ルージュの花嫁
(百りん、ココのぞ、ナツこま、シロうら)


その日は珍しくその花畑に一番乗りで、芳しい香りの中、一人日課の花の世話に精を出していた。
ひと段落した水やりの手を止め、大きく伸びをする。甘ったるい香りをたっぷりと含んだ風が吹き、赤茶けた髪を揺らしていった。
「……」
草葉の、擦れる音がした。
それに促されるように振り向いた先で、揺れる金色が見えて、フ、と自然と頬が弛む。
決まり悪そうに頬を掻く彼に笑い返し、取敢えず掌を叩きつけた。



ルージュの花嫁



―――癖のついた髪を丁寧に梳かして、少し横をかき上げる。薔薇と蝶の細工が施された赤色の数珠が、清らかな音を立てて耳元で揺れた。
「反対だ」
その報告をしたとき、この髪飾りを贈ってくれた勤め先の店長は、きっぱりとそう言い放った。予想通りの答えに、思わず苦笑が零れた。
彼の隣に座っていた先輩が先の言葉を咎めるような視線を向けたが、店長がそれを気にした風はない。深い息を吐いて、店長はただ足を組み替えた。
「別に全否定するわけじゃない。それ自体は喜ばしいことだし、俺も祝福はしよう。だが、相手が問題だと言っているんだ」
まるで父親のような言葉に、ちょっと笑った。
先輩は途端に顔を歪め、目を伏せた。
「それは……けれど、それを言うなら私たちだって」
「ああ。だから俺は、お前とそうなるつもりはない」
「そんな……」
悲しそうに下がる柳眉。咄嗟に開きかけた口を結び、固く目を閉じる。衝動的に飛び出そうとする言葉を飲みこんで、深呼吸。
「そんなこと、言わないでよ」
苦く笑ってそう言えば、意外そうな色をした二対の目がこちらを向いた。それを軽く流して、ただ烏龍茶の水面で浮き沈みを繰り返す氷だけを見つめる。
「好き合ってるんだから、さ」
それは傍から見て、実に痛々しい笑顔であった。とは、後から聞いたことだ。今思い返せば、不思議と笑いがこみ上げてくる。
―――茶色のアイラインを引いて、アイシャドウはアプリコット色。チークは派手すぎない、赤色で。
女優御用達のメイク道具だと、後輩である彼女は笑って差し出した。特別に赤系の色を多くカスタマイズしてあるのだとか。
「ありがとう!」
「赤とか橙とか、似合うと思ったんです」
楽しそうに微笑む後輩の隣では、配達人が眉を顰めたまま立っていた。
「……本当に良いのかよ」
声変わりしたのに、そこにはまだ嘗ての名残がある。後輩は眉尻を下げて、彼の肩を軽く叩いた。咎めるような後輩の視線に、配達人は気まり悪そうに口元を歪めて頭を掻いた。
「だって……前に敵だった奴だぜ?」
文字通り生まれ変わったからと言って、信用できない。そう言われては反論しようがないのか、後輩はグッと口を噤んだ。彼女はそのまま俯いて、配達人の袖を指で摘まむ。
「でも、こんなに幸せそうなのに……水を注すことないじゃない」
今度は、配達人が口を噤む番だった。
そんな二人が何処となく微笑ましくて、口元が自然と緩んだ。
「大丈夫だよ」
静かにそう言えば、二人は揃って顔をこちらへ向けた。できるだけ綺麗に見えるように笑って、小首を傾ぐ。少し伸びた前髪が、睫毛を揺らした。
「私は幸せだから、大丈夫」
だから、二人も幸せになってほしい。さすがにそう付け加えるのは躊躇われて、つい笑って誤魔化した。
―――薄赤を帯びた、白いドレスに足を通す。これも、お色直しで着るルージュのカクテルドレスも、目の肥えた先輩の見立てだ。その分少々値は張ったが、それはパートナーからの慰謝料ということで。
「おめでとう」
相も変らず上品な笑みを湛え、先輩はそう言った。
てっきり他の人たちと同じようなことを言われると思っていたから、つい言葉を忘れて目を瞬かせてしまったほどだ。そんな様子が可笑しかったのか、先輩はクスクスと笑った。
「あなたのことは良く知っているつもりよ」
そっと、綺麗に整えられた爪を持つ手が、緊張で冷たくなった手へ体温を分けるように触れる。青黒く輝く瞳が真っ直ぐこちらを見つめ、つい背筋が伸びた。
「……自分で選んだことなんでしょ?」
後悔しないと、決めたことなのだろう。
その言葉はスルリと心に滲み、熱い波として目の奥を刺激した。震える下唇を噛みしめて頷くと、先輩はふわりと微笑んだ。
「なら、それで良いじゃない」
嗚呼、この人はやはり先輩なのだと。数年来になって思い知った。
―――姿見に映るのは、この日のために用意したもので、この日のために着飾った自分。普段はパンツ姿が多いから、こんなに丈の長いスカートを履くのは、これで最後かもしれない。それほど主張しない胸元で輝くのは、親友から贈られたバラのブローチ。キラキラとしたルビーを、手袋をはめた指で撫でると、とくりと胸が高鳴った。
「おめでとう!」
彼女は、先輩と同じ言葉をくれた。親友の後ろに立つ恩師は、眉尻を下げた笑顔でこちらを見つめるだけだ。彼から視線を外し、抱き着いてくる彼女の肩をポンと叩いた。
「……ありがとう」
暫くしても彼女は首に回した腕を外さず、更に強く抱きしめてきた。
「ちょっと……」
「ねぇ、約束してね」
肩口に額を擦りつけ、ポツリと親友は言った。服越しに皮膚へと伝わる感触から、彼女が鳴いているのだと知った。それを直接指摘することはできなくて、こちらからも回した腕へ力を入れ直し、彼女の身体を抱きしめた。
彼女の言葉に、強く、頷いて。
―――日が透かし入ることによって、聖母のステンドグラスは美しさを増す。少々眩しすぎるその前に立って目を眇めると、じわりと視界が滲んだようだった。
目の前に立つパートナーが名を呼んだので顔を上げると、彼は緊張しているのか固い表情でこちらを見下ろしていた。思わず苦笑を溢し、唇だけでからかいの言葉を投げる。するとパートナーは照れたように頬を引き攣らせ、唾を飲みこんだ。
彼の手が、こちらの左手を取る。一回りほども大きさの違う手が重なりあう。
視界に入る自身の手の薬指に通される銀を見つめながら、そっと息を吸う。チラリと目を横へやると、近くでこちらの様子を見守る先輩たちの姿が見えた。
親友が、潤んだ瞳で、しかし真っ直ぐこちらを見つめている。それを捉えた途端、また風景が滲んだので、慌てて瞼を下ろした。
―――幸せになってね、りんちゃん
唇に永遠の誓いを刻む中、そんな親友の言葉が耳奥で反響していた。



BGM:手を繋ごう(絢香)
20150309
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