ざわざわと騒めく教室の窓際の席に、ぽつんと一人座っている。
つい昨日まで、うるさいくらいだったそれは、少し遠い場所でたくさんのクラスメイトに囲まれて笑っていた。
よかった。


きみに必要なこと*ここのつめ


「小山内…」
「北村」

俺がぼーっと、クラスメイトに囲まれて楽しそうにしている浅田を眺めていると、北村が傍によってきた。

「お前ら、どうしたの?」
「ん、ちょっとね」

北村は、浅田のことを言っているのだろう。
浅田の中から俺は「大好きなキミちゃん」から「クラスメイトの小山内」に変わった。

「あいつ、何聞いても、何言ってんだよとか言ってくんだけど。なんか、小山内のこと、忘れたみてーになってる。女子共は喜んで、どうでもいいみたいだけど。おかしくね?」
「うん。知ってるよ。俺のせいだから、仕方ない」

北村はまだ納得いかないと言った感じに顔を歪めていたが、俺がそれ以上何も言わないことを悟ったのか、ため息をついて俺の前の席に座った。

「まぁ、お前らの問題だし、俺は首突っ込めないけどさ」
「うん……」
「お前、大丈夫?」
「え?」

北村はそう言って俺の前髪を掻き上げた。

「目、腫れてる。どんだけ泣いたんだよ」
「あ、はは…」

俺は苦笑いをして誤魔化した。
どんだけ泣いたんだって、一晩中だ。しかも今だって泣こうと思えば泣ける。

「言ったよな、お前も大事な俺の友達だって」
「き、たむら…」
「お前が言いたくねぇならこれ以上口出しはしねぇけど、あんま酷ぇなら俺浅田んこと殴るからな」

言いながら北村は俺の腫れた目もとを指で優しく撫でてくれた。

「うん、ありがとう。でも、本当に俺が悪いから、殴るなら俺にしといて」
「………無理」
「何でだよ」

頬を膨らませて不機嫌そうに言う北村に、俺は思わず笑ってしまった。
少し心が楽になった。
浅田を大事だと言っていた北村に、俺がしたことを話したらきっと北村は俺を軽蔑して嫌うだろう。
だけど今、こうしてくれてることが、とても救いになっている。

「浅田やめんなら俺にしとく?」
「何言ってんだ。っつか俺ホモじゃないし」
「あ?じゃあ浅田は?」
「特別」
「んだよそれ」

北村は俺の目もとに寄せていた手を、俺の頭に持っていってぐしゃぐしゃと掻き混ぜて、俺だってホモじゃねーからなと笑っていた。
好きな人はなくしてしまったけれど、友達はなくしてない。
全部が前に戻ってしまったわけじゃないんだ。
ミルクさんだって相変わらず傍にいるのだし。

『公人…話があるの』

北村に髪の毛をぐしゃぐしゃとされるのから逃げていると、ミルクさんがやけに真剣な声色で俺に話しかけてきた。
こんなタイミングで話しかけてくるのは珍しい。
普段は俺が誰かといる時は極力話しかけてこなかったのに。

『急ぎだから…悪いんだけど、すぐ屋上に行きたい』

なおぐしゃぐしゃと触ってくる北村の手を軽くベチリと叩いて振りほどく。
ミルクさんはそんな俺を見ながら、縋るように言う。
一体どうしたのか。
俺はミルクさんの様子があまりにも普段と違うので、すぐミルクさんの言う通りにしようと思い、席を立った。
北村にはトイレに行くことを告げ、足早に教室を後にした。







「どうしたの?」

屋上に着いて、人がいないことを確認してからミルクさんに話しかける。
今日は風が少し強くて、髪がバサバサと乱れていく。

『…もう、最後だから、素の俺で話す』
「え…」

振り向いたミルクさんは、いつもより低い声で、口調も違っていた。
表情は、泣きそうだけれど笑っていて、ひどく儚げだった。

「ミルクさん…?」
『俺、もとは雄なんだ。お前のために、女になろうとしてた』
「…は?」

ミルクさんは一歩俺に近づきながら言った。
言っている意味が全然わからない。

『公人は覚えてないと思うけど、俺、昔お前に助けられてるんだ』
「え?」
『この、ヒト型のキューピッドの前は、俺鳩だったんだ。真っ白い』

ミルクさんのブリーチで傷んだような長い髪の毛が、風に乱れてバサリバサリと舞う。
俺はもう口を開けていることしかできなくて、ミルクさんの言葉をじっと待つ。

『その鳩の時に、俺怪我してさ、それを拾って助けてくれたのが小さいお前だった』
「は、と…」
『俺の怪我が治るほんの少しの間だったけど、俺と公人は一緒に暮らしてたんだよ。その時小さい公人が鳩だった俺の首に巻いてくれたのがこれなんだ』

そう言ってミルクさんは手首の青いリボンを見せてきた。
それは最初に、ギャルっぽいミルクさんの外見の中で違和感を感じたものだった。
俺があげたものだったなんて。

「覚えて…ない」
『うん。仕方ないよ。まだ言葉も覚えたてだったから』

ミルクって名前も真っ白の俺から牛乳を想像して公人がつけてくれたんだ、と笑いながら言う。
白=牛乳でミルクなんて…幼い俺…なんて安直なんだ。俺は少し恥ずかしくなって俯いた。

