王子さまはガラスの靴に憧れる
※神無月姉を大分捏造しています。
※男前いっくんはいません。


神無月郁は王子さまである。とは、彼の相棒・水無月涙の言葉である。陸上部に所属するしなやかな体躯とそれを活かしたダンス、更に無自覚ながら他を魅了する自然な言動は乙女の憧れそのもの。
水無月涙を小さな魔王と称するならば、神無月郁は次代の王さま候補である。とは、とある神無月郁ファンの贔屓目だ。



時刻は夜も更けた22時。玄関と共有ルームにはまだ明かりが点いていたが、そこで寛ぐメンバーの姿はない。スケジュールを思い返すと、まだ帰宅予定でないメンバーは何人かいるから、郁も明かりを点けたまま、自室へと進んだ。
「……はあ〜」
扉を閉めて、郁は全身の疲れを吐き出すように息を漏らす。ググ、と身体を伸ばしてから力を抜くと、疲労感が緩和されたようで心地良い。郁は部屋の電気を点けると、ベッドへ鞄を放り、腰を下ろした。それから鞄を開き、青い袋をとりだす。郁が更に袋から取り出したのは、手のひらサイズほどの四角い箱だった。
淡い水彩画調に彩られた数人の青少年と、中央で彼らに囲まれる一人の少女。ゲームらしきその箱のパッケージには、そんな絵が描かれていた。
緩む口元を少し手で抑え、郁はローテーブルに一度それを置くと、ポケットから携帯をとりだした。メッセージアプリやメールとスケジュールを照らし合わせながら、明日の予定を確認する。
(明日は午後から涙とインタビューか……)
時計を一瞥すると、まだ日は跨いでいない。少しくらい夜更かしして寝過ごすことがあっても、大丈夫だろう。
ふとマネージャーからのメッセージを閉じると、姉からもメッセージが来ていることに気が付いた。内容には心当たりがある。
『新作買った? アンタの好みはどれよ』
因みに、と付け加えられていた名前と外見の特徴をパッケージと照らし合わせる。どうやら一番端で快闊な笑みを浮かべる青年のようだ。確かに、姉の好きそうなタイプである。事前にネットででていた情報を脳内に思い起こし、郁はベッドへ倒れこむとパッケージを掲げるようにして見つめた。
「……」
順に青少年たちを見やって、とある一人に目を止める。パッケージの右隅で、どこか憂い気な表情で少女を見やる薄青色の青年。彼を、そっと親指でなぞった。
それから郁は携帯を持ち上げて、姉へメッセージを打つ。親指でなぞったキャラクターの名前と特徴を打って送信し、郁は携帯を枕の方へ放った。
「さて、と」
郁はゴロリとうつ伏せになるように体勢を変え、ベッドヘッドへ置いた携帯ゲーム機に手を伸ばすと、早速パッケージを開けたゲームチップを射しこんだ。肘をついて身体を少し持ち上げ、膝を曲げて足を揺らす。
バラード調の曲が流れ始め、アニメムービーが始まった。次々と映りだすのは、少女と青少年たちが一人ずつ抱き合ったり、寝転んだり、見つめ合ったりする絵。そう、これは所謂乙女ゲームというジャンルだった。
「名前は……いつも通りデフォルトでいいか」
ボタンを操作する手つきは、慣れたものだ。
そもそも郁が乙女ゲームを嗜むようになったのは、先ほど登場した姉が関わっている。
年相応に女性らしい姉は時に豪快で、郁がたまたま見つけたゲームソフトの内容を問うと、物は試しだプレイしてみろと携帯ゲーム機とソフトを彼へ押し付けたのだ。郁は訝しがりながらもプレイし、それが乙女ゲームだと分かると、「ハメられた……!」と叫びだしそうな心境になった。途中で止めることもできたのだが、粗筋やプロローグを読んで続きが気になった郁は、そのままズルズルとクリアまでやり遂げたのだ。
幸運と言うべきか、そのゲームはストーリーが良くできており、したり顔で「どうだった
?」と訊ねる姉にソフトを返した郁が、「……面白かった、です」と答えるまでだった。調子に乗った姉は、新しい物を購入するごとに、ソフトを郁へ渡すようになった。やがて郁自身も気になった乙女ゲームを購入しては、姉とシェアし、感想や攻略情報を交換するまでになり、郁がアイドルとして下宿するようになってからは、それぞれ自分用のソフトを購入するようにまでなった。
「……」
軽い回想から還ると、丁度ヒロインがメインヒーローと出会うシーンが流れていた。ヒロインへ優しく手を差し伸べるメインヒーローの顔が画面いっぱいになり、耳につけたイヤホンからは吐息交じりの甘い声が聴こえてくる。
「……はぁ〜……」
ぼふん、と枕に顔を埋め、郁はゴロリと天井を仰ぐ。
「……俺、ホモなのかなぁ……」
乙女ゲームを好み、ヒーローたちのヒロインへ対する言動にドキドキするのは揺るぎない事実だった。別にヒロインと自分を重ねているわけではなく、あくまで二人の関係性にドキドキするので、感覚としては少女漫画を読んでいるようなものなのだが。
「……イメージ丸潰れだよなぁ」
神無月郁と言えば、世間一般に男前キャラで通っている。天然で人見知りな相方・涙をさり気無くエスコートし、フォローする姿は、葵とは違う意味で王子さまらしいとも言われる。そんな男が、乙女ゲームを好むと知れたら――。
(言ってる筆頭が涙だからな……)
世間一般は勿論、ツキノ寮メンバー、特に涙には知られたくない――魔王さまに関しては既にお見通しな気もするが、怖いので追求しないでおく――。
(ばれないように気を付けよう)
何度目かの誓いを心の中で呟くと、郁はまた身体を反転させて枕に置いたゲーム機を握った。
一先ずは、トゥルーエンド到達が目標だ。

