:: 愛の罠


部活のない休日の午後、日吉は部屋で道着を鞄に詰め込んでいた。他の道場に行くためだ。自分の家の道場だけでは自分の実力がはかりづらい。
「あら若さん、武者修行かい?」
「…聖花さん…」
後ろから手元を覗かれて日吉は眉間に皺を寄せた。
「聖花さんなんてそんな他人行儀。昔は聖花ねーちゃんて呼んでくれたじゃない」
「…神崎先輩」
「あっ、さらに他人行儀」
低く絞り出すような日吉の声も聖花にはお構いなしだ。聖花のあっけらかんとした性格を日吉も十分に存じているので話を先に進めることにした。
「なんでいっつも当たり前のようにうちに、いや、俺の部屋にいるんだ」
「あら、だって将来あたしは此所に住むのよ。未来の自分の部屋にいて何が悪いの」
「悪い。未来は知らないけど今は俺だけの部屋だ」
「いーじゃん。今から新婚ごっこしようよ」
「しない。だいたいこの部屋は二人で生活するには狭すぎるでしょう」
「狭い方がいいじゃん。すぐ手が届く距離に互いがいた方が。あたし若さんとだったら六帖一間の1Kアパートでも構わないよ!」
「…神崎先輩」
「まだそう呼ぶか。未来の奥様なんだからもう相応の呼び方しても構わないのだよ。ただ『おまえ』とか呼んだらぶっ飛ばすけどな」
「…うちの両親『おまえ』と『あなた』ですけど」
昔、聖花は『あたし若の親みたいな夫婦になりたいんだ』と言っていたのを日吉は覚えていた。
「………」
「なぁ、『おまえ』」
黙り込んだ聖花に日吉はあえてそう呼んでみた。ぶっ飛ばされはしなかったが代わりに聖花は日吉を見つめたまま微動だにしない。
「…おっまえー、とー言われーるーとー♪あんたと、言いたくなるーぅうー♪負ーけずーぎーらいーなーとーこぉー♪可愛くぅ、なぁいぃってわかぁてるけど♪」
「歌わなくていいです。だいたいあなたそういうとこ可愛くないなんて思ってないだろ」
手でマイクを握り締めているポーズのままの聖花に日吉は言葉を投げ掛ける。聖花はあっさりそのポーズをやめた。
「最後まで歌わせてくれる若さんが好きよ。うん、あたし、あたしの負けず嫌いなとこも含めて愛してくれる若さんを愛してる」
「聖花さんの負けず嫌いなとこを含めて聖花さんを愛してる若さんはこの世には存在しません。残念でしたね」
「うそん。そんな嘘ばっかり。照れ隠しならもうちょっとうまくやるべきだよ」
「………」
なんでこの人と会話するのはこんなに疲れるんだろう。日吉は心の中でそう呟いた。
昔はもうちょっとうまくやれていたはずなのにいつからこんなことになったのだろうと少し記憶を遡ってみようと思ったのだが聖花は昔から聖花だったことしか思い出せなかった。
「………」
思い出してがっかりした。要するに聖花のこの性格は生来のものでどうにもならないということか。
「…はぁ」
無意識に溜め息が洩れた。
「あらやだ溜め息なんて。幸せが逃げるわよん」
「じゃあ聖花さんがもうちょっと俺に溜め息をつかせないような人になってくれますか」
「え、俺色に染まれ?やだ若さんってば」
「あんた一遍病院行けよ」
「えー、どうせまだ若さんのお子さん孕んでないよ」
「行くのは脳外か精神科だ」
日吉は持っていた道着を詰め込んだ鞄を置いた。今日はもうダメだ。なんかもう疲れた。なにもしていないのに。
どいたどいたと手で示せば聖花は素直に横に移動したので日吉はそのままベッドにうつぶせになった。枕に額を押しつける。聖花はベッドの脇にしゃがみ込んだ。
「若さん若さん、お昼寝かい?聖花さんが膝枕して子守歌歌ってあげましょうか?」
「いらない」
もうあっち行ってくれと言わんばかり日吉は顔を聖花から背けたが聖花はそのまま日吉の後頭部を見つめた。
「若さん髪の毛サラサラね。あたし若さんみたいな髪の毛した娘が欲しいよ」
「あぁそうですか」
「あと眼がくりっとしてフランス人形みたいなの」
「フランス人と結婚するといいですよ」
「あら、若さんは浮気承認派?心が広いのね。あたし若さんが浮気したら刃傷沙汰起こすから。一緒に新聞載ろうね」
「いやだ」
もう黙ってくれないかな。日吉はそう願ったが聖花はまだべらべら喋り続けている。
女ってのはどうしてこうもお喋り好きなんだろう。適当な相槌をうちながら日吉は思う。
「ホント?」
「はい………はい?」
日吉は生返事をしながら不意にした嬉しそうな声に嫌な予感がして聖花を見た。聖花は嬉しさを隠そうともせず幸せそうに日吉を見つめている。
「じゃあ来週の日曜、10時に若さんのうちの前ねっ!うわぁめっさ楽しみ!」
「え、あ、え…?」
「じゃあ今日は帰るねっ!また明日!グッバイビー」
「ちょ…聖花さん…!」
日吉の言葉を気にもかけず聖花は立ち去った。颯爽といなくなってしまったので日吉は呆然とするのみだ。
「あ、若さん」
「!」
ひょいと顔を出した聖花に日吉は驚きを隠せない。そんな日吉の様子をやはり聖花は気にしない。にやりと笑う。
「生返事でも返してくれる若さんも素敵だけど、自分の返事には責任をお持ちなさいねっ。もう一度言っとくよ。来週の日曜、10時に若さんのうちの前。あたしのお買い物にお付き合いだよ。OK?」
「OKじゃな…」
「さっき『はい』って言ったもんねー!」
あーはっはっはと高笑いが遠ざかっていく。
ハメられた。そう思った。聖花は馬鹿そうに見えてその気になれば跡部にも勝つ頭の持ち主だ。あれでなかなか狡猾な女。あの女はもともと今日遊ぶために来たのではなかったのだ。来週の日曜、遊びの予定をいれるのが目的だったのだ。わざと日吉を疲れさせ、いや、あれは素だったのかもしれないが生返事を繰り返させるようにして約束をとりつけさせる。何処から仕組まれていたのだろう。聖花の戦略を見抜けなかった自分が悔やまれる。
「来週…日曜、10時…」
しかも周到に部活がない日をチョイスしている。先日跡部と話していたのを見掛けたがこのためか。きっといつ部活が休みか聞いていたのだろう。そして素直に教えてくれない跡部に腹を立ててなにやら騒いでいたのだろう。そう思うと聖花の計画は何時たてられたのだろうか。
日吉は聖花の恐ろしさを感じたのだった。


 

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