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「小山内…」
「え…あ、浅田…?」

屋上の扉の前に立っていたのは浅田だった。
なんでここに浅田がいるのだろうか。




きみに必要なこと*じゅっこめ




さっき北村にトイレに行くと告げ教室を出てから結構経っているから、今は授業中のはずだ。
浅田がここにいるのはサボりのためだろうか。
いや、きっとそうだ。
タイミング的に俺を探しにでも来てくれたのかと一瞬勘違いしそうになったがそれは有り得ない。
浅田は俺とのことは忘れてしまっているのだから。
俺は目元に残っている涙をぐしゃりと袖で拭って浅田に笑いかけた。

「何やってんだ浅田?サボりか?」
「…小山内は…」
「俺はちょっとな。でももう教室戻るから」

ずずっと鼻水をすすりながらごまかした。
やばい俺さっき相当泣いたから今ものすごい汚い顔になっているはずだ。
恥ずかしいぞこれは。
早くここを立ち去ろう。
俺はじゃぁ、と言いながら浅田の横を足早に通り過ぎた。
そして、扉に手をかけようとしたところで、腕を掴まれた。

「え」
「なんで泣いてんの?」
「え?」

俺の腕を掴んだのは浅田だった。ここには俺たちしかいないから当然だ。
俺は驚いて浅田を見ると、浅田はひどく不機嫌な表情で俺を見ていた。

「目、赤いし…鼻水のあとついてるよ」
「えっ…」

嘘だろしにたい。
諦めたとはいえ、俺はまだ浅田のことが好きだ。
その好きな人の前で鼻水のあとってお前。
あまりの恥ずかしさにどうしたらいいのかおろおろとしていると、浅田が着ているカーディガンの袖を軽く伸ばして俺の鼻の下をゴシゴシと拭った。

「んぶっ…ん、あさっ…ぶっ」
「ごめんね。俺ティッシュとかハンカチとか持ってないから…ごわごわして痛いかもだけど我慢して」

いやいやいやそうじゃなくて違うだろう。何してくれてんだ浅田。
なぜ俺は今浅田のカーディガンの袖で鼻水拭かれているんだろうか。
もう本当最悪だ。
若干ドキリとときめいてしまう自分ごと最悪だ。

「あ、あのっ、浅田何してっ…」
「ねぇ」
「ぇあ?」

俺は浅田の袖から逃れるように顔をそむけるが、顎をがしりと掴まれて浅田の方を向かされてしまった。

「何で泣いてたの。鼻水出すくらい号泣って何。なんで?」
「あ、浅田…?」
「目だってこんな真っ赤に腫れてるしさ」

いや、それは昨日の夜お前を想って泣いた名残だ。
そうだ俺鼻水はついてるは目は腫れているは、もういいとこないじゃん。
もともといいもんでもないけど、今俺の顔見れたもんじゃないんじゃないか。
そう思うと今顎を掴まれ浅田とがっつり見つめ合っているこの状況が穴に埋まりたいくらい恥ずかしい。
俺は浅田の手から逃れようと体をよじってみた。

「あ、浅田、放しっ…」
「なんで」
「へ?」
「何で俺には放してとか言うの。さっき北村にベタベタ触らせてたじゃん」
「あの、浅田…?」
「北村がよくて俺がダメなのはなんで?」

ものすごく不機嫌な顔の、いやむしろ怒っているんじゃないかという顔をした浅田は、左手は顎に置いたまま、右手を腰に回してきて、俺は完全に逃げられなくなった。
何だこの状況。っていうか腰に回ってる腕の力オカシイ。ちょっと痛いくらいだぞ。ほんと何コレ。
俺は今の状況がまったく理解できず困惑する。
浅田は何を言っているんだ。
北村に触らせて浅田に触らせるのがダメなのは何で?って?意味がわからない。
浅田はもうキューピッドの矢の効果は消えていて、俺のことはクラスメイトの一人という認識しかないはずだろ。
なのに何この反応は。これじゃあまるで…
俺の心臓はあり得ないほど早鐘を打ち始めた。

「浅田…あの」
「ごめん…」
「え?」

今度は突然謝ってきた。切なげに眉を寄せて。

「俺…小山内と話したの、昨日が初めてだよね…」
「え、あ…ああ、う、うん…」

本当はそうではないのだけれど、キューピッドの矢が刺さっていた間の浅田の中の俺の記憶は無くなっているのだから、それに合わせて俺も返事をする。

「だから…こんなん言われても、困ると思うんだけど」
「う…ん?」
「俺、小山内が気になって仕方ないんだ」
「は…」

今度こそ、心臓が壊れるんじゃないかってくらいの音を立てる。
俺が気になる?それはどういう意味?

