ホド未崩落話



ND1996年・イフリートデーカン・ローレライ・41の日。本来ならその日は、祝福されるべき日になる筈だった。
この日のために仕立てた上等な服の裾を掴み、少年は目の前で交わされる言葉を不安気に見つめていた。彼を庇うように姉が膝をついて、小さな頭を胸に抱きこんだ。
「……笑えない冗談だな」
いつもは優しい声と笑顔で子どもたちを包みこむ男が、険しい顔で予定にない来客たちを睨みつける。妻もそっと彼の傍に立ち、毅然とした態度で背筋を伸ばしていた。男に剣を裂捧げた左右の騎士が、そっと腰の剣へ手をかける。少年も自分の騎士の姿を探して、すぐに、用事があって到着が遅れていることを思いだした。
(早く……早く来て……)
姉の服を掴み返し、少年は涙の浮かぶ目をぎゅっと閉じる。
子どもたちを隠すように立つメイドたちを一瞥し、来客の赤髪の男はこの屋敷の主である男へ視線を戻した。
「ユリアの預言だ。ホドはこれから、滅亡する」
「!」
姉の身体が強張った。痛いくらいに抱き寄せる腕の隙間から、少年は青い目を大きく開いた。
「……戦争のためにか」「そうだ」
にべもない返事に、屋敷の主は金の眉を顰めた。赤髪はぅ剣を抜いた。騎士たちが身構える。ピリピリと肌を針のように刺す空気を受け、少年の身体はプルプルと震えた。
「ひ……」
思わず喉から声が漏れた。姉が咄嗟に口元へ手をやろうとしたが遅く、少年の口と目からぽろぽろと恐怖が零れ落ちていく。
「ひ、ぁ、あぅ……うぁぁぁ……」
幼子の泣声に、その場に張り巡らされた緊張の糸が僅かに歪む。大人たちの視線が一斉に少年へ集まり、姉は慌てて彼の肩を掴んだ。
「泣き止みなさい! 次期当主たる者、涙を見せてはいけません!」
しかし大人びた姉の言葉は少年に響かず、彼はぽろぽろと零れる雫を何度も袖で拭って泣き続ける。
「怖いよ……どこに行ったのぉ……ヴァンデスデルカぁ……」
「ガイラルディア!」
咎める姉の声とほぼ同時に、来客たちの背後で閉じられていた扉が乱暴に開いた。
派手な音に大人たちの視線はそちらへ動いた。一つしゃっくりをして、少年もそちらを見やる。
大きく開いた扉のところで、肩で息をした少年の騎士が立っていた。
「……ヴァンデスデルカ……!」
「っガイラルディアさま!」
目元を真っ赤にした幼い主の姿を認め、ヴァンデスデルカはギラリと辺りの来客を睨みつけた。腰の剣へ手をかけようとすると、彼の父であり屋敷の主の騎士である男が名を呼んで咎めた。そのため仕方なく、しかし殺気を弛めることはせず、ヴァンデスデルカは来客たちの間を縫って主の下へ駆け寄った。
「お待たせしました、ヴァンデスデルカはここにおります。ガイラルディアさま」
「うぅ……ヴァン……」
方膝をついて名を呼べば、泣き虫な主は姉の胸からヴァンデスデルカのそちらへ飛び移った。その様子が不服だと言いたげに、姉は少し眉を顰めてヴァンデスデルカを睨んだ。ヴァンデスデルカは慌てて彼女から顔を背け、緊迫した様子の大人たちを見やる。
子どもたちのそんな様子から視線を逸らし、赤髪の来客は主の妻をねめつけた。
「貴女には預言成就のための手引きをお願いしていた筈だが」
子どもたちは驚いて、夫や騎士たちはゆっくりと彼女を見やる。落ち着き払った様子の妻は、柳眉を下げて一つ頷いた。
「お断りを、した筈です」
「預言に逆らうつもりか」
「いくら預言のためといえ、大切なものを捨てられましょうか。貴方なら、私の気持ちを理解してくれると思ったのですが」
赤髪は僅かに顔を険しくした。目を閉じ、一つ息を吐く。動揺する己を律しているようだと、少年には感ぜられた。
「……預言は外れん。何があっても」
「預言を成就させようと、このようなことをする者がいるからです。人は預言に縛られすぎている」
「一つ預言を覆してしまえば、更にその先にある繁栄の預言さえ脅かすことになる……それが分からないのか!」
「本来預言とは、来るべき災厄を回避するためにあるのではないのですか」
「貴女に預言の真意が分かるのか!」
「貴方にだってわからない筈だ!」
少しずつ声を荒げる赤髪に反論したのは、幼い主を抱えたヴァンデスデルカだった。彼はまだしゃくりあげるガイラルディアをしっかりと抱きしめ、鋭い視線を向けた。子どもが何を言っているのだと言いたげに、赤髪の男は眉を顰めた。屋敷の主は小さく息を吐き、腰へ手をやる。
「クリムゾン、少し二人だけで話をしないか」


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