:: 障害多き愛の道


「アーツシー」
あいらーびゅー、満面の笑みでそう言いながら瑠花は紫原にハグをする。好き好きと逞しい胸とも腹とも言えない場所に頬を押し付ける瑠花を引き剥がすでもなく受け入れながら、瑠花ちん今日も元気だねなどと紫原は朗らかに言った。
仮にも不純異性交遊を禁じている校内で白昼堂々行われるこのやりとりを周囲は注意するでもなく、むしろ日常の一幕として見なしていた。よくも悪くも紫原は目立つ。どうしても目立つ。そこに大きな声で彼の名前を叫びながら思いきり抱きつく女子高生がいるとなれば、輪をかけて人目につくものだ。
仮にも男女が抱き合っている、いや、女が男に抱きついているというのにいやらしい感じが全くしないのも周囲が看過している理由の一つであろう。大きなぬいぐるみに幼女が抱きついているような空気なのだ。だが、実際は年頃の男女が人目もはばからずハグをしている。注意する人間がいないわけではない。
「紫原ァ」
手を繋ぎ、くるくる回ってきゃっきゃとはしゃいでいた二人に声がかかる。何事かと声の主に目を向ければ荒木が心底仕方なさそうに立っていた。
「まさ子ちん、なぁに〜?」
「あんまり水乃星を甘やかすんじゃない。仮にも男ならもっと気然とした態度をとれ」
「やめて雅子ちゃん、私のせいで敦を叱らないで敦は悪くないの、悪いのは全部私なの」
演技ぶった言い回しで荒木と紫原の間に瑠花は立つが、瑠花の体では紫原は全く隠れない。頭いくつ分も瑠花の背後から飛び出していた紫原を見ていた荒木はじろりと瑠花に視線を移した。
「そうだ水乃星、諸悪の根源はおまえだ。上級生なのだから、もうちょっと自制を覚え下級生の見本になったらどうだ」
「まさ子ちんやめて、瑠花ちんは悪くないよ、悪いのは全部俺だし」
「敦…っ」
「くだらない三文芝居はやめろ、竹刀で叩くぞ」
紫原の言葉に感極まったように再び抱きついた瑠花に、荒木の低い声が飛ぶ。そういう荒木の手に竹刀はないのだが、瑠花は拗ねたように唇を尖らせて見せた。
そんな瑠花に荒木は仕方なさそうに溜息を吐いて言った。
「人目をはばからずに抱きつくのは禁止。いいな」
「でも先生、そういうのはこっそりやると背徳感が増すので隠すことなく堂々とすべきだと思います」
「やかましい。本当に叩くからな」



「愛に障害は付き物とはいえ、厳しいのう厳しいのう。ねぇ敦、あーん」
拗ねたように口を尖らせながら反省の色もなく瑠花は持っていたスナック菓子の袋を開けて中身を紫原に差し出した。それを素直に食べて、紫原は首を傾げる。
「? なんかあった?」
そんな、厳しいことなんて。
「……」
問われて瑠花も考える。今しがたお咎めを受けたばかりだが、とりわけ困ることもない。と、一瞬思ったが、瑠花の頭にはひとつ思い浮かぶことがあった。
「ある、あるよ」
「? なぁに?」
不思議そうな紫原に瑠花は「ん」と手を伸ばす。瑠花が紫原に抱きつくパターンは大きく二つ、お腹に抱きつくパターンと、首に腕を回してくるので紫原が瑠花を抱き上げてやるパターンだ。瑠花の行動から今回は後者だと考えた紫原はいつものように瑠花を抱き上げた。ついでにくるくると回る。普段なら子どもが戯れるようにはしゃぐのだが、今回は静かに回って瑠花は着地した。
ぎゅっと紫原の首元に抱きつきながらいつになく静かな瑠花に、紫原は抱きつかれたまま尋ねた。
「瑠花ちんどしたの? 目ぇ回っちゃった?」
違うの、と瑠花はそれを否定する。ますます状況が理解できない紫原から少し離れて、瑠花は紫原を見上げた。
「前屈みー」
「? こう?」
また首に腕を伸ばして来る瑠花に紫原は素直に上体を屈めて瑠花に近づいた。
「敦の大きくて可愛い所、私は大好き。だけどね」
瑠花の手が紫原の頬を包む。常にない距離感に紫原が目を瞬かせているのも気にせず、目を合わせたまま瑠花は言った。
「私は敦にちゅーしたいのに、できないでしょ」
「瑠花ち…」
紫原は目を見開いたまま動かない。途中で音を切った唇に、リップで艶やかに潤った唇が重なろうとするその刹那、二人の距離は一気に開いた。
「そこまでだこの痴女、うちのエースに近づくんじゃねぇ」
「いった!」
後ろから教科書で頭を叩かれて、瑠花は紫原から離れた手を痛む後頭部に添えて後ろを振り返った。
福井がいる。丸めた科学の教科書を手に、仁王立ちをしていた。そんな福井を睨みつけて、再び紫原の方に目を向ければ紫原は岡村に確保され、少し離れたところに氷室が立っている。
「水乃星、物事には順序ってものがあるじゃろ…。紫原とおまえは恋人か? ん?」
「違うけど」
「じゃあお預けじゃい」
「ちょっと!」
言いながら岡村は紫原を氷室に渡す。取り返そうと瑠花は手を伸ばしたが、間に入った氷室が困ったように笑いながらその手が紫原に届くことを阻んだ。
「向こうでは出会い頭にキスしてくる人もいますけど、日本じゃ目立つでしょう。ただでさえ敦は人目を引きやすいんですから、もうちょっと慎みを持って行動された方がいいですよ」
「うぅ、氷室くんに言われるとなんだかそんな気になってくる…くそ、これがイケメンオーラなの…っ」
わななきながら瑠花はそれでも名残惜しむように紫原を見て、気がついた。
「敦?」
固まっている。思考停止にでも陥っているかのように時折瞬きをするだけでその瞳がなにを写しているのかもよくわからない。
瑠花の呼びかけに我に返った紫原は、忙しなく瞬きをして瑠花に視線を向けた。
「なぁに?」
「や、ぼーっとしてたけど、大丈夫?」
「大丈夫、だし」
常にぼんやりしていることの多い紫原だが、いつにも増してぎこちない様子に瑠花は心配になって足を進めようとした。しかし後ろから福井にはたかれ、進路は岡村に妨害され、煩わしそうに舌打ちした。
「うちのエースが痴女に手ェ出されて出場停止になんかなったらシャレになんねーからな。紫原は預かった。じゃあな痴女」
「痴女言うな」
瑠花の言葉も虚しく、紫原は連れ去られてしまった。遠ざかる紫の頭を見送って、瑠花は再度舌打ちをする。
敵は教師だけでなく生徒にもいたとは。どうしたものかと瑠花は溜息をついた。
だがしかし落胆はない。恋は障害が多いほど、燃えるものである。



 

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