09.内緒話



「鮎香! 見たわよ!」
「え? 何をよ?」


資料室を出たところで話し掛けてきたのは、同じ日本から来た女官仲間の子。
満面笑顔で、顔いっぱいでニコニコしちゃて。
瞳なんて、これ以上ないくらいキラキラしてる。
こういう時の女の子は、そう、九十九パーセントの確率で恋愛話なのよね。


「昨日、シュラ様と手を繋いで歩いていたでしょう!」
「や。ちょ、ちょっと! 声、大きいから……。」


天真爛漫に上がる彼女の声は、高く澄んでいて良く透る。
私は慌てて彼女の口を手で塞ぎ、辺りを見回した。
大丈夫、誰も近くにはいなかったみたいね。
そんな話、ミロ様やアイオリア様に聞かれてしまった日には、自分達もと強く要求されるに違いないもの。
流石に、それは困るというか何というか……。


「随分と距離が縮まったみたいじゃない。あれなら、もう付き合う寸前って感じね。」
「そ、そうじゃないのよ。街の混雑具合が凄くて、はぐれないようにって、シュラ様が……。」
「私が見掛けたのは聖域の入口近くだったけど? 混雑なんて、もう何処にもなかったわよ?」


あっさりと手を引き剥がした彼女が、冷やかしの眼差しで私を見遣る。
迂闊だった。
シュラ様と過ごした一日が予想外に楽しくて、多少、いや、とても浮かれていた。
辺りに人影がなかったから安心しきっていたけれど、何処か遠くから見られていた可能性だってあるのよね。
彼女が偶然、私達の姿を見掛けたように……。


「で、楽しかった? 何処に行ったの? 勿体ぶらないで教えなさいよ、鮎香。」
「べ、別に勿体ぶってなんか……。」
「なら、白状なさい。」
「その……、一緒に買物をして、それから、取り留めのないお喋りしながらランチをして。後はお揃いのカップをシュラ様が……。」


不意に彼女の肩先、背後の廊下を過(ヨ)ぎった人影に目が止まる。
シュラ様だった。
誰の視線を意識している訳でもないのに、スッと伸びた背筋が、とても綺麗だ。
一瞬だけ、チラとこちらに向けた視線に、胸が高鳴る。


やだ、私、期待している。


ただ、彼の視線がこちらを向いた、それだけの事なのに。
その視線の意味を勝手に解釈して、自分の思い通りにならない心音ばかりが、煩い程にバクバクと鳴り響いてしまう。


と、シュラ様が進む方向を変え、こちらの方へと足を向けた。
だけど、ホンの数歩だけ足を進めて、直ぐにピタリと歩みを止めてしまう。
気が付いてしまったのだろう、それまで柱の陰にあった彼女の後ろ姿に。
だからこそ、何気ない振りをして、また元の方向へと廊下を戻っていってしまった。


「ん? どうかしたの、鮎香?」
「いえ、何でもないわ。」


女同士の内緒話に割り込むなんて、そんな野暮な事はしない。
踵を返す直前のシュラ様の、口元に薄く浮かんだ笑みは、そういう意味にも見えた。
いや、それは私の思い過ごしだろうか?
背を向ける刹那のシュラ様の目が、私だけに向けられた合図のように思えてしまったのは、私の思い上がり?
昨日、楽しく二人で過ごした、その記憶のせいで、自分の希望的な願望が、勝手にシュラ様の仕草に投影されて見えてしまうなら、これはもう自分でもどうしようもないくらい重度の恋の病だ。





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