がんがんがん、と玄関のドアを蹴る音。オレが「開いてる」と声をかければ「あへて」「あ?」「あへて」埒が明かない。仕方なくわざわざ腰を上げて迎えてやる。ドアを開ければこのクソ寒いのにアイスキャンディを咥えて携帯電話をいじっている女が入ってきた。もう片方の手には酒の缶がぎちぎちに詰まったコンビニのビニール袋。なるほど両手が塞がっていたから入ってこれなかったのか。女はなにかもごもご言いながら携帯を突き出した。ディスプレイには〈ごめん熱出たからいけないわ〉の文字。差出人は今夜もうひとりの客人になるはずの男の名前だった。 「ろーする?」 「お前寒くねぇの?」 女は携帯をポケットにしまい、アイスを口から離す。「脚だけ寒い」ショート丈の熊みたいなファーコートに黒いミニスカート、素足にパンプスという信じられない格好にこっちが風邪を引きそうだ。 「近いしいいかなって。これ、ビールとおつまみ」 ビニール袋をオレに渡し、女はパンプスを脱ぐ。向きも揃えずそのまま部屋に上がり、勝手にベッドに座った。コートも乱暴に脱いでその辺に投げる。胸元がざっくり開いた白いリブニットを着ていた。 「で、どーする?」 元々は熱を出した男を交えて三人打ちをする予定だった。しかもふたりで組んでそいつから金を巻き上げるつもりだったのだからどうしようもなくなってしまった。 「ふたりでやるか?」 「やだ。わたしあんまり得意じゃない。カイジくん花札持ってる?」 「あったはず……ちょっと待て、探す」 引き出しを上から順に探していくと、後ろで缶ビールを開ける音がした。「お金賭けるのはやめよーね」「了解」類は友を呼ぶ、目の寄る所へ玉も寄る、同類相求む、つまりオレと彼女はどちらも金がない同士だった。 「おいベッドでするめ食うな。花札あったからこっち来い」 机に札を並べて欠けがないか確認する。女はめんどくさそうにのそのそ動いて向かいに座った。二枚札を裏向きに並べ、同時に捲る。オレが桐、彼女は紅葉。「お前が親」「うぇい」するめを噛みながらいかにもやる気なさそうに返事をされる。 「つーか別に帰ってもいいんだぜ」 オレも缶を開けてビールを煽った。 「家にいてもつまんないんだもーん」 早くもふたつめの缶に手を出し、女は「カイジくんくらいしか遊んでくれる友達いないし」とぼやく。それはオレに失礼じゃないかと思ったものの、働いていなくて実際に年中暇なのだから異議を唱えることもできない。 「カイジくん最近なんかした?」 「こないだまで新聞配達のバイト」 「ふふ、一瞬でやめてそう」 「……ま、一週間だったな」 しかも辞めますと言わずに逃げた。向こうはさぞかし困っているだろう。札を眺めたり酒を飲んだりしながらくだらない話を続ける。 「お前は?」 「えっとね、キャバの体入してきた。二日間」 「で?」 「やっぱり働くのはやめちゃった。ヤクザ怖いし」 結構チップもらったんだよと女はにやにやしながら話した。今日のコートはそのチップで買ったのだろう。見せびらかしにきたと思えば可愛いものだ。 「ぜひうちで働いてくれって店長みたいなひとに言われたんだけど、ねえ?」 ねえ?は「めんどくさい」とか「だるい」とか、そういうネガティブな姿勢に同意を求めるニュアンスだった。オレは曖昧に頷いてぼんやりと女を見る。とんでもなく猫背になっているから極端に手札が悪いか、勝負に出るか迷っているところに違いない。 しまっておいたわりに随分と色褪せている花札越しに眺める女はこの部屋にはふさわしくないほど煌めいて見えた。バイトのために綺麗なネイルが施された指先が花札を摘んでいるのがやけに可笑しい。どうしてこんなところにこんないい女が、とたまに思う。なぜオレと仲良くしてくれるのか。答えはひとつ、似たり寄ったりのクズだからに尽きる。働けない、ギャンブルが好き、金もないのに遊んでしまう。ふたりで競馬に行った日などは最悪だ。大声で罵詈雑言を吐いては周囲の注目を集めてしまう。最悪で、でも楽しくてしかたなかった。 「うーん……」 女は一層背中を曲げ、前のめりになる。大きな胸が机に乗って不可抗力で谷間が見えてしまった。ついでに下着のレースも。オレは慌てて目を逸らす。やばい、心臓がばくばくして止まらない。狼狽えてしまって札を取り落とした。机の下にひらひらと落ちたそれを拾おうと屈んで、今度は女の太ももを視界いっぱいに映してしまった。胡座をかいた白い脚は細すぎずむっちりとして柔らかそうだった。触りたい、という欲求が胸の奥から湧き出そうになって急いでかき消す。 「……カイジくんのえっち」 札を拾ってから顔を上げると、女はまたにやにやしていた。 「……なんだよ」 「胸見たあと、脚見てた」 否定できない。「別に」とごまかそうとして口をつけた缶は空っぽだった。 「五光。上がり」 「あ、お前オレの月取ったろ」 「はい終わり、わたしの勝ち、カイジくんの負け!」 女はわざとらしくガッツポーズを取って谷間を強調してみせた。馬鹿にされていると分かっていてもそこに目がいってしまう。