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「#幼馴染」のBL小説を読む
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チューインガムをかみながら


 授業をサボって居座る図書室といったら場違い以外の何ものでもなかった。チャイムが鳴り、カウンターから死角になる席を確保してから突っ伏して目を閉じる。本は読まない。寝るわけでもない。ただ、なにもしないだけだ。自分以外に二、三人しかいないここでは、誰かが本のページを捲る音がとても大きく聞こえる。
 校舎の外れに位置する図書室には、中途半端に真面目か、不真面目な生徒しか現れない。不良と呼ばれる輩はそもそも学校に来ないし、勉強に熱心な人間はこんなバカ高にはいないのだ。遠くで聞こえるグラウンドの喧騒を振り払うためにイヤホンを耳に嵌め、カイジはもう一度目を閉じる。そうすると世界に自分だけ、完全にひとりきりになれる気がした。イヤホンから流れる甲本ヒロトの歌声と真島昌利のギターの音が真っ暗な世界を彩る。傷だらけのCDプレイヤーだけが自分の理解者であるような気がしていた。ただ、カラフルな闇が瞼の裏にある。起きているのに夢を見ているようだ。
 しばらくそうしていると真っ直ぐな歌声と正直なギターの音、それとリズム隊の後ろでなにかばたばた聞こえるようになった。CDがイカれたのかと思ったが、そのばたばた音はブルーハーツの外、つまり図書室のなかで発生しているもののようだ。イヤホンをしたまま振り返る。長く図書室でサボタージュを重ねてきたが、手をつけている人間を見たことがない棚に向かって一生懸命手を伸ばしている生徒がいた。日本の文学、とタグが貼ってある。埃を被った古い本を取ろうと跳ねている女子が音源らしかった。いちばん上の棚にある分厚い本が目的のようだが、指先が触れるだけで掴める気配はない。子ウサギのように跳ねるたび、スカートが揺れて白い膕が眩しかった。
 声の掛け方が分からなかったので片耳だけイヤホンを外して無言で近づき、恐らく求めているであろう本を取ってやる。子ウサギは一瞬びくっと肩を震わせ、ゆっくり振り向いた。知らない顔だった。ネームプレートの色からして一年生、後輩だ――余計になにを話せばいいのか分からなくなった。
「あ……ありがとう、ございます」
「いや、別に」
 向こうも同じ気持ちなのか、ネームプレートとカイジと本の表紙をうろうろと見、なにか話そうとして途中でやめる。それを何度か繰り返した後、ふと思い出したように「あの、いつも図書室にいますよね」と言った。「いつもなにか聴いてるなあって……あ、ごめんなさい、うるさいとかじゃなくて、あの、」必死な様子がおかしくてカイジはつい笑う。相手は赤くなって「すみません、すみません」と本を抱きしめて頭を何度も下げた。
「オレがいつもいるって知ってるってことは、あんたもサボってんだ」
「体育の授業は出ないんです」
「ドクターストップ?」
「自己判断です」
 本の表紙の宮沢賢治という文字をなぞりながら、彼女も笑った。なかなかいい度胸をしている。
 彼女は特別可愛いという顔立ちではなかった。平凡だ。クラスの一軍ではなく、きっと教室でも隅っこで静かに本を読んでいるタイプ。だからこそカイジは自然と話せた。なんとなく、自分と雰囲気が似ていたから。
「せんぱい……は、なに聴いてるんですか?」
 いままで誰にも興味を持たれなかったことを彼女は尋ねてきた。異性にそんな風に話しかけられるのは(身内以外では)ほとんと久しぶりだった。格好つけるつもりもなかったが「ブルハ」とそっけなく答える。彼女は「知らなかったです、すみません」と苦笑いをして首を傾げる。カイジはそれで満足した。どうせ分かるまい。分からなくていい。分かられない方がいい。理解されたくないから聴いているし――眉間に皺が寄る。複雑な感情だった。自分だけの世界に飛び込んできた子ウサギが、もしかしたら理解者になってくれると期待していたのかもしれない。思春期だ。思春期のせいだ。
「一年のうちからサボってもいいことないぜ」
 嫌味のつもりだったがうまく言葉にならなかった。それどころか「じゃあせんぱいは一年の頃は真面目に授業受けてたんですね」と返されて返事に窮した。
「本のお礼です。どうぞ」
 差し出されたものをなにか確認しないまま受け取り、彼女がカウンターに向かうのを黙って見送る。小さい背中が見えなくなってから手のひらに乗ったものを見ると、見たことないガムだった。
 それからタイミングが合うと図書室の後ろでふたりで話すようになった。共通の話題はない。ないからどうでもいい話をする。小声で。思春期というものは本当に厄介だ。これを繰り返すうちにカイジは呆気なく後輩を憎からず思うようになっていった。彼女の方はまだよく分からない。分からないが、少なくとも嫌われてはいないはずだ――そう信じたくなるくらいには。彼女は会うたびにガムをくれた。美味しくも不味くもなかった。
「せんぱいって目つきで損してる」
「うるせ」
 段々と軽口も叩けるようになって、その日は少しだけ踏み込んだ話をしてみた。「お前って彼氏とか、いんのか」そんなつもりはなかったのに吃ってしまった。意識しているのが丸出しで恥ずかしい。咳払いをしてごまかしてみるが、うまくいかなかった。
「いますよ、せんぱいと同じクラス」
 心臓が止まるかと思った。熱い手で心臓をぎゅうっと握られたような痛さに襲われ、息ができなくなる。誰だよ、とか、いつから、とかもっと訊こうとして口から出るのは「……あ、ああ」という変な相槌ばかりだった。彼女はなにも気にしていないようでその会話はすぐ終わった。
 しかしその会話がきっかけになったのか、彼女は徐々に彼氏の話をするようになった。心を許されている。それは理解できるが具体的な話をされるたびに首を絞められたように苦しくなった。
「オレは彼女いねぇんだけどさ、」
「うん、はい」
 今日は太宰治の本を手にした彼女が浅く頷く。カイジに対して興味がある、という友好的なまなざしだ。その視線が思春期の胸に突き刺さる。
「……付き合わねぇ?」
「え? えぇ? あはは、イヤですよ」
 口元を手で覆い、声を殺しながら笑う。断られるところまでは想定していたが笑われるとは思わなかった。耳が熱くなる。
「だってせんぱいセックス下手そうじゃないですか」
 柔らかそうな唇から放たれるにはあまりに過激なフレーズだった。途端に目の前の女が見知らぬ他人のように思え、頬が引き攣る。体育の授業には出ないくせにセックスはするという事実が、彼女を生々しい等身大の女に引き上げてしまった。
「せんぱいもそういう冗談言うんですね」
 まだ笑う彼女から目を逸らし、ガムを口に放り込む。いつもはなんともないのに、今日は砂でも噛んでいるかのように不味かった。――きっとこれからもずっと、このガムは不味いのだろう。

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