自分の学生時代についてはほぼ記憶がない。ブレザーだったか学ランだったかも朧げなほどだ。碌な友人はいなかったし、恋人は言わずもがな。教師以外の女がオレの名を呼んだ覚えもないくらいだ。 どうやらそれはオレにとってコンプレックスらしく、狭い道で学生の集団とすれ違うと目を逸らしてしまう。奴らは喧しくて輝かしい。制汗剤と香水が混じった独特のにおい、自分たちにしか分からない言葉で話すあいつらは自分とはまるで違う生き物のようだ。年齢はさして変わらないというのに。 特に夕方同じ時間にアパートの前を通る女子高生の群れはひときわ眩しい。あまり見ないよう気をつけても声が聞こえると意識を向けてしまう。とりわけ目を引くのは一叢のなかでも頭ひとつ背の高い、髪の綺麗な少女だった。大人びた表情だがスクールバッグにつけられた大きなクマのキーホルダーが可愛らしい。進学校の制服をきちんと着こなした彼女は雨の日も風の日もきちんと登下校している。オレがバイトを始めたり辞めたりバックれたりする日々の間にも。まるで不審者だと思いつつ、オレは彼女らが通るとこっそり窓から盗み見をした。カーテンに隠れるように、決して目など合わないように。 それで満足だった。それだけで満足しているはずだった。 徹夜麻雀明けで小汚い顔を何度かぬるい水で洗い、バイト先に休みたいと連絡を入れるか迷っていたとき、玄関ドアがこんこんと控えめにノックされた。誰だろう。いつもの悪友なら蹴飛ばす勢いで音を鳴らすし、通販は(金がないので)あり得ない。火を点けていない煙草を咥えて考えてみたが、心当たりはやはりなかった。 「誰だよ」 安酒のせいで痛む頭を抱えてドアを開ける。そこにいたのはいつも遠目に眺めている少女だった。煙草がそのままぽろりと床に落ちる。寝ぼけているのかと思ったが陽射しが目に痛かった。現実らしい。 少女はまっすぐオレを見上げている。背が高い子だと思っていたがオレよりずっと小さかった。思春期らしい細い身体、糊の利いた制服、スクールバッグに揺れるクマのキーホルダー。その存在感にくらくらする。彼女の日灼けしていない腕は妙に見覚えのあるシャツを掴んでいた。 「あの、これ」 なにも考えずにそのまま受け取る。まだ十分に乾いていないそれは昨晩オレが窓際になおざりに干したシャツだった。 「裏に落ちてました」 「あー……うん」 立ちくらみのような症状に耐えながらなんとか人間らしい応答をする。そんなオレの様子に少女は慌てて「ごめんなさい、違いましたか?」と尋ねてきた。 「え? ああ、いや、オレのだよ」 さぞかし不機嫌そうに見えたに違いない。怯えた瞳でぎゅっとバッグのストラップをぎゅっと握り、いまにも帰りたそうにそわそわしている。 この流れだとオレが「ありがとう」といえば「どういたしまして、さようなら」で終わってしまう。彼女は踵を返し、このアパートからすぐに立ち去る。そして二度と立ち寄らない。それが正しい。そうあるべきなのだが、徹夜明けの頭では判断力は完全に鈍っていた。 まず手が勝手にシャツをその辺に放り投げた。少女の腕を掴んで玄関に引き摺り込む。「いや、」叫んで助けを求めそうな少女を後ろから抱きすくめて口を手のひらで塞いだ。柔らかい感触にどき、とする。 「騒ぐなよ」 それなのにあまりにも冷たい自分の声に驚いた。本当は緊張して胸が張り裂けそうなのに、声音は恐ろしいほど冷静だ。ぎこちなくオレを見上げる少女の瞳は涙に濡れていて、仔犬のように震えている。ああなんて可哀想なんだろう! いつも窓から眺める健康的な少女とはまるで違う有様にオレは無性に興奮した。抱きしめる腕に力が入る。 「名前は……あ、名札あんのか」 白いネームプレートに彫られた名前をなぞる。口に出して呼んでみて、少女の震えが激しくなったことに満足した。 綺麗な髪を耳にかけ、現れた耳朶に甘く噛みつく。口を塞がれたままの少女はしばらくくぐもった呻き声を上げていたがやがて諦めたのか抵抗をやめた。耳の裏に鼻を寄せて思いきり息を吸う。