「いつも、学校に来ても一人で黙って外見たり本読んだりしてんのに、今日は違うんだもん…。いつの間に北村と仲良くなってたの」
「え、な…」
「北村と楽しそうに話して、触らせてるの見てたら、もうなんか我慢出来なくて」
「あさだ…」
「だから、教室出てった小山内探して、ココ来たんだ」

浅田の瞳が不安げに揺れる。
どういうことだこれ。
俺夢でも見てんの?それともキューピッドの矢の効果がやっぱり無くなってなかった?
腰に回っていた浅田の腕の力が弱まり、俺は後ずさりながらゆるゆると浅田と距離を作る。

「何…どういう、こと…」
「ごめん…やっぱ困るよね…いきなりだし…」
「違くて…それ、いつ、から…」
「え?」
「俺、こと…気になる、とか…それいつから」

そういえば、なんで浅田は俺の名前知っていた?
クラス一緒だって言ったって、俺はあまり学校に行ってないし、行ってても特に何をするわけでもなく空気みたいにして一人で過ごしてたはずだ。
学校休みまくりの俺が、授業で呼ばれることだってほとんどない。席だって遠い。
クラス一緒なのだし、知ってたっておかしくはないけど、ぶっちゃけ俺のクラスで、浅田とのことがあるまで俺の名前を名字だけだって言える奴はそういなかったはずなんだ。
ていうか、俺は浅田や北村が有名だから知っていただけで、あとのクラスメイトの名前はほとんど知らなかった。
俺の質問に、浅田は少し顔を染めて照れくさそうに言った。

「クラス一緒なって、一か月だったくらい…かな」
「は…?」
「っていうか最初隣の席だったんだよ、名前の順で。すぐに席替えで離れちゃったけど、さ」
「え、そ…うだっけ…?」

俺の頭は完全にショートしていた。
なんだこの展開。どういうことだ。
クラスが一緒になって一か月って、キューピッドの矢なんて片鱗も見せていない半引きこもり絶頂期じゃないかそれ。
浅田は俺が作った距離を埋めるようにじり、と近づいてきた。

「授業中に落した消しゴム拾ってくれてね、しかも無言で」
「消しゴム…」
「今まで、そういうことがあったら何かと話しかけてこられるのが普通だったから、すっごい新鮮で…それからなんか気になっちゃってて」

さらりと嫌味なナルシスト発言をかましながら、浅田は赤い顔はそのままに話し続けた。
消しゴムのことなんて俺は当然覚えていない。

「ずっと、見てたんだよ。小山内は一回も気づかなかったけど、本当にずっと見てた」
「あの…」
「寂しそうに、クラスの奴ら眺めてるのとか…授業中鉛筆持ってノート取るふりしながら爆睡してたのとか…」

浅田は愛しいもののことを話すような穏やかな表情をしていた。
俺の顔がぶわっと一気に熱を持つ。
どうしようどういうことだ本当に夢じゃないかこれ。

「話しかけてみたかったけど、俺が話しかけたら、他の奴らもみんな小山内のとこ行っちゃうだろ。それってきっと小山内には迷惑なことだろうなって思って、我慢してたんだ」
「そ、…」
「それなのに、今日、北村にベタベタ触らせて笑顔振りまいて、あんなに親しげにしてて…」

どんどん不機嫌顔に戻っていく浅田。
これは、自惚れてもいいんだろうか。
キューピッドの矢など関係なく、浅田は俺のこと、好きでいてくれているんだろうか。
でも、勘違いだったら?
そうだ、そもそもこんな自分に都合のいい奇跡みたいなこと起こるわけないだろ。
俺はドクンドクンと脈打つ心臓を抑えるように、制服の胸の部分をギュッと掴んだ。
同時にくしゃと、手の中で握ったままだったミルクさんの青いリボンが音を立てた。

「っ…」

そうだ、約束したじゃないか、幸せになるって。
大事な俺のキューピッドのさいごの願い。
どうせ、このままじゃ俺は浅田を諦められないで、うじうじとしてまた一人になっていってしまうかもしれない。
だったら、ここでちゃんと確かめて玉砕した方がよっぽどいいんじゃないか。
それに、もし浅田の言っていることが本当で、俺の勘違いじゃないんだったら、きっと今はっきりさせておかないとせっかく掴めるかもしれない幸せを全部失くしてしまう。
今ここに助けてくれる人は誰もいない。自分でなんとかしなくちゃいけない。
でも、俺はひとりじゃないだろ。
俺は、ぎゅ、と青いリボンを握り直して、浅田を見据える。

