:: いい年して
「あぎゃ」
あら、と言おうとしたのに喉が枯れているせいで変な声が出てしまった。
もう朝の4時。少し寝過ぎてしまった。
まだ眠いけれど自分の部屋に帰らなければ。
「どこ、行くんだ」
「うわっ、起きてたの」
体を起こそうとした瞬間、マスルールの手がのびてきた。
「お前の変な声で起きた」
それは申し訳ない。欠伸をしながら起き上がるマスルールに謝る。だが喉を枯らせたのはそちらであって変な声は私のせいだけではない。
「それで、どこに行くんだ」
「自分の部屋。もう4時だもん…って何この手」
私の手首を掴んでいるマスルールの手。
「帰るな」
「ダメ。もう行かないと誰かに見られる」
「カマル」
「また、今度ね」
その手を引いて再び私を簡単に押し倒すことが出来る力を持っていてもそうしないのは彼の優しさだと思う。
彼の手にもう一つの手を重ねると、ゆっくり手を放してくれた。
「いつまで隠すんだ」
「隠せるならいつまででも」
「シンさんのためか」
「何でシンが出るのよ」
そう言うとマスルールはむすっとして寝返りを打ち、反対を向いた。
「シンとは何もないって」
綺麗な赤髪に手を置いても振り返らない。
シンと私は王と専属侍女の関係だ。長い付き合いのせいかそれを超えた友人にはなりつつあるが、別に床を共にしたり特別男女の行動をとったりすることはない。
噂では私が王の恋人だとかそういうのがあるらしいが、全くそういうこともない。
私はこの、年下の可愛くて大きい生き物を愛しているというのに。
「何で疑うかなぁ」
「隠す必要なんかないだろ」
「恥ずかしいの!」
自分の主の部下と恋人なんて公私混同も甚だしい。お互い住んでる所=職場、なんてどこで公私の線引きをしたら良いのやら。
しかも周りに知られたらみんな絶対からかいに来る。根掘り葉掘り聞かれる。それは、もう、ディープなところまで。
「マスルールは恥ずかしくないの!?」
「別に」
背を向けてたマスルールがくるりとこちらを向き、再び私の手を掴む。
「あ、何よ」
「それ、つけるな」
「そんなこと言ったって…」
それ、というのは私がいつもつけている香水のこと。
マスルールの部屋から出るときに必ずつける香水を彼は嫌っている。
しかしそれをつけないと、いつもシンの側にいるジャーファルに気づかれそうで怖い。
あの人は微妙な違いに敏感だから。
それにシンも色恋沙汰の経験値は高いから変に感づきそうで怖い。
「不倫みたいだな」
「え、やだ、やめてよ」
確かに関係を隠して、更に気づかれないように香水を使うなんて不倫みたいだけれど。
マスルールに手を掴まれたまま香水に反対の手を伸ばすと、マスルールがあからさまに不機嫌オーラを出す。
「その香り」
わかってる。
「俺は好きじゃない」
わかってるよ。
「ごめんね、マスルール」
恥ずかしいんだよ!
「シンさん、おはようございます」
「おー…おはようマスルール」
「酒臭いっスね」
「シャルルカンたちと朝まで飲んでたからな…」
明け方どころか、朝まで飲んでいたシンの着替えを隣の部屋で用意していると、マスルールが朝の挨拶にやってきた。
その声をきいて、私はいつものように隣の部屋へ向かう。
「マスルール、今日は早いね」
「…明け方起きたんで」
「そう、奇遇だね。私もだよ」
「そっスか」
めずらしい、今日は二度寝しなかったんだ。なんていつものように簡単に考えていたから爆弾を落とされたのかもしれない。
「カマル…頭痛いから薬貰ってきてくれないか」
「はいはい。わかりましたよ」
机で死にかけていたシンに用事を言いつけられた私は、ぱたぱたと靴を鳴らして扉の脇に立っていたマスルールの横を通った。その時。
何が奇遇だ
すれ違い様にマスルールが耳元で囁いた。わざわざ屈んで、耳元で。
思わず立ち止まってしまった上に、カァッと頬に熱が上がるのがわかる。
「マスルール、カマル、どうかした?」
ドアノブに手をかけて入り口で固まっていると、すでに働き始めていたジャーファルが部屋に入ってきた。
「いえ…カマルさんの襟に糸がついてたんで」
「ああ、そう?カマル、どこか行くの?」
「シっ…シンが薬欲しいって言うから!今!」
ヤバイヤバイヤバイ
私、今、すごく挙動不審。
ちらっとマスルールを見上げたら、いつもの無表情でこちらを見ている。
「薬?…あ!またあなたはそんなになるまで飲んで…もう棚のお酒は処分しますからね」
「ジャーファル君の鬼!」
「誰が鬼か!…悪いけどカマル、薬頼むね」
「あ、うん!すぐ行ってくるから」
扉を勢いよく開け、廊下を走る。
危なかった。あのままジャーファルに一押しされなかったら更に挙動不審だった。
部屋を出る直前、マスルールが鼻で笑うのに気づいたけど、そんなのは一週間後位に文句つけてやるんだから!
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