたくせに」
ヤマトの小言を聞き流し、太一はビールを煽る。ヤマトは苦く顔を顰め、ネギマを手に取った。
「本当に締め切りギリギリだったらしいな」
「うっせぇな」
口元についた泡をぐいと拭い、太一は光子郎へ視線をやった。
「光子郎はどうすんだ?」
「そうですね……大学院へ残るという手もありますが、会社のこともありますし」
箸でたこわさを突きながら、光子郎は答える。二杯目のグラスを注文した太一は、「で?」とさらに続きを促した。
「『で』?」
「最近は何を研究してんだ? オフィスに缶詰めになってるから、運動不足にならないかってテントモンが心配してたぞ」
「……いつ聞いたんですか」
「テントモンがテイルモンに愚痴って、テイルモンがヒカリに報告して、ヒカリが俺に教えてくれた」
太一はタレが滴る串を左右に動かす。光子郎は額に手をやり、大きく息を吐いた。
正直、この二人に相談した、頼りたい気持ちがないと言えば嘘になる。しかしある一点が、光子郎に遠慮をさせていた。
「頼れよ、光子郎」
光子郎の目の前にある枝豆を摘まみ、ヤマトが言った。
「確かに、俺たちにはもうパートナーデジモンがいない。だからって、デジタルワールドとの縁がゼロになったわけじゃない」
「そうそう。必ず迎えに行くって決めているからな」
真っ直ぐ見つめる二対の瞳に、光子郎の口元は自然と綻んでいた。自分のパートナーの言葉は、ほとほと正しかったのだと実感しながら、光子郎は乾いた口をアルコールで潤す。
「……FBIの、覚えていますか?」
「ああ、ヤマトが怪しんで、尾行したけどすぐバレた」
「うるさい」
「あの人から、メノアさんのパソコンに残っていたデータの解析を頼まれたんです」
「FBIが? 随分信用されているんだな」
「僕が、というより、『あのデータ』に関しては『選ばれし子ども』の方が適任だという、あの人個人の判断でしょう」
言いながら、光子郎は枝豆を摘まんで一粒口に放り込んだ。
「メノアのパソコンにあったデータって? エオスモンのか?」
「覚えていますか? メノアさんは、エオスモンの誕生するきっかけはオーロラだったと言っていました」
オーロラを見た日、それまでただのデータだったものが、デジモンとして息吹いた――メノアはあの結晶世界で、そう言っていた。
「そのオーロラに関するデータが、残っていたんです」
光子郎は握った拳を机に置き、少し身を乗り出した。談笑でざわつく店内、少しでも彼の声を拾おうと、太一とヤマトも身を乗り出す。
「不思議だと思いませんか? 何故、オーロラがデジモンの命を与えたのか。そこから生まれたエオスモンが、人間の意識をデータ化する力を持っていたのか」
元々デジタルワールドに生まれるデジモンだったとしても、そんな力は特異的だ。
「オーロラに、何か力があったと?」
「まさか、デジモン?」
「断定も推論もできません、今は――ただ?」
興奮した光子郎は、下唇を舐めた。
「メノアさんのパソコンに残っていたオーロラのデータには、明らかに地球外であることを示すデータがありました。今の科学では、解析不可能な」
「地球外って」
ヒクリと太一は頬を引きつらせ、自身の心を宥めるようにビールを煽った。
「それこそ、デジモンじゃないのか?」
「――宇宙か」
ヤマトの言葉に、光子郎は頷く。
オーロラは、地球の磁場の影響によって起こる、元々宇宙的な現象だ。しかし光子郎はただの磁場の影響によるものではなかったのだと推測している。
「宇宙の『何者か』がこの地球に干渉しようとした――その結果、あのオーロラが現れたんです」
そしてそのデータを手に入れたメノアは――『何者か』がメノアに与えたのかもしれないが――人間の意識をデータ化する力を持つ特別なデジモン『エオスモン』を創り上げた。
「つまり……宇宙人?」
「その方が、分かりやすいですね」
グラスから手を離した太一は、頭を抱える。
「問題は、その『宇宙人』がオーロラとして地球に干渉してきた点です。エオスモンの能力が、その『宇宙人』のものだとしたら」
「まさか、そいつの目的も人間の意識を結晶化させることだっていうのか? なんでまた、地球制服でもするつもりかよ」
とんだSF映画だとヤマトは吐息を漏らす。今更だろうと返して、光子郎はビールを一口飲んだ。
「メノアさんはそのように使いましたが、あれは人間の進化を阻害するという力が基だと思われます」
「人間の進化を……?」
「悪意を持っているのかただの現象なのかは分かりませんが、近い将来――いや、ひょっとするともっとずっと先の未来――地球の、人類の進歩が停止してしまう危機が待っている可能性があります」
賑やかな店内、三人の座るテーブルだけがシンと静まった。
「それって……まずいな」
「まずいなんてものじゃないですよ。下手をしたら、今回のメノアさんがしたように、全人類や全社会を退化させられてしまうかもしれません」
太一はサアと顔を青くした。
