「ビショ濡れだ。服のまま滝に打たれたみたいだ。」
「あ……。」


ハハッと軽やかに笑って、上衣を脱いだアイオロス様。
一般人は服のまま滝に打たれる事なんてない、そんな事をぼんやりと思ったが、憧れの人を前に、私には言葉を挟む余裕などなかった。
どうして良いのやら、まるで分からず、手にした上衣を力強く絞る彼を、ただ黙って見ていた。


「アデレイド、そのままでは風邪を引きかねない。さぁ、中に……。」
「は、はい。あの……、ありがとうございます。」
「良いさ、気にする事はない。ほら、これに着替えて。アイオリアの服だけど、問題ないだろう。」


渡された服は、やはり少しだけ大きかったけれど、着られない訳ではなかったので、言われるがままに着替えた。
既に着替えを終えていたアイオロス様に手招きされて、ソファーの上、彼の隣に腰を下ろす。
了解を得る事なく私の髪をタオルで拭い出す、その動作は、少し乱暴でいて、不思議と優しく心地良かった。


「アデレイドは天蠍宮に行っていたのか?」
「はい。ミロ様と三時のお茶をして、その帰りでした。」
「そうか、仲良いんだな。将来はミロのお嫁さんかな?」
「ち、違いますっ!」


アイオロス様の言葉は悪気のないものだったが、私は激しく狼狽してしまった。
そんな風に思われていたなんて、子供心に悲しさすら覚えた。
だって……、だって、私が好きなのは……。


「ミロのお嫁さんにはならないのか? なら、リアはどうだ? 兄の俺が言うのも何だが、アイツは買いだぞ。将来、聖域一の聖闘士になる、絶対にな。」
「あの、わ、私は……。」
「私は、何だ?」


思わず言い掛けて、ハッと口を噤んだ。
まさか、こんな言葉、軽々しく言って良い事ではない。
だけど、言い掛けた事を言わずして、それを逃してくれるアイオロス様ではないとも知っている。
覗き込んでくる緑青の瞳、真っ直ぐに突き刺さってくる視線が痛い。


「で、何?」
「え、えっと……、言わないと駄目ですか?」
「そうだね、言い掛けた言葉は、ちゃんと最後まで言わないとね。」
「あの……、私は……。」
「私は?」
「あ、アイオロス様の……、お嫁さんになりたい、です……。」
「っ?!」


顔から火が出るとは、こういう事を言うのか。
全身が発火して燃え上がりそうなくらいに恥ずかしい。
私は髪を拭いていたタオルに顔を埋め、恥ずかしさを隠すために俯いた。


「そう、か……。俺、か……。」
「わっ! アイオロス様っ?!」
「おっと! す、すまんっ!」


きっと無意識だったのだろう。
髪をグチャグチャに撫でられて、驚きで顔を上げた私に、彼は僅かに頬を染める。
初めてだ、アイオロス様の、こんな焦った表情を見るのは。
戸惑いと驚きの入り混じる中、呆然と彼を見上げる。
暫くワタワタしていたアイオロス様は、だが、直ぐに、いつもの冷静さを取り戻し、優しく私を抱き締めてくれた。


「じゃあ約束してくれるか、アデレイド?」
「何を……、ですか?」
「十年経っても俺の傍に居てくれるって。そしたら、必ず俺のお嫁さんにする。俺も約束するから。」
「アイオロス、様……。」


まだ少年でありながらも、大きくて広い彼の身体。
幼い私をスッポリと包み込む逞しさは、この胸に優しい温もりを伝えてくる。


「約束……、します。」
「あぁ、約束だ、アデレイド。」


強まる腕の力。
頬に触れた、濡れる髪の柔らかさ。
そっと落とされた、唇に触れるだけの優しいキス。
誓いの意味を籠めて結ばれた、十年後の約束。
貴方と私、二人だけの……。


降り止まぬ雨に包まれた人馬宮の中。
大切な約束と、甘く柔らかな時間。
それが、私が一番幸せだった時の消えない記憶――。



***



そして、今。
あの時と同じ場所で、私は絶望に沈んでいる。
果たせぬ約束が胸を抉り、未だ想い彼を続ける私を嘲笑うかのようだ。
涙すら流す事が出来ず、柱の陰から外を眺めた。


その時――。


強い雨の中、物凄い勢いで、こちらへと駆け上がってくる人影が見えた。
雨の激しさに、ハッキリとは捉えられないけれど、あれは、あの姿は……。


「アイオロス、様……?」


これは、夢?
見えない筈の幻が、この目に映る。


だけど、それは夢でも幻でもない、残酷なまでの冷たい現実。
金茶色の髪、精悍な顔立ち、逞しい体躯、強い光を宿す瞳。
似ている。
似てはいるけれど……。


「……アイオリア、様。」


刹那、涙が溢れ出した。
止め処なく流れて、零れ落ちる大粒の涙が。
アイオリア様は何も言わず、そっと抱き締めてくれた。
私の涙が枯れ果てるまで、ずっと……。



‐end‐





これは十二宮編の少し前のお話になります。
引き摺り続ける想いから、いつまでも吹っ切れない夢主さんの切ない恋心を書きたかったのです。
しかも、『少女〜女性』へと成長する過程で、その想いも『恋〜愛』に変化していき、しかも、その相手は既に死んでいるという、一番キツいパターンで。
きっと彼女の唯一の救いはリアの存在なんだろうなと、思ったりしています。

当初:2007.04.26
加筆修正:2014.02.23



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