(……五回目だ)
大口を開けて目を擦る相方をこっそり観察しながら、涙は顔を台本で隠した。郁は涙の様子に気づかず、真剣に台本を読みこんでいる。インタビューまで時間が空いたので、次回のラジオの台本チェックをしている最中だ。
「あ〜」
郁は諦めたように声を上げると、台本を置いて立ち上がった。
「ごめん、ちょっと走って来る」
「眠いなら、休めば良いのに」
「寝起きだと俺、頭働かないから」
時間までには戻るよ、と郁はタオルを手に楽屋を出て行く。
閉じられた扉を見つめながら、涙は台本を伏せた。何となく、詰まらない。頬杖をついてお茶へ手を伸ばすと、ぴこーんという軽やかな音が耳をついた。辺りへ視線を巡らせると、鞄を乗せた椅子の下に落ちた携帯を見つけた。
「いっくんのだ」
タオルを取り出すとき、滑り落ちてしまったらしい。涙がそれを拾い上げると、また携帯がメロディと共に震えた。ロック画面には、たった今届いたメッセージの内容が映しだされている。差し出し人は、郁の姉のようだ。
『あ〜やっぱりその子か。アンタ、結構面食いだよね』
「面食い?」
文面からして会話の途中のようだ。しかしこの楽屋についてから郁が携帯を触ったのは、インタビューまで時間が空いてしまったという黒月からの連絡を受けた時だけだ。何の話なのだろう、と涙が首を傾げていると、またメッセージが受信される。映し出された文字面に、涙は目を丸くした。
『いつも思っていたんだけど、今回の子も水無月涙に似てるんじゃない?』
「……え?」

「面食いで、涙に似ている子?」
「うん、夜は心当たりある?」
涙の問いに、本を読んでいた夜もその隣でスナックを齧っていた陽も、ちょっと顔を見合わせた。パキン、と長いスナック菓子を折った陽は微妙な顔をして、「あると聞かれてもなぁ」と顎をしゃくった。彼が指した方を、涙は身体を傾けるようにして見やる。
「は〜じめ!」
「抱き着くな」
そこには、満面の笑みで腕を伸ばし飛びつこうとする隼と、その頭をがっちりと掴み阻止する始の姿が。
「……面食い」
「始さんはイケメンだよね」
「……僕に似ている」
「お前は小さき魔王だろ」
「……」
ムッツリと黙り込んだ涙に、機嫌を損ねてしまっただろうかと二人は少々心配になり、顔を見合わせる。
「……つまり、隼がいっくんの……」
「る、涙?」
そんな彼らの心配を余所に、涙は立ち上がると真っ直ぐ攻防を続けるリーダーズの元へ向かった。
「隼」
「ん? どうしたんだい、涙」
パッと始へ詰め寄る体勢を止め、隼は涙へ向き直る。これ幸いとばかり、始はサッと離れたソファに座る春の隣へ腰を下ろした。涙はグッと拳を握り、隼を見やった。陽と夜はハラハラとその様子を見つめる。
「……ちょっと、顔貸して」
「うん、良いよ」
あっけらかんとした様子で隼は頷き、何かを決意したような涙に連れられるがまま、共有ルームを出て行った。
「……何だ、あれは」
「さあ?」
状況が把握できず目を瞬かせる黒年長組の傍で、白年中組は面倒臭いことが起こりそうな予感に冷や汗を流していた。