制汗剤とシャンプーと香水と体臭がごった煮になった甘酸っぱいにおいに気が遠くなりかけた。 「(すげー汗かいてる)」 次に鼻先を髪に埋め、そう思った。学生らしい生々しいにおい。嫌いじゃない。むしろ昂る。息がどんどん荒くなり、脚の間が熱くなった。それを感じ取ったのか、過呼吸気味になった少女がもがく。このままだと気絶させちまいそうだ。 「暴れんなって、怖いことしねぇから、なぁ」 頭がぐらぐらするのは二日酔いか、それとも興奮のせいか。 「大きな声出すなよ、いいな?」 「ん、んぅ」 涙でびしょ濡れになった掌を離してやる。引き攣れた呼吸を何度か繰り返し、少女はようやくふつうに(といってもぜえぜえと必死に)呼吸するようになった。「大人しくできるな?」「……はい」強く擦ったため目尻が赤く腫れ上がり、ひどく乱暴された後のような顔つきだ。そこでオレはふと思う。強姦するのは本意ではないのだ。ただ少し距離感と近づき方を間違えただけで、本来なら少女ときちんとそういう行為に及びたいのだ。 「オレさ、伊藤開司」 だから自己紹介をした。ぺたんと座り込んだ少女は訝しげにオレを見る。「名前呼んで」「い、いとう、さん……」お互いに顔を知った、名前も分かった、これで対等だろう。 細い身体を抱きかかえてベッドに放り投げた。よく見るとスカートは必要以上に短い。真面目そうに見えて案外やんちゃなのかもしれない。 覆い被さって夢中でキスをする。塩辛い、でも甘い。制服を脱がせるのがもったいなくてシャツを中途半端に肌蹴させたまま身体中をまさぐる。しっとりと汗をかいていて、どこもかしこも柔らかい。 「いっ、いとう、さ」 無遠慮にスカートのなかに手を突っ込んで下着をずらす。もう我慢できない。派手な音を立ててベルトをはずすと、怖がるような憐れむような視線を投げかけてきた。なんだよ、いまさら止めねえぞ。膝を持ち上げて強引に挿入する。あまりの狭さに歯を食い縛るが、それでも半分ほど埋まったところで一気に突き進んだ。 「う゛、う……っ」 大きい声を出すなと言ったのを律儀に守り、少女は声にならない悲鳴を上げた。 あんなに遠かったものがオレの下で哀れに震えている。涙と鼻水と涎でめちゃくちゃになった顔はもう眩しくなくて、高価な絵に墨汁をぶちまけたような気分になった。爽快感と達成感と微かな優越感があった。 「やべ、きもちいい、すげぇ」 無我夢中で腰を振って呟く。文字通り、まだ夢のなかにいるようだ。だってなにもかも都合がよすぎる。いつも見ているだけのあの子がうちにきて、あっさり囚われてくれて、喚きもせずベッドの上でただ震えるだけ。欲求不満がみせる夢か、寝不足の白昼夢か、今際の際の幻想か――もうなんでもいい、どうだっていい。 「あ、ああ、ッ」 わずかに残っていた理性が作用し、少女の薄い腹のうえに射精する。どろりと溢れるそれを見つめる少女の目は存外冷ややかに見えた。 「……どうすんだよ、」 少しの沈黙の後、オレの口から零れたのはどうしようもない疑問だった。頭のなかは真っ白だ。手脚を投げ出した少女はドールのようになにも言わず、ただオレを見つめている。 ――夢ならよかった。夢であってほしかった。なにも考えられなくて頭を抱える。「ありがとう」「どういたしまして、さようなら」で終わらせればよかったのに。次はどうするのが正しいか分からない。 「ごめん、ほんとにごめん、」 謝りながら少女の手を握る。小さくて冷たい指先。「こんなつもりじゃなかったんだ、マジで、ちょっと触るくらい、そんな、」それだけでも十分最低だが、言い訳せずにはいられなかった。 外から学生たちの賑やかな声が聞こえる。女子高生の甲高い笑い声だ。いつもなら彼女もあのなかにいて、友人たちと楽しく帰っていたのだろう。そう考えると自分のしでかしたことの重大さを改めて痛感した。 「ごめん」 どういたしまして、さようなら、とはならない。少女は虚な目でオレを眺めるだけだ。いま掌にあるのは罪悪感だけだった。 - - - - - - - |