rouge in love
(大学三年生カノ×高校三年生セト)


季節は、残暑も過ぎ去った秋。
旬を迎えた食物は多く、紅葉も山を鮮やかに彩って、観光地は賑わいを見せていることだろう。……のに。
「……なんで」
何故、自分は自室に缶詰になって目の前に山と積まれた参考書と格闘しなければならないのか。
そろそろ、赤本のものではない、深い赤色を見たい。そうぼやくセトの止まった腕をパシリと叩いて、カノは頬杖をついた。
「君が受験生で、冬には受験が控えているからでしょ」
解ったらさっさと手を動かす。そう言って、カノは自分の手元に開いた文庫本に目を戻した。
こちらに全く関心を持たないようなその態度に、セトの頬袋はぷくりと膨らむ。横目でそれは見えているだろうに、しかしカノは文庫本から目を離さない。渋々、セトは膨らめた頬のまま、広げたままの問題集に視線を戻した。
「……」
「……」
「……」
「……まだむくれてるの?」
パタン、と文庫本を閉じて、カノは溜息を吐いた。栞を途中に挟んでいるから、読み終わったわけではないらしい。
別に、と呟いて、セトは視線を逸らした。カノの方に向けられた右頬は、いまだ僅かに膨らんでいる。
ぷに、と柔らかいそこに、カノの骨ばった人差し指が突き刺さった。
「……馬鹿にしてんすか」
「んー」
こちらへ視線を寄越したセトに構わず、カノはむにむにと引っ込んだそこを引きずり出すように親指も使って摘まむ。あまりにもそれが長く続くので、セトは耐えかねてカノの手を払った。
「カノ!」
「嫌ならさっさと続きしなよ」
「っ〜!」
返す言葉が見つからず、セトはギロリと睨みつけた。しかしカノが表情を変えることは一切ない。
(子どもだからって馬鹿にして……!)
もう知らない、と心中で吐き捨てて、セトは問題集へ目を戻した。
「……」
「……ちょっとトイレ」
再び開いた文庫本をまた閉じて、カノは席を外した。
パタン、と部屋の扉の閉まる音を背中で受けてから、セトは握っていただけのシャープペンシルを投げ出した。
「はー」
大きく息を吐きながら、机に突っ伏す。額まで机につけていては息苦しいので、パタリと右側へ顔を向けた。
先ほどまで、カノが座っていた場所に。
「……」
(やっぱり、三歳差は大きいなー……)
すっかり子ども扱い。それが堪らなく、悔しい。
ころ、とカーペットについた手に、何かが触れる。何だろうと視線を落とせば、照明を乱反射する銀色が目に入った。拾い上げたそれは掌に収まるサイズの筒で、覗きこむセトの顔を歪に映した。
いくら女っ気のないセトでも、それが何かなんてすぐ解る―――口紅だ。
(彼女いないって言ったくせに……)
立ち上がるとき、ポケットから落ちたのだろう。
別にカノに特別な非があるというわけでもないのに、セトには更なる苛立ちが募った。
(あの女タラシ……)
蓋を開き、本体を回して紅を出す。想像より、大分くすんだ赤色だ。スン、と鼻を近づけると、女性からよく漂うあの独特の香りがする。
「……」
ふと考えて、セトはベッドの足元に投げ出した鞄を探り、付属品としてついていた小さな手鏡を取り出した。手の平にすっぽりと収まるそれは、口元しか映らないほど小さい。しかしまあ、今はそれで十分だ。
こんなの、ドラマで見た程度の知識しかない。
少し唇を突き出して、斜めに切れた紅を当てる。想像より固いそれを押し付けたまま、湾を描く皮膚に沿って線を引いた。
唇の元の赤と重なると、大分鮮やかになる。
薄い皮膚の上に塗られたクレヨンに違和感は拭えなくて、セトは何度も上唇と下唇をすり合わせた。
ぱたん。扉が閉まる、音がした。
手鏡を持つ手をカーペットに下ろして視線をやると、カノが少々眉間に皺を寄せた状態でこちらを見ていた。
「……何してんの」
「カノ」
別に。短く言い捨ててカノから視線を逸らす。ぱちん。口紅の蓋を閉じる音が、部屋に大きく響いたようで、セトの背筋に汗が浮かんだ。
「……落ちてた」
「ああ、同級生の落とし物」
教室で拾ったのを、すっかり渡しそびれていたらしい。セトの手から銀色の筒を攫って、カノはセトと背中を合わせるようにドカリと座った。
こつん、と背骨がぶつかる。年にしては長身と言われるセトのそれより、カノの背中は広い。
三歳差は、大きい。
「……」
「あーあ、もう返せないじゃん、これ」
こつ、と音が聞こえた。手中で弄んでいたそれを、カノが机に置いたようだった。
セトはドクリと脈打つ心臓に押されるまま、カノの肩に手を置く。そのまま膝で立って、斜め上から覗きこむようにカノと顔を合わせた。
「……」
「……」
セトもカノも、無言のまま。す、とカノの手が動いて、セトの頬に伸びる。親指が遊ぶように唇の上を通り過ぎて―――
「……臭い」
ぐい、と強い力で紅を拭き取るように撫でられた。
唐突な痛みと言葉にセトは目を瞬かせて、不機嫌そうなカノと、彼の親指にべっとりとついた紅を見つめた。
「僕、化粧品の匂い苦手なんだよ。色もキツイ。君には似合わないね」
もう一度、今度は両手で顔を固定され、グイグイと唇を擦られる。
それから逃れるように上体を後方へ倒していったセトは、とうとうカーペットに背中を沈ませた。
身体を起そうとするが、顔の横に手を置かれてそれを阻まれる。文句を言おうと見上げたカノの顔に、セトはぐっと言葉と息を飲みこんだ。
カノは紅のついた親指を、セトに見せつけるように彼へ視線を向けたまま、舌で舐めていた。
「か、」
「おまけにマズイし」
舐めるときに映った赤が、カノの下唇を鮮やかにする。それにドキリとして、セトはつい視線を逸らした。
視線と共に逸らされた顎を掴んで戻し、カノは額がぶつかるほど顔を近づけた。
「僕とキスしたいならさ、何もつけずにおいでよ」
ね?―――と軽く小首を傾げて微笑むカノは、年頃の少年であるセトには刺激が強すぎる……つまるところ、大人の色気に溢れていて心臓に悪い。
カー、と全身に勢いよく血液が巡って、体温が上がる。セトは半ば体当たりするようにカノを押し退け、彼の下から逃げ出した。
「―――このエロ修哉!」
そう言い捨てて、セトは乱暴に扉を開くと大きな足音を立てて部屋から出て行った。
この家ごと揺らすようなその音をのんびりと聞きながら、押し倒されたカノはよっこらしょ、と起き上がる。ポリポリと頭を掻いて、机の上でピンと背筋を伸ばす銀色の筒を見やった。
「……おこちゃまだなー」
先ほどのセトの真っ赤な顔を思い出し、カノの口元に苦笑が零れる。
こんな人工的な赤より、あの赤の方がカノの好みだ。
指についたままの紅をティッシュで拭って、丸めたそれをゴミ箱へ。
ガコン、と音を立てて見事狙い通りに落ちるそれのように、いつか、彼のことも。
(なんてね)
その日はそう、遠くはない。


20150128再録
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