:: 私が貴方に与える影響


鼻歌を歌いながら、瑠花は目の前にある紫色の髪をとかしていた。自分が持っている櫛を通してさらさらと引っ掛かりのないようにする。それから一房取り分けると、手に忍ばせていたゴムで結わく。バランスを確認しているとされるがままお菓子を食べていた紫原が瑠花を見上げて言った。
「できた?」
「できたー」
可愛いよ敦可愛いよ。言いながらしゃがみこんで瑠花は紫原にハグをする。
紫原の輪郭を隠していた少し長い髪を顔の横で一つに束ね、あらわになった顎のラインを見ながら瑠花は悦に入った様子で言った。
「男前よ敦、惚れ直すわ」
「さっき可愛いだったよね」
「可愛くて男前。もういやん、直視できない」
言いながら顔を覆い隠す瑠花を横目に、自分がどんな髪型になっているのか今ひとつ把握していない紫原は結ばれた房を指先でいじっていた。
「敦は背も体も大きいからさー、頭がちっちゃく見えてスタイルいいと思うんだよねー。友達に黄瀬涼太いるんでしょ。良かった、その繋がりで敦がモデルにスカウトされなくて。皆に可愛い敦見てもらいたいけど見世物にはなって欲しくない私だけの敦でいてほしい複雑乙女心…」
「スカウトとかされるわけねーし。瑠花ちん視力大丈夫?」
コロコロ表情を変えながら矢継ぎ早に繰り出される瑠花の言葉の一部だけを拾い上げて紫原は笑う。しかし瑠花はいきり立った。
こんなに可愛い私の敦がスカウトなんてされない? そんなのおかしい! みんなの目は節穴だ!!
そう大声で叫びたかった。心の底から湧き上がる衝動のまま、腹の底から全世界に向けて叫びたかった。しかしそんなことをしたら紫原に引かれるのは目に見えている。
どうしたら紫原が距離をとるのか、瑠花は最近少しずつわかってきていた。深呼吸を一つして心を落ち着かせる。そしてもう片方の髪の毛もくくってしまおうと再び立ち上がり櫛を構えたところで瑠花の背中に声がかけられた。
「水乃星、って、なにやってんだおまえは」
女性の声だ。振り返らなくてもわかる。それでも瑠花は振り返り、紫原もその声の主に目を向けた。
「雅子ちゃん」
「まさ子ちん」
呆れが強く出た顔をして荒木は瑠花の頭を持っていたプリントを丸めたものでスパンと振り抜いた。
「あいたっ。ちょっ、雅子ちゃんいきなりなんなの?! 体罰だよ訴えるよ?!」
頭を押さえて騒ぐ瑠花に構わず、荒木は椅子に座って2人のやりとりを見ていた紫原に目を向け言った。
「紫原、私を呼んでみろ」
いきなりそう言われた紫原はきょとんとしながらも、「まさ子ちん」と普段と変わらぬ調子で言った。それを受けて、荒木の鋭い視線が瑠花に突き刺さる。ついでに再び力を発揮したプリントに、「痛い!」と瑠花の声があがる。そんな瑠花の悲鳴をやはり無視して、荒木はその真意を伝えた。
「紫原のこの呼び方、何度言っても直らない。諸悪の根源はおまえだ水乃星」
「意味がわからないよ雅子ちゃん」
「それだ」
雅子ちゃん、と繰り返せば荒木の視線はさらに鋭くなっていく。
「おまえがそんな呼び方をするから紫原が真似をする。よって水乃星、まずはおまえから正すことにした」
事情を説明されて、瑠花はしばらくきょとんとしていたがやがてゆるゆると溜息を吐いた。そして、恨めしげな色を乗せた目を荒木に向けた。
「先生あのね、敦に対して、私そんなに影響力ないから。確かに私の先生の呼び方と敦の呼び方は似てるけど、それたまたまで、私そんなに敦に影響与えられないから…うっ…」
言ってて悲しくなってくる。わかっているのだ。瑠花がなにをしようとなにをしようと、紫原はその場では流されてくれるが本質的なところではなにも変わらない。またすぐに戻っている。
顔を手で覆い隠して震えれば紫原が「瑠花ちん、泣かないでほしいし」と眉を下げて訴えてくる。
「敦…! なんて優しいの…!!」
勢いに任せて紫原の胸に飛び込んだ瑠花の目は乾いていて赤くすらなっていない。
きゃっきゃとはしゃぎ始める2人を前に手にしていた筒状のプリントを弾ませて仁王立ちして荒木は言い知れぬ不穏なオーラを醸し出していた。
「とにかく、今後先生以外の呼び方をしたらとりあえずしばくからな、覚悟しておけよ」
「イエス、マム!」
荒木のプリントが瑠花の頭を綺麗に撃ち抜いた。



「ひどいひどい、あんまりだ。暴力なんてひどすぎる。竹刀が出てきたら流石に教育委員会に訴えてやる」
竹刀までは耐える気らしい瑠花はブツブツ文句を言いながらまた再び紫原の髪をとかしている。されるがまま、瑠花に任せている紫原は前に立つ瑠花を見上げながらのんびりと、普段と変わらない調子で言葉を紡いだ。
「ねぇ瑠花ちん、さっきさぁ、瑠花ちんは俺に影響なんて与えないっつったっしょ」
「ん? んー、言ったねぇ」
自分が紫原に対してもっと強力な影響力を発揮できたなら、あんなことやこんなことをしたいと考えているのだがそんなことは叶うわけがない。分かっているので落胆はしないが、何故そんか話題を持ち出すのかと瑠花は髪を束ねながら首を傾げた。そんな瑠花を見上げたまま、紫原は言う。
「そんなことねーし。瑠花ちんの影響、俺けっこう受けてるよ」
はらり、瑠花の手から髪が滑り落ちる。一瞬なにを言われたのか分からず、手を瞬かせて瑠花は視線をさげて紫原を見た。
「瑠花ちんが俺を見つけた時笑ってくれてなきゃなんかやだし、駆け寄ってきてぎゅうってしてくんなきゃなんか調子狂うし、手ェ伸ばされたらなんか伸ばし返しちゃうし、そういうの全部瑠花ちんがやるから俺に染み付いちゃったもんだし」
「敦…」
冷静に考えれば紫原が挙げたものは全て年頃の男女が戯れにやるようなことではなく、ツッコミどころしかなかったのかもしれない。しかし今紫原の言葉を受けたのは瑠花で、瑠花はその行為の是非について注意を払う気などカケラもなかった。今度こそじわりと目を赤くして震える手で口元を隠した。
「大丈夫よ敦! 私はどんな気分でも敦に会えば幸せになれるから最高の笑顔で挨拶のハグを求めるから!! なにこの男前敦! 惚れてまうやろ嘘もう惚れてる!!!」
好きだーと叫んで力一杯抱きついてくる瑠花に、大袈裟だしと笑いながら紫原はよしよしと先ほど荒木に叩かれに叩かれた頭を撫でる。
紫原の腕のなかで、瑠花は思った。
挨拶のハグが挨拶のちゅーになる日はくるかもしれない。
虎視眈々と獲物を狙う野獣の目がその腕のなかで光ったことを紫原はまだ知らなかった。

 

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