No.3
「あれ、蛙吹」
「どうも、尾白ちゃん」
梅雨ちゃんと呼んでという決まり文句に笑みを返しつつ、尾白は辺りを見回した。どうやら、公園の広場のようだ。前方にはごうごうと水を流す噴水があり、その更に奥には金に光る時計台が聳える。タイルの敷き詰められた広場には二人の他にも、十数名ほどの人々がぼんやりと佇んでいる。いずれも頭や手足、身体のどこかしらや全身が動物のものになっている異形型ばかりだ。
「? どうして俺たち、」
尾白の言葉はそこで途切れた。風船を叩きつけられたような衝撃――これは音波だ。それが全身を襲い、尾白と蛙吹は腕で顔を庇い、足を踏みこんだ。人々は短い悲鳴を上げながら、失神するようにその場で崩れ落ちていく。ヴィランかと尾白が身構えたとき、噴水の水を掻きわけるようにして黒い影が姿を現した。と、と軽い音を立てて、時計台の上に白い髪の少女が着地する。少女はモップを片手に噴水を見やった。
「何故。折角集めたのに」
「弱者に用はない。最低限、今の俺の音を食らって立っていられる駒でなければな」
滴る水を拭いもせず、影は噴水から上がった。顔の左半分と口元を覆うボンベのような仮面。それだけでもインパクトは十分だが、唯一見える右目が湛える深海のような暗い光が男の不気味さを醸し出している。その目が、音波を耐えきって微かに震える尾白と蛙吹を捕えた。
「ちょうど、アイツラのような、な」
「!」
ぞわり、と背筋が泡立った。USJや合宿時に感じたのと同じ――強敵の威圧感。しかしあのときと違う踏んだ場数が、二人を奮い立たせた。怯えをすぐ消し去り、睨みを効かせて構えをとる蛙吹たちの姿に、男は目を細めた。
「良いなその目……俺より優位に立とうとする意志」
喉を引き攣らせるように笑い、男は少し上体を倒す。
「――踏み潰したくなる」
ずあ、と空気を唸らせて男の背後から巨大な尾鰭が姿を現した。尾白と蛙吹は左右に別れ、地面を抉るそれを避ける。少し離れた地点へ足をつけた途端、尾白のそれはツルリと滑った。
「?!」
下を見れば、年季の入った煉瓦が硝子のように輝いている。咄嗟に尾を使ってバランスをとり、尾白は更に後ろへ飛んだ。いつの間にか時計台から降りていた少女が、モップを地面につけている。まさか、彼女の個性か。
「摩擦を失くした……?」
「凹凸を失くす個性かしら。けど、私には関係ないわ」
ケロロ、と舌を伸ばして、蛙吹はフレアスカートの裾をたくし上げると、両手を地面へつけた。
「あの女の子は任せて頂戴」
「ああ。じゃあ俺は、鯨男を引きつけながら、周りの人たちをどうにかするよ」
「お願い」
蛙吹は言うが早いか飛び出した。尾白も駆けだし、倒れる人々を公園の隅へ運ぼうと手と尾を伸ばす。
「片手間に相手できると思われるほどとは、俺も甘く見られたものだ」
「!」
背後に回られた。巨体を持つくせして、素早い動きをするものだ。尾白は尻尾を振って身体を捻り、その勢いのまま尾を叩きつけた。ばし、と男の腕に防がれる。尾白は尾を腕に絡めると、男のヘルメットへ両足をつけ、反動をつけて跳躍した。
「っと、確かに片手間は難しい……」
USJでは多数対一の中、何とか凌いだ尾白だが、今は状況が違う。尾白の力量では、鯨男を引きつけながらこの場の一般人を安全地帯へ運ぶことは難しい。
「仮免試験受かっておいて良かった……」
小さく呟きながら、尾白は尻ポケットに入れた携帯を取り、そっと指を滑らせる。ぴこん、と小さな音が鳴ったのを確認してから、ポケットへしまう。それと同時に鯨の尾が飛んできて、尾白は咄嗟にショルダーバックを振り回した。肩から外したバックを手に持ち、尾白は取敢えずこの場を離れようと駆けだした。
「へぇ、面白い」
鯨男はニヤリと笑うように目を歪め、口元を覆うボンベへ手をかけた。
「――!?」
キィンともポーンともつかない、形容しがたい音が尾白の耳から入って脳を揺らし、足を止めた。まるで痺れたように硬直する身体に驚きながらも、動くことができず、尾白は息を飲む。
「おじろ、ちゃん……」
僅かに動く眼球を横へやると、モップの柄を首元へ突きつけられた蛙吹が力なく倒れていた。同じ音の影響を受けたのだろうか。そう思案すると同時に、冷たく大きなものが尾白の右半身を叩いた。受け身も取れぬまま、尾白は煉瓦の上を転がる。
「ぐぅ……」
細かい擦り傷が熱を持って痛みを伝える。鯨男は尾白へ叩きつけた尾をしまうと、悠々とした足取りで歩み寄り、尾白の襟首を掴んで持ち上げた。キン、とまた脳を揺さぶられる音がして、尾白の意識が揺らいだ。
「おい、行くぞ」
「了解」
ぐったりとした蛙吹を肩へ担ぎ、少女が頷く。途切れそうになる意識を何とか堪えながら、尾白はどうにか打開策を掴もうと思考を巡らせた。
(やばい……何も思いつかない……)
不甲斐ない。自分どころか、仲間、一般人さえ守れないなんて。仮免をとって、少しは前へ進めたと、そう思っていた。
「尾白くん! 蛙吹さん!」
凛とした声が尾白の耳を刺し、ぼやけていた脳を少し明瞭にさせた。薄く開いた視界の向こう、バチリと電気のような刺激を纏った級友の姿が見得た。
(やっぱり、すごいよ……緑谷)
グリーンのトレーナーの裾を風に舞わせた少年は、その場の誰よりもヒーロー然としていた。
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