ハジマリノハル・ダイジェスト



BGMを『ハジマリノハル』にした予告風

どこかの世界にあるどこかの時代のどこかの日本。季節は春。薄紅の並木の中を、凛とした姿勢で歩く影が一つ。彼は並木の突当りに堂々と立つ豪華な鉄扉の前で足を止め、それを見上げた。
「ここか……」
士族・睦月家嫡子・睦月始は、本日よりこの士官学校の生徒となる。
「初めまして、睦月くん」
にこやかな笑顔で手を差し出してくるルームメイトに、始は微かに眉を顰めた。中々握手を返さない彼に、ルームメイトはコテンと首を傾げる。慌てて挨拶を返しつつ、始は彼の手を握った。
「弥生春です」
にっこりとしたルームメイトの笑顔に、何故か薄ら寒いものを感じたなどと、初対面の彼に言えるわけがない。
「これからよろしく」
色々と。小さく付け加えられた言葉の意味に、始が気付くにはそう時間はかからなかった。
始に―――士官学校で士族の長として相応しい実力をつける以外に―――与えられたもう一つの役目。それは、外ツ国から現れる魔を祓うことだ。
「―――滅しろ」
ふわ、と扇で穢れた空気を凪ぐ。雑巾を引き裂くような断末魔を残して、妖が花弁のように散っていく。水中に流れる泡のような花弁の向こうに、始と同じ士官学校の制服を着た春が立っていた。帽子の鍔に手を触れニコリと笑いかける彼から、始は少し目を逸らした。
弥生春。彼もまた、睦月と同じ退魔の使命を負った『ハレ』六家のうちが一つの嫡子であった。
同じ使命を背負う者同士、協力し合おう。人付き合いを不得手とする始が、それでも任務遂行のために致し方なしと己に言い聞かせながら手を差し出したのに。
「え、嫌だけど」
春から返って来たのは、そんな素気ない言葉だった。彼曰く、同級生として親しくはするが、必要以上に慣れ合う気も、退魔の任務を協力しあう気もない、と。さしもの―――というほど気は長くないが―――始も、堪忍袋の緒が切れた。
そんな噛みあわない二人を置いて、世界は回っていく。
「いーやーでーすー!家には帰りません!」
暫くして舞い込んできたのは、『ハレ』が一家、師走家嫡子・師走駆の捜索だった。が、それは案外早く済んだ。というのも、彼の潜伏先は既に知られていたからである。問題は、帰宅することを拒む駆の説得。
駄々を捏ねる駆に、始は青筋を立てた。そんな二人の様子を、潜伏先の如月神社嫡子・如月恋はハラハラとしながら見守り、春は抑えきれない笑みに肩を震わせていた。
「お久しぶりです、始さん」
「俺たちも、力になります」
後輩たちの頼もしい笑みに自然と口元を綻ばせ、始は差し出された手を握り返す。卯月新、皐月葵も揃い、『ハレ』六家は着々と、その体制を整えつつあった。
しかし―――
「好い加減にしろっ」
どさり、と春の身体をベッドへ転がし、始はそれを跨ぐようにして覆いかぶさる。頭の横に手をついて影を落とすと、眼鏡の奥の常盤が怯えたように揺れた。それにどこか予感めいたものを抱くが、熱くなった始の脳は身体を止める指示を出さない。
「どうしてお前は、いつもいつも……!何が気に入らない!」
「別に……」
春はそっと目を逸らして、自分を囲う始の腕に手をかけた。払いのけようとでもしたのだろう、しかし始がそれを拒んだので、春は困ったような顔で彼を見上げる。始がじっと強く見つめると、春は諦めたように吐息を吐いて手を離した。
「気に入らないなら、力で従わせれば良い。君には、その権利があるよ」
「何の話をしている。気に入らないものがあるのはお前だろう」
だから今まで、あんな風に始を拒絶していたのだろうに。あんな、自分とは違う世界にいる人間を見ているような目で。
始はクッと顔を歪め、肘を曲げて春との距離を詰めた。垂れた始の髪が頬を撫で、春はまた身体を強張らせる。その反応も、始の腹を熱くさせる。
「俺を、そんな目で見るな……っ」
逸らそうとする春の頬を鷲掴み、始はその首筋に噛みついた。
衝動の成すままに無理矢理繋いだものは、しかし更に互いの溝を深めるだけだ。冷静になった頭ならすぐにそうと解るのに、その夜の始はさっぱり思いつかなかった。だから翌朝、小鳥の囀りに苛まされる錯覚を抱きながら起きたベッドで、彼は何も言わず春に背を向け続けたのだ。
一向にまとまらないハレ六家。しかし、内部に目を向け続けるわけにはいかない。
「やあ、こんにちは。始」
にこやかな笑顔で登場した男の存在が、新たな火種となったのだ。