『ずっと、一緒』
ソプラノボイスと呼ぶのだろうか、男性にしては高めで柔らかい声は、耳の中を擽るようだ。郁は枕へ顔を埋め、ボスボスと布団を蹴った。
「〜っ長かった!」
バッドエンド、ノーマルエンド、ついでに別キャラのバッドエンドを踏むという紆余曲折あり、やっと目当てのキャラのトゥルーエンドに辿りつくことができた。
クールで実力主義の彼は当初、初心者丸出しの少女に冷たい言動を繰り返していた。しかし交流を重ねていくにつれて、その言動の裏に隠された過去と想いが明かされ、少女によって氷のような心が溶かされていく。そして最後には、決して見せることなかった笑顔と共に少女を抱きしめるのだ。
定番と言えば定番、ありきたりなストーリーとも言えよう。しかし郁はこの類に滅法弱かった。
(確かに、涙に似ているかも……)
ストーリーの最高潮、ほんのり笑ったキャラクターの絵を見つめながら、姉からのメッセージを思いだす。するとキャラクターの笑顔が涙のそれと重なり、『いっくん』と優しく呼ぶ幻聴まで聴こえてきた。
「あー!」
つい郁はゲーム機から手を離し、腕で顔を覆った。
恥ずかしい、恥ずかしい。まさか乙女ゲームの内容を、自分と身近な人物に重ねてしまうなんて!
「く〜……変なメッセージ送ってくるからだ」
「何が?」
すぽ。と、右耳にはめていたイヤホンが取られ、しっとりとしたソプラノボイスが吹きこまれる。郁はパッと腕を離し、「うわあぁ!」と仰け反った。そこには膝を折ってしゃがむ涙がおり、傍らには欠伸をかます笹熊一号が転がっている。
「るるる涙!」
「涙だよ」
「どうしてここに!」
「笹熊一号が、入って良いって」
パシン、と郁は自分の頭を叩いた。乙女ゲームをやるときは、いつも鍵を閉めている。しかしまさか、それを内側から開けてしまうとは。裏切り者は案外近くにいるものだ。
「何していたの?」
「いや、ちょっと……ああ、ごめん! お茶淹れるね!」
強引に話を変え、郁は立ちあがろうと膝を立てた、が、左耳にイヤホンはまだついたままであったため、そのコードに爪先を引っ掻けてバランスを崩してしまう。
「あ」
「え」
ヒクリと頬を引き攣らせながら、郁はベッドから落ちる。涙は咄嗟に腕を伸ばして郁を抱き留めようとするが、力及ばず床に倒れてしまった。そのとき、ぷつん、と何かが取れるような音がした。
『君がいれば、僕は幸せだ』
機械を通したソプラノボイスが、部屋に響く。イヤホンが外れてしまったのだと瞬時に理解した郁は、顔を青くした。床に仰向けに転がった涙は身体を起しながら、何の音だと首を傾ぐ。郁は俊敏な動きで涙の上から退くと、枕元に転がるゲーム機を掴み、セーブもしないまま電源を切った。
「いっくん」
「い、今のは!」
「これ……」
「!」
涙が振って見せたのは、テーブルに置きっ放しにしていたこのゲームのパッケージ。不覚だ。郁は慌てて笑顔を作り、涙の向いに座った。
「あ、えーっと、あはは。何だろうね、家族の荷物が混ざっていたみたいで……」
取敢えず返してほしいと目で訴えながら、手を伸ばす。すると涙はチラと一瞥したそれを少し上へ掲げて、郁から距離を取った。涙の行動の意味は分からなかったが、羞恥心で顔が赤くなりつつある郁は、一刻も早く取り返さなければという思いで頭がいっぱいだった。涙の意図を深く思案せぬまま、郁も腕を伸ばした。
「うわ」
不意に背中へ腕を回され、郁はまたしても涙の上に乗っかる形で倒れこんだ。
「る、るい?」
「これ、いっくんの?」
涙が郁の腕を掴んで離さないので、郁は仕方なく涙の腰を跨ぐように座って彼を見下ろした。郁はにこやかな笑みを浮かべたまま、こっそり息を整える。
「……いや。だから、家族の荷物が紛れ込んだみたいでさ」
「乙女ゲームって言うんだってね」
話を聞いちゃいない。しかも誰だ、涙へ入れ知恵したのは。まあ思い当たるのは一人しかいないのだが。
涙はそっとパッケージを口元へ寄せ、眉を寄せる。ドキリ、と郁の胸が音を立てた。パッケージのキャラクターの憂い顔と重なっていく。先ほど想像した、淡く微笑んだ涙の顔がおぼろげに浮かぶよう。
「いっくんがいると、僕は幸せ」
郁の腕を掴んでいた手を離し、涙はそれを郁の頬へ滑らせた。
「……」
「いっくんは?」
「……」
カーッと頬へ血が昇る。小首を傾げる涙を置いて郁は立ち上がると、ズカズカと足音を立てながら扉の方へ歩いて行った。
「いっくん」
少々焦った涙が身体を起し、郁を呼び止める。調子に乗り過ぎただろうか、と不安になる彼へ、首だけ回した郁はニッコリと微笑かけた。
「ごめん、涙。頭冷やしてくる」
パタン、と静かに扉が閉まる。喧嘩したときと大分状況は違うがどこか似通った展開に、涙は持ち上げかけた手を大人しく下ろした。ムイムイと鼻を押し付けてくる笹熊一号の頭をそっと撫で、もう片方の手で取り上げたパッケージに目を落とした。
「……いっくんは、渡さない」
憂い顔の青年を親指で突いて、涙はポツリと呟いた。

