×
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -




フォリアドゥ


 恋人とはよく喧嘩をする。理由はいろいろだ。オレが悪いこともあるし彼女に非があることもある。
 オレが悪い場合は大抵金が絡む。家賃を使い込んだとか勝手に貯金に手を出したとか、オレをよく知る人間なら「あいつならやるだろうな」と言われるであろうしみったれた悪事。言い訳になるがオレの場合は賭けに勝てば補填できる。二倍、三倍にして返せることもあるくらいだ。もちろん毎回ではないが、可愛いものだと思う。
 ところが彼女の悪事は度を超えている。半同棲状態の部屋に男を連れ込んでバレるようにわざと浮気をしたり、オレが彼女に対して少しでも気に食わない返答をすると一週間は口を利いてくれなくなったりする。もっとひどいときはクッションやぬいぐるみを投げつけて「カイジくん嫌い!」と大声で騒ぐから始末に負えない。
 さらに悪いのは、どちらの場合も彼女が大袈裟に泣き喚くことだ。金を使い込むと「ギャンブルはやめてって言ってるのに」と守れるわけのない約束を持ち出して癇癪玉のように泣き、浮気を責めると「カイジくんはもうわたしのこと好きじゃないのかと思ったから」とよく分からない理屈でさめざめと泣く。「わたしが死ねばいいんだよね、全部解決するよね、カイジくんも自由になれるし」泣きじゃくる彼女を抱きしめて落ち着かせるとき、オレはなにが正しい事実なのか分からなくなり、無性に腹立たしくなることもある。こんな風に言わせてしまう自分にも、あまりにも我儘な彼女にも。
 オレも悪いということは一旦さておき、彼女のやり方は試し行為というらしい。自分に自信がないから、オレの気持ちを確かめるために「こんなことしても愛してくれるよね?」という心理でやるそうだ。確かにオレは愛情表現が下手くそだ。でも、たぶん、精一杯に恋人というものをやっているし、キスもセックスもする。他の男が抱いた身体でも彼女に変わりはないのだから。きっとそれも言葉にすればいいのだろう。しかし、そんな気恥ずかしいことを言える男はいるだろうか。――そもそもどんなに不安でも浮気する方が悪いに違いない。またよく分からなくなって、事後の気怠い雰囲気のなか煙草に火を点けた。「嫌いにならないで」と囁き、小さい手が空いていた左手に絡んできた。冷たい指先にぞわぞわする。「……好きだよ、バカ」もっと小さい声で顔も見ずに呟いた。きゅ、と指先に力が入って、すぐに寝息が聞こえ始める。こんな生ぬるい空気がいつまでも続けばいいのに、と感じた。
 それなりに安定した日々を送り始めた頃、また彼女が浮気をした。オレと入れ替わりで男が来ていたらしく、後処理もままならない状態で部屋に上げられたのですぐに気づいた。ベッドサイドのゴミ箱に堂々と捨てられた避妊具を見つけてしまい、さすがのオレも彼女に怒鳴りつけた。
「なに考えてんだ、ふざけんなよ!」
「だって……」
「……っ、せめて、オレにバレないようにやれ……!」
 いきなり大きい声を出したからか、喉の奥が詰まってなかなか言葉が出ない。いままでに何度も繰り返したようなことを言うのが精々で、それでも彼女はいつも通り顔を真っ赤にして泣き始めた。
「ごめん……なさいぃ……」
「謝るなら最初からすんなよ!」
「だって、だって……」
 どうせまた「カイジくんが云々」でごまかすつもりだ。最近のオレはバイトも始めたし、ギャンブルもバカみたいにしていない。けちをつけられる謂れはないはずだ。そう思ったら忌々しくなって「泣いてんじゃねぇ、ちゃんと謝れよ、二度と他の男と会うな!」と壁を殴りつけながら叫んだ。びく、と彼女が震える。
「あの……わたし、」
「なんだよ、オレが悪いのか? おかしいだろ!」
 シーツが乱れたベッドにちょこんと座ったまま、彼女はオレを見上げた。首筋に赤い痕が見える。吐き気がして目を逸らした。
「……寂しかったから……」
 驚くほどありふれた言い訳だ。もう怒る気にもなれない。拳はそのまま、暴れる鼓動を落ち着けようと深呼吸をする。
「わたしが悪いよね……わたしなんか、死んじゃえばいいんだよね……」
 また試すようなことを言い始めた。いつもいつもそうやってオレを脅して、オレが慌てて抱きしめればすべてが終わると思ってんのか。疲労と混乱と、憤懣やる方ない思いで、とうとうオレは爆発してしまった。
「そんなに死にたいなら死ねよ。死んで解決するなら死ね!」
 小声で言ったつもりが、どんどん語気が荒くなった。隣人には聞こえているかもしれない。
「カイジくん……」
 彼女がどんな表情になったかは確かめず、脱ぎかけたアウターを肩に引っ掛けたまま外に飛び出した。これ以上目の前であの顔を見ているともっとひどいことを言ってしまいそうだったから、逃げたのだ。落ち着けたはずが、心臓は一層ばくばくと跳ね上がった。
 どうせ死なないくせに。いままでだって死ぬとかなんとか言って、一晩寝たら忘れて我儘放題に戻るくせに。オレの寛容に甘えて、オレが絶対に本気で怒ることはないと思って、オレが自分を愛していると分かっていて――ああもう、どれも事実だ。どうしたってあいつのことが好きだし、死んでほしいとは思っていない。ただ、生々しいものを見てしまったから激昂してしまっただけで。
 自販機でアイスコーヒーを買い、一気に飲む。真夜中の公園は誰もいなくて心地よかった。鼻先が冷えて、だんだん頭のなかも冷静になってくる。
 オレが謝って済むならもうそれでいい。「寂しくさせて悪かった」って言えばいいんだ。それでいつものように抱きしめて、飯でも食って、セックスしよう。これがオレたちなんだ。これでいい、これでいいんだ。側にいられるならなんでもいいはずなんだ。
 あんなにひどい言葉を投げつけてしまった手前、ふつうに部屋には戻りにくかった。チャイムを鳴らす。反応はない。もう一度鳴らす。また反応がない。不貞寝しているのだろうか。レバーを押すと、キィキィと音を立ててドアが開いた。オレが帰ってくると分かっていて鍵をかけていなかったのかもしれない。静かに部屋に入り、鍵を閉める。
 ざあざあとシャワーの水音が聞こえた。
「なあ、オレが悪か――」
 謝りながらドアを開けると、異様な光景に唇が引き攣った。
 一瞬湯船に浸かっているだけに見えたが、一杯に張られた湯は真っ赤で、溢れた分は白いタイルの床をうっすら赤く染めている。ピンク色の剃刀が浮いていて、慌ててシャワーを止めた。とにかくここから出そうと抱き起すが、血のぬるりとした感触が本能的な恐怖を呼び起こす。
「あ、あ、あ……」
 パニックになってなにも考えられない。真っ赤に濡れた手で彼女の携帯電話を探し、思いついた緊急用の番号を懸命に押す。誰かが出る。事件ですか? 事故ですか? 分からない、オレにはもうなにも分からなかった。
 オレが殺したのか? オレが殺したんだ。最期の会話が「死ね」だったのは紛れもない事実じゃないか。そうだよ、オレが殺したんだよ。彼女はただちょっと不器用で、オレの愛を試したかっただけなのに。オレがなにもかも悪い、オレが、オレだけが悪いんだ。オレなんか、死ねばいいんだ――

- - - - - - -