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忠犬賛歌


ひゅうひゅうと風の荒ぶ。向こうの山はまばらに花が咲き始めた頃だ。この分だときっと散る、そう思いながらはあと息をつく。気休め程度だが冷たい指先が暖まった。
くしゃみをする。心なしかぼうっとして目も霞んできた。火鉢から離れられず、さりとて眠気も堪えきれず、布団に包まって火にあたっている。このまま寝るときっと怒られる。
障子越しに大きな影が動いた。僅かに開いた隙間から生真面目な顔が見える。

「長谷部、ただいま戻りました」
「お帰りなさい、どうぞ部屋に入って」
「いえ、ここで」
「隙間風が寒いの」

溜息が聞こえた。
ぴしぴしと張り詰めた音を立てながら長谷部は障子を開けて部屋に入った。どうも立て付けが悪い。風のせいもある。
またくしゃみが出た。冬物の着物は全て仕舞い込んでいる。急にまた寒くなり始めるものだから身体がついていかず風邪を引いてしまった。

「……またお風邪を召されましたね」
「そんなことより先に」
「それでは失礼して――ご報告を致します」

甲州へ遠征にやっていた部隊の報告だったが、促したくせにぼんやりしてなにも聞き取れなかった。彼の率いる部隊なので優秀であることは間違いない。異常なし、という締め括りを必死で聞き取った名前は黙って頷くだけ。
全て報告し終えると長谷部は二度目の溜息をついた。

「薬は飲まれましたか」
「……飲んだ」
「そのご様子ではまだですね。用意させるのでお飲み下さい。それから、その布団ではいけません、冬物を持って来させます。食べたいものはありますか?」

そうして名前が一言二言いうだけで、あっという間に長谷部は全ての手順を完了させてしまった。びっくりするくらい手際良く、暖かい布団のなかに押し込められている。名前は近侍の優秀さに満足した。さすが私が育てただけはある。

「はい、薬です」
「置いといて」
「そうはいきません。飲まないでしょう。確認してから下がります」
「うええ」

この目に睨まれると反論できなくなる。親に怒られているようだ。首が竦んで言葉が出て来なくなる。
布団から恐る恐る手を出した。寒さに震える。誇張でなく震えが止まらないので湯のみが上手く持てなくなっていた。あまりの間抜けさに名前は笑う。ちらと見ると長谷部はちっとも笑っておらず、代わりに薬の乗った薄様と湯のみを手に取った。

「……やだ」
「まだ何もしていません」
「飲ませるつもりだ」
「さすが、お察しが良い」
「やだ、みっともない、自分で飲む」
「それが出来ないからいまみたいになったんです。さ、薬を先に飲みますか、茶を先に飲みますか」

苦い苦い薬を飲ませられて、吐き出さないよう最後まで見つめられる。とんだ辱めだ。どれだけ子ども扱いをされているのだと名前は憤慨した。口直しにと差し出された砂糖菓子を齧りつつ長谷部を睨めつける。近侍は涼しい顔で報告書の記入をしていた。

「ひどい顔ですね。皆に見せられないような顔をしてらっしゃいます」
「うるさい」
「声もひどいですよ。どんな服装で寝ていたんですか」

本当はほぼ裸に近い格好で、それも布団もかけず寝ていたがそれを馬鹿正直に告げると怒られる。長谷部の説教は正しく的を射るもので、だから耳に痛い。

「普通の寝巻き着て寝ました。夜は暖かかったし、油断しただけ」
「そうですか、俺はすっかりまた何も着ず寝ていたのかと」

結局、始めから名前の下にいる長谷部だから凡そだいたいの行動は読まれているのである。
悪いのは自分だと分かっていても反抗したくなってしまう。まだ子どもだから。
まとめた報告書を枕元に整理し、彼は主に向き直った。手が伸びてくる。横になっているので逃げ場がなく、反射的に目をぎゅっと瞑った。大きな掌が額に置かれる。

「ああ、これは、随分と高熱ですね」

なんだ、それだけ。
安心して目を開ける。目の前がやっぱり霞んでいた。朦朧としてくる。薬のせいか、砂糖菓子のせいか。

「あついー」
「そうでしょう。大人しく寝ることです。また後で来るのでなにかあれば」

長谷部が立ち上がるのがうっすら見えた。無意識に手を伸ばして裾を摘まむ。不意をつかれたのか彼は転びかけ、三度目の大きな溜息をついた。

「まだ何か」
「淋しいからそこにいて」

淋しいという言葉が出たのも多分、無意識だった。風の音がうるさくて、それで心細くなっていたのだ。

「――主が望むならそうします」

お決まりの台詞に安心する。
伸ばした手に長谷部の手が重なった。生意気だ。
もうひとつふたつ、ねだりたいことがある。それは口に出す前に、彼の方から与えてくれた。乾いた唇は暖かくて、それだけでもう後はなにも要らないほど満たされる。
風邪がうつるかなと思うのと、ごうと一際強い風が吹いたのは殆ど同時だった。

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