日常―days―
(ヒビヒヨ)



電車に、揺られていた。何処の駅から乗って、何処の駅へ向かっているのかも知らぬまま。
「……」
乗車客は、ヒヨリとヒビヤの二人きり。いや、二つきりの車両のもう一方には、コノハやシンタローたちも乗っている。どうやら彼らは揃って並んで眠りこけているらしく、それは車両を区切る扉の窓から確認出来た。
そちらにやっていた視線を前方に戻し、ヒヨリは木々や住宅が過る風景を見つめる。長椅子の端と端に別れて座るヒビヤとは、先ほどから会話どころか目も合わせていない。チラリとやった横目で、彼が何かを噛みしめるように俯いて膝に置いた拳を握る姿を見ることが出来た。その理由を理解していたヒヨリは、しかし何も言わぬまま風景へ目を戻す。
「……寝た?」
「……起きてる」
こつん、と背後の窓枠に後頭部を乗せ、褪せた天井を見つめながら呟くと、固い返事が聞こえた。
がたん、ごとん。
規則的に揺れる電車の乗り心地は、良いとは言えない。けれどきっと、眠るには丁度良い揺れで。まるで揺りかごに包まれているようなものなのだろう。このまま眠ってしまえたら、きっとその方が良いのだろう。だけどヒヨリもヒビヤも、目を閉じることはしない。けれど目を合わせることもしないまま。
「寝ちゃいなさいよ、さっさと」
「嫌だ」
即答。ヒヨリは小さく息を吐いて、ころりと首を回し、肩に頬を乗せる。
「アンタって結構はねっかえりなのね。あの時もそうだった……」
自分の言葉と共に浮かび上がった映像に、ヒヨリはそっと目を閉じた。
死んではまた一日を始める。そんな無意味な世界を繰り返していた。ヒヨリが死ぬことで回っていた世界は、ある時、ヒビヤが死ぬ世界へとすり替わった。世界の仕組みのほんの一部に気づいた彼が、それを利用してヒヨリを助けようとしたのだ。
「今更気づいた?僕は、結構欲張りなんだよ……」
笑いながら返ってきた言葉は、心なしか震えていた。ヒヨリは小さく、口元に笑みを浮かべる。
「そうね、知ってるわ」
それはこの夏で、よく理解した。世界の意味を知ろうとして、もっと大きな事柄を知って―――そして色んなことに気づいた。例えば、今共に座るあの彼が、どれだけヒヨリを愛しく想っているかとか。そしてヒヨリ自身も、少なからず彼のことを想っていたのだとか。
だからこそ、選択させなければならないこともある。
「私は死んだの」
「それは僕だって同じだよ……」
「アヤノさんがアンタたちを促す種なら、私はアンタたちを見送る風なの」
「そんなの、関係ない!」
ヒビヤは声を荒げた。膝の上で組んだ手に額をぶつけ、彼は蹲るように嗚咽を堪える。ヒヨリはそれを聴覚だけで捉え、笑みを絶やさないまま言葉を続けた。
「アンタが私だったら、同じことをしたでしょう?」
ああ、我ながら狡い質問だ。言葉に詰まるヒビヤの姿を想像して、ヒヨリはクスリと笑った。
「―――しない!」
ヒヨリは思わず目を開いた。首を回して見たヒビヤは、いまだ蹲るように半身を倒したままで。ぐ、と固く握りしめた拳に、雫が落ちていた。
「僕がもしヒヨリだったら、何が何でもヒヨリと一緒に生きようとする!こんな理不尽を受け入れることなんてしない!だから!」
「……馬鹿ね。矛盾してるわ」
そんな言葉、あの時ヒヨリの手を引いて自らトラックの前へ飛び込んだ人間の言う台詞じゃない。ヒビヤは嘘つきだ。こつ、と小さく床を鳴らして、ヒヨリは彼の傍に立つ。
がたん、ごとん。電車が、揺れる。茶髪に埋もれる旋毛を見つめ、ヒヨリはふっと笑った。
「私、夏は嫌いじゃないわ」
だって、『あの夏』に出会えたから。例えば、普通に二人で遊んで、成長して。『あの夏』なんて起こらなかった、そういった日々を送っていたら。きっとこんな気持ち、生まれていなかった。
「……僕は、やっぱり夏は嫌いだな」
ぐす、とヒビヤは鼻を啜った。そんな彼の前に立って、後ろ手に指を絡めて、ヒヨリは笑みを浮かべる。思い出すのは、ブランコに揺られて交わした、あの会話。
「前とあべこべね」
ぐず。涙と鼻水で汚れた顔を上げ、ヒビヤは少しそっぽを向く。その時のことを思い出して、照れたのかもしれない。ぐし、と乱暴に腕で顔を拭って、ヒビヤはまた視線を落とした。
不意に、電子音のメロディが耳をついた。帰宅を促す、夕焼け小焼けの童謡。そろそろ、限界だ。そのことにヒビヤも気付いたのか、顔を青くして口を開閉させた。
「ヒヨリ、」
「ヒビヤ」
何かを言おうとするヒビヤを遮って、ヒヨリは彼の名前を呼ぶ。ニッコリと微笑むと、ヒビヤは益々悲哀に顔を歪めた。
「嫌だ……嫌だよ、ヒヨリ」
「これは夢よ。夢は、覚めないといけないの。覚めなければ、夢は夢じゃないのよ」
「ヒヨリ、僕は……!」
ぽた。
ヒビヤの目尻から零れ落ちた涙が、床とぶつかって飛沫を弾く。それと同時に、ヒビヤの身体は消えた。タイムオーバー。隣の車両を見やれば、そこにも人影はない。皆、脱出できたようだ。この、環状線のようなメビウスの輪から。そうして一人、ヒヨリだけが取り残された。
ヒヨリは大きく息を吐く。
これが運命だというのならいっそ、こんな記憶手放して、誰もいない、声も届かない場所へ一人で行ってしまえたら。
(ああ……あのメデューサも、こんな気持ちだったのかな)
そう思っていたけれど、今は違う。どれだけの理不尽に塗れても、こんな運命を辿る意味を見出せなくても、それでも、『これで良かった』と思える。
「だって私、独りじゃないわ」
がたん、ごとん。
誰もいなくなった電車の車両。その中心に立ち、ヒヨリはそっと目を閉じる。瞼の裏に浮かぶのは、突飛な夏の想い出たちだ。
誰からも忘れ去られてしまうことこそ死であると、その昔、頭の固い誰かが言った。だったらヒヨリは死なない。だって確実に一人、ずっとその記憶にヒヨリの存在を留めてくれる人がいるから。
「アナタのおかげよ、ヒビヤ」
―――ありがとう
言葉にしないそれは、目尻に浮かんだ雫と共に零れ落ちた。





