彼にときめく瞬間B今日は久し振りの休日。
だけど、仲良しの女官仲間の子は、お休みではなかったために、一人きりでアテネ市街へと買物に出てきた。
今日を逃したら、次に目一杯、買物を楽しめる日がいつになるか分からない。
そう思うと、アレもコレもと抑制が効かず、今は両手いっぱいの紙袋を抱えて通りを歩いていた。
空は見事な晴天。
気分は上々だけれど、日差しが強い分だけ、暑さが身体に堪える。
「アイス、美味しそう……。」
視界に映るのは、涼しげなジェラート屋さんの屋台だ。
疲れて腰を下ろした公園のベンチから程近く、屋台の前には同じ考えの人達が集まっている。
だけど、この荷物。
久々だからと張り切って買物をした結果、両手から零れ落ちそうな量。
この荷物をココに置いては、買いに行けないわよね。
でも、この荷物を持ったままじゃ、ジェラートを受け取る事も出来ないし……。
「よう、何してンだ?」
「っ?!」
やだ、ナンパ?!
どうしよう。
私一人だし、荷物いっぱいあるし、上手く避けて逃げるには困難な状況。
こんなタイミングでナンパなんて最悪だ。
「オイ、シカトこいてンじゃねぇよ。」
「…………。」
相手と目を合わせないようにと、俯いた視線の先には、裾周りの緩い白のパンツに、磨き込まれた黒い靴。
あぁ、いかにもな感じの服装だわ、悪ぶったチャラい感じのお兄さん。
こういう輩への対処は、顔も見ずに、無視しているしかない。
その内、面倒臭くなって、きっと諦めてくれる筈。
「テメッ、こっち見ろや、アリア。」
「わっ?!」
どうやら私は対処法を間違ってしまったようだ。
諦めるどころか、私の態度に怒ってしまったらしい相手が、無理矢理に顎を掴んだ。
そのままグイッと、少々乱暴に、上を向かせられる。
何て強引なの、ただのチャラいナンパ男のクセに!
「や、痛っ……、て、アレ? デスマスク様?」
「オマエなぁ。散々、人の事、無視しやがって。俺を何だと思ったンだ? あ、アリア?」
「いえ、あの……。良くいるナンパ男かと。」
「オマエみてぇな乳臭ぇ女、ナンパなンてする奇特な奴はいねぇよ。」
ヒドい!
幾ら無視されて腹が立っているとはいえ、その言い方はヒド過ぎます!
私だって、ナンパの一回や二回くらいは……。
「された事、あンのか?」
「…………。」
「あ? どうなンだ、アリア?」
「……ないです。どうせイモ女ですから、私は。」
「オイオイ、捻くれンなよ。」
空いた隣にドッカリと座ったかと思えば、大きな手でグリグリと頭を撫でられた。
そういう仕草自体が、私を女と見ていない証拠ですよね、明らかに。
思わず溜息の一つも漏れ出てしまう。
まぁ、こんな大量の荷物を抱えた状態でナンパなどされるよりは、声を掛けてきたのがデスマスク様で良かったのだろうけれど。
それでも、やっぱり脱力するというか、ちょっとガッカリしたというか。
流石にデスマスク様のような黄金聖闘士クラスとまではいかなくても、多少のトキメキ、ちょっとした出会いくらいは起こったって良いのに。
聖域みたいに閉鎖的な場所で勤めている限り、素敵な出会いなんて簡単には訪れないのだから。
「はぁ……。」
「溜息なンか吐いてると、幸せが逃げちまうぞ。」
「今、一個逃げてしまいましたから、別に良いです。」
「は? なンじゃそりゃ?」
横目でチラリと、隣に座るデスマスク様を眺め遣る。
必要以上にボタンの開いた黒いシャツの隙間から、派手なシルバーのアクセサリーが見えている。
何処ぞの怖いお兄さんかと見間違えてもおかしくない格好。
顔だけ見れば、それなりにイイ男なのに……。
いや、顔だけ見ても、強面の怖いお兄さんにしか見えないわね、この人だと。
「お、そうだ。アリア、ちょっと待ってろ。」
「え? デスマスク様?」
「イイから、そこで大人しく待ってろ。」
突然、席を立ったかと思うと、足早に何処かへと行ってしまった。
一体、何なのだろう。
突然に現れて、人をからかって。
そして、また何処かに行ってしまうだなんて。
言い付け守って待っているのも馬鹿らしいから、戻って来る前に帰ってしまおうかしら。
なんて思っている間に、両手に何かを持った彼が、小走りに駆けて戻ってくる。
「おらよ、アリア。食え。」
「え、これ、ジェラート……。」
「食いたかったンだよ、俺が。だが、男が一個だけ買うとか恥ずかしいしよ。二個買えば、連れの女に頼まれたっぽく見えンだろが。」
ぶっきら棒にそう言って、モカ色のジェラートをパクリと一口。
そのまま私とは目も合わせずに、黙々と食べ進めるデスマスク様。
でも、本当に彼が食べたかっただけなのだろうか?
私が食べたそうにしているのに気付いて、買って来てくれたんじゃないかと思えてしまう。
「ンだよ。嫌だったか、苺味?」
「いえ、そんな事は……。あの、いただきます。」
「おう、早く食え。溶けちまうぞ。」
パクリとスプーンを口に含むと、冷たさと甘さと酸っぱさが、一度に口内へと広がった。
徐々に身体全体へと伝播していくヒヤリとした心地良さと、甘酸っぱい苺の味に、疲れた身体が生き返っていくようだ。
「付いてンぞ、アリア。」
「えっ?」
「そこ、ジェラートが付いてる。」
言うが早いか、デスマスク様の顔が近付いてくる。
しかも、その距離はゆっくりスローモーションのように縮まって、止まるどころか、今にも鼻先が触れてしまいそうな程。
目の前に迫る真っ赤な瞳から目が離せない。
こ、これって、もしかして……。
――グイッ。
「……あ。」
「ほら、取れたぜ。」
「あ、あの、有り難う御座います。」
キスされる。
そう思った瞬間、私の唇に触れたのは彼の唇ではなく、大きくて肉厚な彼の親指の腹だった。
そのまま横にスライドし、口の端に付いていたジェラートを拭い取られたのだ。
な、んだ……。
キス、される訳じゃなかったんだ。
そうよね。
こんな公衆の面前で、私みたいな子供相手にキスなんて。
この伊達男なデスマスク様が、そんな事をする訳なんてなかった。
「なぁにガッカリしてンだよ、オマエは。」
「が、ガッカリなんてしてません。」
「してンじぇねぇか。ったく、しょうがねぇなぁ……。」
「わっ?!」
グイッと肩を引き寄せられたかと思うと、チュッと頬に押し付けられた柔らかな感触。
え、今のって、もしかして……。
「あ、あの、デスマスク、様?」
「何、真っ赤になってンだよ、アリア。」
「だ、だって……。」
シラッとそっぽを向いて、黙々とジェラートを口に運ぶデスマスク様が、ピタリと動きを止める。
と同時に、横目で私を眺め見た彼の口元に、いつものニヤリとした笑みが浮かんだ。
「バーカ。」頬にキスをされた瞬間よりも何よりも。
横目で私を見遣るその視線に、浮かんだそのセクシーな笑みに、不思議と目が眩んでいた。
「オマエ如きに、この俺がキスなンてするかっての。」
そんな言葉も、街の喧騒も、何もかも聞こえなくなる程に。
彼という存在に、心が捉えられてしまっていた。
‐end‐
→Cへ続く