アキレウスの死後
ヒヨリの様子が、可笑しい。
ヒビヤがそれに気づいたのは、『終わらなかった夏』が終わってすぐのことだった。
まず、表情が固い。
元々、ヒビヤの前では中々笑うことのなかった彼女だが、憧れのアイドルであるモモの前では年相応の純粋な反応を見せていた。しかし今彼女がモモへ向けるのは、何処か引き攣った笑みで、あのキラキラとした瞳ではない。
次に、とある人物を徹底して避けているきらいがある。
ヒビヤはてっきり、益々敵わなくなってしまうのではないかと危惧していた。ヒヨリの大好きな真っ白な彼の顔で、優しい性格と柔和な笑顔―――九ノ瀬遥と会話して、ヒビヤは絶対に敵わないと確信してしまったのだ。
しかしヒビヤのそんな危惧も要らぬ世話と言うように、ヒヨリが以前のように強気な態度で九ノ瀬遥と接することはなかった。
その理由とヒヨリの態度の可笑しさの意味が、ヒビヤにはさっぱり理解できない。ずっと彼女を見て、彼女のことなら何でも知った気でいたのに、だ。
「しょうがないよ」
ヒヨリを見つめるヒビヤの隣に立って、視線もくれぬまま九ノ瀬遥は言った。チラリと視線を少しやれば、彼は何処となく悲しげな笑みを浮かべて、ヒヨリを見つめていた。陽光に照らされたその横顔が、光のせいで余計白く見えて―――もういない『彼』と重なった。
ヒビヤはそっと目を伏せる。
「……何が」
彼と似ているせいか、中々ヒビヤ自身も遥相手には素直になれない。それを知ってか知らずか、遥はクスリと笑った。
「僕は僕であって、完全にもう一人の僕ではないからさ」
その言葉の意味は、ヒビヤには理解できなくて―――けれど本当は、知っていた。

「どうかしたの、ヒヨリ?」
あれから散歩してくるの一言でアジトを出たヒヨリを追って公園に足を踏み入れたヒビヤは、ブランコに腰を下ろす彼女にそう訊ねた。
地面から足を離さないままユラユラと前後に揺れていたヒヨリは、チラリとヒビヤを一瞥して、また膝に乗せた手元に視線を落とした。二つあるブランコの、空いている方の鎖を掴んで、ヒビヤはじっと彼女の言葉を待つ。
ローズピンクのスカートの上で白い指が弄るそれは、真っ白な彼が好きだと言った恐竜のマスコットだ。ヒヨリはそれを、彼へのプレゼントとして購入していた。そしてずっと、大切に持っていた。あの理不尽に繰り返す世界の中で何度死んでも、失くさずに。
「……渡さなくて、良かったの?」
尻ポケットに入れた『それ』を握りこみ、ヒビヤはポツリと呟いた。各言うヒビヤも、ヒヨリに贈ろうと色違いのそれを、こっそり購入していた。まさかヒヨリも別の人へ贈ろうとしていたとは、思わなかったけれど。
良いの。
ヒヨリはそう言って、両手をマスコットから離し、鎖を掴んだ。
「あの人は、コノハさんじゃない」
たん、と爪先が地面を蹴る。先ほどより大きく前後に揺れるヒヨリを視線で追って、ヒビヤはストンと木の板に腰を落とした。
「……コノハだよ」
九ノ瀬遥は、コノハだ。彼の願いによって生まれ、彼の願いが叶うと消えた、九ノ瀬遥の願いの具現だ。
ヒヨリはしかし首を振り、違う、と呟いた。きゅ、と鎖を握る手に力が入ったのを、ヒビヤは見逃さなかった。
「コノハさんはかっこよくて、クールで、少し抜けてるけど私たちを助けるために一生懸命になってくれて、私のために、」
ヒヨリはそこで、言葉を止める。その続きを容易に察したヒビヤは彼女から視線を外し、タンと地面を蹴った。
「―――んで、くれた」
「……うん」
「………っ」
きぃ、という金属の軋む音に重なるように、喉を引き攣る空気の音がした。
初めは、単なる憧れだと思っていた。都会に住む、恰好良い年上の異性。そんな男を田舎に住む少女が『好き』と思うのは自然なことで、しかしそれはアイドルに対するようなミーハーなものだと、ヒビヤは何処かで思っていた。
(けど、違った)
ヒヨリは本気だった。初めから、そして今でも。
ヒビヤはブランコを揺らすのを止めて、こちらに頑なに嗚咽を飲みこむ凛とした背中を見つめた。
「……私の中に、コノハさんの命はあるんだ」
ヒヨリの小さな、しかししっかりとした響きを持つ呟きを、ヒビヤは確かに聞いた。されど同意も否定もせぬまま、ブランコから立ち上がって彼女の背後に立つ。
自分の身体を抱きしめるように腕を回していたヒヨリは、じっと青い空を見上げていた。
ヒビヤも空を仰いで、しかし予想外の眩しさに手を翳す。ヒヨリはよくもまあ、この日光を直視できるものである。
眼前に手を翳したまま、ヒビヤはヒヨリの背中へと視線を下ろす。
真っ白な日光に包まれるような、凛とした姿。
ヒビヤはコクリと唾を飲んだ。
名は体を表すとは、こういうことなのだろうか。
ただ一つ解ったのは、相変わらず彼女の眼中に自分はないということだけ。
「……」
ポケットの中で握りしめたマスコットの角が手に食い込んで、鈍い痛みをヒビヤへと伝えた。



20140830
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