and more… 


「そう思うのなら、」
強く、腕を掴まれた。咄嗟にそちらを向いたヒヨリが大きく目を見開いたので、溜っていた雫が飛び散る。同じくらい泣きそうに顔を顰めたヒビヤは、もう二度と離さないとばかり、ヒヨリの腕を強く掴んだ。
「一人で泣くぐらいなら言ってよ。いつもの我儘はどうしちゃったんだよ、ヒヨリ」
「ヒビヤ……どうして」
「答えて、ヒヨリ」
ヒヨリのためなら、何でもやる、何だってできる。ヒビヤのその言葉に目の奥がカッと熱くなるのを、ヒヨリは自覚した。けれどそれを見せるのはプライドが許さなくて、ヒヨリは力一杯ヒビヤの腕を払おうとした。だけど彼の力は存外強くて。
「ヒヨリ!」
「―――この解らず屋!」
「どっちがだよ!」
両肩を掴まれ、俯いた顔を覗きこまれる。あ、と思ったときは遅くて、ヒヨリの泣き顔はバッチリ、ヒビヤに見られてしまった。
「いつもいつも我儘で僕を振り回すくせに、こんな時ばっか大人ぶって!」
「アンタが子ども過ぎるのよ!」
「子ども上等!」
そのヒビヤの声は、今までのどれよりも大きくて強くて。ヒヨリはハッと息を飲んだ。
「ヒヨリと一緒に生きられるなら、子どもだって構わない!」
言ってよ、ヒヨリ。そうすれば僕は、どんな理不尽だって壊してみせるから。
「―――っ」
ヒヨリは下唇を噛みしめた。じわ、とまた視界が滲む。ああ、本当に。
(アンタはなんて欲張りなの)
ヒヨリは、大きく口を開く。俯いて彼女が発した叫びに、ヒビヤは嬉しそうに笑って。
「―――任せてよ」
ヒヨリの手を、引いた。彼がヒヨリの手を引くのはこれでもう何度目かで。けれど違うのは、これから二人で向かう場所が、あんな世界とは比べものにならないくらい、目が眩むように素敵なところだということだ。


(意地っ張りなお姫さまと欲張りな王子さまのお話)



20140517
20140518再掲載
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