「……これは選ばれし子どもたちのコミュニティだけで解決できる問題じゃない、何せ敵の狙いは全世界なんですから、全世界一丸となって立ち向かう必要があるんです」
「……それ、FBIには言ったのか」
「……一応」
今のヤマトや太一と同じように、苦い顔をされてしまったが。当たり前だ、同じ国の人間でさえ諍いは起こるのに、全世界の人間が共通意識を持って立ち向かうのは容易ではない。
「……宇宙か」
ヤマトはごそごそと鞄を漁ると、取り出した何かを机に置いた。散らばったそれを見て、光子郎と太一は目を丸くする。
「敵が宇宙なら、直接調べる必要があるな」
ニヤリと笑うヤマトへ、光子郎はまごつきながらも頷いた。本当なら、インペリアルドラモンのようなデジモンの力を借りるべきだが、そのような強大な力を使えば、大輔と賢にもあのリングが出てしまうかもしれない。だから、光子郎はまだコミュニティにもこの話を流してはいなかった。
ヤマトは机に広げたパンフレットを指でなぞる。
「……実は俺も、FBIに連絡貰っていたんだ。尾行はお粗末だが、その勇気と気概は買うから、エージェントにならないか、ってな」
太一が聞いていない、と眉を顰めたが、ヤマトは無視した。実は太一のリーダーシップに目を付けたFBIから、太一と二人で、と勧誘を受けていたのだが、それは伝えなくて良いだろう。
「だが、これでスッパリ断る理由ができた――俺が宇宙に行く」
青い瞳をニヤリと歪めて、ヤマトはパンと机を叩いた。
「俺が宇宙に行く。――宇宙に行って、その敵の尻尾を掴んでやる」
ポカンと口を開いた光子郎は、コクリと唾を飲みこんだ。
「本気ですか?」
「元々、宇宙っていう未知の世界ならガブモンと再会できるんじゃないかって打算もあったんだ」
任せておけ、とヤマトは親指で胸を叩く。
光子郎はチラリと太一を見やる。
「……太一さんは?」
「俺は宇宙って柄じゃねぇだろ」
カラカラと笑って、太一は軽くなったグラスを置いた。
「卒論にも書いたけど、俺は架け橋になりたいんだよ」
人とデジモンの架け橋に――この人にこれほどぴったりハマる形はない、と光子郎は素直に思った。
「次の選ばれし子どもたちの戦いに、世界が一丸となることが必要なら、俺が架け橋になってやろうじゃん」
太一はニヤリと笑って、紙を一枚振って見せる。そこに書かれていた文字を見て、ヤマトと光子郎は目を疑った。
「国家公務員試験……これ、合格したんですか?」
「まだ試験があるから、本決まりじゃないけどな」
正式な書類であることは分かるが、まだ納得できない。ヤマトも飲み込めていないのだろう、マジマジと書類と太一の顔を見比べている。
「デジタルワールドの外交官になろうと思ってさ」
「さすがですね……これと決めたことに関する情熱と集中力は」
感心しながら、光子郎は吐息を漏らした。
「選ばれし子どもたちがいろんな国で活動できるよう、助けてやりたいしな」
「デジタルワールドの外交官……デジタルワールドに領事館でも造るつもりか?」
「ああ、それも良いかもな」
そこまで考えて、ふと、パートナー解消後もデジタルワールドに行けるのだろうか、と疑問が浮かんだ。
「パートナー解消されても、デジタルワールドとの縁が切れるわけじゃない、か……」
ポツリと呟いて、光子郎はデジヴァイスを机に置いた。ヤマトと太一はぎょっと目を丸くする。そこにはパートナー解消のタイムリミットを示すリングが浮かび、四分の一が消えていたのだ。
「丈先輩の次は、僕だって思ってました」
くしゃり、と光子郎は笑う。
「覚悟していたつもりだったんですけど、やっぱりいざ目にすると悔しくて悲しくて……でも、そうですね。僕が諦めなければ、まだデジタルワールドと関わっていくことはできるんだ」
晴れやかな光子郎の顔を見て、太一とヤマトは口元を緩めた。
「毒薬も薬になる」
「は?」
「先ほどの宇宙人の能力、人類の進化を阻害させる力を探れば、人類の進化を永続する力にできるでしょう」
「つまり?」
「パートナー関係を続ける上で必要な『可能性の力』を永続できる――パートナー解消をなくすことができるかもしれません」
光子郎は手の平を見つめ、グッと握りこんだ。
「僕は、それを見つけます。デジタルワールドの研究を続け、パートナー解消のない世界にしてみせます」
「その意気だ!」
太一は光子郎の首へ腕を回す。彼の吐息からアルコール臭をかぎ取り、光子郎は僅かに眉を顰めた。ヤマトも空になったグラスを机に置く。
「俺だって、いつか、ガブモンと一緒に地球を見てやるさ」
「俺も、アグモンとデジタルワールドの架け橋になる!」
太一は腕を伸ばし、眩しい照明に手を翳した。
「俺たちは、立ち止まっていられないな」
太陽を掴むように手を握る。
ヤマトと光子郎も、頷いた。
「よっしゃ、当面の目標も決まったし、景気づけだ。すいませーん!」
「……太一さんは相変わらずですね」
まだ半分残っているビールへ口をつけながら、光子郎は苦笑した。
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