「浅田、俺、お前のこと好きなんだ」
「え…」
「友達とか、そーいうんじゃなくて恋愛対象として、好きなんだ」
「小山内…」
「浅田は?今の、浅田の話聞いてると、浅田も俺と同じ気持ちだって、聞こえる。でもそうじゃないんだったら今キッパリ振って」
「…」
「付きまとったり、そういうことはしない。だからハッキリ今、返事が欲しい」

俺は、自分でも信じられないくらい強い口調で浅田に言いきった。
手が微かに震えている。こわい。
だけど、不思議と落ち着いている。
浅田から目をそらさず、黙って見つめていると、浅田がため息を吐いた。しかも思い切り深いやつを。
ああ、やっぱり俺の勘違いだったのだろうか。

「あのさ…小山内…」
「う、ん…」
「かっこよすぎー…」
「ふえっ!?」

言いながら浅田は思い切り俺を引き寄せて抱きしめた。
俺は突然のことに素っ頓狂な声を上げてしまった。

「そんな可愛い顔して…言うこと男前すぎんでしょ」
「か、かわいくな…」
「顔真っ赤にして涙溜めてぷるぷる震えている子を可愛くないとは言わないのー。っていうか俺には犯罪級に可愛く見えちゃうから」
「あの、浅っ…」
「俺もすきだよ。…キミちゃん」
「っ…!」

ぶわり。決壊したように俺の目からまた涙が溢れだした。
どんだけ泣く気だ俺。
だけど涙はボロボロと止まらず零れていく。
"キミちゃん"
久しぶりの響き。だいすきな響き。
夢じゃないんだ。

「あ、さっ…だ」
「この呼び方のがしっくりくる」
「ぅ…っ、浅っ…田っ」
「キミちゃんをこんな風に抱きしめたのも、初めてのはずなのに、なんでだろうね…っ」

浅田の声が微かに震え、俺を抱きしめる手に力が籠った。

「浅田…?」
「俺、この感覚を知ってる…抱きしめた瞬間に、心の底から溢れてくる。キミちゃんがこんなに愛しい…だいすきって」
「っ…」
「俺、なんか忘れてる…?なんで、涙が出てくんの…っ」

浅田の言葉に、俺は声もなく泣いた。
消えてしまったはずの、キューピッドの矢でつくられた俺と浅田の時間は、かすかに浅田の中に残っていたんだ。
こんなに、俺は浅田を振り回して、傷つけてしまったのに、まだ俺のことを好きだと言ってくれるんだね。
ああ、ごめんね本当に。でも、今はそれがこんなにも嬉しいよ。

「お、れ…っ」
「うん…」
「浅田が好き…っ、だいすき…!」
「うん、俺も。俺もだいすき…」

ふたりでボロボロと泣きながら、俺たちは今度こそ、ちゃんと両想いになれた。
こんなにも満たされた気分になるのは初めてかもしれない。

ひとしきり泣いて、落ち着いた頃、浅田はそっと俺を放した。
俺の目元をセーターの袖で拭いながら浅田はそういえば、と口を開いた。
あれ、ちょっと待てさっきその袖で鼻水拭いてなかったかお前。

「今日クラスの奴らとか北村とかに、キミちゃんはもーいーの?とか言われたんだけどさ」
「え、あー…」
「俺、小山内への想いがバレたんだって思って動揺して思わず何のこと?とか平気な風装って言っちゃったんだけど…アレはなんだったんだろ…?」

頭に疑問符を浮かべながらうーんと唸る浅田に思わず吹き出してしまう。
俺は少し離れた距離を縮め、背伸びをして浅田の唇に、自分の唇をそっと押し当てた。

「キキキキミちゃん!?」
「とりあえず俺らがこういうことになってんのはみんな知ってるんだよってことだけ教えといてやるよ」
「え、え…え!?何それどういうこと…!?」
「あははっ、今度教えてやるよ」

意味が分からないと困惑している浅田の頭を、浅田が俺によくしてくれていたようにさらりと撫でる。
そんな俺の行動に顔を赤くして、でも幸せそうに微笑んでくれる浅田に俺も笑顔になる。
いつか浅田には、全部を話そう。

手の中で青いリボンがくしゃりと小さな音を立てた。








幸せにになること



(今日もキミが笑ってくれていますように)



END



第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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