その夜は、何もかもが空回りしていた。
お料理を運ぶ際に、お皿を取り落としそうになったり。
食事をしながら、スープの具を喉に詰まらせそうになったり。
目の前のシュラ様がみせる、どんな些細な事にも敏感過ぎるくらいに反応してしまう自分。


そう、今日の私は、何をどうしてもシュラ様の事を強く意識してしまっていた。
それは自分の気持ちに気付いたという事もあるけれど、やはり原因は先程のキス。
軽く触れただけとはいえ、あれは紛れもなく『キス』であったし、唇を重ねた事には違いない。
そんな事をされてしまっては、心の何処かで期待してしまう。
例え、彼に好きな女性がいると分かっていても、だ。
もしや、こんな私にも少しの希望があるのではないかと、見込みのない夢を見てしまう。


どうして、あのような思わせ振りな態度を取るのだろう、シュラ様は?
ご自身には、ずっと想い続けている相手がいるというのに、私をからかって気を持たせて、何が楽しいのかしら?
そう思いながら、いつものようにモリモリと食事を食べ進めるシュラ様を、私は僅かに恨みの籠もった瞳で眺めていた。


「どうした、アンヌ? 俺の顔に何か付いているのか?」
「いえ、別に……。」
「なら良いが……。」


ホンの少し片眉を上げただけで、再び目の前の料理に視線を戻したシュラ様。
今夜もまた、美味しそうに嬉しそうに私の作った料理を味わい、楽しんでくれている。
本来ならば、それだけで嬉しいと思わなければいけないのに。
彼に対して期待する事を覚えてしまった私の心は、その程度では既に満足出来なくなっていて、食事がなかなか喉を通らなかった。


「アンヌ、ちょっと来てくれ。」
「はい、何でしょうか?」


食後、洗い物も、後片付けも終え、ダイニングのテーブルの上を整えていた私は、リビングにいるシュラ様に呼ばれてパタパタとそちらに向かった。
綺麗に片付けてあったテーブルの上を、相変わらずの短時間で見事に散らかしてくれた事には目を瞑り、ソファーの横に膝を付いて彼を見上げる。
シュラ様は手にしていた雑誌を閉じた後、一呼吸置いてから、ジッと私を見つめて言葉を紡いだ。


「明日は何か予定とか、あったりするのか?」
「いえ、特には何も……。」
「そうか、ならば俺と一緒に市街へ行かないか? ミロに休みを代わってくれとせがまれてな、急に休みになった。折角の機会だ、必要なものを買い揃えるには丁度良いだろう。」
「はぁ……。」


私の唇から零れたのは歯切れの悪い返事。
そのうちシュラ様と一緒に市街へと出て、必要な買物をしなければいけないだろうとは思っていたけれども、こうも急に誘われると、どうも乗り気にならないと言うか。


それに、先程のアイオリア様の件もある。
結果的にアイオリア様からのお誘いは断った形になってしまったのに、その直ぐ後に、シュラ様と外出の約束をするなんて、何だか申し訳ない気がしてしまう。


「アイオリアの誘いを断ったからと言って、俺の誘いも断るというのは間違いだぞ。」
「え……?」


私の考えている事など、お見通しなのだろうか、シュラ様には。
まさに思っていた事をそのまま言われてしまい、心がドキッと跳ね上がる。


「宮主である俺と、俺の宮の女官であるアンヌが、共に出掛けるのは、至極当然の事だろ? 俺が必要とするものを買うため、しかも、男手の必要な大きな買物なら尚更だ。俺が行かなくて、誰が行く?」
「確かに、そうですが。でも……。」
「そうか、『行かないか?』と言ったから悪かったのだな。ならば、こうしよう。『一緒に行くぞ。』これなら断れないだろう?」


つまり『誘い』ではなく、『命令』という訳ですね、宮主としての。
何だか屁理屈で丸め込まれたような気がしないでもないけれど、これ以上、シュラ様の機嫌を損ねる訳にもいかず、私は渋々、明日の外出を承諾した。



→第9話に続く


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