:: 喪服代わりの制服で


「…あれ、そういえば今日は水乃星先輩こないね」
昼休み、学食で昼食を取りながら氷室は足りない存在に気がついた。いつもならどのタイミングで食堂にこようとも一度は氷室と紫原の前に現れる最上級生が、今日はまだ現れない。
「ん〜? んー、こないね〜。お休みなのかなぁ」
氷室に指摘される前から気づいていたのかいなかったのか、紫原は曖昧な反応で辺りを見回した。生徒たちであふれるこの空間に、いつものハイテンションは見つけられない。
「あっ、いた、おいアツシー」
台詞こそ頻発に掛けられる呼び掛けに似ていたけれど、声の高さが違う。いつもの、瑠花じゃない。この声の主を氷室と紫原は知っていた。だからそちらに目を向ければ、思い描いていた通りの人、福井がそこにいる。
「ちょっと悪いんだけどよ、うちの教室来てくんねぇ? 俺の後ろがお通夜みたくなっててこっちまで気が滅入るわ」
「瑠花ちん、俺今日会ってないけど来てるの?」
「朝練にも顔を見せてなかったですよね、水乃星先輩、体調でも悪いんですか?」
「いんや、体調は問題なさそうだけど…」
福井はそこで顔をしかめて言葉を切った。なんと言ったらいいのか、しっくりくる言葉が見つからずに言えたことは来りゃわかるよというものだった。



「…わぁ…」
「あんな瑠花ちん俺はじめて見たし」
「俺もだよ」
三年生がざわめく教室の入口、少し身を隠すようにして三人は中を覗き込んでいた。教室の一角、空席の後ろに明らかに不穏な空気がある。俯いて顔を覆ってしまっているその存在の周辺はジメジメと暗い空気が漂っているように見えた。結界でもはられているかのように一定の距離でクラスメイトが近寄らないのは、彼ら彼女らなりの配慮なのだと福井が言った。
「瑠花ちん、どうしたの。お腹でも痛いの?」
「それなら多分保健室にいると思うよ」
紫原の問いに、氷室が答える。じゃあなに、と首を傾げる紫原に、答えを知っている福井が答えた。
「今のあいつは最愛の息子を亡くした母親なんだよ」
「どゆこと?」
福井の言葉が比喩だということくらい、紫原にだってわかる。瑠花に子供がいるなど聞いたこともない。では、福井は一体なにをもってそんなことを言い出したのか。
福井は仕方なさそうに溜息を吐いて、簡潔に言った。
「金魚が死んじまったんだと」