「隼さん、顔貸してください」
「うん、良いよ」
部屋を出た郁は真っ直ぐ白きリーダーの元へ向かっていた。神妙な面持ちの郁へ隼は二つ返事で頷き、彼の後を付いていく。場に居合わせた海はぱちくりと目を瞬かせて、「なんだあれ」と指をさす。問われた陽と夜はすっかり顔を青くして、「何があったんだよ、年少コンビ!」と叫んだのだった。

涙がいるので郁の自室へは戻れず、仕方なく隼の勧めるまま彼の部屋へとやってきた。クッションを抱えて優雅に足を組む彼の前に立って、郁は拳を握った。
「涙に、何を言ったんですか」
「何を、とは」
「いえ、分かっているんです。どうせ、俺の隠れた趣味を伝えたんでしょう」
面と向かって確かめたことはないが、魔王さまに死角はない。きっと郁の乙女ゲーム趣味はとうにバレている筈だ。郁の予想通り、隼は勿論知っていたと頷いた。
「しかし心外だなぁ」
「?」
「この僕が、他人が必死に隠していることを勝手に暴露するような人間だと?」
「あ」と郁は声を漏らした。よくよく考えれば、隼は破天荒ではあるが最低限のマナー、領分はわきまえている。失礼なことを言ってしまったと郁は顔を青くした。想像以上に自分は頭に血が昇っていたらしい。
「す、すみません!」
郁は慌てて頭を下げた。隼はフフフと笑いながら「ま、気にしていないけどね」と言った。
「涙には聞かれたことを答えただけだよ。『いっくんの想い人は僕か?』ってね」
「え?」
「涙の言葉が足りないのは今に始まったことじゃない。いっくんはそんな彼の思いをいつもくみ取ってきてあげていたね」
ポカンと顔を上げた郁へ手を伸ばし、隼は白い指で顎をなぞる。
「涙の欠点は言葉の不足、郁の欠点は自分の想いをくみ取れない点だ」
「それってどういう……」
「一つだけ確かなことは、」
つん、と郁の額を指で突き、隼は手の平で扉の方を指し示す。扉が恐る恐ると言った風に開き、少し跳ねた髪が覗いた。
「二人にはまだまだ会話が足りないということだ」
隼は立ちあがり、トン、と郁の背を押す。郁の顔が赤らみ、それに負けないくらい赤い顔をした涙が、一直線に彼へ飛びついた。



神無月郁は王子さまである。とは、彼の相棒・水無月涙の言葉である。陸上部に所属するしなやかな体躯とそれを活かしたダンス、更に無自覚ながら他を魅了する自然な言動は乙女の憧れそのもの。
しかし時たま可愛らしい一面も見せる。そんな彼を見て水無月涙は、お姫さまのようだとしみじみ思うらしい。

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