とある物語の情報屋に関するあれこれ(コナン)



・ご都合主義万歳ギャグ、ひれ風味

『緋色の捜査官』という作品がある。推理小説の巨匠、工藤優作が脚本を手がけた大ヒット映画である。最優秀脚本賞を受賞したそれは、ファンからの熱い声もあってシリーズ化し、ついには工藤自身の手で小説化にまで至った。
そんな『緋色の捜査官』の主人公は、工藤の幅広い人脈で得たFBI捜査官の知人が、モデルとなっている。その主人公もさることながら、登場するキャラクターは魅力的な人物が多く、それぞれに根強いファンがついているほどだ。特に人気を博しているのは、小説版にのみ登場するとあるキャラクターである。
情報屋として登場したそのキャラクターは、主人公の行く先々に現れては、任務に奔走する主人公を揶揄い、邪魔し、時に手助けして去って行く。その立ち回り方を、かの大怪盗の孫を翻弄する女怪盗のようだと称する読者もいる。
「だから、やっぱり『ジェーン・ドゥ』は女性だと思うのよね」
昼下がりの喫茶店、他に客がいないこともあってか、園子は興奮気味な声を隠しもせずに熱弁した。それを頷きながら聞く蘭や、腕を組んで眉間に皺を寄せる世良の手元にも、『緋色の捜査官』の本が置かれている。
さて、コナンは彼女らの考察という感想談義を、少し離れたカウンター席でカフェオレ片手に聞いていた。
「そうかな。僕は男のようにも思えるけど」
シリーズの第二巻をペラリと捲り、世良が発言する。それにも蘭はうーんと頷いて見せるので、彼女の意見はどちらともいえないのだろう。
『ジェーン・ドゥ』とは、ファンの間での情報屋の呼称だ。本編でそれを用いられたのは一度切りで、あとは頑なに情報屋と表記されている。一人称は『僕』で、その他文中の語句に性別を明記する表現は見当たらない。そのため、情報屋の性別は数ある『緋色の捜査官』内のミステリーの一つとして数えられていた。
「ほら、ここで『カツンと足音が響いた』ってあるでしょ。これ、ヒールを履いているってことじゃない?」
「それだけじゃあなんともなぁ。僕はこっちの、『花のような顔』って表現。これって主に男性に使うんんだろ?」
「女性に使うこともあるみたいだよ。それに、そこは主人公視点だから、主人公が男性と思い込んでいたら、そういう表現にもなるんじゃないかな」
蘭の言葉に、世良は唸って背を丸めた。
耳を傾けながら、コナンは無心を装ってカフェオレを啜る。
「蘭ちゃんたち、熱が入ってますね」
梓の声。ついで「ですね」という声を聞いて、コナンの肩は思わず飛び上がりそうになった。そんな彼の心中を知らない梓は「知ってますか」とカウンター内に立つ相手へ指を立てて見せた。
「蘭ちゃんたちが考察してる『緋色の捜査官』、あのオリジナルシリーズって本当はもっとずっと前に刊行される予定だったんですって」
へぇ、と軽く驚いたような返答が聞こえる。じわりと、コナンの背中に汗が浮かんだ。
「けど、謎の組織の圧力があって、発売が延期されていたって都市伝説があるんです。何でも、メインとなった事件が未解決事件を元にしていて、その真相が小説に書かれていたから秘密結社やスパイ組織が世間に広まらないようにしていたとか……」
「あはは、あの工藤優作氏なら、有り得そうな話ですね」
にこやかな声だが、コナンはちょっと恐ろしくて顔を上げられない。
何を隠そう、『緋色の捜査官』屈指の人気キャラ、情報屋こと通称『ジェーン・ドゥ』のモデルは、現役公安警察である降谷零その人である。
『出版を差し押さえた謎の組織』は、そのまま公安警察のことだ。当のモデル本人が潜入捜査中に、そんな小説を出版されたら堪らない。妥協に妥協を重ね、彼の潜入捜査がひと段落したところを見計らった出版となったのだ。その話をコナンは、風見から聞いた。何やってんだあの親父は、と心の底から呆れかえってしまったのは、当然のことである。
「コナンくんは、読んだのかい?」
話を振られ、コナンは恐る恐る顔を上げた。ニッコリとした安室透と目が合ったが、ゾワリとした寒気から逃がれることはできなかった。ヒクヒクと口元を引きつらせながらも笑顔を作り、「い、一巻だけ……」と消え入るような声で答えた。
「けど、新一のお父さんにしては、今回は筆が早いような……数か月連続刊行なんて、初めてじゃないかな」
幼馴染の言葉にコナンはまたもドキリとする。それは、差し押さえの間も執筆を続けていたお陰である。普段からこれくらい〆切を守ってあげてほしい。編集者のためにも。因みに、映画の方もシリーズ化しており、脚本と小説出版、あの〆切直前に逃走しがちな工藤優作がその二つを同時進行している事実も、都市伝説扱いである。
「次で最終巻でしょ。あー、このシリーズも映像化してほしいわ」
演じる俳優は、中性的な容姿のあの女優だろうか、と園子は指を絡めて天井を見上げる。
「僕はまだ二巻なんだけど、その情報屋の性別、判明しそうなのかい?」
すっかりお手上げといった態度で、世良はアイスティーに手を伸ばす。立ち上がっていた園子はストンと座って「どうかしらね」と顔を渋く歪めた。
「女性派の意見が多いのは、主人公との関係性が意味深だからなんだけど」
「ああ、その意見は僕も見かけたことがあるよ。まさか最終巻で二人のラブシーンが……?」