「『心に咲く花―――摘み取った言葉―――忘れないように束ねた彩り―――』」
「『開いたページに―――涙が滲んで―――見えなくなってしまうよ―――』」
透き通るような歌声が、ドーム状の空間に響く。儚げな声と快闊な声が醸し出すハーモニーに、海は当初の目的も忘れて感嘆の息を溢した。スポットライトが照らす円に立って薄青の舞台上で踊るのは、この劇団の花形である少年二人だ。海より幾分か年下の彼らは、歌と踊りで観客たちを魅了していく。隼は頬杖をついて、目と口元を三日月のように細めた。
「……見つけた」
隣に座っていたために彼の呟きをはっきりと聞き取った海は、しかし何のことか解らずに首を傾げる。彼へニマニマとした笑みを返して、隼はさあ行こうとだけ言って席を立った。
ぽん……膝の前に置いた琴の弦を何とはなしに指で弾く。夜がそっと目を伏せると、それを聞いていたらしい陽が窓辺で息を吐いた。
「……聞いたか、隼の話」
「うん……神無月の跡取りが見つかったって」
ぽん。また、一つ音を弾く。人の耳には美しい旋律だが、妖にとってはガラスを引っ掻くような耳障りなもの。夜の封魔の力は、長月家に代々伝わる琴の音色によって発揮される。家の、そして両親の唯一の形見である琴を撫で、夜は目を閉じた。
士族であった長月と神無月は、同時期にお家取り潰しの憂き目にあった。当主の失脚が原因だが、それが仕組まれたものであると知るのは、両家の関係者でもごく一部だ。
「……せめて、笑顔だけは忘れていないでほしいな」
いまだ出会ったことのない同じ境遇の少年を思い浮かべ、夜はまた弦を弾いた。
涙の叩く鍵盤とは違う音が耳をついた気がして、郁は思わず辺りを見回した。突然歌を止めた彼を訝しがり、涙は演奏の手を止める。
「いっくん?」
「ああ、ごめん」
続きをしよう、と郁はもう一度ピアノの前に座る涙の方を見やった。涙は少し不満そうに頬を膨らめていたが、郁が促すとそっと手を動かした。流れる旋律は、近々二人がお披露目する新曲のものだ。郁と涙はこれを、新しく劇団のパトロンとなった華族当主の前で披露する。
「どんな人なんだろうな」
楽譜を捲りながら郁が呟くと、涙はまた手を止めて「さあ……」と目を伏せた。
郁は知らない。パトロンである男の名が霜月隼で、郁や涙の実家が所属する『ケ』六家を取り纏める地位にあることを。自分の家が、国家にとって重要なものであることすら、ずっと劇団で暮らしてきた郁は、知らない。
鍵盤の上に置いた指を丸め、涙はキュッと下唇を噛みしめた。
涙は、お役目が嫌いだった。お役目に必要な力を、嫡子である兄より強く生まれ持った自分が、嫌いだった。六家から逃れるために家出をして劇団に拾ってもらったというのに、まさかここで彼に見つかるとは思わなかった。
できることなら、郁と一緒にここから逃げ出したかった。彼の家の事情を、涙は知っている。郁が知らない分を補うように、彼のことを涙は知っている。隼が恐らく告げるだろう事実で、郁を悲しませたくない。郁の手を取って、この劇団も捨てて、二人で何処か遠くへ行ってしまいたい。けれど、この劇団を家族のように愛する郁はそれを承諾はしてくれないだろう。
(それなら、いっそ)
無理矢理にでも―――
「涙?」
郁の声に、涙は薄暗い思考からハッと我に返った。こちらを覗きこむ琥珀から思わず顔を背けて、涙は「何でもない……」と呟く。郁は些か納得しかねる様子であったが、小さく頷いて楽譜を指さした。
「ここのメロディなんだけど、もう一度―――」
楽譜をなぞる彼の横顔を見つめながら、涙は膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめた。
彼だけは、何としても守る。あんな世界、その琥珀は視る必要などないのだ。
しかし涙のその決意は、現実に容易く千切られた。
「涙!」
ドロドロとした空気が、涙が必死に奏でていた旋律を打ち砕く。涙はその衝撃に煽られて床を転がり、背を丸めて咳き込んだ。ぼんやりとした視界に、こちらへ駆け寄ろうとして夜に止められる郁の姿と、粉々に砕かれたピアノの鍵盤が映りこむ。
涙の封魔能力は、ピアノの演奏だ。それが壊れてしまっては、何もできない。身体の痛みに、意識がぼんやりとしてきて、涙の瞼がゆっくりと落ちる。声は聴こえないが、郁がこちらに向かって必死に呼びかけてくれているのは、姿で解った。
(ごめん……いっくん……)
守ると、君に誓ったのに。
「涙!」
すぅ、と目を閉じてしまう相棒に、郁は喉を枯らさんばかりの声で叫んだ。気絶したのだろうか反応を返さない彼へ向かって、形のない靄が首を擡げる。
「……彼を助けたい?」
ふと、涙へ駆け寄ろうとした郁を推し留めた夜が、そう訊ねる。郁は思わず彼を見やった。夜は、固い顔でじっと涙と靄を見つめている。郁は目を伏せた。体力に自信はある。劇団の演目用に剣技を習っているから、剣の扱いもまあまあ。敵わないかもしれないが、見ているしかできないほど、郁は弱くも臆病でもない。グッと拳を握り、郁は大きく頷いた。
「はい」
彼の力強い声に、夜はつい眉を顰める。涙は必死に郁を巻き込まんとしていたが、それはやはり難しい。誰もかれも、運命からは逃れられない。
「……なら、手伝って」
琴にかけていた布を取りはらい、夜はその場で膝を折る。戸惑う郁へ、舞台の奥に引っ込んでいた陽が何かを投げ渡した。それは郁が演目で使用していた剣だった。しかし、夜や陽は神無月の宝刀だと解った。
何も言わず演奏を始める夜の姿に、郁は戸惑いを隠せず陽へ視線をやる。陽が真剣な面持ちで頷き返すと、郁は少し剣を見つめてから前を向いた。
琴の演奏が、会場に響く。靄の動きが少し止まった。郁はそっと足を滑らせて、腕を大きく広げる。
夜の演奏に合わせて、郁は舞う。そこから生まれるのは封魔の力であり、陽たち人間にとっては神秘的な印象を抱かせる光景だった。
(想像以上だな……)
見る間に小さくなっていく靄を見やり、陽は感嘆の息を漏らす。隼から言われていたから見守るにとどめたが、郁と涙が初めから連携していたら効果は今以上だっただろう。
(神無月郁と、水無月涙、ね……)
隼から聞いていた二人の事情を思い起こし、陽はそっと目を細めた。
舞台ではクライマックスに差し掛かっているのか、抜刀した剣と身体を大きく使いながら郁が舞っている。身体を反らして飛び跳ね、しなやかに郁は着地した。
タン。
白い駒と、それが置かれたマスを見て、海はピクリと眉を動かす。目の前にあるのは白軍にすっかり侵略された黒軍と、白軍を指揮していた男のニッコリとした笑み。海は苦笑して、降参だと手を挙げた。
「そろそろかな」
椅子に浅く腰掛けた隼が、懐中時計を見ながらそう溢す。何が不味かったのだろうと盤を見つめていた海は、その呟きに何がだと首を傾げた。しかし隼はニコニコとしたまま曖昧な言葉を返すだけだ。海は頬杖をつき、そんな相棒をジロリと見やる。
「そろそろ教えてくれないか?」
「なにが?」
「お前の目的だよ」
ある日突然現れて、海をこの世界に引きずりこんだ張本人。『ケ』六家のお役目など、既に廃れて知る者は少ない。それを今更集めて、協力すべき『ハレ』六家に喧嘩を売るような真似までして。出会ってから数年経つこの男だが、海にはまだ読めないと感じることが多々ある。
隼はニコニコとしたままそっと手を伸ばして、海の頬を撫でた。
「安心して。海に危険が及ぶことには絶対にしないよ」
絶対に、と小さく繰り返して、隼は海の目元を親指で撫でる。銀の瞳に浮かぶ色は今まで見たことがないもので、海の背筋が小さく泡立った。少々恐ろしく感じる色だが、何故だろう、嫌ではないのだ。
海はそっと頬に添えられた手に自分のそれを重ね、口元を緩めた。