『俺、嬉しかったんだよ。それで、絶対生まれ変わって公人を幸せにするって決めたんだ』

その言葉に顔を上げると、ミルクさんは、手首ごとその青いリボンをぎゅっと握りしめていた。

『公人は男だったから、俺は女に生まれ変わらないと公人と恋できないって思って、雄型だったのを、昇級遅らせて雌型に変えていったんだ』
「そんな…」
『まぁ、体はなんとかあと少しだったんだけど、中身はなかなかね…』
「だからオカマみたいだったのか」
『え、公人そんな風に思ってたのか?酷いな』
「でも今の方が違和感ある。ずっとオカマ口調だったし」
『もうそれは忘れて。素はこっちだから』

ミルクさんは少し顔を赤く染めながら咳払いをして話を続けた。

『でも、ずっとひとりで、引きこもってく公人を見て、ダメだって思ったんだ。俺が生まれ変わるの待ってたら、公人がダメになるって』
「…」
『ひとりで泣いてるお前見て、何もできない自分が歯がゆかったよ。すごくイラだった』

ミルクさんはさらに俺との距離を詰めて、俺の頬にそっと触れた。

『誰でもいいから、誰か公人の傍にいてくれたらって思った。俺には、できないから』
「ミルクさん…」
『それで、どうせなら、公人にもう一度だけ会いたくて、俺は公人の前に現れたんだ』
「そう、だったんだ…」

あの衝撃の出会いに、そんな思いが込められていたなんて思いもしなかった。
俺はミルクさんの手に、頬をすり寄らせた。
そんな俺の行動にミルクさんはクスリと笑う。

『でもそれって全部本当は、やっちゃいけないことなんだ』
「え?」
『勝手にキューピッドの矢使って誰かの心操作すんのも、人間の前に姿現すのも、全部』
「…え」

ふわり、頬に触れていた手の感触が薄れた。
俺は驚いてミルクさんの手を見て、掴もうとした。
したけれど、掴もうとした俺の手は、するりと抜けて、空を描いた。

「ミ、ルク…さん?」
『だから俺、消えんの。罰として。まぁ、予想以上に長く傍にいられたから、満足っちゃ満足だけどね』
「待って…。ねぇ待って、どういうことっ…」

俺はどんどん薄くなっていくミルクさんを、信じられない気持ちで見つめた。
嫌だ。消えるって何。どういうこと。なんで、嫌だ。

『幸せに、してあげたかったんだ公人…』
「いや、いやだ…ミルクさん…」

もう感触のない手で、ミルクさんは俺の両頬を包む。
視界がゆがむ。目からポロポロ生温かい雫が落ちていくのが分かる。

『誰かが公人の傍にいてくれて、公人を幸せにしてくれたらって、思ったんだ』
「や、やだ…お願っ…」
『でもごめんな、俺…余計にお前を泣かしちゃったね』

ミルクさんの瞳からも、ポロリと涙が零れ落ちた。
俺は、もう触れないミルクさんの手を必死に握ろうとしていた。
けれど触れるのは空気ばかりで、あの優しかったミルクさんの手の感触がしない。まだ見えているのに。目の前にいるのに。
どうしてどうして、嫌だ。

「なんで、俺っ…なんかのために…!馬鹿っ…じゃないの!」
『公人のためだからだよ…っ、公人は俺に、たくさん幸せをくれたんだ』
「そんな、俺っ…覚えてっ…ぅっ…な、なっい…っ」

上手く言葉が出てこない。どうしてもしゃくり上げてしまう。

『公人、幸せになって。俺が消えてしまうことを、悲しんでくれるなら、幸せになって』
「み、るくっ…」
『本当は、俺が幸せにしてあげたかったけど、俺はもう、ムリだから…』

俺は力いっぱい首を左右に振った。
ミルクさんは、俺に幸せをくれたじゃないか。たくさん。
ミルクさんが来てくれなかったら、俺はまだひとりぼっちで引きこもってた。
俺はそれを伝えたくて、口を開こうとしたら、ミルクさんが人差し指でそれを制した。
なんで…!

『これから公人は、自分で幸せを手に入れていくんだ。公人はそれが出来る子だよ』
「っ…」
『だって俺を、こんなに、こんなに幸せにしてくれた』

消えていく。
ミルクさんを通して向こうの景色が見えてしまう。青空が見えはじめてる。

『心残りがあるとしたら、公人のこれからを見られないことかな」
「ミルクさんっ…」
『公人、公人…だいすきだよ。だいすき』

そう言って、最後にミルクさんは、もう感触のないその唇で、俺の唇にそっと触れて、姿を消した。
すぐ後に、風が強く吹き付けて、もう俺の前には青空しかなかった。

「―――――っ!!!」

声もでなかった。
俺は膝から崩れて、その場で泣いた。
もう、涙なのか鼻水なのか、何かわからないもので、俺の顔はぐしゃぐしゃになっていた。
それでも、涙が止まる気配はなかった。

「馬鹿、ミルク…っ!お礼くらい…言わせろよ…」

握りしめた手の中に、青いリボンだけが残っていた。
絶対に、幸せになるから。
絶対、絶対、約束するから。だからどこかで、俺をみていて。
ありがとうありがとう、俺もだいすきだったよ。
こんな俺を、あいしてくれた優しいキューピッド。
俺はリボンを握りしめた手を見つめて、ぐしぐしといまだに止まらない涙をぬぐいながら、ひとり立ち上がった。


「小山内…?」

小さく扉が開く音とともにそこに立っていたのは、昨日まで俺を愛してくれていた人だった。








あいされること



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テーマ「人外ファンタジー」
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