『公人?どうしたの…?』

部屋に入るなり、ミルクさんは心配そうに俺を覗き込みながら聞いてきた。
浅田の家を、夕方には出てきて、自宅に帰った。

『あんた浅田くんの家で、途中から様子が…』
「ねぇ、ミルクさん」
『な、何…?』
「キューピッドの矢の効果って、なくせないの…?」
『え…?』

もう、浅田を解放してあげないといけないと、思った。



きみに必要なこと*やっつめ



俺のどこがすき?
そう聞いて、浅田から返ってきた答えに俺は気づいた。
その質問をすることさえ、おこがましいことに。俺にはそんな権利がないことに。

「浅田は、間違ってあの矢が当たったせいで、今俺のことをあんなに好きでいてくれてる」
『きみ、』
「でもそれって本当に俺のこと好きなわけじゃない。…何で俺そのこと忘れてたんだろ」

恥ずかしい。浅田と、両想いになっただなんて、なんて勘違いだ。
俺は閉めた自室のドアに背をあずけたまま、ずるずると座り込んだ。

「浅田が、可哀想だ。俺、みたいな奴、本心じゃないのに好きなままだんて」
『公人、それは…っ』
「ねぇミルクさん、どうにかならない?」

ミルクさんが何か言いかけたけれど俺はそれを遮って縋るように言った。
もう十分だ。
浅田は、こんな俺に笑いかけてくれて、触れてくれて、好きだって、言ってくれた。
それは本心じゃないけれど、俺をたくさん幸せな気持ちにしてくれた。
これ以上、アイツを俺に縛るわけにはいかない。

『でも公人、あんたは…』
「好きな人が」
『え?』
「本当は好きでもないのに自分の傍にいてくれるなんて、惨めだ」
『っ…』

俺ばっかりがどんどん好きになっていく。
相手も俺を好きでいてくれるのに、いつだってそれは本心じゃなくて、つくられた心のせいで。
それは、考えると心臓が握りつぶされるんじゃないかってくらい苦しくて、悲しい。
本当は、こんな気持ちを抱くことさえおこがましいけれど、でも痛む心臓は真実だ。

「俺は、もう十分浅田に幸せにしてもらったから、もういい…」
『公人…』
「もう、浅田を解放してあげたい」

最初は浅田を狙ったわけではないけれど、これはきっと、キューピッドの矢に頼って他人の心を手に入れようとした、浅はかな俺への罰だ。
本当だったら、ミルクさんが何て言ったって、断るべきだったんだ。ミルクさんには悪いけど。
さみしかったんだ。本当は。
ただ誰か傍にいてくれるなら、それもいいかもしれないなんて、心の底で思ってしまって、目の前にあったものに頼ってしまった、俺のせい。

『…わかったわ』

深いため息の後に、ミルクさんは渋々といった様子で答えた。
座り込んで俯く俺の頭をふわりと優しく撫でた。
それは、浅田とは全く違う感触で、けれど浅田を思い出させる行為だった。
あいつ本当俺の頭年中撫で回してたもんな。
ああ、ダメだ。

「っ、俺、浅田、好きだよ…っ、まだ一緒にいたいよ…でもっ」
『うん』

俺の涙腺最近緩みすぎじゃないか。なんでこんなにボロボロ出てくるんだ。
中学で、散々流しまくって、もう近頃はほとんど出なくなってたのに。
なんで俺、浅田のことを想うだけでこんなに泣けてしまうんだろう。
俺はミルクさんに抱きついた。
ミルクさんも、優しく背中に腕を回してくれる。

『ごめん、ごめんね公人』
「ぅ…っ、ミ、ルクさっ……っふ、ぅ」
『ごめんね本当に、ごめん』

嗚咽を漏らしながら泣く俺を、包み込むように抱きしめながら、ミルクさんは俺よりも辛そうな声で、謝り続けていた。







「キミちゃんが寄り道しよーとか、珍しいね」
「そう?まぁ、たまには…俺から誘ってもいいかなって。嫌だった?」
「んーん!むしろ嬉しい!」

放課後、俺は浅田を連れて、真っ直ぐ家には帰らず近くの公園にやってきた。
まだ肌寒い公園は、あまり人がいなかった。

「あのさ、浅田」
「んー?」
「俺、お前に感謝してるんだ」
「え?」

俺の呼びかけに、ニコニコとしながら応える浅田。
けれど俺の次に発した言葉に首を傾げている。

「俺、中学の時、軽くいじめられてて、そんで半分引きこもりみたいになっちゃったんだ」
「キミちゃん?」
「他人と関わるの怖かったし、またああいうことされるんだったら、一人でいる方が楽だと思ってた」