まだ心臓はばくばくしていた。 「やっぱふたりだと盛り上がんないね」 悪かったなとふてくされたみたいに答えたら女はカイジくんのせいじゃないよと脳天気に言った。ゆっくり立ち上がって「煙草〜」と恐らくコートのポケットにある箱を求めて近づいてくる。座ったままのオレのアイレベルだとさっき触りたいと思った太ももが真正面にきて、それで、 「いった、い!」 気がついたらオレは彼女を押し倒していた。クッションなどの気の利いたものがない部屋だから後頭部を守るものなんかない。女は強かに打ちつけた頭を実に痛そうにさすった。 「痛いなあ……なんかするなら先に言ってよ」 いまからお前を襲う、なんて事前申告する馬鹿は果たしているのだろうか。少なくともオレはいきなり高まった性衝動に任せて女を押し倒したことに困惑していた。 まずい、やばい、なにやってんだ。 このままだと強姦魔だ。いや、もう既に暴行犯か――切迫感に気を失いそうなのに、身体はしっかりと興奮していて絶望的な状況だった。ひとまず落ち着こうと深呼吸してみる。しかしすぐ下にいる女の甘い匂いにくらりとして、下半身の猛りは盛んになるばかり。まさにオレの理性は崩壊寸前だった。 「――カイジくんにはできないよ」 女は笑う。 「カイジくんにわたしを犯すことなんて、できないよ」 それは「優しいから」ではなく「度胸がないから」。女の嘲笑は言葉よりも雄弁にそれを語っていた。オレは自分の頬が歪むのを感じた。 柔らかい脚が蛇のように腰に絡む。身体を引き寄せられ、勃起したところが女の足の付け根に当たった。女の手首を掴むオレの手は震えていた。恐怖ではなく、緊張に。 「右手だけ離して」 言われた通りに右手だけ解放する。細い指先がオレの頬を撫で「キスしてみてよ」と挑戦的に誘われた。蜜を求める虫のようにオレはふらふらと彼女の唇に自分のものを重ねる。アルコールくさい。女の舌がオレの唇をノックした。ふと口元の力を抜いたらその舌が侵入してきて、そのまま口内を蹂躙された。顔を離そうとしても気持ち良すぎるキスに身体がいうことをきかない。舌を絡ませて唾液を交わらせて、それだけで絶頂してしまうのではないかと思えるほどにオレは興奮していた。 「ふふ、カイジくんのえっち」 キスに気を取られているあいだに女はオレのジーンズのファスナーに指をひっかけ、そこを暴こうとしていた。 「よせ……っ!」 白魚のような指に黒いネイルの指先が下着のうえから性器を緩慢に撫で回す。先走りが止めどなく溢れ、染み出てきた。彼女はくすくす笑って前開きからオレのものを取り出す。血管が浮いたそれをまた撫でて「これでわたしをめちゃくちゃにするの?」と揶揄うように問いかけてきた。 しない、したくない、いや、したい、する、絶対してやる――言葉が空回りしてなにも言えない。 「カイジくんにはできないよ」 「……っ、うるさい!」 ミニスカートを捲って、下着越しに女のそこに性器を押し当てる。鼻息がどんどん荒くなっていた。いまのオレはあまりにも醜い、薄汚い、性欲に支配された獣だ。 小さい手が猛り狂った性器を包む。自分でも見たことないほど怒張したそれを蝋のように白い手が触れるのはたまらなく興奮した。 「じゃあこれ我慢できたら、わたしをめちゃくちゃにしていいよ」 「あ……、う、ぁ」 彼女の下着を汚すくらいに垂れ流される先走りを絡ませながら、しなやかな手がゆっくり上下する。自分でするのとはまったく違う、腰がとろけそうな快感だ。「あ、あ、っ」オレは縋りつくような声を上げ、女の胸元に唾液を零す。女がわずかに身を捩って、ブラの肩紐がちらりと見えた。たったそれだけ、それだけなのに息が詰まり、身体の内側の熱が一気に膨張する。 「うう……ッ」 全身に鳥肌が立って、その熱が解き放たれた。びゅくびゅくと卑しく白い体液を吐き出すオレの性器を、最後の最後まで搾り取るように女は手を動かし「わたしの勝ち」と甘く囁いた。下着を汚した精液をすぐ隣にあったティッシュで簡単に拭き、なんでもなかったような顔で「ほら、カイジくんの負けだから離して」と言った。 「負けでも勝ちでも、ねぇだろ……」 射精のあとの脱力感からあっさりと手を離してしまう。女はオレの下から逃げ出してオレの言い訳のような文句のようなよく分からない呟きに「男らしくないよ」と反駁した。 「このことは、」 誰にも言わないでくれと懇願しかけたオレの唇に指を当て、彼女は穏やかでない顔つきをする。 「一万円ね」 口止め料なのかサービス料なのか分からないが、とりあえず財布からなけなしの万札を取り出して渡した。女は「毎度〜」と打って変わって和やかな調子で受け取る。 「今度は口でしてあげるよ」 冗談なのか本気なのかは分からなかった。顔を背けたら「チューはただでいいけど」と耳元で囁かれたので、情けないオレは迷った挙句もう一度キスをした。まだ舌からはアルコールの味がして、すべてが酩酊のための嘘ならいいのにと思った。もう二度とこいつを友人として見られないことを後悔していた。 - - - - - - - |