『ハレ』六家と『ケ』六家の対立。国家を中心とした陰謀。否が応でも巻き込まれた始たちは、互いの想いに翻弄されながらも、真っ直ぐに進んでいく。置き去りにされたものを、繋ぎとめようと手を伸ばしながら。
「春!」
「……ごめん」
背中に投げかけられた言葉に振り向くこともせず、春は言葉だけを返す。目の前に聳える大きな樹―――桜のような枝葉を持つそれを見上げ、春は扇を取り出した。
こんな自分の名前を呼んでくれた彼や、仲間だといってくれた新たちを、そして何だかんだ言いながらも手を貸してくれた隼たちを―――人を、初めて守りたいと思えた。
「ありがとう、始」
何度か呼ばれたその名だが、初めて親愛を込められたような響きがあって。始は膝から下へ力が入らないと知りつつも、這うようにして春へ手を伸ばした。
「おい、春、待て」
始の制止も聞かず、春は扇を開くと頭上に掲げた。弥生家に伝わる退魔道具。扱える者が当主となる決まりがあるもの。娼婦の子だから遠慮していたが、今だけは名乗らせてもらう。
「弥生家当主、弥生春!その名に於いて魔を滅さん!」
花を散らすように強くなる風。その勢いに圧されて新たちが目を閉じる中、始とそして隼だけは目を開いて春の背中を見つめていた。
「春―――!!」
花吹雪と共に、始の声が夜空を突き上げる。
「ありがとう、始―――俺の名を呼んでくれて」
柔らかいその声を、耳に残したまま。

不思議冒険奇譚【ハジマリノハル】―――近日公開未定。

ツキウタ。

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