楽園はまだ見えない
小説とはすべて未完であり、他の小説と隣接しながら続いていく(成田瑞穂)

人生は自分自身の物語であるという。例えばこれがもし、自分が主人公の物語であるならば、それはきっと―――
「俺は、悲劇だとは思わない」
そう言って、永近は柔らかく微笑んだ。
一面を、空で囲まれた場所だった。いつだったか読んだ雑誌に、海と空が繋がる場所と謳われていた外国の景色によく似ている。その真ん中で、綺麗な青には不釣り合いな黒い椅子に座って、金木はぼんやりと足元を見つめていた。
そんなときに、不意にかけられた言葉。
頬に触れる手に導かれるまま顔を上げれば、よく見知った、けれど懐かしい笑顔がそこにある。つい、その手に自分の手を重ねて顔を歪めた。
「……本当にそう思うの?」
「おう」
ニカリと笑って、永近は金木の頭へ手を滑らせる。そのまま真っ白な髪をかき混ぜるように撫でる手は優しくて、自然と金木の瞼が降りた。
「だってそうだろ?カネキと出会えて、最後まで一緒にいられた……幸せだもん、俺」
後頭部に回った永近の手が、金木の頭を押す。椅子に座る金木に対して永近は立っていたから、自然と金木の顔は永近の腹へとぶつかった。ふわりと鼻孔を擽る永近の匂いに、懐かしさは込み上げど、摂食衝動は襲ってこない。それに酷く安堵して、金木は永近の腰に腕を回してきつく抱きしめた。
幼子のようなその様子に、永近は少し笑って背中を叩く。その手の暖かさに、じわりと視神経が熱く痺れた。
「……僕は、何一つ守れなかった……」
強くなりたいと、守りたいと、そう望んでいた筈なのに。望んだそれらは、何一つ叶いはしなかった。
「んー、俺は、カネキみたいに難しいこと考えられないけどさ」
ぽん、ぽん、と一定の間隔を持って叩く手を止めぬまま、永近は少し空を見上げた。
「俺は最後にカネキが帰ってきてくれたから、それでハッピーエンドだなぁ」
風が何処からか吹いて来て、金木の白や永近の向日葵を遊ばせる。風圧で永近と引き離されてしまいそうな心地がして、金木は思わず抱きしめる腕に力を込めた。
「……僕も、ヒデのところへ帰れて、良かった……」
震える金木の声を聴いて、永近は、良かった、と心底安堵したように呟いた。
例えばこれを見た誰かは、悲劇というかもしれない。けれど、金木たちにとっては紛れもなく。
「行こう、カネキ」
そっと金木の腕から離れた永近が、そう言って手を伸ばす。いつの間にか椅子は消えていて、金木は薄く水の張った大地に己の足で立っていた。
永近の、短く切った向日葵色の髪が揺れている。それを見て、金木はそっと口元を緩めた。
「……うん」
目元へかかる黒髪を払い、金木は永近の手をとる。そうして二人で、青い世界を歩き出した。

真っ白い、世界だ。まだ世界を白くし足りないというように、雪は降り続いている。その中で傘もささずに佇んで、有馬は足元に並ぶ喰種と人間の身体を見下ろしていた。
青白い頬と、雪を溶かしながら赤く染める血と、静かに閉じられた瞼が、彼らの眠りが安らかなものであると告げている。
「……」
そっと息を吐くと、白いそれはすぐに空へ向かって溶けて消えた。





目を覚ますと、そこは雪国でも空を映した湖でもなく、ただの白い病室だった。一瞬にして、金木は己が生き長らえたのだと悟る。では、永近は。そう思って首を回すと、窓から射しこむ穏やかな逆光を背負った人影が目に入った。
ほ、と顔の筋肉が和らぐのが解った。金木の寝るベッドの隣に並んでそれの上に座っていた彼は、金木の方を見やってニカリと笑う。
「……ただいま、ヒデ」
「おかえり、カネキ」
彼が隣にいて笑っている。状況は把握できないし平穏が扉の向こうからやってくる気配もないが、今はそれだけで充分だった。

本気なのか。たった今有馬から告げられた計画は、法寺の息を一瞬止めた。
いや、冗談を言うような男ではないと、それくらいは法寺も知っている。またいつもの天然発言なのだろうか。しかし彼と対面している丸手も自分と同じように壁際で控える平子も、渋い顔を崩さない。チラリと傍らに立つ真戸を見やると、彼女は凛とした姿勢と表情を崩さず、じっと白い死神の背中を見つめていた。
本気なのかと、丸手が訊ねる。間髪入れず、是、と有馬は答えた。
喰種を、CCGへ加入させる―――有馬は、先ほど述べた言葉をそのまま繰り返した。
喰種と言っても、喰種の内臓を移植された元人間で、生まれも育ちも完全な喰種というわけではないらしい。喰種と人間の視点を持ち、戦力としては申し分ない。これ以上の逸材はあるものか。
「……その喰種がこちらを襲ってこないという確約は?」
ぽつりと、真戸が発言した。思わず法寺は彼女を一瞥したが、凛とした瞳は変わらず有馬を見つめている。有馬も眼鏡越しに、何を考えているか読めない瞳を真戸へ向けた。
「……彼には、唯一無二の人間の親友がいる」
「人質か」
真戸の鋭い言葉に明確な肯定は返さず、有馬は丸手へ視線を戻した。
喰種は、自分と親友の安全を対価にCCGへ協力すると言ってきた。だから有馬は、もしCCGに歯向かうようなことがあれば、その人間の安全は保障しないと返した。
「……だが、こんなこと他の者たちが納得するわけない」
「僕が何故、この限られた面子で内密に話をしたと思っている」
それは、その人間がこのメンバーと近しい人物であるからだ。
先の読めない有馬の言葉に、法寺は我知らずゴクリと唾を飲みこんだ。

「ごめん」
唐突に溢された言葉に、永近は手を止めて顔を上げた。そこに立っていた金木は顔を伏せたまま、また同じ言葉を呟き返す。永近は苦笑して彼を見上げる。
「何が?」
「……僕はまた、迷ってる」
この道で合っているのだろうか。前回選んだ道は、結果的に言えば間違いだったように思えてしまう。この道を進む先の何処かで、また後悔してしまったら。
固く握られた手を、そっと温い手が包んだ。金木が伏せていた顔を上げると、真夏に咲く向日葵のような笑顔がそこにあった。
「何度間違ったって良いさ。俺はどんな道でも、カネキの隣にいるよ」
いや、永近自身が隣にいたいと思うのだ。どんなバッドエンドがあろうとも。
氷をゆっくり溶かすようなじんわりとした温さが、金木の目の奥へ熱を灯す。咄嗟に手の甲で目を覆って、金木はグッと歯を噛みしめた。
「ありがとう」
最近は、こんな言葉ばかり言っている気がする。ふと頭の片隅でそんなことを思いながら、金木は向日葵色の温もりをそっと握り返した。




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