俺は足を止めて浅田を見た。
浅田は突然語りだした俺に困惑しているようだった。

「でもお前に会って、お前が俺を好きだって言ってくれて、俺を色んなとこに連れ回してくれた」
「…」
「北村達とも友達になれて、俺は、今まで自分がどんだけもったいない時間の過ごし方をしてたのかを知ったよ」

困惑しながらも、俺の真剣さが伝わったのか、浅田は黙って聞いてくれている。
俺はそれに、ニコリと笑いながら話を続ける。

「だから本当に、お前には感謝してもしきれないよ。ありがとな」
「う、うん…。ど、どうしたのキミちゃん、そんな真面目に言われると俺さすがに照れちゃうんだけど」

少し顔を赤くしながらオドオドとする浅田がなんかおかしくて、俺は噴き出してしまった。
もうすぐ終わる。こんなに幸せな、あったかい気持ちにしてくれる、この浅田との関係が。

「お前のこと、俺きっとずっと好きだ」
「……公人?」
「っ、いつか他に、好きな人が出来ても、お前はきっとずっと特別だと思う」

俺の様子がおかしいことに気付いた浅田が、いつものキミちゃんという呼び方をやめた。
俺は、すう、と大きく息を吸って、ミルクさんに言われた通りにするため、浅田の左胸に掌を置いた。
キューピッドの矢の効果を失くす方法。それは、矢の刺さった左胸に手を置いて、相手の目を見てこう言うんだ。

「"この恋は失敗だった。だから全部忘れてしまって"」
「え…」

本来、恋を成就させるのに失敗したキューピッドがやることらしいが、人間がやっても大丈夫だと聞いて、俺にやらせてもらった。
もうこれで最後だから、きっと、こうやって浅田に触るのは。
俺は、言葉を言い終わってから、ゆっくり手を離した。

「…浅田」
「…小山内?」

目の前の浅田は、さっきまでと違い、俺を不審なものを見る目で見ている。
もう、名前も呼んでくれなくなった。
ああ本当に、終わてしまったんだ。

「え?あ…小山内…何でここに?」
「たまたま会ったんだ。ここ、俺の家の近くの公園」
「え、そ、…うなんだ?」

キューピッドの矢の効果が消えると、その間の、俺との記憶も一緒に消えるらしい。
俺を好きになっていたこと、俺と過ごした時間、全部。別のものにすり替わって、忘れてしまう。
だから、もう、今浅田の目には俺はただのクラスメイトにしか映っていない。
しかも一言だって喋ったことのない、そんな奴いたね、という程度のクラスメイトに。

「浅田がぼーっと突っ立ってたから声かけてみただけ。…大丈夫?」
「あ、…う、うん。っていうか、俺…なんでここにいんの…?」
「知らない。本当に大丈夫?具合悪いんじゃない?」

俺は全て忘れてしまった浅田に合わせて、嘘をついて、演技する。
大丈夫。昨日何度もイメトレしたろ、俺。
これでもかというほど泣いたから、涙も我慢できるだろ。
大丈夫大丈夫。やり通せ。

「じゃあ、俺もう帰るから。浅田も早く帰った方がいいよ」
「う、ん…」
「じゃあね」
「え、ちょっと…!小山内!」

俺は精一杯笑顔を作って、浅田に背を向けた。
まだ後ろで浅田が困惑して、動揺しているのが分かるけど、全部気づかないふりをして、早足で公園を後にする。
大丈夫、やれた。きっと色々ごまかせる。明日から、いままで通りのただのクラスメイトのふりが出来るようになる。
俺は浅田から見えなくなっただろうところまで来てから、一気に走って家まで帰った。
家に入ったら勢いよく部屋に駆け込み、足から崩折れて、うずくまった。

「っは、は…っ、」

苦しい。いつだったかの全速力の後と同じ感じで、喉がひゅうひゅうと気味の悪い音を立てている。
心臓が、ぎゅうぎゅうと締まるようで、痛い。
これは本当に慢性的な運動不足だ。なんとかしないと死んでしまうな。
だってこんなに、痛くて苦しくて辛いなんて。

『公人…』
「ミ、ルクさ…」

全部、黙って見守っててくれたミルクさんが、泣きそうな顔で俺の前に膝をついた。
俺がうずくまらせていた体を起き上がらせると、すごい勢いで俺を抱きしめた。

「ミルクさっ…俺、ちゃんと出来てた…?」
『っうん、うん…!』
「俺、今度は浅田とっ…友達にくらい…っなれるかなぁ」
『なれるよっ、公人なら、そんなの簡単だよ』

だってこんな辛い事を、ひとりで出来たんだから。
ミルクさんは俺よりも泣き散らしながら、そう言った。

さよなら俺の、はつこい。






さよならを知ること





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