「瑠花ちん」
頭上から降り注いだ声を、瑠花は最初幻聴かと思った。だが視界に落ちている影に気づき顔をあげる。愛しい後輩の顔が、瑠花が椅子に座っているせいで立っているときよりもはるかに遠く見えた。
普段なら即座に抱きついてその逞しい胸板の厚みを感じるところなのだが、今日の瑠花は紫原の顔を見るなり、表情は変えぬまま少し潤んでいるとしても涙を流してはいなかった瞳からダムが決壊したようにぶわりと涙を流しはじめた。
「ちょっと瑠花ちーん、いきなり泣かないでよ。俺がいじめてるみたいじゃーん」
眉を寄せ、紫原は机を挟んでしゃがみ込んだ。瑠花の視線がそれに合わせて下がるが、その目から零れ落ちる涙は止まらない。
「あつしぃ…あのね、あのねぇ…」
「金魚が死んじゃったんでしょ。聞いたし。そんなに可愛がってたの?」
「可愛がってたよぉぉ…だって敦が掬った金魚だもんんん」
大事に大事にしてたのに。そう言ってタオルで顔を隠して号泣し始めた瑠花に紫原は一瞬なんのことかと首を傾げ、すぐに思い出した。
夏休み、夏祭りに行ったのだ。こんなときにしか活かせない紫原の特技の一つである金魚すくい、それを紫原はやりたかったのだが今それをしてもとても飼える環境にない。それを理解しているから、紫原は残念そうに眉を下げて金魚すくいから離れようとした。
だが、それを引き留めたのは瑠花だった。
「じゃあうちで飼うよ」
そう言って本当に紫原がすくった五匹の金魚を持ち帰ったのだが、そのうちの一匹が残念ながらお亡くなりになったらしい。瑠花はしばらく喪に服していたく、今日も本当は忌引でけっせきしようとしたのだがそれは叶わなかったのだった。
「まぁ、ああいうところの金魚って弱ってること多いからね〜。仕方ないよ」
窮屈で酸素も足りていないような劣悪な環境におかれる金魚は弱りきって短命になってしまうことが多い。もちろん長生きする金魚もいるが、すくわれるような金魚は弱い金魚である確率が高いので、紫原の言うとおり、仕方のないことだった。
だがそうは言っても瑠花にとっては納得できるものではない。紫原から引き取った金魚を自分の管理下で死なせてしまったという事実が瑠花の心を思いきり殴りつけていた。
「敦に合わせる顔がない…」
「ん〜、金魚死んじゃったのは残念だけど、瑠花ちんがそんだけ可愛がってくれたなら金魚もきっと幸せだし。ん〜っと」
ゴソゴソと紫原がポケットを漁っている。なにを探しているのかと瑠花が様子を伺っていると、紫原は目的のものを見つけたのかキラリと目を輝かせた。だが、取りだしたものは目的のものではなかったらしく唇を尖らせてまたポケットを漁る。
ついには焦れた紫原がポケットの中身を瑠花の机の上に出し始めた。飴やガムの類が膨らみ、重さで伸びていた紫原のポケットから次々と取り出される。
「…すごい量だね」
「ん〜、クラスの子がポケットに入れてってくれるからね〜」
大きな手が取りだした山からも、紫原は目的のものを見つけられなかったらしい紫原は眉を寄せて唇を尖らせた。
「あれ〜? この前食べた飴もうないのかな…超うまかったから、元気ない瑠花ちんにあげようとおもったのに」
「敦お気に入りすぐ食べちゃうじゃん。いいよありがとう、気持ちだけでも嬉しい」
ポケットに飴たちを戻しながら、瑠花は涙を拭うとタオルで赤らんだ鼻を隠しながら言った。
「ほんと、ありがと。もう大丈夫、元気でたから…。今日一日喪に服したら、明日からまた元気になるから」
「そう〜? ならいいけど」
飴あげる、とポケットから無造作に掴み取りだした飴でまた瑠花の机に山を作って、紫原はポン、と瑠花の頭に手を乗せた。紫原が少し力を込めたらとても痛い目にあいそうなそのシチュエーションで、瑠花は何事かと目を瞬かせる。
「瑠花ちんが元気になるおまじない〜」
ちちんぷいぷいのぷい。そう言って紫原は瑠花から手を離した。そして、じゃあね、と教室から出て行く。入れ替わりのように自分の席に戻ってきた福井は、またしても俯いてタオルで顔を隠している瑠花を見下ろして、敦でもダメだったかと眉を寄せ、どうしたものかと言葉を探した。
「あー…っと、あれだ、ほら、な」
全く意味のなさない言葉を並べて、福井は視線を彷徨わせる。そんなことをしていると、ゴン、と鈍い音が下の方からして福井は視線を下ろした。瑠花の頭が俯いているというレベルではなくなっている。頭に額を押し当てて倒れているというレベルになっている瑠花は、かすかに震えていた。なにか言っている。耳を近づけてやっとその言葉は聞き取れた。
「ヤバイヤバイヤバイ…敦ヤバイまじ天使なにあれなにあれ可愛すぎる天使、いや、いや天使だ、私の前に現れたフェアリー、あんなものがこの世に存在していいのか、世の中の神秘神様ありがとう敦のお父さんお母さん敦を生み出してくれてありがとう敦ってばマジ天使…」
言葉の内容がすっかり普段に戻っている。むくりと顔をあげた瑠花の額は赤くなっていた。
「敦がマイスイート天使すぎて生きるのがツライ」
「あぁそうかい、今ならおまえの可愛がってた金魚がおまえを待っててくれてんじゃねーの」
「バカめ、私にはまだ残された四匹の金魚の面倒が残っている。あの子達を鯉と見間違うサイズにまで育てねばならぬのだ」
今までありがとうアツシ5号…あなたの分まで1から4号は長生きさせるわ…。
そう教室の窓の外を眺めながらつぶやく瑠花はもう完全にいつもの瑠花で、福井はもうちょっとへこませておけば良かったかと心の中でひっそりと思ったのだった。



 

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