ガチャン。大きな音に驚いて、世良と園子は肩を飛び上がらせた。
皿洗いをしていた安室は、「すみません」と詫びながら身を屈めた。どうやら皿を落としてしまったらしい。本当にごめんなさい、とコナンは心の中で平謝り状態だ。
「でも、主人公には忘れられないあの人がいるじゃない? その恋に一途な姿が好きなファンからは、その展開が否定されているのよ」
「それに、情報屋は情報屋で、大切な相棒がいるみたいだよ?」
蘭の言葉に、フツフツとしたオーラを纏って皿の後片付けをしていた安室の手が、僅かに止まった。
「相棒?」
「世良さんにはちょっとネタバレになるけど……ほら、二巻で『電話の向こうから、微かにベースの音が聴こえた』ってシーンがあったでしょ?」
電話越しに、主人公へ揶揄いの言葉を投げるシーンである。
「次の巻で、主人公が情報屋に言うのよ『君も、こんな世界より道端でベースでも弾いていた方が似合うんじゃないか』って。それに対して情報屋は『僕は、ベースが弾けませんので』って返すの」
「成程。電話のときにベースを弾いていた、もう一人がいるってことか」
「まぁどこかの店の音楽だとか、ベースが弾けないっていうのは情報屋の嘘だとか、いろいろ考察はされているけど……」
その他にも、主人公が見つけた情報屋の塒の一つの情景描写や、情報屋自身の僅かな台詞の端々に、隠されたもう一人の存在が垣間見えるのだ。
「だから、情報屋自体がカップルの二人組で、主人公に対しては欠片も恋心がないっていう説が、私は好きだなぁ」
両手を合わせ、蘭はふんわりと微笑む。
その表情に可愛らしいという感想が浮かんで和んだものの、後頭部に突き刺さる視線がそれに浸らせてくれない。視線が問いかける通り、その推定相棒のキャラクターは、諸伏がモデルである。
コナンは無実だ、と叫びたいが、あながちそうとも言い切れない。というのも、諸伏と降谷の関係を探るにあたり、優作に意見を求めたのはコナンである。そのときのコナンが所持していた二人の情報に興味をもった優作が、小説家としての独自の想像力を働かせた結果だ。本当にごめんなさい。あの父は、探偵以前に根っからの小説家であったのだ。
やがて、梓が「カラスミが切れたので、買い出しに行ってきますね」と喫茶店を出て行き、蘭たちもそろそろお開きにしようと言って解散していった。店内に残ったのはコナンと、もう一人。
空になったカップを見つめていたコナンは、隣でカタンと音が鳴ったことで肩を揺らした。彼の隣に腰を下ろした安室は、頬杖をついてニコリと微笑む。
「それで、君が僕にしたい話っていうのは、蘭さんたちの持っていたあの小説について、かな?」
笑顔の中で薄く開いた青の光が、恐ろしい。コクリと唾を飲みこみ、コナンは意を決して彼を見上げた。
「そ、そうだよ。優作おじさんが、小説の監修を頼みたいって」
「監修?」
「あ、……相棒の、キャラ造形に、ついて……」
パチリ、と青い目が丸くなる。内容については、彼の予想外だったらしい。
ここまで口にしてしまえば、後は同じだ。コナンは息を吸って、説明を続けた。
最終巻では、主人公と情報屋が手を組み、巨悪な犯罪組織と対決する。そんな中で情報屋が絶体絶命の危機に陥った際、助ける騎士の役割として、これまで姿を見せなかった情報屋の片割れを登場させたい。しかし書き上げた相棒のキャラ造形は、作者の彼も腑に落ちるものではなかったらしい。そこで、モデルとなった諸伏景光をよく知る降谷零に、もっと詳しい話を聞きたいと言い出したのだ。
「そこまでしなくても、ベストセラー作家なら幾らでも創造できるだろうに……」
「それは僕も言ったんだけど……どうも、ちょっと片手間に話したゼロの兄ちゃんたちの思い出話を気に入ったらしくて……」
声と記憶を失った少年と、それらを取り戻す過程に寄り添い続けた少年。小説家としても一人間としても、そんな関係性の二人について、興味をそそられたらしい。
「あの、勿論、こんな人の思い出に踏み込むような頼み、断ってくれていいんだ。優作おじさんもそう言ってたし。ただ、折角ゼロの兄ちゃんがモデルのキャラクターが世間に受け入れられてるから、諸伏さんも……」
「君は、」
早口になるコナンの言葉を止め、安室は少し眉を下げた。
「君は、どう考えているんだい?」
「……ぼく、は」
コナンは一度目を落とし、チラリと安室を見上げた。
「……物語の中だけでも、二人が一緒にいる風景が見られるなら、それもいいのかな、って……」
「……そうか」
ポン、とコナンの頭に暖かい手が乗る。子供扱いに唇が尖りかけたが、見上げた先の顔が穏やかなものだったので、コナンは大人しく撫でられることにした。
「そうだね、じゃあ……」
カラン、カラン。ポアロのドアベルが鳴る。揃ってそちらを見やった安室とコナンは、そこに立っていた人物に目を丸くした。
「そういうことなら、――私も一枚噛ませていただけますか?」
端正な顔でニコリとほほ笑み、付箋だらけの『緋色の捜査官」シリーズを抱えた諸伏高明が、そこに立っていた。

《続かない――!》


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